【前回のあらすじ】
ヴェロニカの足跡を掴んだレイノンはその足で彼女のもとへと現れる。窮地を救ったかと思いきや、彼女もまた鉄拳制裁の餌食に。そして闇から現れる謎の男に、命だけはレイノンに救われたゴロツキたちが抹殺された。
【 3 】
スペースコロニーでの一日は、ほとんどの場合、地上と同じく二十四時間のサイクルで進行される。
朝が来て、夜が来る。
夕方までの時刻変化は、超硬度クリスタルに差し込む陽光の角度を変えることで再現できるが、太陽光発電の関係上、完全に陽を受けないわけにもいかない。
そのため夜間には超硬度クリスタルの表面に偏光処理がなされる。
要は巨大なサングラスとでも考えればいい。
コロニーの街並みに夜の帳が下ろされる。
すでに時刻は夜九時を回っていた。
レイノンが貧民街の路地裏でトランクとヴェロニカを回収した頃、タクヤはまだいなくなったヴェロニカの帰還を信じ雑居ビルの前にいた。
そのままそこにいてくれれば、レイノンとしても迎えに行き易かったのだが、場所が場所だけに新参の浮浪者と間違えられ、古参の浮浪者から「ここは俺のシマだ! 出て行け!」と追い払われてしまったのである。
その頃にはさすがにもうヴェロニカに置いていかれたことを悟っており、物乞いと間違われたショックも相まってあてもなくトボトボと街を歩いていた。するとそこに夜の蝶たちが現れ「サービスするから」と強引に客引きされて誘われたのが火星名物ぼったくりバー。
やけくそになって飲めもしない酒をあおってハッスルしたあとである。
金が払えないことがバレて黒服のおにいさんたちにどつき回されているところにレイノンが駆けつけた。
その場はレイノンが『平和的に話をつけて』事なきを得る。
フール号への帰り道。リフト・モービルの後部座席でタクヤは嗚咽を漏らしていた。パンパンに腫らした目元から流れる一筋の涙。少年はまたひとつ大人になった。
なんやかんやでこんな時間。
フール号のリビング。反省するタクヤの隣には、縄でフン縛られた女がひとり。ミニスカートから下着が見えるのもお構いなし。胡坐をかいて横柄に座っている。
頬には軽い殴打の痕。口を尖らせて常に潤む切れ長の瞳を、テーブルを挟んで向かい合うレイノンから逃れるように逸らしていた。
テーブルのうえにはブルーメタリックのボディが眩しい、やや大きめのトランクが置かれている。ピリピリとした空気が支配するリビングの中で一際その存在感を主張していた。
ソファーに身体を投げ出し紫煙を燻らせるレイノンだったが、一同の沈黙から約三十分。ようやくその重い口を開いた。
「でさあ。結局アンタなんなの、ヴェロニカさんよ?」
ヴェロニカはそっぽを向いたまま答える。
「宇宙を股に掛ける女怪盗」
「真面目に答えろ!」
騙されたことも相まって、タクヤが激怒する。
飲めない酒に体力を持っていかれて、じつはまだフラフラだ。
「あら、本当のことよ? レオタード着てないから分からなかった?」
横目でチラとタクヤを眺め、腫れ上がった顔をからかうかのようにヴェロニカは言う。
「また女に騙されたの? 懲りない男ねー。その歳で色狂いって将来決まったよーなもんよアンタ?」
「う、うるさいッ! 元はと言えばアンタがいけないんだろ! 信じてたのに……信じてたのにッ!」
「騙される方が悪いのよ。ちょっと色気使えば鼻の下伸ばしてさぁ。アンタずっとアタシの胸見てたでしょ? そんなに気に入った? なんならもっと見る? ウリウリ」
「や、やめろぉ~!」
同じソファーのうえ。
タクヤは圧し掛かるブロンドの巨乳攻撃から逃げるように顔を背けた。背中には肘掛けがある。悔しいが退路は断たれた。
するとレイノンはため息をつくようにしてヴェロニカに言う。「いつまでもヒヨコからかってないでさ」と。
「そろそろ本当のこと教えてくれる?」
「ほ、ほんとのことって?」
「しらばっくれんじゃねえよ。アンタ、このトランクが狙いだったろ」
レイノンはテーブルのうえでキラキラと輝く青いトランクを、かかとで軽く蹴飛ばした。
ビクンッと反応するヴェロニカだったが、すぐまた目をそらす。
「『星の牙』っつったっけ。アイツらの目的もコレだな。偶然出くわした宇宙海賊に襲われて、偶然その船にアンタが乗っていた。偶然アンタは俺の船に乗り込み、偶然トランクを持ってとんずら」
この頃になるとタクヤもようやく頭が冴えてきたのか、レイノンの言葉を聞いて「確かに」と思った。
ちょっと「偶然」が多すぎやしないか?
