ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第9話 因果応報

公開日時: 2020年11月9日(月) 23:15
文字数:5,790

【前回のあらすじ】

 糊口をしのぐため手っ取り早く稼げる仕事を、総合配送センターへと探しにきたレイノンとタクヤだったが、そこで明らかに法外ともいえる100万UDの報酬がもらえる仕事をゲットした。



 スペースコロニーから宇宙船が出発する際は必ずエアロックというものを通る。それは居住空間と宇宙とを隔てる外壁であり、また気密を保持するために設けられた多重式の扉でもある。


 コロニー内にある停泊所から出発した船はまずエアロックにはいって出入国の手続きをする。


 その内部は細長い円筒形の個室となっていて、ひとつのエアロックには一隻ずつしか入れない。円筒形の両側にはぶ厚い扉がついており、各々は宇宙とコロニー内へ繋がっている。この扉はどちらか片方ずつしか開放されない。こうしてコロニー内の気密は保たれるのだ。


『確認完了。またのお越しをお待ちしております。それではよい旅を』


 場内アナウンスが響き渡り、宇宙側の扉が開く。

 まだ完全には減圧できていないエアロックから、塵が舞い上がった。圧力差から生じた負圧が原因である。

 その様子はフール号の艦橋からも確認できた。


「あ、あの……」


「んー? なんだー、なんかあったかタクヤー。ブリッジだからって別に緊張することねえぞ。操船は全部エイプリルがやるんだから」


 艦橋後方の壁際にある船長席。

 船首方向に大きく設けられた窓を始め、艦橋全体が見渡せる位置にレイノンは座っている。両脚をコンソールの上に投げ出しふんぞり返り、いかにも尊大な風情だ。


 タクヤはその前方に設置された幾つかある航行機器のひとつに腰掛けている。色々と計器類が目の前にあるが、どれひとつ用途を知らなかった。


 フール号の艦橋は思ったよりも広かった。

 本来であればきっと何人ものクルーが協力して運航作業にあたるのではないだろうか。しかしいまこの場には三人しかいない。それがフロアの広大さに拍車を掛けている。


 しかしタクヤが気にしているのはそんなことではない。


 あのエイプリルのことだ。

 きっとこの船の操縦はひとりでもお手のものなのだろう。

 彼女の性能は、例の誘拐犯たちの貨物船を制圧した際に証明されている。

 だが同じく貨物船とはいえ、フール号はおよそ二倍のサイズはある。


 いかにエイプリルが優秀とはいえ、その操船には並々ならぬ繊細さが求められるだろう。

 文字通り天文学的数値の航行プログラムと、場合によっては針に糸を通すような技術が必要なのだ。


 なのにこの船ときたら――。


「なんで……宇宙船に舵があるんですか……?」


 だだっ広い艦橋内のほぼ中央を占領して立つ赤毛の少女。

 その手には、かつて地球の海洋を航っていた船のソレ、操舵輪が握られている。綺麗な木製の輪から八方に柄が突き出す、正真正銘の舵だった。


「なんでって……船といったら舵だろう」


「いやそーゆーことを言ってるんでなくて、コレ意味なくね? いるのか宇宙船にこんなアバウトな操縦桿がっ。しかもなんか無駄に場所取ってんですけどアレ!」


「バッキャロウ!」


 レイノンは猛然と船長席から立ち上がり、拳を握った。

 いつもは覇気などまるでない三白眼が、くわっと見開かれている。


「船乗ったら誰しもアレでカラカラ~とかやりたいだろうが! 直進しとけばいいのに無駄に『取り舵いっぱーい』とか言いたくなるだろう! 男が船に乗るってのはそういうもんだ!」


