【前回のあらすじ】
アウラとのデートのさなか、タクヤは執事のマキノと出会う。どうして居場所が分かったのかと問い詰めると、それはレイノンの企みだと知った。タクヤの胸中は絶望と怒りで満たされた。
――むせ返る酒の匂い。
リビングに夥しい数のボトルが転がる。
ソファーには酔いつぶれたブロンド美女が。
はだけたシャツの裾から、細いほぞが覗いている。
少し照明を落とした部屋で、レイノンはひとりグラスを傾けていた。斜に掛かる影がとても切なげで。
「酒癖わりーよ、この女」
レイノンはタクヤに向かってそう呟いた。
ソファーに寝そべり、肘掛け部分に背を預けるレイノンの表情まではうかがい知ることは出来ない。
ただ怒りに拳を震わせ、タクヤは彼の後姿を睨んでいた。
「親父に僕の居場所教えたって本当ですか?」
「…………」
「本当なんですね」
レイノンはテーブルにグラスを置いた。
琥珀の海に浮かぶ氷塊が、カランと物悲しい音を鳴らした。
「アンタだけは信じてたのに……僕の味方だって信じてたのにッ!」
「吠えるなガキが。俺は誰の味方でもない。俺は俺だけの味方だ」
「他人の気持ちも知らないで、ぬか喜びさせておいて……アンタ一体何様のつもりだ!」
「だったらお前は何様だ? 親の気持ちを一度でも真剣に考えたことあるのか? 大事な一人息子が家飛び出して、心配しない親がどこにいる。ガキの理屈で勝手ぬかして、いつまでも親困らしてんじゃねーぞコラ」
いつになく厳しい口調でレイノンが言う。
その語気に荒々しさは感じられないが、えも言われぬ迫力があった。
ともすれば屈してしまいそうだった。
けれどタクヤも、こればっかりは引けない。
「船長は知らないんですよ……あの男がどれだけ他人を欺いているかを。自分の利益のために、どれだけ多くの同胞を裏切っているかを! 正義を踏みにじり他人の恨みを買って。それが原因で母さんだって死んだんだッ! 入院中、見舞いにも来なかったクセしていまさら親父面しやがって!」
レイノンは無言だった。
ただただタクヤの感情をその背に受けている。
「船長だって元軍人でしょう? だったらあの戦争で『連合』に正義がないのは分かってるじゃないですか! いまだって奴らは経済を思うように動かしてアジア連邦諸国を虐げている。それを変えたいと思う気持ちが、本当にガキの理屈ですか!」
ヒートアップした気持ちに身体がついていかない。部屋中の酒気にあてられて、タクヤもまた腹の底が熱くなるのを感じている。
かたやレイノンは。
タクヤの尊敬するこの世でただひとりの男は、落ち着いた口ぶりで少年の浅はかさを優しくひっくり返す。
それもまた大人の役割だと言わんばかりに「戦争に正義はない」と。
「……戦争に正義はない。それは『連合』だけじゃなく、アジア連邦にも言えることだ」
「なんですって?」
「ライブ・オービタル――地球に似たコロニー環境を生み出せる唯一の衛星軌道。その日照条件を獲得できたのは僅か百基のスペースコロニーだけだった。その最後の十基を巡って勃発したのがあの太陽戦争だ」
「知ってますよ、いまさらそんなことくらい」
「結果『連合』側の勝利で終戦。十基のコロニーは全て『連合』側の物となり、以降のスペースコロニーは火星に作らねばならなくなった」
誰もが知っている。
教科書で習うことばかりだ。
タクヤはいつになくレイノンにイラついている。
なぜ、そんな当たり前のことしか言ってくれないのかと。
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか。
レイノンはまだ話をやめない。
アルコールが彼を饒舌にしているのだろうか。
「火星に移り住んだアジア系の生活は過酷だ。いまだに地球圏との経済格差が埋まらない。街は浮浪者であふれてる」
「だから!」
「だがお前の親父は『連合』と商談することによって、新たな雇用を生み出そうとしている」
「エッ……」
毒気の抜けたような、拍子抜けしたような声だった。タクヤはまるでハンマーで頭を横殴りにされたかのようだった。
「先細るアジア経済に早々と見切りをつけ、コロニービルダー最大手のホーキンス・カンパニーは『連合』側コロニーの再建、新規建造を多く請け負って実績を上げてきた。最初から逆賊の汚名を被るのは承知の上でだぞ?」
レイノンはまだタクヤのほうを振り向いてくれない。
彼が一体どんな顔をして、話しているのか。
タクヤには見当もつかなかった。
「お前の親父はな、何千万という社員の命を預かってる。そしてその社員たちにも家族がいるんだ。たかが敵国だったという理由だけで、その家族を路頭に迷わせるわけにはいかんだろう」
「そ、それは……そんなことが……」
「国だの組織だの言ったところで、とどのつまりは人の群れだ。個人をないがしろにしてまで得ようとするお前の正義ってなんだ?」
タクヤの足元が突如として崩れていく。
幼少期の思い出が大河のように流れ込み、彼の脳内を埋め尽くしていく。
母親のまえでは決して笑顔を絶やさなかった父親。
そして母もまた――。
「見てる奴はちゃんと見てるぜ? お前の親父さんは悪党なんかじゃねえ」
タクヤはなにも言い返せない。
言い返すだけの根拠を失ってしまった。
いまあるのは強烈な敗北感。
なにひとつ見えていなかった父親の真実だ。
