ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第5話 一握りの勇気

公開日時: 2020年11月7日(土) 18:01
文字数:3,556

【前回のあらすじ】

 一瞬のうちに艦橋を制圧してしまった白髪の男。その大きな背中にタクヤは自分の求める「ちから」への憧れを見出していた。




 自分とは住んでいる世界が違い過ぎる。

 直感でそう思ったタクヤは、まるで珍しいものでも見るかのように彼らを眺めていた。そしてようやく思い至ったのだ。


「あ、あの……メイド、さん?」


「エイプリルとお呼び下さい」


「あ、じゃあ、あのエイプリルさん……」


「なにか?」


「脚って大丈夫、なの?」


 艦橋に血の雨が降る少し前だ。

 確かに彼女の左脚は曲がっていた。

 それも曲がってはいけない方向に。

 折れていた。確実に折れていたはず。なのに彼女の脚は、刺繍入りの紺のストッキングと共にそこにあって。

 素知らぬ顔で、立っている。


「ああそのことですか。そのことでしたら――鍛えてますから」


「うそつけ」


 と白髪の男。

 せっかくの一服を阻害されて、明らかに根に持っている。


「こいつはな。アンドロイドなんだよ。人間じゃねーの。関節外すくらいわけねえ」


「あ、アンド……ロイド?」


 人型機械、人造人間、はたまた単純にロボット。

 その呼び方は様々だが、意味するところは概ね同じだろう。

 タクヤもこれまでの人生経験で数多くのアンドロイドと交流している。


 ――してきてはいるが彼女は別格だ。

 完成度が違いすぎる。


 もちろん彼女よりも『もっと人間らしく』振舞うアンドロイドはたくさんいる。しかしエイプリルの存在感はなんというか、生々しいのだ。

 ある種、未完成な。

 そして欠陥があるがゆえの魅力とでも言おうか。


「あ、もう任務は終了ですか? てっきりまだ秘匿事項なのかと思いまして」


「なに言ってんの? この状況見て、あと何隠そうっての? モロ出しだよ、丸出しだよ全部。新撰組血風録だよ」


「お暴れになったのはご主人様と記憶しておりますが?」


「忘れたな。そんな古い話」


「古いって……ついさっきじゃないか」


 ついうっかり口を挟んでしまうタクヤだったが、存外、白髪の男はそんな彼のあたふた加減を見るのを楽しんでいるからのようだった。

 

「だまれ緊縛マニア」


 軽口も飛び出す。

 ピリ付いていた表情もまた、飄々とした雰囲気を取り戻していた。


「それにしてもいい加減直りませんか。敵のナイフを見たらご乱心なさるという、そのクセ。状況によっては酷く迷惑です。それはもう年末の工事渋滞くらいに」


「……えらい言われようだな」


 タクヤは気づいた。

 白髪男の首と肩。

 チンピラにナイフを当てられた首の傷は軽度だったかも知れないが、拳銃で撃たれたはずの右肩の出血がもう止まっている。

 そういえばさっきから男は何の苦もなく腕を使い続けていた。


「アンタ……その肩……?」


「ん? ああ、もう治ってるな。これはアレだよ。そう、鍛えてるから」


「どっかで流行ってんですかソレ……」


 男は心底悲しそうにジャケットの肩部を見た。鉛玉で開いた風穴に、何度も指を突っ込んでは溜息をつく。


「はぁ~あ……コレお気に入りの一着だったのに。くそー、もうこうなったら根こそぎ取り返してやるぜ。エイプリル、これだけの船だ。クルーがこれで終わりってこともないだろう。あと何人残ってる?」


「二十七人です」


「よし……行くか……」


 すると男はジャケットの裾をめくり、腰裏のホルスターから拳銃を取り出した。グリップが木製の古い自動式だ。

 タクヤからすればいまさら感が漂う。

 さっきの乱闘ではどうして使わなかったのだろうか。


 男は弾倉を一度外し残弾をチェックすると出入口へと歩き出した。

 力なく、ただ地を這うことしか出来ないいまのタクヤには、その背中は広く大きく。また何よりも力強く思えた。


 なりたい。あんな背中に。

 あの暴風のような力が欲しい。


 そうしたら自分もきっと、おのが信じる正義を貫くことが出来るのに。

 強烈に、憧れた――。


「ぼ、僕もッ、僕も連れてってくれ!」


 男の歩みがピタリと止まる。

 振り向かず耳だけをこちらに傾けているようだった。


「僕だって……アンタみたいな力があれば他人なんか頼らないよ……でもダメなんだ。僕には知恵も腕力もない。ずっと親の七光りでやってきた。それが毎日イヤでイヤで……」


 地べたを這いずり回ることしか出来ないいまのタクヤには、それを吐露するだけでも途轍もない勇気がいることだった。

 それを知ってか知らずか。

 白髪の男は何も言わずに聞いている。


「変わりたいんだ! だから家も出たし、革命にも参加した! でも仲間たちがッ……仲間だと……思ってたのに……」


 後半、涙声で掠れるタクヤの言葉が艦橋内にこだまする。

 無垢な彼の想いは、赤い雨の降るしじまへとむなしく溶けた。

 あふれる熱い雫が無数の宝石となっては宙を舞う。


「ダメだ」


 白髪の男は振り向かずに言った。


「手前のケツも拭けねえようなボンクラは俺の船には必要ない。少し転んだぐらいでピーピー泣きやがって人生ナメてんじゃねえぞ。いつまでも誰かが手を差し伸べてくれるのを待ってんじゃねえ! 立て! ひとりで立ってみせろ! ちからってのは拳でも頭でもねえ……男なら差し伸べられた手を払いのけるくらいの根性見せやがれ」