「な……」


「アレこそ……そうだ、アレこそだ! アレが男のロマンってもんよ!」


「馬鹿かアンタは! 馬鹿だけど……うう、なんか否定できない……」


「それに改造したのはエイプリルだからな。文句だったらアイツに言え」


 レイノンが指差す先。そこには舵を握るメイドロイドが。

 振り向きタクヤを静観す。


「タクヤさま」


「は、はい……」


「よかったら操船してみませんか?」


「えっ……ぼ、僕が? いいの、そんなこと?」


 嬉しいやら恐いやら。

 突然の誘いに動転したタクヤはレイノンを仰ぎ見る。彼はいつもと変わらない眠そうな眼差しをタクヤに向け、小さく頷いた。


 タクヤの顔がパァっと明るくなる。

 席を立ち上がり艦橋中央へと駆け寄った。


「僕が……船を……」


 握り締めた操舵輪の柄は手応えのある太さ。木の温かみもあり、タクヤの昂る気持ちを落ち着かせる。

 目の前には広大なアストロビュー。星の瞬きがまるで灯台のよう。


「準備はよろしいですか? ではご主人様……」


 エイプリルのルビーの瞳がレイノンの見つめる。

 白髪の男は、ニヒルな笑みをこぼしていつものように口を開いた。


「フール号発進」


「フール号、発進」


 エイプリルの復唱の後。艦橋内の航行機器が忙しなく動き始める。全てが自動。エイプリルの能力によって制御されている。


「ふぁぁぁ……」


 フール号の船体が徐々にエアロックから離岸する。

 寄る辺なき宇宙への船出だ。

 目に見える星々の光。それぞれが気が遠くなるほどの距離にある。


 しばらくして船体がやや右舷に逸れた。


「あッ、あッ」


 軽いパニック状態のタクヤは、舵をあらぬ方へと回す。


「大丈夫」


 エイプリルが後ろから手を伸ばして、まるでタクヤを抱きかかえるようにした。操舵輪にふたりの手が重なる。

 密着する彼女の胸と自分の背中。

 タクヤは相手が機械だということも忘れ、完全に舞い上がった。


「このまま真直ぐ……」


 タクヤとフール号の船出。

 目指すは火星の衛星フォボスだ。


 初運転の興奮冷めやらぬままフール号は自動航行に。

 これから少なくとも数時間はやることがない。タクヤはひとり倉庫にこもり、うず高く積まれた荷物の山を眺めていた。


 改めて見ても雑然としている。

 大量の穀物や酒瓶はまだいいとして、なかには建材やら得体の知れない木箱やらがある。

 そういうのに限ってドクロマークとかがついているから不安だ。


 倉庫内の散策するうちに、前回の在庫チェックで訪れた時にはなかった物を発見した。


 それは青い金属製のトランクだ。


 メタリックの光沢を放つ少し大きめの旅行鞄で、キャスターをロックされ他の積荷の前に置いてある。トランクの取っ手の部分には、さっきまでいたコロニーの出国タグがくくられていた。