中華街でマキノが言おうとしていたこと。きっとそれはタクヤの一人相撲を諌める言葉だったに違いない。
いまレイノンが語って聞かせてくれてるように。
「ま、それを全部分かれとは言わねぇよ。お前にだって、お前の考えがあるんだろ? 理想とする世界の在り方って奴がよ」
「ぼ、僕はッ! 僕はただッ、ぅうッ……うわぁあああッ!」
走り出した。
ただやみくもに。
あふれ出す涙さえも拭わずに。
再び沈黙に閉ざされたリビングのなかで、レイノンはひとりグラスを傾ける。氷が少し解けていた。薄くなったはずのバーボンの味がひどく苦いものに感じられた。
「青いわね……」
「なんだ起きてたのか? 仕方ねーよ。そういう年頃だ」
「アンタのことよ」
「ん?」
「わざわざ親子喧嘩に首突っ込んじゃったりして。アタシなら口出さない。メンドくさい」
レイノンがグラスを一口舐めると、氷がカランと鳴った。
ヴェロニカの悪態に、さすがの彼も自嘲気味に口元を緩ませる。
「男にはあるんだよ。どうしても親父が許せない時代が……お袋が大切ならなおさらな」
「ふーん。マザコン君か……」
「なんとでも言いやがれ」
その日。タクヤは泥のように眠った。ここ数日の寝不足も手伝って丸一日も。枕を濡らした大量の涙も、起きた頃には乾くだろう。
目を覚ましたとき。
彼はきっと一回り大きくなっているだろうから。
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次の朝。タクヤもヴェロニカも起きてこない。
アウラはエイプリルの作ったハニートーストをレイノンと一緒にリビングで食べた。
慣れない手つきでフォークを使っていると、横からレイノンの手が飛んできて掴み方を矯正される。
頬に食べカスをくっ付けていると、横からレイノンの手が飛んできて取ってくれた。
ヴェロニカみたいにソファーで胡坐をかくと凄く怒られた。
はしたないってなんだろう?
頭のお団子は今日はポニーテールだ。
レイノンが結ってくれたのだ。
食事が終わるとレイノンは倉庫へと向かう。
アウラもついていった。
「これなに?」
酒樽に腰掛けてアウラが手にしている物は、小さな地球儀のついたボールペンだった。レイノンは膝付き合う距離に座っていて、銀に輝くネームタグを磨いている。
「地球だよ地球。テレビとかで見たことねーか?」
アウラはふるふると首を横に振った。
「人間の生まれ故郷だ。ま、いまは住めるような星じゃねーけどな」
「地球……」
アウラがペンのお尻を凝視する。
地軸で回転できるように固定された青い球体の表面には、いくつか茶色の部分があった。
陸地である。
百年前の隕石衝突事件もキチンと再現されており、北米大陸と、ユーラシア大陸の北部には巨大なクレーターが描かれていた。
「二番目のアウラが言ってたよ……アウラは地球になるんだよって。アウラが地球なんだよって」
「は?」
「レイノンは地球見たことあるの?」
突然話が変わり、レイノンはガクンとズッコケる。しかし体勢を立て直し一服つけると。自慢げに鼻の穴から紫煙を噴出した。
「あるよ。いいか……」
アウラにペンを縦に持たせて、自分のひとさし指を地球に寄せる。
それをアウラの目の前で一直線上に並べ――。
「この指が月だ。ここの天辺に立って地平線を見てるとな。今度はこう」
アウラの手に持たせたままペンを持ち上げる。するとアウラの目にはレイノンの指先から地球儀がせり上がってくる形となった。
「どうだ? 日の出ならぬ『地の出』だぜ? 太陽光を一杯反射してな。そりゃーもー綺麗なもんさ」
「レイノンは月のひと?」
「へッ? いや違う違う。ちょっと野暮用でな、一時期月にいたのさ」
「やぼよー?」
レイノンはタバコを一度燻らせ、その辺に転がっていた空箱に腰を下ろすと頭をかいた。しばらく黙り込み。意を決したように口を開く。
「ちょっと昔の話だ」
タバコの灰を指で弾いて、あたりに煙を振りまいた。
照れているような、気を散らしているような。
そんな気持ちが、身振りに出ている。
「人間が宇宙に上がり生活を始めた頃。お日様を取り合って喧嘩になった。その時最後の戦場になったのが、月にある大きなクレーターでな。俺はそこにいたんだよ。アウラがいま持ってるそのペンな。その時の友達が持ってたんだ。月から持って帰って、大事にしまっていたんだよ」
「ふーん」
アウラはペンをマジマジと見た。
彼女にとっては、何もかもが新鮮な驚きに満ちている。
ただ感情が伴っていないだけだ。
「このコロニーにそいつの家族がいる。届けに行こうと思ったんだが、昨日は色々と忙しくてなー」
前日までのゴタゴタを思い返し、レイノンは心底イヤそうに苦笑いをしている。するとアウラは、腰掛けていた木箱からぴょんと飛び降り。
「いこう」
「は?」
聞き返すレイノンにアウラはペンを突き出した。
その真直ぐな瞳にレイノンは言葉を失う。
呆気にとられ黙っていると、アウラは「うー」と唸ってさらにペンを突き出してくる。その仕草がまた滑稽で。レイノンの胸の、どこか柔らかい部分をふっと掠める。
「いくか?」
レイノンが溜息交じりにそういうと、
「いく」
間髪入れずにアウラが答えた。
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