ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

最終章

第30話 女豹の覚悟

公開日時: 2020年11月26日(木) 00:32
文字数:4,098

【前回のあらすじ】

 突入した大使館のなかで、弱々しく横たわるアウラを見つけた。脱出のさなか殺したはずのディスポと遭遇する。死闘のすえで二度目の勝利を手にしたもののレイノンもまた大きなダメージを負った。



【 6 】


 レイノンが本館に突入してからすでに三十分が経とうとしている。


 少し前までは激しい銃撃戦の音が、タクヤとヴェロニカのいる大使館前の路地にまで聞こえてきたものだが、いまでは不気味なくらい静まり返っていた。最上階の窓辺では、目も眩むほどの閃光を放って小さな爆発まで起きたというのに。


「船長……大丈夫だよね……」


 門外から遠巻きに見守るだけのタクヤには本館内部を窺がいようがない。ただ待つことしか出来ない身のもどかしさが、焦る胸裡をより一層に締め付けてくる。


「他人の心配してる場合じゃないかもよ」


 傍らでヴェロニカがそう口走った。

 切れ長の瞳をすがめて、周囲を警戒しているようだ。


「どういう意味ですか?」


 まだ少しわだかまりの残るヴェロニカに対してタクヤの態度は冷たい。責めるような眼差しを彼女に向けた、その直後である。


 上空を低い唸り声のようなサイレンの音が覆う。

 同時に、街の至る所から天に向けてサーチライトの軌跡が伸びた。

 β4全域に警戒態勢が発令された証拠である。


 ヴェロニカの視線の先には、まだぼんやりとではあるが、回転する無数の赤色灯が闇に浮かび上がっていた。

 ただでさえ心細いタクヤにとってみれば、この世の終わりを告げる光景のようにも感じる。


「ようやくβ4の警官隊が動き始めたのよ。『連合』の面子の問題で、いままでずっと通報されてなかったんだわ」


「β4の……。で、でもなんで今頃?」


「まだ分かんないの? 治外法権の大使館のなかが、もう自衛の力じゃどうしようもないくらい最悪の状態になったってことよ」


「最悪の状態って…………あッ!」


 ヴェロニカの悪態のさなか、タクヤの目に飛び込んできたもの。

 それは伝統的なイングリッシュガーデンを貫く一本の道を、二台の装甲車に阻まれながらも駆け抜ける大男の姿だった。


 両腕にはシーツに包まれた少女を抱き、その身に纏うフライトジャケットを蜂の巣にして。

 ドス黒く変色した血痕は全身にこびりつき、白髪さえ黒く染めている。表情こそいつもの飄々としたものだが、目元はくぼみ表情も冴えない。

 タクヤは一目見て壮絶な奪還劇であったことを悟った。


「船長!」


「待たせたな……姫様のご帰還だぜ」


「アウラちゃん……なんてことだ……」


 平素から妖精のように白い肌が、ひどく青ざめていた。

 口元はだらしなく半開きになり、息も絶え絶え。

 やはり半眼に開けられた目は虚ろで、焦点も定かではなかった。

 しばらくしてタクヤの呼びかけに反応し、わずかだがその胡乱な瞳を動かした。ほんの少しだけ、瞳に光が差したようにタクヤには感じられた。


「よおガサツ女……しばらく見ない間にいい面構えになったじゃねえか?」


「フンッ」


 腕を組み、プイっとそっぽを向くいつもの態度。頬はほんのり桜色に染まっている。


「タレコミありがとうよ……お前がいなかったらコイツはもう……」

 

