【前回のあらすじ】
ヴェロニカは死んだはずのディスポーザブルにアウラの身柄を引き渡すようにと取引を持ちかけられる。もともとの彼女の目的からすれば、願ったり叶ったりだが。
回る回る地球が回る。
アウラはミランダから貰った地球儀のペンを片時も手放さなかった。
レイノンはあのままの調子で今日もどこかに出掛け、エイプリルはフール号の整備に追われている。
タクヤも先ほどから姿が見えない。きっとまた船内の探検でもしているのだろう。なのでいまリビングにはアウラひとりだった。
お気に入りの地球儀を宙に浮かべ、カラカラと回転させて遊んでいる。
とは言っても相変わらずの無表情である。「ぬぼー」っとした顔つきで浮遊する地球儀を目で追うだけだ。
そんな折。
外出していたヴェロニカが帰ってきた。アウラは彼女の身体から発する甘い匂いを嗅ぎつける。
すぐにクンクンと鼻を利かせ。
傍らに腰を下ろしたヴェロニカの胸に顔を埋めた。
「なによアンタ。いやらしいわね」
「ヴェロニカあまい」
「へ? あー、お茶してきたからね」
「ふーん」
しばらくアウラはそのまま。ヴェロニカも強いて引き剥がすような真似はしなかった。今朝、自分が巻いてやった彼女のお団子頭を見つめる。小さなエメラルドグリーンのお団子頭を。
「……ねぇ、なんか甘い物でも食べに行く? アンタが知らないおいしい物、いーっぱい知ってるよ」
アウラはガバっと顔を挙げる。
口からは少しよだれが垂れていた。無垢な瞳は真直ぐに。ヴェロニカに向けて尊敬の眼差し。薄い唇を半開きにして、たわわに実った胸越しに彼女をジッと見上げている。
「行きたい?」
するとアウラはガクガクと首肯。タイミングよく飛んできた地球儀のペンが、無防備なおでこに衝突した。
「よし! 善は急げだ。しゅっぱーつ」
立ち上がったふたりは手に手を取り、リビングから出てゆく。勿論、地球儀のペンも一緒だ。
船内を縦に貫く長い通路をゆっくりと歩く。
両脇の壁では無人にも拘らずムーバーが忙しなく動いていて、なんだかとてもシュールな光景である。しばらく歩いて何個目かのドアがヴェロニカの個室だ。勝手に転がり込んで、勝手に居座った部屋であるため、彼女の部屋という言い方が正解かどうかは分からないが。
さらにレイノンの個室、タクヤの個室と続いて、曲がり角がある。それは他船への往来や、宇宙施設へ直接乗り入れるときに必要になるドッキング・ラダーのエアロックへと続いていた。
そこを曲がらずにさらに直進すると、このフロアで一番巨大なスペース。船内倉庫が見えてくる。アウラもヴェロニカも入ったことはあるが、とても綺麗とは言い難い。
入浴室、医務室、さらに数個の空き部屋を経て。
ふたりは通路の末端。船内エレベーターの前に出る。エレベーターは安全に船外へ降りられる数少ない手段のひとつである。現在使用中。階下から誰かが昇ってきた。
タクヤだった。
「あれ? またどっか出掛けるんですか? ……アウラちゃん? ちょっとヴェロニカさん、アウラちゃんをどこ連れてくつもりですか?」
「別に。ちょっとお茶しに行くだけよ」
「冗談でしょ? アウラちゃん、昨日狙われたって話じゃないですか。いま外出るのは危険すぎますよ! 船長はこのこと知ってるんですか?」
「船長、船長ってうるさいわね。アンタ、レイノンの金魚のフン? いくら慕ってもレイノンはアンタのママにはなってくれないわよ」
「な、どういう意味ですかソレはっ。これ以上失礼なこと言うようなら、僕だっていい加減怒りますよ!」
「お好きにどうぞ。別に恐くないわよアンタなんか。そこどけ、エロガキ」
タクヤの肩を押し退けて、ヴェロニカはエレベーターへと歩み寄る。
それをタクヤが黙って見ている筈もなく、
「待てよ!」
すれ違いざまにヴェロニカの腕を掴んだ。
「放せ、このガキッ」
平素は妖艶な眼差しが怒気を孕んでタクヤに凄む。美しい顔立ちはそのままに、百戦錬磨の美獣が迫力だけで十代の少年を怯ませた。
以前のタクヤであれば、すぐに手を放していたであろう。しかし彼もまたこの数日でいくつもの修羅場をくぐってきたのだ。
体力的にはまだまだ未熟だが、精神的なタフさは少々手に入れたつもりである。ここは断固として引くわけにはいかない。
「そ、そんな顔したって放しませんよ! ヴェロニカさんが本当のこと教えてくれるまで、絶対にここは通しません!」
「ホントのこと言ったら見逃すわけ?」
「答えによります」
相手が子供だとは言え、純粋な腕力ならタクヤの方が上だ。手を振り解こうにもヴェロニカの細腕には荷が勝ちすぎる。ヴェロニカはそっぽを向き鼻息をついた。
「この子を『連合』に引き渡す」
「なんですって?」
タクヤの声が裏返る。
反射的にアウラのほうを見たが、彼女はのほほんとしている。果たしていまの状況が分かっているのか、怪しいところだ。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか、正気ですかアンタ? そんなことしたら――」
「そんなことしたらどうなるって言うの? アンタがなにを知ってるの?」
「そ、それは……」
タクヤにはただ漠然とした危機感しかない。一連の状況から見て、アウラは狙われている、ただそれだけ。しかも『連合』に対しては個人的な私憤しか持ち得ないのだ。
その先にある事件の深淵など、彼には一切見えていなかった。
「ホラご覧。アンタは結局口先だけよ。大事なことはいつだって人任せ。人間そんな簡単に変われるもんじゃないわ」
「う、うるさいッ! とにかくダメだ! アウラちゃんの命に関わることなんだろ!」
「命……」
ふとヴェロニカの脳裏にディスポの言葉が蘇る――アンドロイドの寿命は短い、と。
悲しいかな、彼女はタクヤを陥落するヒントを得てしまった。
「そうよ。アウラの命に関わることなのよ。この子もうすぐ死んじゃうの。だって――」
一瞬アウラと視線が交差する。
「アンドロイドなんですもの」
「な……」
「アンタも知ってるわね? クローン体をベースとした有機アンドロイドが例外なく短命なのを。この子もそうなの……少しでも永く生き続けるためには『連合』での保護が必要よ。ラボに戻ってもダメ。機密保持のために破棄されるのがオチだわ。本当に彼女のためを思うのならアンタの取るべき道はひとつのはず」
突然の真実を突きつけられたタクヤの顔は愕然としていた。
もはやなにも聞こえていない状態。その目からは意識が感じられない。
ヴェロニカの腕を掴んでいた指からも、次第に力が抜けてきた。
スルリと抜け落ちる、ヴェロニカの細い腕。タクヤの手の平からは、さっきまで現実だったはずのなにかも一緒にこぼれ落ちた。
もう一度、アウラを見る。
心配そうな眼差しをタクヤに向けていた。
それは茶館でマキノを叱咤した後で彼に向けられた憂いの瞳と同じだった。「泣いているの?」と訊いてくれたあの瞳と――。
タクヤは無言で立ち尽くす。
また自分の力では誰も救えなかったという自責の念と、公に敵と言ってはばからない『連合』にアウラを委ねるしかないという無力感とに苛まれて。
気がつけば背後でエレベーターの駆動音が聞こえた。
ヴェロニカとアウラの姿はない。
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