「あ。これだ。次の仕事の……」


 タクヤはしゃがみ込み、しばしその質感を確かめた。

 少なくとも簡単には壊れない堅牢さを感じる。そして触れれば身体の芯まで凍るほどに冷たかった。

 一見して鍵穴が見当たらない。不正開錠の予防のためだろうか。


 ふと横を見た。

 なんとあの『近づいてはいけない棚』の側まで来ていた。

 レイノンとの約束の、あの棚である。


 タクヤのトランクへの関心は全てそちらへ取られてしまう。


 見てはいけない。


 やはり人間そう言われると、ついつい見てしまいたくなるものだ。

 この間は持ち前の自制心で乗り切ったものの。いまの彼を止めるには少々距離が近すぎた。


 フッと立ち上がって、ガラス戸の扉を覗き込む。

 なかには雑多な小物たちが綺麗に整頓され、黒い陳列マットのうえに鎮座している。それはまるでいつかこの棚から旅立つのを待ち焦がれているかのように輝いていた。


 あのずぼらなレイノンが夜な夜な磨いているのだろうか。


 未整理の物も多かったが、それらもキチンと別箱に並べられている。

 そして整理品の前には必ずネームタグのような物が置かれていた。なかでもタクヤの目の引いたのは一本のボールペンだ。


 ノック部分が地球儀のアクセサリーになっている。

 お祭りの露店で売っているような、とてもチープなものだ。

 腕時計や宝石類が並ぶ中でそれだけ金銭的価値が感じられない。この棚の基準は一体なんなのだろう。


 レイノンはきっと訊いても答えてくれない。

 いつかタクヤに話してくれる日は来るのだろうか。

 そんなことを考えながら倉庫を出る。リビングにコーヒーでも貰いに行こうと思った。


 ムーバーに掴まり廊下を移動する。

 進んでいるのは船首方向だ。

 そこにはフール号クルーの憩いの場、リビングがある。ムーバーから手を離して、常時開放された入り口へとダイブした。


 部屋の真ん中。


 テレビもつけずに、レイノンはテーブルのうえでゴチャゴチャとした物を広げていた。

 それが分解された拳銃であることは容易に分かったが、スライドやマガジンはいいとして、ほぼ全てのパーツがバラされているのには驚いた。


 彼はそれをひとつひとつ丁寧に洗浄し、油を塗り、また組み付ける。

 手慣れた動きだ。

 作業をする表情からは、深い愛情すら感じられた。


「銃の手入れですか?」


「んー。まーなー」


 レイノンは暇さえあれば拳銃を磨いている。そのクセ実戦には使わないのだから、タクヤにはどうにも矛盾しているよう感じられた。


「どうしてあの時、拳銃を使わなかったんですか? その後に誘拐犯の船を制圧した時だってひとりも撃ってないんでしょ」


 あの日、エイプリルに足枷を外してもらってからの記憶が、タクヤにはない。白く輝く手刀の恐怖に、気を失ってしまったから。

 その後の様子は、エイプリルから聞くに留まったが、レイノンが銃を使っていないことは知っていた。

 当の本人は、バレルを覗き込みながら呑気に言う。


「こいつぁな。お守りなんだ俺の。いざ使おうって時に裏切られないように毎日手入れはする。でもな? 本当は使わないのが一番いいんだ。だから俺は人を撃たない」


「……でもそれじゃ丸腰と同じじゃないですか。ひとり倒すのにも時間掛かっちゃうし……不利ですよ、そんなの」


「別に倒す必要なんかねえよ。戦う気力さえ削いじまえばいいんだ。人間ってのは自分の血には敏感だ。大量に血ヘド吐かせればそれで戦意喪失する。一撃でいいんだ一撃で。わざわざひとりずつのしてくなんざメンドくせーだろうが」


「なんか……悪者みたいなセリフですね……」


「だって悪者ですもの」


 その声はエイプリルのものだった。一部の隙もないメイド姿で静々と登場し、ふたりの傍らにシャンと立つ。


「かつてはアジア連邦軍の戦士です。戦場に血の雨を降らせる男……『ブラッド・レイニー』と呼ばれ、敵味方双方から恐れられました」


「昔の話だ。忘れろ」


 作業を終えた彼の手は、懐からタバコを一本取り出す。キンッと澄んだ音を立ててオイルライターの蓋が開いた。


「船長……太陽戦争の……」


 見た目は若く見えるがさすがは三十三歳。もう十年近く前になる戦争に参加していたとは――。

 その時タクヤはまだ小学校に上がろうかという頃。

 母親もまだ元気で。


「ところでご主人様。ひとつお願いが」


「ああん?」


「アレが……欲しいのです……」


 もぞもぞとエプロンを握り締める少女の顔は、どこか照れた様子。アンドロイドの彼女にそんな感情あるわけない。どうせまた悪ふざけなのだろう。


「ああ……アレか……」


 とレイノン。心なしかこちらも妖しげである。

 まさか本当に大人の情事なのか?

