【前回のあらすじ】
宇宙空間のなかで人身事故に遭遇するという奇っ怪な場面に出くわしたタクヤだったが、すぐにそれが悪質な「当たり屋」であることを察した。怪訝に思いながらも誘拐犯たちは、なぞの男を船内に招き入れる。
辺境宙域での不審船との遭遇。
その予兆として担ぎこまれた赤毛の少女。
謎が謎を呼び、ついには少女の夫を名乗る人物まで現れた。
ここ数日、タクヤ・ホーキンスの人生は非常事態の連続だが、今日ここに至っては、もはや想定の範囲から大きく逸脱している。
自分の身はこれからどうなるのか?
結局なにも変わらない――この世で最も気に入らない父親に、自分の身柄を買ってもらうという屈辱的な未来が待っているだけなのだろうか。
そしてこの少女も。
恐らく無事にこの船から出られることはないはずだ。
多分、口封じのために命を……きっとその前にゴロツキたちから辱めを受けるに違いない……。
タクヤの視線の先には赤毛の少女がいた。
ズングリとした宇宙服を着込み、ストレッチャーの上で鎮座している。
体型を窺い知ることは出来ないが、色白の小顔から連想するにスレンダーな八頭身だろう。
艶やかにカールする睫毛の下には、髪と同じく赤い瞳が輝いている。
だがそれは無機質、まるでルビーのような輝き。
微動だにせず、さっきからずっと壁の一点を凝視している。
綺麗だ――自分もまた囚われの身であることも忘れて、タクヤはその儚げな美しさに見とれていた。
「なにか?」
姿勢を変えることなく少女が呟いた。
見られていたのかと、タクヤは驚く。
きっとだらしない顔をしていたに違いない。
「い、いえッ!」
「そうですか」
とだけ言って、少女はまた押し黙った。
ついさっきまでの大根芝居とは異なる、極めて短いセンテンスでの受け答えが、彼女からまた一段と人間味を奪っている。
まるで出来のいい人形のようだ。
「あ、あの……」
「なにか?」
「いや、あの、なにかってほどでもないんですけど、少しお話でもと……」
我ながらたどたどしい。
手足を縛られているから、なおさら所在がない気がした。
「どうぞ」
ここで初めて彼女は、傍らにしゃがみ込むタクヤの顔を見詰めた。
タクヤからすれば、やや見上げる体勢だ。
伏目がちの瞳がまたかわいらしく感じる。
「あなたは一体? なにをしに宇宙遊泳なんかを……。いや、そんなことよりも身体って大丈夫なんですか? 船とぶつかったんですよね?」
……ややあって。
「要約しますと、それは私個人の過去への詮索と、対船舶接触時における身体機能へのご憂慮とお見受けしますが違いますか?」
「は? あ、いや。まあ、そう……かな?」
「申し訳ありませんが、現在遂行中の任務に関しましては第一級秘匿事項に抵触しますので、その詳細をお伝えすることはできません。それから宇宙服の外装には致命的な損傷が確認できますが、私の胸部及び、腹部側面へのダメージは見た目ほどではなく、さして計上するまでもないでしょう。どこのどなたかは存じませんが、ご心配には及びません。こういう時はなんと申し上げれば……そう、私鍛えてますから」
無表情のままグッと親指を突き出す。
お経でも唱えるかのように淡々と、そして淀みなく話し終えた彼女は、また置物のような静寂さを取り戻していた。
「鍛えてますって……」
一体どこの世界に貨物船クラスの宇宙船との激突に耐える鍛錬法があるのだろうか。怪しい。怪しすぎる。
聞き逃す所だったが、彼女は任務と言っていなかったか?
だとすれば何の?
かなりの希望的観測ではあったがタクヤの脳裏に父親の影がよぎる――もしや自分を救出するために刺客を放ったのではないかと。
有り得ることだった。
自分の動向を部下にでも探らせていたのだろう。
反体制グループからの失踪をいち早く察した父親が、偶然の事故を装ってどこぞの工作員でも送り込んできたのではないだろうか?
