ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第20話 遺品

公開日時: 2020年11月18日(水) 01:00
文字数:4,393

【前回のあらすじ】

 怒りに我を忘れたタクヤは酒浸りのレイノンへと怒鳴り込んだ。感情のままに気持ちをぶつけるタクヤだったが、レイノンは意外にも世間が彼の父親を不当に評価していると諭すのだった。明けてアウラとふたり、レイノンは街へと繰り出した。



 低重力下の生活圏においてレイノンが「出掛ける」と言えば、移動方法はアレに限られている。


「うおーッ。レイノン、なんかバサバサするッ」


「風だよ! 気持ちいいだろう?」


「うおーッ」


 快走するリフト・モービルの後部座席でアウラは吠えている。

 頬を撫で、髪を揺り動かす向かい風に神秘の力を感じているようだった。


 時折レイノンの肩に手を乗せ立ち上がり、口を大きく開け。

 迫りくる透明な、なにかを食べようとしている。

 アウラは見るものすべて、感じるものすべてに新鮮な反応をしていた。


 肩越しにアウラが身を乗り出しそうになるのを見て、レイノンが慌てて彼女の身体を掴んだ。


「あぶねーから座っとけって!」


「うおーッ」


 訊いてない。


 晴天の寒空のした、ふたりを乗せたリフト・モービルが走る。

 到着した先は閑静な住宅街だった。しかるにそこはおいそれと小汚い乗り物が入っていけるような所ではないわけで。


 少し離れた場所に愛車を停め、ふたりは宅地へと入ってゆく。

 建ち並ぶ庭付きの一軒家。

 洒落たデザインの外観も、そこに住まう者達の裕福さを物語っている。道行く奥様方は、どうやらウワサ話がお好きらしい。

 チャイナ姿の少女の手を引く、見た目二十代半ばの大男に怪訝な眼差しを向けている。


 ふたりはしばらく冷ややかな視線をその身に受けて路上を闊歩した。

 すると携帯端末を確認していたレイノンが「ここだ」と呟いて立ち止まったのは、並み居る絢爛な住居の中でも一際大きな屋敷だった。


 庭先にアーチ状の柵があり、真っ赤なバラの蔓が巻きついている。

 門はしっかりと閉ざされていたので、レイノンはアウラに呼び鈴を鳴らせることにした。

 十秒ほど待って――。

 インターホンからは枯れた女性の声色が聴こえてくる。


『はい……どちら様でしょうか?』


「アウラ」


『はい?』


「こ、こらッ。いや、あのすみません。私、レイノン・ハーツと申しますが軍からの所用で参りました」


『まあ……いま門を開けますので玄関までお入りになって』


 その声が言う通り。

 まるで客人を招き入れるかのように、アーチを塞いでいた柵がひとりでに開いた。その先には庭石が伸び、玄関口まで芸術的なスロープを描いて、ふたりを屋敷の主人のもとまで案内する。


