バケモノの夜

さあ。夜に飛び込め​─────
綿森 もぎ 綿
綿森 もぎ

02

公開日時: 2021年5月5日(水) 20:50
更新日時: 2021年5月7日(金) 00:09
文字数:3,348

「​───・・・・・・は」



視界がチカチカと点滅する。

呆然としながら、自分の腹を見た。


どくどくと、おびただしい量の鮮血が零れていく。傷口がどうしようもないほどに熱く感じた。


血がごっそりと抜かれていくこの感覚。嗚呼、懐かしいな。

そんな風に、呑気なことを思ってしまった。



「貴方が、どうして!」



自分の身体が冷たい地面の上に転がった。

点滅する視界のなかで、女子生徒は絶望した表情で俺を見ていた。

ようやく顔が見れた。綺麗な顔立ちをした少女だった。


彼女が無事で良かった。


思い切り咳き込み、血を吐いたのと、獣の唸るような声を聞いたのはほぼ同時だった。

吐いた血の量が思ったよりも遥かに多くて、俺はもうすぐ自分が死ぬことを悟った。

意識はそこで途絶えた。




***




死にたくない。

あの時も、同じことを思っていた。


死にたくない。

死にたくない、死にたくない、死にたくない!


息を吸い込めば、灰と埃の匂いがする。

もう、自分の何を犠牲にしても構わないとも思った。

それほどまでに、事故にあったあの瞬間の俺は、生きることを望んでいた。願っていた。


骨が折れ、腹に硝子破片が刺さり、頭を強く打ち付けても生き残れたのは、きっと奇跡に違いなくて。

薄れゆく意識が落ちる寸前、俺は影の化け物が、じっと自分を見つめているのを見た。

顔なんてないはずなのに、目が合っていると、あの時の俺はすぐに分かってしまっていた。




***




目を開けたらそこは可愛い女の子が目の前に​────とかいう展開は無かった。

真っ先に視界に飛び込んできたのは、夜空にぽっかりと浮かぶ月だった。視界一面に広がる夜空で、星々も、月に負けないようにと煌々と光っていた。

頭の硬い感触に違和感を覚えて頭を動かし、俺はベンチに寝転がっていることを知った。



「って、え!?」



腹を切られた記憶が突然に蘇り、思い切り起き上がる。その拍子に、何か黒い布がバサりと落ちる。

何だろうと思い拾い上げてみると、正体はスーツの上着だった。

誰かが俺に被せてくれたのだろう。

慌てて砂をはらう。



「起きたかい、少年」



暗闇を切り裂くような、凛とした声だった。

ハッとして視線を向けると、そこには一人の女性が仁王立ちしていた。

後ろで一つに束ねられた、燃えるような赤い髪に、目を奪われる。



「・・・・・・え、俺、何で生きて・・・・・・」


「お腹の傷は私が塞いであげたよ。危ないところだったね」


「貴方が・・・・・・?」



呆然としたまま呟く。

寝起きの頭では上手く処理が追い付かない。



「そうだとも。結構深い傷だったけれど、上手く治療出来たようで何よりだ。感謝したまえよ、少年?」


「はい!!有難うございます!!」



思わず大音量で礼を言いながら、その場で土下座をした。

女性は「良いって良いって」と手をひらひらさせながら笑った。



「にしても、君は人が良すぎるなあ。今の言葉、本当に信じたの?」


「え・・・・・・違うんですか?」


「いや、何一つ嘘はついてないけどさ。君は人を信じてるんだねぇ。普通なら疑うところだよ?」



女性はすっと目を細めて俺を見た。

俺は何も言い返せずに、黙ったままスーツの上着を差し出すと、彼女はばさりと肩にかけた。黒いネクタイもきつく締める。


この人は別に悪い人そうじゃなかったしなあ、と心の中で呟いた。



「さて。君には説明しなければ山ほどあるが・・・・・・」


「あ・・・・・・。良かった。目を覚ましたんですね」



今度は柔らかな声が鼓膜を撫でる。

振り向くと、同じ高校の制服に身を包んだ少女がやってきていた。うちの学校は今どき割と珍しいセーラー服だ。

彼女はペットボトルの水を俺に差し出した。礼を言って口に含むと、冷たい水が乾いた喉に、しみるように恵みをもたらした。


彼女は安心したような顔で俺を見ていた。

長い黒髪が風に揺れる。

化け物に襲われていた女子生徒だった。スカーフの色を見て、彼女が一年生だということはすぐに分かった。



「・・・・・・君も無事だったんだね。良かった」


「は、はい。私は大丈夫です。貴方が来たときは、本当にビックリしましたけれど」


「本当は、一緒に逃げようとしたんだけどさ・・・・・・間に合わなくて、こんなことになっちゃった」