 レイノンが腕のなかを覗きこんだ。

 苦しそうだが、アウラもまた彼をしっかりと見つめ返している。

 ヴェロニカがその光景を横目でチラと追った。うつむき、ぷっくりとした下唇を噛締める。


 見つめ合うふたりの視線の間に、ヴェロニカは手を差し出した。

 バツの悪そうに顔を背けて。


 彼女の手には一本のペンが握られている。ノック部が小さな地球儀になったアウラのお気に入りのペンだ。

 ヴェロニカは、シーツに包まれたアウラの胸元にそっとペンを忍ばせた。


「アンタのでしょ。ちゃんと返したからねッ」


 早口にそう捲くし立て手を引っ込めると、また踵を返した。ブロンドの後ろ髪が門灯の光を孕んで切なく揺れる。


「べろに……か……ありが……とぉ……」


 搾り出すような呻き声が、ヴェロニカの耳朶を打った。

 いつもは高飛車な彼女の肩は震えていた。

 抑えきれない衝動が、無言の嘆きとなってヴェロニカを突き動かす。弾かれたように振り返り、アウラのもとへ駆け出した。


 彼女の後悔が一条の光となって宙を漂う。


 触れた小さな頬は燃えるように熱かった。泣きじゃくるヴェロニカの顔をまじまじと見つめ、かすかに口元を綻ばせて。


 アウラを中心に三人の心がひとつになる。

 タクヤの目も、もはやヴェロニカを責めるようなことはなかった。

 それを満足げに眺めたレイノンは、不敵な笑みをこぼした。


「さぁ~てと。もうひと暴れすっか!」


 次第に近づいてくるパトカーのサイレンを耳にして吠える。だが誰の目から見ても、まだダメージが抜け切っているようには見えなかった。


「行きなさい」


 アウラに寄り添っていたヴェロニカが顔を上げた。

 泣きはらした赤い瞳も、いまではふてぶてしいまでの覇気を宿している。

 

