ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第17話 誘惑〈You work〉

公開日時: 2020年11月16日(月) 02:00
文字数:4,020

【前回のあらすじ】

 エメラルドグリーンの髪をなびかせトランクから生まれた天使の名は、アウラといった。タクヤは純情を爆発させ、ヴェロニカは損をしたと叫ぶ。




 鼻に詰めていたティッシュが真っ赤に染まり、その表面をうす黄色の粘膜が覆うころ、タクヤの鼻血はようやく止まった。


 時刻もすでに深夜二時だ。

 トランクは撤収され、テーブルのうえには夜食に食べたカップ麺が置かれていた。レイノンは端末でニュースに目を通し、タクヤはテレビで深夜の通販番組をザッピングしている。


 各々が独自の方法で時間を潰していた。

 彼らが一体なにを待っていたかというと、それはこの場にいない者の登場であった。


「お待たー」


 リビングの入り口からお調子者の声がする。

 一度席を外し部屋着のTシャツとショートパンツに着替えてきたヴェロニカである。

 ムーバーからの慣性でふわりとリビングに飛び込んできた。

 宙を華麗に舞い、ソファーの背もたれを掴んで着地する。

 続けざまに後ろを振り返って、


「ほらぁ~。照れてないで入っておいでってば」


 リビングの入り口方面に声を掛けた。


「あ……」


 感嘆を漏らしたのはタクヤだった。

 視線の先には静々とテーブルに向かって近づくひとりの少女が。


 十代半ばといった容姿に妖精のような雰囲気をかもし出している。

 エメラルドグリーンの髪は綺麗に纏め上げられ、頭の両横でお団子にしてある。服はトランクと同じ光沢のあるブルーをした高えりで、胸の片方にボタンが寄った前あわせのシャツだ。


 ズボンは踝から数センチ上までの丈で切り詰められており、裾には金糸の刺繍がある。民族色の強い衣裳だったが、それを纏うアウラの北欧風の顔立ちには妙にハマっていた。


「どう?」


 アウラの両肩を捕まえて、ヴェロニカが男性陣に問う。


「なんでチャイナなんだ?」


 そう言うレイノンの顔もまんざらではない。


「手持ちの服でこの子に合う物が他になかったのよ。いいじゃないパンツだし動きやすいでしょ。なんならこのまま中華街まで行こうか? アタシもおそろしてチャイナドレス着よかな」


「もう夜だ。いい子は寝ろ」


「ハッ、お堅いこって!」


 アウラはヴェロニカの手をすり抜けるとタクヤの隣へと座った。

 そして膝の高さにあるテーブルのうえをジッと見ていた。


「よ、よく似合うよッ」


 声を掛けたのはタクヤの方だった。

 とりえず彼女の目線をテーブルから奪うことには成功した。


「似合う?」


「うん、すごく似合ってる。その服も、髪型も」


「アタシが結ったげたの。かわいいでしょ? あ、ちょっとふたりだけで夜食たべないでよ~。エイプリル~アタシもカップめ~ん」


 キッチンへと消えるヴェロニカの声は無視して、タクヤはアウラからの次の言葉を待った。


 が、


「似合うって……なに?」


「エッ?」


「それはアウラの性能に関係するなにかなの?」


 小首を傾げるアウラの目に嘘はなかった。

 もちろん、タクヤをからかっている風でもない。


 タクヤは彼女の反応の薄さに戸惑う。

 それでも、なんとか会話を続けようと話題を模索するのだが――。


「そ、そういえば自己紹介まだだったよね。僕はタクヤ・ホーキンス。生まれたのは地球の新東京国なんだけど、実家のコロニーは火星にあって、いまはその……いろいろあって帰れないんだけど……」


「地球……?」


 結局、自分が原因で失速してしまう。

 レイノンはその微笑ましさに耐え切れず、ハンディ端末で顔を隠して、肩で笑っていた。


「タクヤ……? 泣いてるの?」


 アウラが心配そうにタクヤの顔を覗き込む。

 油断していた。

 タクヤは自分でも気づかないうちに、涙を流していたらしい。


「大丈夫。大丈夫だよ。大丈夫だから……」


 ようやく乾いた鼻腔を啜り上げた。重い頭を上げる。無理やりにでも笑顔を作った。


「ねっ?」


 アウラも笑い返してくれた。

 そのまま穏やかな時が流れ始める。

 タクヤはさらなる彼女の笑顔が見たくて、やや興奮した様子でソファーから立ち上がった。


「船長、確かクッキーありましたよね? ホラ、火星のコロニーでおばあさんから貰ったヤツ。紙袋に入った……っとどこやったっけな~。エイプリルさーん」


 入れ替わるようにしてキッチンからヴェロニカが戻ってきた。

 カップ麺片手に、どかっとレイノンの隣に腰を下ろす。

 不遜な態度を隠しもしない。


「なーにハリキってんだか。あのエロガキ」


 ズゾゾゾゾ。

 勢いよく麺を啜る。もはやお色気キャラの片鱗もない。


「あんまりイジめるなよ。陰湿なんだよお前のは。アレか。弱りきったネズミを死なないギリギリのところでもてあそぶ野良猫か? 嫌われるぞ、そういうの」


「べー。別にあんなガキンチョに好かれたくありませんー。……それよりもさぁ」


 突然、匂い立つ色香。

 上目遣いの潤んだ瞳がレイノンを見上げる。腰をひねり、ソファーに両手をつく。すると二の腕に挟まれた巨乳はあふれんばかりに盛り上がり、深い谷間を作ってレイノンを誘った。

