【前回のあらすじ】
レイノンが船長をしている貨物船「フール号」で目を覚ましたタクヤだったが、彼の本気とも冗談ともつかない言動に振り回される。そしてタクヤはレイノンを仕事を手伝いはじめた。
フール号の船内は大きく分けて船首、船腹、船尾の三つ。
さらに船腹は三つの階層からなっている。
一番上は艦橋で、甲板から上部に突き出している。その下が居住スペースになっており、リビングを始めとする個室が複数あってレイノンはその一部を倉庫として使っていた。
最下部は船内格納庫である。
用途は様々だが、フール号では主に駐車場として機能する。
その三つの階を船内エレベーターが繋いでおり、自由に往来できた。エレベーターは船外まで降りることが可能で、陸地からの昇降口となる。
レイノンとタクヤはいま船底――船内格納庫に降りてきていた。
その広さはワンフロアぶち抜きのため相当なもの。
そしていま床の一部は、外部に向かってぽっかりと口を開けていた。
床は下方へと垂れ下がっており、絶妙なスロープとなって静止している。まるで大きな滑り台のようだ。
「いいか? せーので押すんだぜ? んで、スロープの手前で乗り込む。ヘタを打つと空中で置いてけぼり食らうからな」
「りょ、了解ですッ」
ふたりは「リフト・モービル」という、バイクのような乗り物の横に立っていた。
レイノンはハンドルを持って車体の右側に、タクヤはボディに付いたステーを握り締めて車体の左側にそれぞれスタンバイしている。
前後に細長い車体はバイクというよりもカヌーかヨットのようだ。車体の半分以上を長いフロントノーズが占める。残る後方に縦二列のシートがあって、その後ろにささやかな収納スペースが設計されている。
車体下には前後二輪のタイヤがついているが、これは駆動輪ではない。
「いくぞ? せー、のッ!」
合図と同時にふたりはリフト・モービルを押し始めた。低重力であるため重さはさほど感じない。だが床に接したタイヤが抵抗となり、ふたりの意気が合わないのも手伝ってグネグネと蛇行する。
「押せー! もっと押せー!」
「は、はいぃ!」
やがて真直ぐ走り出す。
次第にフロント部分の底面にある複数のスリットから光があふれた。
「きたきたきたぁ!」
押し掛けをしながらレイノンがアクセルレバーをひねる。
すると車体後方、ちょうど収納スペースの下から突き出したジェットノズルが反応して小さなフレアを噴出した。
「タクヤぁ! 乗り込め!」
「わ、ちょッ、ま、まま、待ってッ」
すでにスロープは目の前だった。
ふたりはシート目掛けて左右から飛び乗る。
ガクン。
平坦な床からスロープへと下る。
床材の吸引力でスムーズに駆け下りるリフト・モービルだったが、それもここまでだ。
スロープは地面までは続いてはいなかった。
地上五メートルの高さにリフト・モービルは投げ出される。
「船長! 地面に刺さるッ!」
「だいじょう、ブイ!」
すでに古代語のようなセリフを吐いてレイノンが巧みなアクセルワークを見せる。すると落下する角度が変化し、機首が上がった。
低重力のため自由落下ではない。
あくまで推進力のコントロールで軌道を修正しているのだ。
機体が地面と平行となり、徐々に高度が下がってゆく。
ふたりを乗せたリフト・モービルは無事着地。両輪ともに、静かに地面へと触れた。しかし過度には沈み込まない。
そう、この機体は浮いているのだ。
「舌噛まなかった?」
「だ、大丈夫だと思います」
「んじゃ、しゅっぱーつ」
赤い錆び色をした一台のリフト・モービルは市街地へと向かって走り出した。最高時速三十キロという極めて平和的なスピードで。
宇宙船の停泊所を出るとすぐに大きな道路に合流する。
ふたりは道行く自動車からあおられながらも、まったりとしたスピードで走った。
「船長ー。コレもっと速く走れないんですか?」
あまりにもいたたまれなくなり、ついつい不満が口をつく。
