ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第32話 そうだ「月」に行こう

公開日時: 2020年11月27日(金) 07:22
文字数:3,342

【前回のあらすじ】

 間一髪のところでフール号へと帰還したレイノンとタクヤだったが、すでにβ4内には逃げ場所などなかった。そこで彼らが取った選択は、主砲でコロニーの天井に穴を開けて宇宙へと逃走することだった。


 オレンジ色の照明が辺りを包んでいる。

 だだっ広い空間には錆び色に煤けたリフト・モービルが一台だけ。

 エンジンにはすでに火が入っており、床から数センチうえをぷかぷかと浮いている。


 ハンドルを握るのは宇宙服に身を包んだ大柄の人物。蛇腹式の腕脚部を目一杯に伸ばして着込んでいた。

 さらに彼の後ろには、対照的に手足の短い宇宙服が乗っている。

 運転手の腹に両手を回して、少しぐったりとした様子で前者にもたれ掛かっていた。


 二体の宇宙服は、お互いの背部から伸びる一本のフレキシブルパイプで繋がれている。静寂の世界。両者の心音と呼吸音だけが、頭部を覆う半球型のヘルメットのなかに響いていた。


 彼らの眼前には、床にぽっかりと口を開けた宇宙空間がある。

 角度の付いた短いスロープの先。

 遥かなる銀色の世界が果てしなく続いている――。


 いまから二週間前。

 フール号がβ4を脱出した直後のこと。船内にある医務室ではエイプリルによるアウラの診断が行われていた。


 以前、タクヤもそこで目を覚ましたことのある、まっさらなシーツの敷かれたベッドのうえ。

 鎮静剤を投与されたひとりの少女が静かに寝息を立てていた。

 アウラだ。

 とても安らかな寝顔である。だがそれも一時のことだ。


 人間用に調合された薬物が彼女に――有機アンドロイドであるアウラの身体に対して、一体どれほどの効果が期待できるというのだろうか。


 タクヤはベッドの傍らに寄り添い、徐々に冷めゆくアウラの小さな手を握り締めた。

 長い睫毛が小刻みに揺れる。

 苦痛と戦っているのだろうか、眉間には時折深い縦じわが刻まれた。


 また、なにもできない。誰も救えない。

 そんな無力感がタクヤを襲う。彼はただ泣きながらアウラの手を握り続けた。背後から聞こえてくる悲痛な会話を受け止めながら。


「どうだ?」


「容態は安定してきましたが、楽観できるような状態ではありません。全身に数箇所、メスの入った形跡がありました。特に肋間からは肺の一部が切り取られたと思われ、彼女の心肺機能に甚大な障害を及ぼしています。皮肉な話ですがエアクリーナーとしての機能が、いまの彼女を死亡の危機からギリギリ食い止めているようです」


「そうか……」


 壁を背に苦悶の表情。

 レイノンは言葉も少なげに相づちを打つのでやっとだった。


「鎮静剤が効いている間は体温の上昇も抑えられますが、それ以上の治療はフール号の設備では不可能です。どこか最寄りのコロニーで医師による診断が受けられればいいのですが」


「ダメだ」


 レイノンは即答した。


「あれだけの騒ぎを起こしたあとだ。宇宙全域に警戒網が張られていてもおかしくはないだろう。いまどこかのコロニーに入港するのは自殺するのと同じだぜ」


「じゃあッ!」


 無言を貫いていたタクヤが怒りに肩を震わせ、涙声を張り上げる。

 

「じゃあ、どうすればいいんですか! どこへ行けばアウラちゃんは助かるんですか!」


「タクヤ……」


「おかしいよ! こんなの間違ってるよ! なんでアウラちゃんだけがこんな目に遭うんだ? アンドロイドだからか? そんなの酷いじゃないか。そんなの人間の都合じゃないか。アウラちゃんのどこが人間と違うっていうんだよ……朝起きて僕らと同じ物食べて、一緒に笑って、買い物に行って、それから……それから……」


 頬を伝う涙が熱い。

 それを拭うことすら忘れて一心にアウラを想い続ける。握り締めた手の平から、なにかひとつでも彼女の心に届くように。彼女を苦しめている痛みが少しでも和らぐように。


「タクヤさま。アウラちゃんの身体は元々永く生きることが――」


「分かってるよ、そんなこと!」


 エイプリルが悪いわけではないことも分かっていた。だが、いまの彼にはもうどうすることも出来なくて。


「分かってるけど……分かってるけど……」


 不条理に対する怒りすら保てない。

 タクヤは自分の目のまえに立ちはだかる壁の高さに屈してしまった。

 見上げても見上げても、まだ先が見えない。矮小な自分などでは越えられぬ巨大な壁――その名は運命。


 揺るがざる命の運針は、刻一刻とアウラの魂を削り取る。生まれながらにして短いという、アウラの魂を刻む時計。その現実を受け入れるには、タクヤはまだ若すぎた。あまりにも彼女に感情を移しすぎてしまった。