「ぐッ……く、くそぉ……」


 初めてだったかも知れない。 

 こんなにも諦めたくないと思ったのは――。


「くそ! くそ! くそ! くそおおおッ!」


 タクヤは床を這い回った。

 自由の利かぬ手足の変わりにあごや膝、ときには歯を使って激しく身体をくねらせた。


 向かう先は艦橋の壁際。

 航行機器がずらりと並ぶその一画である。

 がむしゃらに、低重力に翻弄されながらもその動きを止めることはない。大会社の御曹司と、いつも言われていたプライドなぞは、かなぐり捨てて汗だくで。みっともなくとも、恰好悪くとも。


 やがて彼は操舵席の椅子に辿り着く。

 その脚にかじり付き首を振り、フゥフゥと荒い鼻息をつきながらも上へ上へと体躯をよじる。


 一旦床から身体が離れると、驚くほどに負荷が軽い。

 膝を折り背中を曲げて、脇で椅子の背もたれを挟み込んだ。

 そしてついに、タクヤは自分ひとりの力で立ち上がったのである。


「どおぉだぁああッ!」


 会心の雄叫び。

 タクヤのキラキラとした瞳があの背中を追う。


「さ、行くか」


「無視すんなコラーッ!」


「エイプリル。この船の食糧備蓄からすれば、ウチの台所は相当に潤うな?」


「ええまあ」


「だったら前々からお前の欲しがってた雑用係を雇ってもいいぞ? その辺の奴、適当に連れて来い」


「は? そんなことはひと言も……分かりました。クルーの補充ですね」


「頼んだぜ」


 それだけ言って彼は艦橋の外へと躍り出た。

 しばらくして遠くで銃声が鳴り始める。

 彼の背中を見送ったあと、タクヤはそのまま棒立ちになっていた。


「あ、あのエイプリルさん……」


「後ろを向いてください。手錠を外します」


「は、はい……あの……さっきのは結局……?」


「雑用係が必要なのですが、あなたお暇ですか? もしよかったら当方の船にお越し下さい」


 背中の方でゴキャっと金属が割れる音がした。

 後ろ手に回っていた両腕に爽やかな血流が蘇る。

 数時間ぶりに見る自分の手の平だ。徐々に赤みが差してきた。

 心地よい痺れと共に手の感覚が戻ってくる。


 ふとこぼれる笑み。

 それは戒めが解かれたから、だけじゃない。


「フフフフ……フフ……」


 馬鹿騒ぎをするときのような興奮ではない。

 だが心の芯を震わせる、いままで感じたことのない喜び。

 少しだけ前に進めた気がした。


「はい。次は脚のほうです。どうぞ、そのままお掛けになってください」


「あ、分かりました。……それにしてもエイプリルさんって高性能なんですね。見た目も人間と見分けつかないし、船と衝突しても壊れないし」


「恐縮です」


「あ、それとさっきのアレってこの船の船内データにハッキングしたんですよね? 凄いなー。そのうえ手錠まで開錠できるなんてほとんど無敵じゃないですか」


「ありがとうございます。でもこの足枷は難しい位置にはめられているので失敗するかもしれません。少し痛いですが、我慢してくださいね?」


「へ? それってどういう……」


 操舵席に腰掛けた姿勢のタクヤだったが、未だ両脚の戒めは解かれていなかった。左右の脛を固定するために金属製の枷がはまっている。

 そのエッジ部分は、かなりがっちりとデニムの生地に食い込んでいた。


 エイプリルはタクヤの正面にしゃがみ込み、その状況をジッと静観する。見下ろす美しい赤毛のつむじは、彼女がアンドロイドと分かっていながらもタクヤをドキドキさせた。


 頬を赤らめるタクヤ。

 だがつぎの瞬間、エイプリルはおもむろに片手で天を衝いた。


「いきます」


 振り下ろされる、一本の白い手。


「しゅ、手刀ぉおおおおですとぉぉぉ?」


 響き渡る少年の悲鳴。

 連続して都合五回。

 その合間に無感動な口調で「あら」だの「まあ」だの挟まれる。


 こうして長い間タクヤの自由を奪っていた物が粉々に砕け散った頃。

 彼は口から泡を吹いて気絶していた。

 次に目を覚ましたのは、別の船のなかである。


 これがタクヤ・ホーキンスと白髪の男――レイノン・ハーツとの出会いであった。



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