ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第21話 ディスポーザブル〈使い捨て〉

公開日時: 2020年11月19日(木) 00:10
文字数:3,705

【前回のあらすじ】

 戦友の遺品を家族のもとへ届けるのがレイノンの使命だった。恩師である上官の夫人ミランダは、彼に銃口を向ける。これが最後と覚悟したレイノンだったが、アウラの無垢な瞳に救われた。



 ミランダの屋敷を出たのはそろそろ陽も落ちようかというころ。


 彼女は自分の非礼をレイノンに詫びた。

 それから古い写真を引っ張り出して、在りし日の夫との思い出話に花を咲かせる。時間はあれよあれよと過ぎてゆき、レイノンたちは昼食はおろか、夕飯までご馳走になったのだ。


 これはひとえに彼女ひとりにしておくと、なにをしでかすか分からないというレイノンの配慮であり、それは使用人の帰宅ということで一応の解決を見た。

 帰り際に持たされたのは、あのクッキーとケーキ。それから――。


「よかったな。ソレもらえて」


「うん」


 アウラの手には地球儀のペンが握られていた。

 落ち着きを取り戻したミランダとの会食中にも、彼女の元に渡ったこのペンがずっと気になっていたのである。アウラがあんまりにも物欲しそうな顔をするので、ミランダが気を利かしてプレゼントしてくれたのだった。


「アウラ地球見たい」


 マジマジと地球儀のペンを見つめて言った。

 コロニーが作った人工の夕日をはね返して、金具がキラキラと光る。


「今度連れてってやるよ」


 夕暮れ時。たなびく自分の影を踏んでアウラが歩く。それを我が子でも見つめるかのようにしてレイノンの目が追った。


 白壁の続く住宅街をすり抜けて、街路樹から差すオレンジ色の木漏れ日が目を焼いた。滲む視界。不意にアウラが立ち止まった。


「どした?」


 アウラは答えない。

 目を見開き、なにかに脅えるように震えていた。慌ててレイノンが駆け寄ると、彼女はジャケットの袖をギュッと掴んできた。


 アウラの視線の先には、宅地外に駐車していたリフト・モービルがある。

 使い込まれた車体をまえにして、見知らぬ男がひとり。


 丸いサングラスをかけ、ソフト帽をかぶり、鶏ガラのような痩躯に仕立てのいいスーツを着ていた。


 男はレイノンたちに気がつくと、軽く拍手をしながらゆっくりと近づいてくる。西洋風な顔立ちとオーバーな仕草は、レイノンに道化師のような印象を与えた。


「素晴らしい! よくぞご無事で!」


 薄気味悪い笑みを口元にたたえ、人を食ったような調子で話した。

 男が近くにまで来るとアウラは、怪訝な表情を浮かべるレイノンの後ろに隠れた。


「あのひと知ってる」


「なに?」


 レイノンの背中にアウラの震えが伝わってくる。

 男は一度帽子を脱いで、夕陽のようなオレンジの髪をさらす。

 長髪をオールバックにしたやや禿げ上がった広い額には、うっすらと青い血管が浮いていた。


「誰だいアンタ?」


「トランクの送り主……と言えばお分かりですか?」


「ラボ13!」


「おやおや耳の早いことだ。もうそこまでご存知でしたか。それでは話が早い。そちらの娘は手前どもの『商品』でしてね。早々にお返し願いたいのですよ」


「嫌だと言ったら?」


「ンーフーフーフーフーッ」


 鼻で笑うをオーバーに行うとこうなるのだろうか。男は軽く握った拳を口元へと寄せ、身をよじり声を殺して笑っている。

 いちいち癇に障る態度にレイノンは苛立ちを隠せない。


「その娘を救っても、なんの利益もありませんよ。そればかりか『連合』からもアジア連邦からもお尋ね者にされるはず。いくらあなたが月面唯一の生還者でも、その追っ手から無事逃れられますかねぇ?」


「お前か……ミランダにあのことを吹き込んだのは……」


「おやおや。腕っぷしばかりか頭の回転も早いらしい。だがすべて真実じゃないか、レイノン・ハーツ少尉」


「……どこまで知ってる。何者だ?」


「おっと、申し遅れましたねぇ。私、ディスポーザブルと申します。ああ、もちろん偽名ですよ? 職業はラボ13の研究員……ではなく大ブリテン国の諜報員です。あなたのことも色々と調べさせていただきました。なんという偶然でしょうかねぇ――あなたも『ラボ13製』だったとは」