レイノンがタクヤの胸中をそのまま口にすると、さんざん強がっていた自称女盗賊も眉尻をさげた。
「俺がこの依頼を受けたのも偶然だったのかい。この法外な報酬に目がくらんて飛びついた、しがないフリーの運び屋ってキャスティングのよ」
「…………」
「黙ってちゃ分かんねえな。ヴェロニカさん」
眠そうないつもの三白眼よりは二割増しで本気モード。いつまでも答えようとしないヴェロニカに対して、レイノンは腰裏のホルスターから黒光りする『お守り』を取り出した。
「なんならコイツに訊いてみるか……あ?」
無言で胡坐をかき、背を伸ばした姿勢でそっぽを向いていたヴェロニカの様子がおかしい。額からは脂汗が吹き出し、全身小刻みに震えていた。明らかにレイノンの銃口を意識している。プルンとした下唇を噛み締め悔しそうな表情。はたで見ているタクヤの方が窒息しそうだった。
永遠とも思える一秒が十を数えた。
レイノンが無言で撃鉄を起こす。
「分かった! 言うわよもう! ハイハイ降参しますぅ!」
不貞腐れたヴェロニカが堰を切ったようにそう言うと、隣で身構えていたタクヤがホッと胸を撫で下ろした。深い安堵のため息がこぼれる。
「……なんでアンタがホッとしてんのよ?」
「う、うるさいなッ」
交わされる軽口もご愛嬌だ。
もしかするとこれが出来なかったかも知れないと思うとゾッとする。改めてレイノンがただ優しいだけの男ではないとタクヤは実感した。
「まずはこのトランクだな。アンタが知ってる限りのことを全て話せ」
デコックした拳銃をホルスターに収める。代わりに懐から新しいタバコを取り出した。
「先に縄解いてよ。このまんまじゃ話しにくいわ」
「まだ信用できねぇよ。しゃべるだけなら口が開けば充分だろ」
「……ラボ13って知ってる? 別名、死神研究所。戦時中はアジア連邦軍の所属で色々と怪しい研究をしてたっていう……」
レイノンはただ大きく目を見開き、エイプリルと目配せをした。
だがそれは一瞬のことで、その機微にタクヤもヴェロニカも気付くことはなかった。
「ラボ13? それって親父の会社の下請けじゃないか? ひ孫会社くらいの遠縁だから名前しか知らないけど」
「エッ? ちょっと待ってよ? アンタ、ホーキンス・カンパニーの関係者なの? そういうの早く言ってよ~。ね、いまからでも仲良くしよ? ねーえ、タッ君てばぁ~」
「近寄るなこの痴女!」
「ムカッ! 痴女はないだろー痴女は!」
覚悟を決めたヴェロニカの表情は妙に明るかった。
タクヤにじゃれ付き始める彼女に向かって、レイノンは静かに「続けろ」と凄む。
コホンと咳払いをひとつ挟み、ヴェロニカは再び語り出した。さも自慢げに「このトランクはラボ13から流出したブツなのよ」と。
「研究員のひとりが『連合』に寝返って研究成果を手土産にかつての敵国で一旗揚げようってわけ。まさかその密輸ルートに、フリーの運び屋を使うとは思わなかったわ」
この場合、レイノンたちのことだとタクヤはすぐに理解した。
結局、自分たちも「誰か」のシナリオに乗せられていたらしい。
ただ脚本家の大いなる失敗は、この白髪のモンスターを舞台にあげたことである。
ヴェロニカは「もう知ってると思うけど」と前置きをして。
「架空の届け先に配送させて、その途中で強奪。もし相手が抵抗するようなら殺しちゃえばいいんだし。そういう点でフリーランスを指定したのね。ラボ13絡みの情報はずっとチェックしてたから見逃さなかったけど、襲撃役の海賊を見つけるのには苦労したわよ。もうぶっちゃけ強引。ボスの愛人になるっつって乗り込んでやったわさ」
レイノンはテーブルに身を乗り出し、トランクの上蓋に貼られた配達票を指でなぞる。
「無駄よ。送り主の名前も住所も当然偽装されてるわ」
レイノンはエイプリルのほうを向き、目配せだけで要件を伝える。
「確認できました。その住所には現在、オードリー・ケルンというおばあさんが三頭の犬と暮らしています」
「……ばあさんがラボの関係者か? もしくは犬のほう?」
皮肉たっぷりにレイノンが言う。
ヴェロニカは「そんなわけないでしょ!」と怒気を言葉にはらめて。強く彼のブラックジョークを断罪する。
「ラボ13を裏切った研究員が勝手に使ったのよ、仮の送り主として」
「……その研究員。いまごろ慌ててるんだろうね……」
他人事ながらタクヤは同情を禁じ得ない。
計画通りにいけば、トランクは『星の牙』によって回収されいまごろ『連合』側のコロニーにでも輸送されていたはずだ。
全ては「偶然」レイノン・ハーツの手にトランクが渡ってしまったことがケチの付き始め。その裏切り者というのは本当に運がない。
「タクヤ」
「はい?」
「いい機会だぜ。コレ持って家帰れ。コレがホーキンス・カンパニーの傘下から流れたブツなら、お前が未然に取り戻したことになる。絶好の手柄じゃねえか。親父を見返すこともできるんじゃねーの?」
レイノンの言う通りだった。
これがもし途轍もない研究の産物で『連合』が欲しがっている物なのだとしたら――。
ホーキンス・カンパニーが被る損害は一体どれくらいになる?
仮にこれがこの世にふたつとない貴重な物だったとしたならば、それを取り返してきた息子に父親はどんな顔でどんな声を掛けてくれるのだろう。
そんな誘惑がタクヤの胸裡で渦巻いた。
まるで白と黒、二匹の龍が彼のなかで取っ組み合って暴れているみたい。イエスか、それともノーか――。
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