 飴色の光沢を持つ高級木材の扉が開く。

 なかから顔を出したのは中年の女性だった。

 長い髪には白い物がかなり目立ち、歳不相応に老いて見える。全体的に痩せていて、眼差しには深い悲哀を偲ばせていた。


「ミランダ夫人ですね。生前のご主人には大変お世話になりました。ジェイク・ハコット大佐は私の恩師とも言うべき、お方です」


「まあ……」


「本日は戦地より持ち帰りました彼の持ち物を……遺品をお届けにあがりました。どうぞこちらを……」


 レイノンは懐から紙包みを取り出した。味気ない茶色の包装紙でなかが見えないように何重にも巻いてある。


 ミランダはそれを受け取ると胸の前に当てて瞳を閉じた。天に祈りを奉げるよう。だが決して泣き崩れるようなことはしなかった。


 そんなやり取りを尻目に、アウラは鼻をヒクヒクさせていた。

 屋敷のなかから、なにやらいい匂いがするようだ。

 彼女の好きな甘い甘い。


「では私はこれで――お、おいアウラッ」


 深々と頭を垂れるレイノン。その視界を横切ったアウラは、匂いの元に惹かれ堂々と他人の家に上がり込んだ。レイノンの制止も聞かず奥へ奥へ。


「す、すみませんッ。いま連れて帰りますから!」


「お待ちになって」


「はい?」


「どうぞ、そのままお上がりになってくださいな。ちょうどクッキーが焼けたところなのよ。一緒にお茶でも召し上がってくれれば私も嬉しいわ」


「いや……しかし……」


「レイノーン! クッキーあったー!」


 屋敷の奥から聞こえる歓喜の声に、思わずレイノンは赤面する。

 見た目はタクヤと同い年くらいでも中身は五才児並みだ。無理やり引っ張っていこうにも、変にタダをこねられたらなお辛い。


「さ、どうぞ」


「……ではお言葉に甘えて……」


 初めて見るミランダの笑顔はとても上品なものだった。


 通された屋敷の応接間は、フール号のリビングが丸ごと入るほどの広さであった。ふたりは長い黒檀のテーブルに並んで着席し、アウラは一心不乱にクッキーをパクついていた。


 レイノンの視線の先にはハコット夫人・ミランダがいる。

 長いテーブルの端と端。

 お互いが向かい合うような格好で座っていた。


 テーブルに広げられた夫の遺品を見て、彼女は一体なにを感じているのだろうか。品々のなかにはあの地球儀のペンも入っていた。


 ふとレイノンは部屋を見回す。

 高価な調度品に囲まれた裕福な暮らしぶり。

 すみにある柱時計の金額だけでも、レイノンなら半年は暮らしていけそうだ。しかし妙である。


 これだけの屋敷で使用人のひとりもいないとは。

 彼らにお茶の用意をしてくれたのも、ミランダ本人であった。


「あの……おひとりでお住いですか」


「え? ハハハ、まさか……今日はその……ちょっと人払いをしてあるものだから……少しひとりになりたくて……」


 ミランダの顔がわずかに曇る。夫のネームタグを握る手が震えていた。なにやら胸騒ぎがする。


「よかったわ。私のクッキーがお口にあって」


「え? ああ。す、すみません。なんか行儀悪くて……」


 アウラを見つめるミランダの目は慈愛に満ちた母親のそれだった。山と盛られた焼きたてのクッキーを片っ端から胃の腑へ落とし込んでゆく。

 この欠食児童めが――。


 心のなかでひとりごち、眉根を寄せる。

 胸騒ぎはどうやらレイノンの取り越し苦労だったようだ。


「あの人もそのクッキーが好きだったわ……。ほら、私たち子供が出来なかったから、まるでジェイクが大きな子供みたいで」


「ハハハ……そういえば大佐は甘党でしたからね。よくバーの代わりにケーキ屋をハシゴさせられましたよ」


 在りし日の故人に想いをはせる。レイノンにとってもジェイクは特別な存在だった。まるで親父のような。


「ねえレイノンさん。夫は……ジェイクはその……どんな最後を?」


 レイノンの肩にドンと圧し掛かる重い空気。

 突然そこだけ重力が増したかのような錯覚を覚えた。鼻の奥に戦場のきな臭さが蘇る。月で見上げたあの青い球体が、まるで昨日のことのように目に浮かぶ。


 レイノンは佇まいを少し直すと、「ご立派でした」と一言告げる。

 さらにミランダの目をきちんと見て、噛みしめるように在りし日の「彼」の勇姿を思い出すのだった。


「月の最前線。アルキメデス・クレーターでの攻防戦では大佐の読みが当たり、銃火器を使用しない白兵戦となりました。低重力下での格闘技戦においては大佐の右に出る者などいません。かく言う私も彼の生徒で」


