【前回のあらすじ】
β4脱出から二週間が経過、アウラの容態がますます悪化してくなかでレイノンは彼女との約束の地である「月」を目指す。そのさなか『連合』の戦闘艇に補足される。
フール号の素性を聞かされたタクヤが呆気に取られている間にも、エイプリルの華麗な操船は乱れることがなかった。
後方から撃ち込まれる全てのレーザー砲を、一発も船体にかすらせることなく華麗にかわしていく。
船体の揺れは主に機雷が爆発したときの衝撃波であり、それにしたってフール号のミサイルで撃沈されてるわけなのだが……。
タクヤはもう何度死ぬかと思ったか知れない。なのに、このふたりの表情からは、一切の窮地を感じることは出来なかった。
感覚が徐々に麻痺してゆく。
常識で考えればいまでも充分アウトなのに。
ついさっきもう驚くまいと決心したタクヤだったが、ものの数秒で脆くも誓いが崩れ去った。
「ちなみに何の因果か、この船もラボ13製でな」
激しい戦闘のさなかにレイノンが呑気にのたまう。
エイプリルに気を使っているのか、口に咥えたタバコにはいまだに火が点いていなかった。
「当時の関係者が悪い野郎で、軍縮に伴って本来なら破棄されるはずだったこの船を闇市に横流しにしやがったんだな。んで、巡り巡って俺が手に入れたってわけ。弾薬だけ抜かれてて貨物登録されてたから安かったな~」
「って、結局戦闘用に戻してたら意味ないじゃないですかッ」
「そこはそれ、大人の事情って奴だよ」
「どういう事情ですか、どういう」
「さて、ここでおふたりに問題です」
唐突にエイプリルがふたりの問答に割り込んだ。
艦橋の空中にはいつの間にか、彼女が作り出したホワイトボードサイズのホログラム・ディスプレイが出現していて、その傍らに立つエイプリルはなぜかセルフレームの赤い眼鏡を掛けていた。
手には伸び縮みするタイプの指示棒が握られており、胡散臭いセミナーの講師よろしく、ディスプレイ上の映像を示してなにやら講義を始める。
ホログラム・ディスプレイには周辺宙域とフール号の現在位置を表した簡易的な海図が表示されている。そこにはライブ・オービタル、地球、そして月の位置関係も分かり易く図解されていた。
画面のうえをエイプリルが指示棒でなぞると、フール号の図形から手書きのようにラフな線で矢印が伸び、月へと到着する。
さらに『所要時間は三十分』とこれまた手書き風に注釈が入り、フール号の背後に迫る三隻の巡視艇も表示されていた。
「なんですか問題って?」
「ご覧の通り、現在本船はライブ・オービタルを通過して、地球から見た月の裏側へと進行中です。この速度を維持すればおよそ三十分後には月へと到着するでしょう」
「楽勝じゃないですか。それがなにか?」
「こちらをご覧下さい」
エイプリルは手にした指示棒でディスプレイを指す。
「フール号の後ろには警官隊の巡視艇もピタリとくっ付いています。先ほども申し上げましたように、純粋な航行速度で言えばあちら側のほうが上手です。いまはまだ拿捕されるような距離にありませんが、三十分もすれば非常に肉薄した状態となります。さあ、これを踏まえたうえでの質問です。我々は果たして無事、地球を見ることが出来るでしょうか?」
「でも、三十分後には月に着くんでしょう? そこでアウラちゃんに地球を見せてあげれば作戦終了じゃないですか」
「無理です」
「なんでッ?」
馬鹿にされたようでタクヤは少しムッとした。なまじ学があるだけに正面切って否定されることがつくづく嫌いな男である。
「このままでは月軌道に到着するだけで月面に降りる時間的猶予がありません。また船上から地球を眺めようにも月そのものが邪魔をして視界には入らないでしょう。ましてやここまで来て船からモニター越しに地球を観覧するだなんて無粋なこと、ご主人様がお認めになるとでもお思いですか? 目的のためなら手段を選ばないあの男が」
「オイ、悪口は本人のいないところでしろ」
沈黙を続けていたレイノンがささやかなツッコミを入れる。
それは次第に緊張に包まれていくタクヤへの配慮だったのかも知れない。
「そんな……そんな……」
「タクヤ?」
「もう……無理ですよ船長……諦めて投降しましょう……いまならまだ軽い刑で済むかもしれない。そうだ! 僕、親父に話をつけてみますよ! アウラちゃんだって、すぐに治療すれば助かるかも――」
それを聞いたとき。
船長席でふんぞり返ったままのレイノンは、とても悲しそうな顔をした。まるで信じていた者の口から、一番聞きたくないセリフでも聞いたかのような。それはタクヤの見覚えのある顔だった――かつての自分そのものだ。
友情を信じ裏切られ。
純愛と信じ裏切られ。
そして理想と信じ戦ってきたものに裏切られてきた、自分自身の顔。