 タクヤは胸のなかにモヤモヤとしたものを感じながら、ふたりのやり取りを見守った。


「分かった。こっち来い」


「はい、ご主人様」


 エイプリルはレイノンが座るソファーの隣に腰掛ける。そしておもむろに横になった。

 おのがご主人様と慕うレイノンの膝のうえ。

 彼女の代名詞である赤毛の頭をチョンと乗せて。


「お願い……します」


 吐息のように呟いて。そっと耳に掛かる髪を掻き揚げた。

 形のいい耳たぶがレイノンの眼前に晒される。タクヤは、なにかいけないものでも見ているかのような感覚に陥った。


「アッ……ア……あぁん……」


 いつもなら薄く微笑をたたえるだけの唇から、悦楽の声が漏れる。細く切れ上がった眉は悩ましげに歪み、両の手をキュッと胸の前で握り締めた。


「ヤ、ヤダァ……あ、きゃぅん! くは……そ、そこ……」


「うっせーな! 気持ちの悪い声出すな!」


「だって出ちゃうんですもの……はあぁぁんっ!」


「な、なにやってんすかアンタらはっ」


「なにってお前……」


 レイノンの右手には精密ドライバーが握られていた。

 もう片方にはペンライト。

 目にはルーペがはめられ、まるでどこかの時計職人みたいだ。ド

 ライバーの先端は、エイプリルの耳穴深く挿入されている。


「放熱器の調整だよ。一月に一回はやらねーとオイルが固まって電脳関係がオーバーヒートするんだよ。見て分かんないか?」


「どう見たってイチャイチャしてるようにしか見えませんよ、そんなの!」


 なんだかドキドキして損した。

 タクヤがそんなことを考えていた、その次の瞬間。


「な、なんだぁ!」


 フール号の船体が激しく揺れた。

 この衝撃は誘拐犯の船がエイプリルを轢いた時以上かも知れない。リビングの照明が明滅を繰り返す。天井に溜まった埃が辺りに散った。


「エイプリル……」


「はい。左舷後方で機雷の爆発を確認。この揺れはその衝撃波です。被弾してはおりません。恐らくはマスキングされた状態で前もって置かれていたのでしょう」


 レイノンの物静かな問いに、いつもの完璧な対応を見せるエイプリル。

 このコンビにスキはない。

 ついこの間出会ったばかりではあるが、タクヤはこのふたりのこういうところがたまらなく気に入っている。


「とりあえずブリッジに行くか……タクヤ立てるか」


「は、はいぃ」


 三人はリビングを出て廊下を走る。突き当たりの船内エレベーターに揃って入り、上階の艦橋へと急いだ。


 艦橋に躍り出てまずタクヤの目に入った物、それは船の針路を塞ぐように放たれた、夥しい数の俵型の物体だ。


 機雷である。


 そのまま行けば数分後にはその只中に突っ込んでしまう。それにいち早く気付いたエイプリルは、すでにフール号の行き脚を止めていた。船首近くから逆噴射のフレアが上がる。


「前方に機雷原を確認。どうなさいますか?」


 レイノンは船長席でふんぞり返っていた。口の咥えタバコからは紫煙が立ち昇る。


「待ちましょう~。その内、向こうの方から連絡を取りにくるさ。経験者は語るだよ」


 その数分後。

 レイノンの予言通り、見知らぬ船から通信が入った。それと同時に、周辺宙域を航行していた宇宙船のなかから一隻がフール号へと向かってくる。その甲板からは無骨な鋼鉄の筒が数本突き出し、こちらを狙っていた。


『我々はぁ、宇宙海賊・星の牙である! 命が惜しくば抵抗はするな。これより接舷する。ドッキング・ラダーの接続準備をされたし! 繰り返す。無駄な抵抗はするな』


 凄みのある野太い声がスピーカーを振動させている。

 タクヤのひどく動揺した。

 誘拐されたときの恐怖と孤独がふとよみがえり、艦橋のすみでひとり震えが止まらなかった。


「まさに因果応報ですね。……まあ、そんなことよりも」


 エイプリルは無表情で船長席を仰ぎ見る。


「タバコは消してください」


 タクヤは思い出した。

 もうひとりではないことを。

 船長席で、血の雨を降らせる白髪鬼が不敵に笑っている。

 その傍らには何事にも動じない赤毛の天使がいた。


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