【前回のあらすじ】
ミランダ夫人を狂気に走らせたのは、ディスポーザブルを名乗る『連合』のスパイだった。レイノンの過去を知り、アウラの正体をも知る謎の男。レイノンは彼に取引を持ちかけられるが、銃弾が返事となった。
【 5 】
こんなテレビコマーシャルがやっていた。
『ハーイ、マイク! 今日はどうしちゃったの、そんなに浮かれて?』
メリハリの利いたボディをした金髪美人が、黒光りする筋肉の持ち主に話しかける。その様子はオーバーアクションを通り越して、もはや伝統芸の域に達していた。
『やージェシカ、訊いておくれよ! これからボクは世界を救いに行こうと思うんだ。よかったら君もついて来ないか?』
『世界を救う? それは凄いわ! いくいく~』
ふたりが訪れたのは、赤十字の描かれたバスの前だった。
『ちょっとマイク~、ここ献血するトコロじゃない? こんな場所で本当に世界が救えるって言うの?』
『救えるさ! 今日はB型の血液が不足しているんだ! だからボクが献血することによってどこかで誰かが救われるってわけ! 見てて!』
筋肉の塊としか言いようのない腕からプコプコと血液が吸い取られる。
見る見るうちに採血バッグは膨らんで、気づけば尋常ではない量の血液が溜まっていった。
『ちょっとマイク! そんなに抜いて大丈夫なの?』
『大丈夫さ! これで世界が救われるならお安い御用だ!』
背景が変わり、人型にデザインされたマークが並んでふたつ現れた。ちょうど心臓の部分が太い線で繋がっており、アニメーションで赤い流れが循環しているのを表現している。
そして最後に筋肉野郎が暑苦しい笑顔と共に、自慢げに力こぶを作ってこう結ぶ。
『それにボク、鍛えてますからッ!』
『銀河公共マナー推進委員会です』
短いメロディに乗せて銀河公共マナー推進委員会のロゴが入りコマーシャルは終わる――。
「これが元ネタか……」
食器の片付けをしながらタクヤが呟く。
誰も見ていないテレビをBGMに、リビングでは食後の歓談が始まっていた。ヴェロニカはメイク道具を持ち込み、ソファーの上で胡坐をかいて睫毛のボリュームを増やしていた。
美人といえども油断した顔というのは残念なものである。鏡を覗き込むヴェロニカの顔は、まるでラクダのように間延びしていた。
テーブルを挟んで向かいのソファー。そこにはタクヤに家事を交代してもらったエイプリルが、隣に座るアウラと睦まじくあやとりをしていた。
「そうです。その真ん中の二本の糸を小指で交差するように取って……今度はひとさし指と親指をL字に立てて下から……よく出来ました」
「アハ。レイノンできた」
「ああ」
アウラは同じソファーの端に座るレイノンに向かって、我が手に絡むピンクの紐を見せた。
レイノンは気のない返事をするだけ。
テーブルの上に広げた拳銃のパーツを淡々と磨いている。
目元は胡乱な三白眼。眠たそうなのは毎度のことだが、今日はなにかが違うとタクヤは感じていた。
思えば叱責を受けたあの夜からまともに言葉を交わしていない。
なにか自分に原因があるのでは?
そう考えずにはいられないタクヤだった。そんな塞いだ気持ちを打破するかのように、タクヤは自分から話題を振る。
「エイプリルさん、まるでアウラちゃんのお母さんみたいですね? 船長とそうやって並ぶとまるで親子みたいですよ?」
「保育士の経験がありますから」
「へ? そうなんですか?」
このアンドロイド、つくづく謎である。
「レイノンはアウラのおとーさん」
「アハハ。そうだね」
いつもなら「子持ちになった覚えはねー」とか言いそうなレイノンは無反応。それがさらにタクヤを不安にさせた。
「そうだね……」
力なくそう呟いて。
タクヤはヴェロニカの隣に腰を下ろした。テーブルを挟んだ向かい側には抜け殻のようなレイノンがいる。
「船長……どうしたんですかね?」
そっとヴェロニカに訊いてみた。
知らぬ間に彼女への警戒心は溶けている。アウラという少女との新たな出会いが、タクヤの女性不信をいくらか緩和させているようだ。
「ほっときなさいよ。子供じゃあるまいし」
「なにか知ってるんですか?」
「さあね」
眉を描きアイラインを入れる。
匂い立つフェロモン。そこにはようやくタクヤの知る、いつものヴェロニカが出来上がっていた。
――昨日の夜。
二日酔いのため、一日中ダラダラと過ごしたヴェロニカは夕方以降に本格的な目覚めを迎えた。
朝昼夜兼用の夕食を済ませると、長い風呂に浸かる。
フール号には各室シャワーが付いているが、やはり足を伸ばせる浴槽は一度味わうとクセになる。ヴェロニカは『ぐしゃの湯』と無駄に達筆で書かれた暖簾をくぐり、少し広めの浴室から出てきた。
濡れたままの肌にバスローブを羽織り、髪はタオルで巻いてある。
すっぴんを晒しても困る人間など、もうこの船にはいなくなった。我が物顔で船内通路を歩く。
ほんのり桜色に上気した肌を冷まそうと、リビングへ缶ビールを取りに行く。しかし常時開放されているリビングの中からは、訊きなれない重苦しい男の声が流れてきた。
ヴェロニカは立ち止まる。
別に盗み聞きをするつもりはなかったのだが、結果的にはそうなってしまった。
「エイプリル……」
「はい、ご主人様」
そっと覗き込んだリビングの中では、レイノンがソファーに寝そべりグラスを傾けていた。エイプリルはその傍らに寄り添い、なにをするわけでもなく控えている。
薄暗く落とされた部屋の照明。
レイノンの表情はヴェロニカからでは、うかがい知れない。
「今日。ジェイクのカミさんに殺されそうになったよ」
「そうですか」
「いつ死んでもいいとか考えてた割にはえらくビビッたよ……恐かった……アウラがいなかったらマジでやばかったな」
「そうですか」
「あと……久しぶりに人を殺したよ。ディスポーザブルとか言ったかなアイツ。『連合』のスパイでな。アウラを売った本人だと。連れ戻しに来たんだアウラを……。でも俺、渡したくなくて……撃った」
「そうですか」
「見てくれ……まだ震えてる」
レイノンは手を掲げてみせる。それはヴェロニカからでも分かるほど震えていた。力強く拳を握り締めるがまだ収まらない。
ガクガク、ガクガクと。
「こえぇよエイプリル。恐くてたまらねぇ……。俺はまた誰かを殺さないといけないのかな。アウラを守るってそういうことなのかな……」
無言のままエイプリルがレイノンの頬にそっと触れた。そして震える主の身体をぎゅっと抱き締める。
嗚咽が漏れた。レイノンの手がエイプリルの背中に回される。まるで母親にすがる子供のように弱々しく。
ただただ時間だけが過ぎていった。
ヴェロニカもまた、しばらくその場を離れることができなかった――。
「知ったこっちゃないのよ。あんな奴……」
あらかたのメイクを終えたヴェロニカが席を立った。大人の色香を振り撒いて歩くその腰つきを、タクヤはただ呆然と見つめていた。
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