 まさに千尋の谷。

 レイノンが親ライオンなら息子をその谷底へ突き落とすのか。


「やめろっつーの馬鹿。お子さまが見てんだろうが」


 レイノンは横目でアウラを見る。キョトンとこちらを見つめているが、多分なにも分かっていない。


「いいじゃなーい。ガキはガキ同士。こっちはこっちでさ。アタシも人肌恋しいの、レイノ~ン」


 ヴェロニカは細すぎず適度に肉の付いた滑らかな脚をレイノンの膝の上に投げ出した。

 両腕を広げ、ギュッと彼の頭を抱きかかえる。

 弾力に富んだ魅惑の唇は吐息を漏らし、レイノンの耳たぶを甘噛みする。

 レイノンは露骨に眉をひそめた。


「おい~ッ」


「黙って訊いて。あの子、人間じゃないわ」


 レイノンの首に抱き付いたまま。

 ヴェロニカの表情は急激に冷めてゆく。さらにはレイノンだけに聞こえる声量で、彼女は何かを語り始めた。


「着替えさせてる時に気付いたの。あの子の身体に妙な穴がある」


「穴?」


「よっぽど目を凝らさないと見えるもんじゃないけど、その数が尋常じゃないわ。横腹、脇、そして背骨に沿ってびっしり。パッと見ただけでも数百個はあったわ。それにあの髪の色……多分地毛ね」


「…………有機アンドロイドか?」


「恐らく。ようやくラボ13らしくなってきたわ」


 美しい顔立ちを妖艶に歪ませてヴェロニカが言う。


「あの子をどうするつもりだ?」


「アンタはどうしたいのよ?」


 少し身体を離して見つめ合うふたり。

 お互いの瞳がケモノのそれになっていくのを感じ取っていた。


「『連合』へ持って行けば報酬は思いのまま。一生遊んで暮らせる。アタシと一緒にどう?」


「…………」


 視線の間で二匹の蛇が絡み合っていた。お互いの存在をかけて相手を飲み込まんとする壮絶な心理戦が展開される。


 どちらに転んだとしてもアウラに選択権などない。

 いまの彼女はただの遺失物でしかないのだ。


「クッキーあったよ、アウラちゃーん。……うわッ、『ちゃん』とか言っちゃった! でもこれって自然な流れじゃね? オッケーじゃね? 成功じゃね? めくるめくロマンスの始まりじゃね……ってアンタらなにやってんすかッッ」


 沈黙を破ったのは頭のなかに春が到来した一匹の小猿である。

 手焼きのクッキーが盛られた皿を持って、ルンルン気分でリビングに戻ってきたところに一組の男女が絡み合っていた。


 一方は尊敬する上司。

 片やつい午前中まで恋をしていた相手。

 まるで再放送の昼ドラのような展開である。


 さらにテーブルを挟んだ向かいのソファーには、現在進行形で恋をしている少女が座っている。実に興味深そうに(タクヤにはそう見える)実に同じことをやってみたそう(タクヤにはそう見える)にして。


 タクヤはタイミングを見計らいアウラの隣へと腰を下ろす。

 彼なりに自然な動作でさりげなくしたつもりである。

 サッと手渡したクッキー皿も、いまの彼には花束に見えているのだ。


「よ、よかったら食べてみて。美味しいよ?」


 まずは自分で食べてみせる。

 警戒心を解こうというのだが、それではまるで動物の調教師だ。

 しかしこれが功を奏したか、アウラはクンクンと匂いを嗅ぐだけだったクッキーを口に運んだ。


 パクリと一口食べた瞬間、アウラはただでさえまん丸な目を見開いてクッキーの皿を凝視する。


 次々と手を伸ばし、貪り食った。

 口のまわりがクッキーかすで汚れてゆく。

 タクヤはそれをあんぐり見ていた。


「どうやらアウラは甘い物がお好きらしいわね」


 とはヴェロニカ。

 まだレイノンの膝の上に乗っていた。


「降りろよ」


「いーじゃない、最近ご無沙汰なのよ。アンタで我慢したげる。だからンー…………って、ムギュッ」


 熱い抱擁とキスを期待したヴェロニカだったが、すんでの所で顔を押し退けられる。レイノンはソファーを立ち上がり、リビングの出入口へ。

 ヴェロニカはそのまま置き去りだ。


「あ、そーだタクヤ」


「は、はいッ」


 思い出したかのように立ち止まり、くるっとタクヤのほうを見た。

 いかにもわざとらしい仕草だったが、それに気づいたのはヴェロニカだけだった。


「明日、その子連れて買出し行ってこい」


「へ?」



「ずっとトランクに押し込まれてたんだ。できるだけ動いた方がいい。ヘマした罰だよ。お前がアウラの引率だ」


「僕が、アウラちゃんの引率……?」


「俺はまだやることが残ってるんでな。手が離せねえ。頼んだぜ……」


 そう言ってレイノンは船内通路へと消えた。

 リビングには、ムーバーの作動音が静かに鳴り響く。


「え? え?」


 タクヤはまだよく理解できていなかった。

 隣ではアウラがクッキーにご満悦だ。


 テーブルを挟んだ向かいでは、呆れたようにヴェロニカが呟いた。

 朴念仁もここまでくるとただのストレス源でしかない。


「このニブちん! 明日その子とデートしてきなさいって言ってんのレイノンは! もう、そんなんでリードできんのアンタ?」


 ソファーに胡坐をかき、組んだ両手の甲にあごを乗せる。

 ヴェロニカが不貞腐れる時にするポーズだ。


「でーと……?」


 ゆっくりとタクヤの顔が上気する。


「デートぉッ!」


 今度ははっきりとのたまった。

 握り締める拳からは血の出る勢いだ。

 そんなにいきんでは、またぞろ鼻血が出るのではないか。

 刻々と時計の針は進んでいく。

 このところのタクヤは、ずっと睡眠不足だ。

 きっと今夜も眠れそうにない。


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