「ここはアタシが引き受けるから、アンタ達はこの子を連れて早く逃げて」


 いつものヴェロニカだった。

 したたかな一匹の女豹が目を覚ましていた。毛皮のコートもタイトなミニも、いまでは頑強な戦闘服に見える。


「で、でも警官隊相手に丸腰じゃ……」


「だ~れが丸腰だって言った? ホレッ!」


 ヴェロニカは着ているコートを掴んで、前をはだけさせる。なかには幾人もの男を悩殺してきたダイナマイトボディがあるわけで。

 思春期全開の少年タクヤは両手で顔を覆い、耳まで真っ赤にする。


「ちょ! な、なにやってんですかッ しまってくださいよ、もう!」


「ば~か。そっちこそなに勘違いしてんのよ。よく見なさい」


「へ?」


「じゃ~ん!」


 コートの下にはへそまで見えそうな短いタンクトップが、ふたつの豊満な球体によって押し上げられている。

 さらにレザーのミニスカートからは、むっちりとした男好きのする太腿が伸び、ガーターベルトが黒のストッキングを吊っていた。

 そして――。

「しゅ、手榴弾ッ?」


 ダイナマイト違いであった。

 ヴェロニカがおっ広げたコートの裏地には、天辺にレバーの付いた丸い金属の塊が幾つもぶら下がっていた。


 横一列に四つ綺麗に並び、それが縦に三段。

 左右対称になっているので計一ダースもの手榴弾がいま、宇宙を股に掛ける悪女の手にあった。ヴェロニカはそのうちのひとつを毟り取ると、おもむろに安全ピンを引き抜いた。

 キンっと澄んだ音色と共に信管レバーが宙を泳ぐ。


「まずは一発ぅ!」


 秒と間をおかずにヴェロニカはパトライトが集中しだした路地の方へと、手榴弾をブン投げる。

 野球でもやっていたのではないだろうかという見事なフォームだった。


「ぼーん」


 実際にはそんな生易しいものではない。

 四人のいる大使館前から数十メートル先で、爆風と共に盛大な火の手が上がった。爆発音の直後には数台の車がぶつかり合う音も聞こえた。

 現場の混乱は想像に難くない。


 両手を腰に「へっへーん」とご満悦のヴェロニカを見つめ、タクヤは本気で敵に回さなくて良かったと胸を撫で下ろした。


「さ、ぐずくずしてたら時間稼ぎの意味ないわよ? 早く行って!」


「…………死ぬなよ」


「アタシがそんな殊勝な女に見える?」


 レイノンに向かってウィンクひとつ。

 魔性の女の本領発揮か。


「エイプリル!」


 レイノンはポケットから取り出した携帯端末でエイプリルに合図する。

 その瞬間、彼らの頭上からなにか丸められた物が降ってきた。それは地面との距離が近づくにつれ解けていって、小さくなり。

 最後には上空から真っ直ぐ一本に伸びて、勢い余ってタクヤの顔を強打しつつ止まった。


「ぶはぁッ! ちょ、エイプリルさん、いまのワザとでしょ!」


『なんのことやら』


 なにもない上空から降りてきた物。

 それは一本の縄ばしごだった。

 星も瞬かない火星コロニーの宵闇を切り裂いて、天と地を結ぶように降りてきたそれは、文字通り彼らの命綱だった。


 タクヤは憤慨しながらも、真っ先に縄ばしごに取り付いた。

 力一杯に引いても落ちてこないのを確認すると、レイノンと目配せをしてから徐々に昇り始めた。


 道中ぐにゃぐにゃと縄ばしごは動くが、末端はレイノンが踏みつけて固定している。地上のように風は吹かないので昇るのは案外容易だ。


 次第にタクヤの身体も、天へと通じる闇の中に飲み込まれていく。レイノンは下からそれを見守った。


「ねぇ――」


 三発目の手榴弾を投擲したあと、ヴェロニカがレイノンに振り返る。裏返しのピースサインでも作るようにして、二本の指を突き出した。


「一本ちょうだいよ」


 言われたレイノンは懐からタバコをパックごと取り出した。

 パックを上下に振り、器用に一本だけ抜き出すとフィルターを咥え、愛用のオイルライターで一服つける。

 それをそのままヴェロニカの口に咥えさせてやると彼女は、


「間接キス」


「ガキか」


 おどけるヴェロニカの顔はまるで十代の少女のよう。

 いたずらっぽく、ころころと笑う。


『タクヤさまを収容しました』


「了解。出せ」


 エイプリルからの報告が入る。縄ばしごはすぐさまレイノンを乗せ、浮き上がった。


 地上にはヴェロニカただひとりが残され、段々と距離も遠ざかる。

 初めて真正面から見つめ合うふたり。

 交わす言葉などもうなかった。多分これが今生の別れとなる。


 徐々に上昇する縄ばしご。

 これでもう手が届かなくなるというギリギリのところで――。


 ヴェロニカはレイノンの胸倉を掴んで、その身体を引き寄せた。

 レイノンはアウラを落とさないようにバランスを取るので必死だった。


「お、オイこらッ――」


 苦情を言おうとするレイノンの唇は、ヴェロニカの唇で塞がれた。

 触れれば跳ね返るほどに瑞々しく甘い。

 一瞬であったが濃密な時間。

 そこに生まれた微熱はお互いの魂へと飲み込まれて。


 再び離れゆくふたりの距離。もう手も届かない。


 ヴェロニカにはレイノンがどんな顔をしているのかも分からなかった。自分が唯一、仲間と認めた男たちは暗闇へと旅立ってゆく。


 ヴェロニカはそれを笑顔で見送った。全てを欺き続けてきた自分の半生と共に別れを告げる。

 やっと自由になれた気がした。


「さ~て! これからが本番よ! 食らえ犬どもッ!」


 何個目になるのかも、もうよく覚えていない。

 ヴェロニカは手に持った手榴弾を、もはや肉眼で確認できるまでに迫った警官隊に投げ込んだ。


 それからどうやってしまっていたのか、コートの背中からマシンガンを抜き放ち、おもむろセーフティーを解除する。

 初弾を装填し、フルオートにレンジを合わせて。

 迫りくる赤い回転灯へと駆け出して行った。



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