「走れるよ。真空だったら七百キロぐらい出るって噂で聞いた」
「ぶ! 七百ってッ。じゃ、じゃあなんでいまこんなにノンビリ走ってんですか? 大気中でもその辺の車より速く走れるでしょうに」
「走れるよ。走れるけど止まれないんだわ、リフト・モービルって」
「は?」
「下にタイヤあるだろう? あれって制動用で地面に触れてるだけで、五十キロも出したら急ブレーキ間に合わないって代物なんだわ。まあ、販売当時から事故続出で売れねー売れねー」
「だったら何でそんな危ない物乗るの? 普通に車使えばいいじゃん!」
「だって燃料いらないんだもん。大気中の微小金属を分解したイオン・クラフトで浮いてるだけだから、初動の電気さえ作ればあとは半永久的に動くんだぜコイツ。宇宙空間でだって乗れるんだよ? こんないい乗り物他にないね。なにより燃料タダってトコが素晴らしい」
「なによりってか、そこオンリーですよね……」
やる気を出せば最速。だが普段は亀のように遅い。
まるでどこかの誰かのようだ。
それにしても。
三十キロで吹く微風は肌に心地よい。
タクヤは滅多に吹くことのないスペースコロニーの風をしばし楽しんだ。
ここは火星ラグランジュポイントにあるスペースコロニーのひとつ。
その形状からドーム型、スタジアム型とか呼ばれるタイプだ。
勿論、野球場になぞらえた名称だが、スタンド席にあたる部分はソーラーパネルが敷き詰められ、太陽光線を受けて発電する電気畑となっている。
そしてグラウンドにあたる部分には街が広がり、一都市五百万世帯からの住民が暮らしていた。
天井部分は太陽光線を余すことなく取り入れるため、超硬度クリスタルで密閉されており、薄いが大気の層があるので空はちゃんと青く見える。
言うなれば地上の都市を丸々宇宙に打ち上げた感じだ。
だがやはり弊害も残されている。
火星にあるスペースコロニー群の全てが抱える重大な問題。
それは太陽から遠く離れているためにどうしても気温が低くなってしまうことだ。対応策として人為的にコロニー内を暖めてはいるが、その規模が一都市ともなると膨大なエネルギーと消費する。
民間レベルでも暖房費がかさみ、そればかりかあらゆる市場の物価にまで影響しているのだ。
負のスパイラルである。
火星の不景気はすでに何年にも亘って続いていた――。
レイノンたちのリフト・モービルは市街地を居住区の方へ横断する。
大きな橋が人工の海に架かり、その上を通った。
潮の香りが鼻孔をくすぐる。
低重力であれど、吸引効果のある建材で海底が作られているため地上の海と大差はない。ただし波が立たないのが火星流である。
橋を抜けて居住区に入ると、彼らのリフト・モービルはある一軒家の前に停まった。ふたりは走行風で乱れた身だしなみを整え、例の小包を持ち玄関へと向かう。
コロニー内にある一般的な家屋とは違い、ちょっと高級な作りをしたドアのまえ。レイノンがおもむろに、チャイムを鳴すと。
『はい?』
「あ。ハーツ急便ですが、お届け物でーす」
『ハーツ急便? お届けって……あ! ブツンッ、ツーツー……』
インターホンが半ば乱暴に切れ、そのあとすぐに、誰かがもの凄い勢いで家のなかを移動している音がドア越しに響いてきた。
怪訝な顔を突きつけ合うふたり。
それは攻撃的に開かれた玄関によって終焉を迎える。
現れ出でたのは、頭にカーラーを巻いたままピンクのネグリジェを着たおばさんだった。見事な太鼓腹からは、まるでハムのような腕が生えている。
そのハムは、いやさおばさんは、レイノンの手から小包を奪い去り、なんの躊躇もなく包装を破り捨てた。
「ま! やっぱり!」
ギロリと紫色をしたまぶたがふたりを睨んだ。
「あの~、受け取りにサインか印鑑を……」
「いつまで掛かってんのよアンタ! これ二週間前には着く予定だったでしょ! まったく何がハーツ急便よ! 亀便よ、亀便! 改名なさい!」
「す、すみませんでした……」