「うそ……」


 幾度となく遺族の前で語ってきた戦場の記憶を、聞き逃しそうな小さな呟きが遮る。だがその言葉が持つ意味の重さは、地球の重力すら比ではない。


「は……?」


「嘘よ……」


「ミランダ夫人……?」


 レイノンの話を遮ったミランダはうつむき、身体を震わせていた。

 手をテーブルのしたにダラリと下ろして、いまにも消えてしまいそうなか細い声で。


 レイノンの呼び掛けにもまともに応えてはくれなかった。

 胸騒ぎが再び彼を襲った。

 不安に駆られたレイノンは立ち上がり、彼女のそばへと行こうとした。


「一体どうされて――うッ!」


 目の前には銃口があった。

 バレルの短い自動式の拳銃。それを握るのはこの屋敷の女主人ミランダ。

 銃口からは殺意よりもむしろ悲哀を感じる。

 レイノンの恐れも傲慢も、止め処なく溢れる彼女の涙が洗い流してゆくようだった。歴戦の勇者たる彼ですら、もはやそこから一歩も動けない。


「全部嘘じゃない! 本当のことをおっしゃい!」


 ミランダは声を荒げた。

 さっきまでのか弱い未亡人はもういない。

 レイノンのまえに立ちはだかっているのは、怒りに満ちた復讐鬼だった。


「どうしてジェイクは死んだのよ……なぜ死ななきゃいけなったの……」


「それは……」


「まだ生きてたんでしょ? 戦争が終わったとき、まだあの人は生きてたんでしょ? それをあなたが……」


 そのとき初めて彼女がなにを言おうとしているのかが、レイノンには分かった。

 彼女は知っている――。

 全てを。


「あなたが殺したんじゃないッ!」


 彼女の悲痛な叫びが、レイノンの耳の奥へと消えていった。 

 一瞬にしてあのときの光景が蘇る――。


 月面。

 見上げる地球の青さに照らされた一本のナイフ。

 共に戦った友の血を吸い上げた狂った刃。

 足元には敵味方の別なく骸が転がり、ただひとり、レイノンだけが静かな銀世界の真ん中に立っていた――。


 ミランダの言葉はまぎれもない真実だ。

 曲げようのない本物の過去。


「返して! ジェイクを返して! こんなお屋敷なんかいらない! お金なんかいらない! だからお願い……あの人を私に返して……」


 ミランダのシワだらけの指がセーフティロックを外された引鉄に掛かる。

 戦争が終わり、自分の人生も終わったと思った。

 余生を戦友の遺族のために尽くそうと考えたのは贖罪のため。

 戦場で散った友の代わりに、せめて思い出だけでもと。


 遺品を受け取った遺族たちのなかには、ミランダのようにレイノンを罵る者もいた。だが皆、一様に家族を想い、残された遺品を抱き締め、泣き崩れるのだ。


 いつもそれを見るのが辛かった。

 何度もやめてしまおうかと考えた。

 しかしもうこれでおしまいだ。

 何もかも終わる。


 ようやく仲間のもとへ逝けるんだ。そう思った瞬間。

 亡き友への鎮魂の想いが彼に瞳を閉じさせた。


「あなたを撃ったら私も死ぬわ……天国でジェイクに詫びてちょうだい……」


 覚束ない手つきで撃鉄を起こす音がする。妙に澄んだ音だった。

 拳銃の扱いなど知らない老婦人の鋭い殺意。

 いままで経験してきたどの戦場の銃口よりも恐い。

 おのれを罪を裁く銃弾があと少しで飛んでくる。身体中の水分が凍りついたようだ。汗すら出ない。


 みんな――すまない――。


「ダメ」


 だが銃声の代わりに聞こえたのは、拍子抜けしたアウラの声だった。

 そっと目を開ける。

 レイノンの前には、両手を一杯に広げたアウラが立っていた。

 拳銃を構えて泣きに暮れる、悲哀の未亡人の前に立ちはだかって。


「レイノンいじめちゃダメ」


 もう一度強く言った。

 その穢れのない真直ぐな眼差しが、荒んだミランダの心に一滴の雫となって降り注ぐ。


 やがて一滴は雨となり、乾いたミランダの魂を潤していった。それはすぐに土砂降りとなって、亡き夫への想いが彼女の頬を濡らす。

 ミランダは銃を下ろした。


「あ……ああ……」


 泣き崩れたミランダの嗚咽が応接室を満たしてゆく。

 これまでレイノンが聞いたことのないほど切ない声だった。身を引き裂かれるほどに痛ましい姿だった。


 アウラはひょこひょこと彼女に歩み寄る。憎しみも怒りもない不思議そうな表情をして、悲しみに暮れるミランダのそばへとしゃがみ込んだ。


「どこか痛いの?」


 アウラはミランダの背中を擦った。

 レイノンはその光景を見て、ただただ呆然としていた。


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