だがそれは息子の身を案じたのではなく、あくまでも自社の利益のためにであろう――。
何の根拠もないタクヤの妄想。
そう言ってしまうのは簡単だが、本人にしてみれば死活問題である。
ドロドロとした名状しがたい感情が湧き上がる。
タクヤはもう一度少女を見上げた。
その顔は、気のせいかも知れないが、どことなく微笑をたたえているようにも見えた。
「オイ! 勝手に話をするな!」
ふたりの会話にオカシラが口を挟む。
彼らは一体、この少女をどう思っているのだろうか。
まさかオカシラまで幽霊船説を信じているわけではないだろうが、いささか心の余裕がなくなっているのは事実であろう。
タクヤも、誘拐犯たちも不安である。
この気味の悪い状況を一変させることが出来るのは唯一ひとりだけ。
全てはあの人物の登場に委ねられた――。
「オカシラ……」
招かれざる客を出迎えに行っていた子分のひとりが艦橋に戻ってきた。
かの人物の入室に先んじてオカシラの顔色をうかがう。
チンピラたちの目の色が変わった。事あらば即時対応できる武闘派の顔つきだ。なかには腰に拳銃をぶら下げている者もいる。
まさか船内で銃撃戦もないだろうが、それは相手の出方次第だろう。
「入れろ」
「へい……」
改めて入り口のドアが開く。
電動スライド式の金属の扉が、音もなく左右へ滑走した。開放された間口から見えるのは船内の通路と防護壁。
そして現れた長身の男。
まずタクヤの目に飛び込んできたのは白髪の短い髪だ。よく見れば黒髪に広範囲で白髪が交じっているのが分かる。その頭は、周りを取り囲むチンピラたちよりもひとつ抜きん出た位置にあった。
股下の長い脚は、ミリタリー系のカーゴパンツと頑丈そうなブーツで固められている。さらに筋肉質で厚い胸板はビンテージ物のフライトジャケットで包まれていた。
そんなハードないでたちも、何故だかそれほど威圧的ではない。
理由は簡単だ。
男の表情が完全に緩みきっていたからである。
トロンとした半開きの眼。この緊迫した空気のなかでアクビをしてみせる豪胆さ――いや、もしかするとただの馬鹿なのかも知れないが。
赤毛の少女と同様とにかく得体が知れない。
だがタクヤは好奇心を激しく刺激される。「何だコイツは?」と。
謎の宇宙飛行士との接触、謎の男からの通信、そして謎の船とのドッキングを経て、ようやく相まみえた「彼」とオカシラとの対峙には、まさに一触即発の雰囲気があった。
「アンタが……あの船の船長? ずんぶん若いな……」
「そいつはどーも。こう見えて今年三十三になるんだけどね」
これには驚いた。
顔の作りも恵まれた体躯も、二十代なかばのそれにしか見えない。
「船長と言っても乗組員は俺以外にもうひとりだ。そのひとりってのがそこで寝転がってる奴のことなんだがね」
薄笑いを浮かべた男が、ツイと少女の方を見る。
「世話になってる、みたいだな……?」
「や、これは……」
オカシラが言葉に詰まる。
まさか轢き逃げするところでした、とは言わないだろうが。
「不慮の事故、だったんだ。まさかこの広い宇宙空間に人が漂っているなんて思わなかったんだよ。レーダー類にも何の反応もなかったし……いや俺たちも本当に驚いていてね」
「はあ? それなんて言い訳? 免許取りたてのガキですかコンニャロウ。『だろう運転』はダメだって教習所で習わなかった? アレだよ、こんな広い宇宙の真ん中で、もしかすると人が漂ってるかも知れない。レーダーに反応しない船がいるかも知れないって常に考えて航行しなきゃあ。何のために目視確認って言葉があると思ってんの? いい大人がそろいも揃って何してんの? その目は節穴ですか、お客さーん」
まるで抑揚のない棒読みのセリフ。
気迫だとかやる気だとかを一切感じさせない口調だ。
「い、いや確かにアンタの言うとおりだ。すまなかったと思っている。しかし、まあ彼女も無事だったわけだしこの辺で勘弁してくれないか?」
「なに? 無事? おい嫁! どうなんだ無事なのか?」
すると赤毛の少女は男の方へギギィと向いて、宇宙服に包まれた自らの爪先を摘み上げた。そしておもむろにそれを持ち上げる。
自然、脚は膝関節から逆に反り返り、いわゆる曲がっちゃいけない方向へと曲がった。
「ぽっきりと折れていますあなた。あーいたい、あーいたい。もうしんでまうわー」
ええええええええええェッ――。
このときばかりはタクヤも誘拐犯たちと同じ気持ちだった。
心こもらない少女の相づち。
どよめくタクヤとチンピラたちをよそに、男はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。
「ほほー。これはえらいこっちゃー。ひょっとしたらもう治らんかもしれんのー。痛そうじゃのー、かわいそうじゃのー。これはタダで済む話ではないわなー」
「あ、アンタら一体なにを……?」
「や、だからさ。その誠意というか……慰謝料的な? いや! 催促とか強要とかそんなんじゃないんだよ? あくまでもホラ、そっちの出方をさ、僕としては大事にしているんですよ。とゆーかまあ、なんと申し上げましょうかって言わせんなよ、馬鹿。あああもうっ面倒くせーな」
「あ、当たり屋じゃないか……」
タクヤはボソリと呟いた。
それはその場にいる誰もが言わんとしていたことを代弁していた。
「まあアレだ、警察沙汰にはしねーから金寄越せや。それから船の燃料と、食い物もあるだけな。それで勘弁してやるぜ」
呆れた。
この男、宇宙空間で当たり屋なんかをやっている。
それもこんな可憐な少女――感性は若干変わっているらしいが――をエサにして。
さっき言ってた任務ってこれ?