「たくや……ないてるぅ……の……?」


 涙に濡れるタクヤの頬を、冷たくなったアウラの手が触れた。タクヤが握り締めるもう一方の手にも弱々しく力がこもる。


「おな……か……いたぁい……のぉ?」


 薄く開かれたアウラの眼差しが、憂いを帯びてタクヤに注がれる。

 いまこの間にも、自分の身体は激痛に蝕まれているというのに。

 彼女の慈愛に触れた瞬間に、タクヤは立ち上がれないほどのショックを受けた。この少女は、自分が出来うる最善を尽くしている。

 いつだって。いまだって。


「大丈夫……大丈夫だから……」


 タクヤはそれに応えようと、無理やりにでも笑顔を作る。その表情がぎこちないだろうことは重々分かっていた。でも、アウラはうっすらと口元を綻ばせてくれた。


「月だ」


 そんなふたりのやり取りをジッと見詰めていたレイノンが言う。眠たそうな三白眼に、優しい父親の愛情を覗かせて。それはまるで、今度の日曜日に動物園に連れて行ってやるぞ、みたいなどこまでも軽いノリだった。軽かったが、真剣だった。


「月に行くぞアウラ。お前に地球を見せてやる。約束だっただろ?」


 アウラは小さく頷いた。

 ベッドのうえで飛跳ねて、大ハシャギするような体力はもうない。タクヤの頬に触れていた手の平から力が抜けてゆく。

 彼女はそのまま夢の世界へと旅立った。

 生命維持のために特別な処置が為される。

 アウラが次に目を覚ましたのは、およそ十日後のことだった――。

 

 作戦決行の三十分前。

 激しい揺れと共に、艦橋はけたたましい警告音に包まれる。

 メインディスプレイには、後方から嵐のように流れるレーザー光が映っていた。まるで漫画の集中線のよう、フール号の進行方向には幾条もの光の軌跡がたなびいた。


 通信席に座るタクヤがふとレーダーを見る。するとフール号の後方に三つの船影が確認できた。いずれも一般の船舶ではない。かなりの装備を搭載した准戦艦である。


「捕捉されました。現在本船は『連合』船籍と思われる戦闘艇と接触。兵装から見て警官隊の巡視艇で間違いないでしょう。あれから二週間は経過してますからね。ライブ・オービタル周辺に特別警戒態勢が取られていてもおかしくはありません。こういう時は確かそう……袋のネズミとでも言うのでしたか?」


「それを言うなら、飛んで火にいる夏の虫だろ。まあ、どっちしろ縁起でもねえや。振り切れるか?」


「無理です。脚はあちらのほうが速いですから」


「そうか……しっかし、コイツのステルスが見破られるとはなぁ」


「試作機とはいえフール号もすでに十年落ちですからね。その間に同種のシステムが研究開発されていても不思議ではありません。この速度を維持すれば、月軌道までは逃走できますが。それとも一戦交えますか? 戦闘能力なら三隻相手でも負ける気はしませんよ?」


「いや、やめとこう。こっちの目的は戦闘じゃねえ」


「了解」


「あの~……」


 ふたりの会話にいまいちついていけないタクヤが、実に申し訳なさそうに口を挟む。

 レイノンは火のついてないタバコを咥え、船長席にふんぞり返っている。

 エイプリルもまた、いつもの無表情で舵を握っていた。


「ん?」


「さっきから試作機だの十年落ちだの。よく分からないワードが飛び交っているんですけれども良かったら誰か解説を……それからエイプリルさん、さらっと警察に喧嘩売るようなこと言わんでください。なんですか負ける気しないって。アンタ、どこのレディース?」


「あれ? 言ってなかったっけ? この船、戦時中に建造されたステルス艦の試作機だったんだけど」


「き、聞いてませんよ、そんなのッ。そうか、だからあんな物騒な武器があちこちに……ってじゃあこの船、元々軍艦じゃないですか!」


「そうですよ。ステルス駆逐艦試作一号機『F‐001』、アジア連邦軍所属の立派な軍艦です。もっとも実戦配備される前に戦争終わっちゃいましたけど」


 軽快に舵を切りながらエイプリルがぶっちゃけた。

 このふたりときたら――。

 タクヤはもう何が起こっても驚かないと心に固く誓った。



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