レイノンは咥えていたタバコをプッと吐いた。フィルターを唾液でグダグダにしたそれが宙を泳ぐ。
タクヤの顔を横切り、エイプリルのエプロンに当たって止まった。
彼がその動きに捉われていると、レイノンはゆっくりと重い口を開く。
「助かってそれでどうなる? アウラはそれで救われるのか?」
「エッ……」
「一時の間、命を永らえてよ。そんでこれから先、もっと酷い実験やら解剖やらを受け続けるんじゃねえのか。それをお前はアイツの幸せだとでも言うのか?」
「そ、それは……」
「戦場では死にたくても死ねない奴がいた。胴を真っ二つに裂かれ、両手両脚が吹っ飛ばされても死ねねえ奴が。そんな奴らに俺は一体どうしてやれば良かったんだろうな。引きずってでも国に連れ帰って家族に一目会わせてやれば良かったか? 俺にはもう、なにが正しかったか分からねえ……。ただあの時、死だけが、唯一アイツらの救いになったのは確かなんだ……」
「船長……」
「すまんなタクヤ。言い過ぎた。お前にはまだ帰れる場所があったな。ここまででいい。よくついてきてくれたな。元々お前は誘拐犯に捕まってたところ、偶然フール号に乗り込んで、降りられなかっただけなんだ。警察に事情を話せばお咎めなしだろう。ことの顛末までは分からんが、それまでお前の身柄はこのフール号とエイプリルが必ず守る。安心しろ」
「船長! もういいじゃないですか……もう充分じゃないですか……。船長は一体何のためにこんな無茶しようとしてるんですか。こんな……こんな勝ち目のない戦いに!」
「決まってんだろーが」
レイノンは彼女を見つめるときのような優しい眼差しで言った。
「アウラの笑顔のためだよ」
タクヤの全身に衝撃が走った。
同時に彼の脳裏には、アウラの笑顔が輝く。
自分の境遇を物ともせず、常に誰かの悲しみに敏感だったアウラ。「痛いの? 泣いてるの?」と聞く、健気な声が耳の奥でいまでも響いている。
自分を売ったはずのヴェロニカに対し微笑みを与え、壮絶な痛みのなかにありながらタクヤの涙を拭ってくれた彼女。
そこにはいつも笑顔があった。
微笑と呼ぶにもまだぎこちない、ほころぶ程度の笑みが。
だがそれに皆、惹き付けられたのだ。
タクヤにとっても、それはたったひとつの宝物だったのに。
「エイプリル。問題の回答編だ。時間ねえから手短にな」
「では……」
本物のホワイトボードを裏っ返すようにして、エイプリルはホログラム・ディスプレイを「よっこらしょ」と裏表逆にひっくり返した。
芸は細かいがあまり意味はない。
そこに表示されているものと言えば、月の引力圏を示す簡単な図形とフール号の予想航路だ。さらに画面の半分には、一本のケーブルのようなもので繋がった二体の宇宙服が映っていた。
「まず、こちらをご覧ください。月とその引力圏です。まずフール号が月軌道に最接近した際、すでに後方には巡視艇が肉薄していると仮定します。そこで我々は二手に別れるのです」
「二手だぁ?」
「はい。一方はフール号でそのまま力の限り全速力で逃げ回ります。そしてもう一方はリフト・モービルで月面へと降下する。さらに月面では月の地平線から地球が顔を出すまで移動することになります。まぁ時速七百キロも出せば三時間と掛からないでしょうが」
レイノンはふむふむと思慮深げに訊いているが、実際理解しているかどうかは知りようがない。タクヤはただ通信席で膝を抱え押し黙っていた。
「そこで問題になるのが宇宙服の活動制限時間です。通常であれば酸素パックは一時間弱しか持ちませんし、外付けの大容量パックもウチにはありません。しかしこの図のように二体の宇宙服をエアダクトで繋いでしまえば、アウラちゃんの空気清浄能力の作用で半永久的に船外活動が行えるのです」
「おお……」
「しかも伝声管の機能も有しますのでおしゃべりも可能です」
すべての説明を終えたエイプリルは、指示棒を縮めながらレイノンの様子をうかがっている。
彼の顔はまだ半信半疑だった。
「以上ですが、他に質問は?」
「はい」
「では、そこの眠そうな顔をした、うすらデカイ貴方どうぞ」
「……このクソ……二手に別れるってことなんですが、具体的にはどうやるんですか。巡視艇が張り付いてるから月面に降りてる余裕はねーんだろ?」
憮然とした態度でレイノンがたずねる。
当然と言えば当然の疑問であった。
フール号からリフト・モービルで発進するには、船底にある格納庫から発進するしかない。だがその余裕がないことは、先ほどエイプリル自身が説明している。
「フール号は月面へ降下しません」
「あ?」
タクヤもレイノンと同じ感慨を得た。
それでも無表情の国からやってきたエプロンドレスの天使は、ただ淡々と驚愕の作戦を解説し続ける。
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