 レイノンが冷めた視線をディスポーザブルに向ける。それでいてナイフを見たときのようにキレる一歩手前だった。

 後ろにアウラがもしいなければ、きっとひと暴れしていたことだろう。


「エリクシア……でしたっけ?」


 ディスポーザブルが出し抜けに発した言葉に、レイノンはピクンと反応した。目を見開いて、全身の毛が逆立っている。


「投与された人間の自然治癒力を極限にまで高める作用がある。一説によれば老化すら止まるらしいじゃないですか?」


 ディスポーザブルはレイノンの若々しい肉体を、したから舐め回すようにじっくりと見上げた。

 ニヤリと、まるで蛇のように口の端を持ち上げる。


「その代償として恐怖や痛覚を麻痺させるとか。月面の最終決戦には戦闘薬として兵士に投与されたそうですね。なんでもあなた以外、敵味方の区別なく暴れまくったそうで」


「……おしゃべりが過ぎるようだな」


「ンーフーフー。これはこれは」


 ディスポーザブルはまた声を殺して笑う。

 かかしのような細い腕が、ジャケットのそでから見えている。


「あなたは痛みを感じない。即死するようなダメージを受けても死なない、死ねない。あなたはその苦しみから仲間を解放するために、自らのナイフで戦友をひとりひとり」


「いい加減にしろ!」


 ついにレイノンの感情が怒りへと転じる。

 アウラという制御装置を持ってしても、荒ぶる覇気は止まらない。


「そのトラウマが、同じラボ13で作られたその娘の救済に走らせたというわけですか。人間ではない有機アンドロイドである娘の身を案じて」


 ンーフーフーと嗚咽のように笑うのを噛み殺す。

 ディスポーザブルは、どんどん快楽に歪んでいくようだった。


 いまにも飛び掛かりそうなレイノンだったが、ジャケットを掴むアウラの震える手だけが、それをやっとのところで阻止している。 

 そのおかげでレイノンは最後の冷静さを失うことはなかった。


「しかし、その娘の正体を知ってまだ平然としていられますかね? その娘は人類の希望いや、地球再生の鍵を握っている。アジア諸国に至っては、今後の生命圏を考えるうえで必要不可欠の存在なのですよ」


「なんだと?」


 急に口調を変えたディスポーザブルに、レイノンも機先を削がれた。

 ことあらばと思っていたが、アウラのこととなってしまっては、聞かないという選択肢はない。


「その娘の本当の名は『ユニット・アウラ』。共生式大気調整型アンドロイド……要は人型エアクリーナーとでも言ったところでしょうか?」


 アウラは地球、アウラは地球になる――。

 そんな言葉がレイノンの脳裏を掠める。なにかの暗喩であろうと思っていたが、そのままの意味でだったとは。


 レイノンは後ろを振り返りアウラを見る。

 だが彼女にさしたる変化はない。ただ黙ってガタガタと震えていた。


「敗戦を予見したアジア連邦首脳部は戦時中、来るべき劣悪環境コロニーの建造に際してひとつの危惧を覚えました。それは生命が生きる上では欠かせない要素、空気です」


 身振り手振りを使い、ディスポーザブルの演説は続く。

 レイノンの第一印象は道化のイメージだったが、何やら安っぽい政治屋の匂いがした。


「太陽光発電にも限界はある、大気の清浄化だけにそんな莫大なエネルギーを使用するわけにはいかない。そこで考えられたのが、電気エネルギーに頼らない空気の清浄……つまり一部のバクテリアや植物のように光合成によって酸素を生み出せる生命。そして自らのメンテナンスは人間の手を煩わすことなく完遂できるもの。そう、アンドロイドです」


 ディスポーザブルは神妙な面持ちになって脱いだ帽子を胸に当てる。

 眉根を持ち上げて深い哀悼のようなものを滲ませた。


「アンドロイドは工業製品です。有機体ベース、機械ベースの別なく人権はありません。その娘もまたただの『物』なのです。さあハーツさん。人類の未来のためにその娘を渡しなさい。いまならまだ間に合います」


「…………」


 無言のままレイノンはアウラの手を取った。彼女は恐いとも嫌とも言わない。それを表情で表すこともなく、ただただ震えてレイノンを見上げる。

 短い沈黙があり、ふたりは歩き出した。


「色々と教えてくれてアリガトよ」


「いえいえ、アウラを大事に保管していただいたお礼ですよ。ご理解いただけて恐縮です。これから本国と連絡を取りますので、キチンとした謝礼のお話を」


「これから?」


「はい~」


 獲物を狙う蛇蝎のように。

 ディスポーザブルの口の端がグニャリと持ち上がる。


 直後、乾いた音が辺りに響き渡った。

 男の身体が宙を泳ぐ。


 額には小さな赤い穴が開き。そこから吹き出す血の勢いでどこか遠くへ飛んでゆく。帽子の下に隠していたバレルの短い拳銃も握ったままに。


 レイノンの右手にもいつの間にか銃が握られていた。

 こちらの銃口からは白い煙を吹いて。

 愛車までの道すがら、すれ違いざまに引き鉄を引いた――。


「これからはねえんだよ……」


 拳銃を腰裏のホルスターにしまい込む。

 空の薬莢が硝煙を孕んで辺りを衛星のように舞っていた。


 反対側の手はアウラとしっかり繋がれていた。誰にも渡さない。どこにもやらない。そんな言葉に出来ないたくさんの想い。

 血に濡れてどうにもならない手の平から、そっと流し込んだ。


「アウラ……今度、月に連れてってやるよ。月から見る地球ってのがまたオツなもんでよ――」


 人工の空が紅く燃え上がるころ。

 ふたりはリフト・モービルで我が家フール号へと走り出した。



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