俺は苦笑した。

我ながら格好悪かったな、と思う。



「あまり無理をしては駄目ですからね。お腹の傷が開いてしまいますから」


「うん、ありがとう」



深呼吸をして、ベンチに深く腰掛けた。

そして破れたワイシャツの裾を捲る。

腹を見ると、何事も無かったかのように綺麗さっぱり治されていた。

本当に赤髪の女性が傷を治したと言うならば、一体彼女は何者なのだろうか。


いや、彼女だけじゃない。

あのときの化け物とは何だったのか。



「真実を知りたそうだね、少年。良いよ、おねーさんが全部教えてあげよう。でも、その前にっと、」



女性は少女のほうを見た。

少女は首を傾げる。



「かがり、こっちに来て」


「は、はい」


「そんで少年の隣に座って」


「はい」



かがりと呼ばれた少女は俺の隣にちょこんと座る。

一体何をする気なのかと問う前に、女性が先に口を開いた。



「説明の前に、まずはお説教だ」



びくりと少女の細い肩が揺れる。

女性は気にせず、人差し指を彼女に突き立てて言った。



「かがり! 何度言ったら分かるんだ! 敵意のある霊怪を見付けたら、まずは逃げろといつも言っているだろう!? 戦うな、逃げろと私は! あ、れ、ほ、ど!」


「は、はい・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」


「鬼の力に頼ろうとするな。使おうとするな。緩んだ呪縛をまた直すのは結構大変なんだよ? それに・・・・・・使いすぎると、戻れなくなるよ」


「・・・・・・っ、ごめんなさい、めぐりさん・・・・・・以後気を付けます・・・・・・」



少女はしゅんと項垂れてしまった。

叱り、叱られる場面を目の前にして、俺は何とも言えない絶妙な気分になっていた。


何だろう。

親の子供への躾を、真正面から見た気分だった。


女性は「ふう」と溜息を吐き、こっちに向き合う。

俺はぎくりとした。嫌な予感がしたからだ。



「君もだよ、少年。ああそうだ、名前は?」


「し、白神波都しらがみなみとです」


「そう、ナミトくんね。駄目だよ、ナミトくん。無闇矢鱈に突っ込んで行っては。ああいう類のものは、本来自分から突っ込んではいけないんだ」



腰に手を当てて、女性は人差し指を俺に指した。

「ああいう類のもの」。

二年前の事故から見えるようになった、化け物​────自分から突っ込んだのは、少女を助けた瞬間からなのか、それとも本当は、事故にあった瞬間からなのか。

どっちだか分からないが、少女を助けられたことを間違いだなんて思いたくは無かった。

たまりかねて反論する。


「あの、お言葉ですが・・・・・・俺はあの状況を放っておく訳にはいかなかったと思います」


「でも君、かがりを助けようとして、助けられた側だろう?」



ぐうの音も出なかった。



「良いかい? 人を助けることは素晴らしい。大いに結構。だがしかし、そこで自分がそんな傷を負うんじゃ意味が無い」


「・・・・・・・・・・・・」


「そこには、責任というものが必ず発生する。君は困っている人を放っておけないタイプかもしれないけれど、人を助けるという行為は同時に、責任を自分に作る行為でもある。今回は私がいたから君は命拾いしたけれど、私がいなければ確実に君は死んでいたんだよ」


「お、仰る、とおりで・・・・・・」


「自分が責任の取れない問題に無闇矢鱈に突っ込むな。取れない責任を負おうとするな。まだ高校生とならば尚更だ」



鋭い瞳が俺を射抜く。


嗚呼、確かにそうだ。全て彼女の言う通りだった。

助けようとして、助けられた。

立場を、自ら逆転させた。

なんとかっこ悪く、馬鹿馬鹿しく、愚かなことか。

反論の余地なんて、全く無い。



「・・・・・・大変申し訳ございませんでした。そして、命を助けていただき、本当にありがとうございました」



立ち上がり、俺は深々と頭を下げる。



「うん。分かればよろしい」



真っ赤な髪によく映える、同じような赤いルージュの塗られた唇が弧を描く。

彼女が浮かべた微笑は存外優しく、自分の心臓が早鐘を打った。

いかにも美人なお姉さんといった感じの人だ。

スーツ姿もよく似合っている。



「そうだ。私の自己紹介がまだだったね。私の名前は廻迷巡かいめいめぐり。今は陰陽師をしている、見ての通りの美人なお姉さんさ!」

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