深々と頭を下げるレイノン。それを見てタクヤも慌てて真似をする。おばさんはレイノンの手から受け取りを剥ぎ取って、乱暴にペンを奔らせた。
「もう頼まないからねっ!」
「あ、あの~請求書届いてますよね? 代金はその半額で結構ですので、どうか今後も~」
「当然よ、ホントだったらタダでもいいくらいだわ! 二度と来るな!」
壊れそうな勢いで閉まったドアの音が、低重力になれた耳朶を強打する。
立ち尽くすふたり。
後ろでは、野良犬がキャンキャンと吠えていた。
「……ま、こういうこともある……」
振り返り、リフト・モービルのもとへ。
「ガス欠食らったんだからしょうがねえじゃんな? あんなに怒んなくてもいいじゃねーかクソババアっ!」
「ま、まあまあ……」
なんとかタクヤはレイノンをなだめようと努めるが、当の本人はどんどんエキサイトしていく。
「あ、思い出したらなんか腹立ってきたぞ? やっちまうかチクショウ」
「やらないで下さい。大体なんで遅れたんですか? それにあんな辺境でガス欠だなんて、やっぱりおかしいですよ。まあそのお蔭で僕はいまここにいるんですけど……」
「あの荷物、ライブ・オービタルで受けた仕事でさ。そん時に金なくてガス代ケチったんだわ。ホラ、軽貨物だと前金つかないじゃん? あーあ、いけると思ったんだけどなー」
「なにバクチしてんの! 命に関わるでしょうが!」
「火星付近までは行ったのに止まりやがってさー。もういいや死んじゃえとか思ってたら腹へってくるしさー。じゃー仕方ないから近くの船襲おうぜって話になって」
「ちょっと、ちょっと! 死まで考えた人がどうして空腹ぐらいで犯罪犯すんですか! どうかしてるよ、アンタは!」
「いやタクヤ、それは違うな」
白髪を両側から撫でるようにして、手ぐしを掛ける。
トサカを作ったレイノンは、ここ一番のキメ顔でこう言った。
「人間餓死しないために食べてるんじゃないんだぞ? 餓死するまでのあの空腹感がイヤなんだ。一旦死を覚悟した人間だって腹が減るのは苦痛なんだよ。大体、一生涯食うに困ることがなけりゃ仕事なんかしねっつーの」
「どんだけ、やる気ないんだよアンタは」
「うるせえな。もういいよ、その話」
ふたりはまたリフト・モービルを押し掛けした。
閑静な住宅街に、はた迷惑なオゾンを振り撒きながら去ってゆく。
「あ、タクヤぁ。配送センター行く前にちょっと寄るトコあるからなー」
「え? あ、はい」
それからレイノンは、急に黙り込んだ。
ふたりは居住区を走り回り、もう一件の家に着いた。さっきのおばさんの家とは比べようもない粗末なものだったが、この辺りでは普通らしい。
路地には浮浪者がたくさんいてリフト・モービルでひとり待つタクヤにも金をせっつく。
タクヤはそれを不遜にあしらいながらも、目は玄関に立つレイノンと家の主と思しき老女に向いていた。
レイノンが『何か』を手渡すと、老女はそれを胸に抱き締め崩れ落ちた。どうやら泣いているようである。レイノンは地面に泣き崩れる老女を、まるで自分の母のように労わっていた。
しばらくしてレイノンは別れを切り出す。
老女は家に上がって欲しそうだったが、それを彼が丁重に断ると渋々納得した様子だった。
去り際、老女の想いを完全には振り切れなかったのだろう。
レイノンの手には小さな紙袋が握られていた。
「なんだったんですかアレ?」
「別に……これ食ってくれってよ。手焼きのクッキー」
レイノンは言葉少なにそう言って、そそくさとリフト・モービルに乗り込んだ。今度はエンジンを掛けたままだった。
ふたりは颯爽とその場をあとにする。
またしばらくレイノンは無言だった。
怒ってるでも、イラついているでもなく。
ただなんというか――。
タクヤの目には、とても寂しそうに映った。
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