タクヤの胸裡は混沌と化す。
「へ……へへへ……」
低く、そしていやらしくオカシラが笑う。
またそれに従うように、周りからは子分たちの嘲笑が噴出していた。
「あ~っはっはっは! こいつはいい、どんだけ太ぇ野郎だ? もしかしたら、あの小僧がらみの刺客かとも思ったがどうやら違うらしい。くくく……笑わせてくれるぜ」
「ああ? 他人の嫁さんハネといて笑って誤魔化そうってか? おいおい一体どーゆー教育受けてんだお前ら。馬鹿か? 馬鹿なのか? いま何で自分が怒られてるのかも分からない自己肯定力マッハのおたんちんですか」
男の悪態が言い終るかという時、オカシラはあごで指示を出した。
すると男の右隣を固めていたチンピラのひとりが、彼のこめかみに拳銃を突きつける。実弾使用のオートマチックだ。
小口径だが当たれば充分死ねる距離。
「わーったわーった。悪かったよ、ちょっと欲張りすぎた。ガス欠なんだよ。火星まで行けるくらいの燃料だけくれや」
両手を挙げる白髪の男。
彼なりの譲歩なのだろうが悪びれた風は一切ない。まだ気付かないのか、それとも神経がどうかしているのか。
もはや交渉の余地などないことはタクヤでも分かる。
それなのにまだ男は死んだ魚のような目でオカシラを見据えていた。
なにも恐れることなく――。
「アンタ面白かったよ。それに免じて命だけは助けてやるから、とっとと自分の船に帰れや。くくく……宇宙で当たり屋とは信じられん男だよ。安心しろ、女はこちらでかわいがってやるさ。たっぷりとな」
そう、相手が悪かった。
他の船ならいざ知らず。ここは大企業を相手取って身代金誘拐を企むような悪党の根城である。生半可な脅迫など通用するわけがない。
タクヤは儚げな少女の横顔をジッと見詰める。ああこの子も運悪く、こんな宇宙の辺境で悪党どもの慰み者になってしまうのか。
歯痒かった。
いまの自分では目の前の暴力すら止めることができない。
それなのに何が革命か。
誰が祖国を守れるというのか。
同志と信じた者たちには裏切られ、いままた身動ぎすらままならない。
――たったひとりの少女すら救えない。
己の矮小さに気付き、ただただ嫌気がさす。
自分の人生はこの敗北感の繰り返しだと。
「まーそう言うなよ。欲しけりゃその女はくれてやるさぁ。だから燃料だけ頼むよ。最初から示談で済まそうって話じゃねーか。なにマジになってんだよ。銃なんか持ち出しちゃって、アレだよ? カッコ悪いよアンタら」
男の減らず口はまだ続いていた。
いい加減辟易したのか、今度は男の左隣に立っていたチンピラがナイフを取り出す。充分な殺傷能力を秘めた反り上がる刃だ。
ギラリと銀色に光り、男の首へと当てられる。
うっすらと、血が滲んだ。
「調子に乗ってあんまし跳ねてんじゃねーぞ、このサンピンがぁ……ウチのボス怒らせる前に黙って帰っとけコラ」
ヘラヘラと笑みをこぼすチンピラたち。
さっきまで幽霊船騒ぎで動揺していた奴らとは思えない。
それとは対照的に、白髪の男はここにきてようやく緊張した表情を彫りの深い顔面に貼り付けている。
血の気の引いた青ざめた顔。
眠そうだった瞳も、どこか焦点の合ったような雰囲気がある。
しかし無言だった。
「…………」
「おいおい兄ちゃん。さっきまでの威勢はどうしたよ? 刃物見てビビっちゃったかな? 素人は大人しくしてろってのバーカ!」
チンピラの挑発にも乗らない。かといって命乞いをする風でもなく、全くの不動だ。見ているタクヤの方がハラハラする。胃が痛い。
「少年……」
そんなさなかである。
あの赤毛の少女がタクヤに言った。
「ストレッチャーの陰に隠れていなさい。血の雨が降りますよ」
「え……?」
その僅か数瞬後。
チンピラたちの悲鳴が聴こえた。
「ぶばぁッ!」
「あおうううッ!」
男の両脇を固めていた奴らだった。
鼻骨を顔面にめり込ませて血ヘドを吐き、銘々の後方へと吹き飛んだ。
まるで嵐にでも巻き込まれたかのようである。
そしてその嵐の真ん中にはあの白髪の男がいた。
腰を低く構え、両の拳を真っ赤に濡らして。
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