ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第16話 血まみれのダンディ

公開日時: 2020年11月15日(日) 08:49
文字数:3,187

【前回のあらすじ】

 タクヤの献身的な働きにより、やっとのことでトランクの解錠が成功したとき、彼らの目に飛び込んできたのは、静かに寝息を立てるひとりの少女の姿であった。


 祭りのあとというのは、得てして物悲しいものである。

 狂乱に身を任せて燃え上がり、熱が冷めたころには、ただの疲労感だけが身体を襲う。

 まるであのトランクからもれた白い冷気によって、身も心も一瞬にして凍らされたようだった。

 

「う~……」


 天井を見つめ低く唸りを上げているのは、見た目よりも意外と根気のあった男、タクヤ・ホーキンスだ。


 鼻の穴にひねったティッシュを突っ込み、首の付け根をトントントントンと、緩く作った右の手刀でチョップする。

 長い睫毛の影が落ちる目元は、数字の見すぎでしょぼくれている。


「ったく。女の裸見て鼻血吹くなんざ、どんだけベタなんだよ」


 とは、現在なりゆきで彼の雇い主になっている白髪の男。

 運び屋のレイノン・ハーツだ。彼もまた、ソファーにぐったりと身を委ねて、ぷかぷかとタバコをふかしている。


「俺も永いこと生きてるけど、そんなヤツ初めて見たよ。チョコレートの食いすぎで鼻血出すのと同じレベルの都市伝説だと思ってたよ、ずっと」


「ちゃいますよ。これ鼻のほじりすぎっすからホント。ホラ、さっき飲み屋でヤクザたちに殴られてカサブタ出来てて。あ。あと少し数字にのぼせたみたいで……」


「ナニそれ? なんの言い訳ソレ? ツレん家でエッチなビデオ見てる時にトイレに立ち上がった奴が『ションベンだって! マジだって!』とか言うのと同じですか? 大体お前、アレに興奮しちゃダメだろ人として。あんなの新生児室で眠ってる赤ん坊見るのと大して変わんないよ?」


「だから、ちゃいますって。トランク開けた時に勢い余って、上蓋に鼻をぶつけてしまったんですよ。そーだ、そーだった。たったいま思い出した」


「…………」


 無言で天井を見上げ、紫煙を燻らせる。

 レイノンの耳に、タクヤの声が虚しく響いた。


 ――時を遡ること三十分前。

 トランクを開けることに成功したフール号の面々は、その中身が『物』ではないことを知った。


 立ち込める冷気を纏わせてその姿を現したのは、なんとひとりの少女。

 まるでそれは母親の胎内で眠るように健やかなる表情だった。


 ひざを抱えて背を丸め。

 かのトランクにぴったりと収まるポーズ。

 しかも一糸纏わぬ無防備な状態で。


 顔半分に掛かるエメラルドグリーンのセミロングの髪は、永い時間冷気に晒され霜が降りている。

 同様に長い睫毛の先も白く硬直していた。


 外気に触れるたび、肌は血色を取り戻す。

 血流が加速されたのか、時折手足の指先がピクンと動いた。

 静まり返る一同。

 トランクから「スー、ハー」と小さな寝息が聞こえる。


「な、なんすか……なんなんすかコレ? ねえッ、船長コレッ……に、人間ですよ、ね?」


 トランクの一番前にいるタクヤが後方を振り返る。

 そこには三者三様の顔があった。


 レイノンはいつもの眠そうな三白眼をさらに眠そうにして口を半開き。トレードマークの咥えタバコが、いまにもずり落ちそうだ。


 エイプリルは至って無表情。これといってなんの感慨もない。


 最後にヴェロニカ。彼女だけはこれ以上ないくらい、がっかりとした表情をして、おのが身のうえの不幸をぶちまけて、天を罵っている。


「アレだけ苦労して、中身コレだけ? ちょっと! ラボ13の新兵器とかじゃなかったの? こんな第二次性徴真っ盛りの小娘、箱に詰めてなにが楽しいのよ! なにが死神研究所よ、どこが宇宙最強の頭脳集団なのよ! ただのロリコンの集まりじゃない! あーあ、命懸けて損したッ!」


 絶叫して果てる。

 ボスンっとソファーに背中から倒れた。


 その剣幕に、呆気に取られたタクヤだったが、すぐさまトランクへと視線を戻して、じっくりと少女を観察――。

 自然と鼻のしたが伸びていた。

 ただでさえまだアルコールが抜けていないうえに、彼は女性と見ればこうなるのだ。もはやまわりの大人たちは呆れるのを通り越して、生暖かい目で彼を見守っている。

 

 トランクのなかの少女は確かに美しかった。

 

 きめ細かい十代の肌は乳白色に少しの桜が差す感じ。やや膨らみ掛けた胸から連なるぺったんこのお腹も透けるように白く。手も足もまるで針金のように細い。ひざを抱え突き出された尻は痩せ、少し尖っていた。


 初めて目の当たりにする年頃の少女の裸体。

 タクヤは彼女から目が離せない。

 造化の神のいらずらのような、どこか倒錯した彼女の姿に一瞬で心を奪われてしまった。


「――ん……」


「わあッ」


 少女の口から吐息が漏れる。

 意識が覚醒したのだ。


 タクヤは良からぬ妄想をしてしまった罪悪感から必要以上に飛跳ねる。

 だが下手には立ち上がれない。

 なぜなら、色んな意味でテンパっていたからだ。


 入れ替わるようにしてレイノンがトランクへと近づいた。

 気づけば傍らにいたはずのエイプリルの姿はなく、ヴェロニカはまだがっくりとソファーのうえでうなだれていた。


 やがて少女はゆっくりと起き上がる。

 トランクを貝殻に見立てるなら、ボッティチェッリのビーナス誕生を連想させる神々しさだ。無垢なるものの微笑み。そして娼婦のけだるさ。


 まだ開けきらない黒目がちな瞳を伏せてまどろむ。その右目のやや下、頬骨の辺りには。さっきまで髪が掛かり見えなかったが、数字の『7』に似た痣があった。

 タトゥー、いやマーキングと言った方がよいだろうか。


 伏せられていた瞳がトロンとしたまま正面を見る。その先にあるのはレイノンの顔だった。


 タクヤからではうかがい知ることはできないが、恐らくレイノンもまた同じようにトロンとした瞳で彼女を見つめ返していることだろう。


「名前は?」


 レイノンが訊いた。

 すると少女は即座に、


「あうら……七番目のアウラ……」


 とだけ答えた。

 彼女の声は無関心モードのエイプリル以上に抑揚がなく、とても儚い。

 アウラを名乗った少女の声色は、タクヤのなかで得体の知れない感情を引き出してしまった。

 顔は上気し、息も荒い。

 それは身体に残るアルコールだけが原因ではないだろう。

 口内には荒々しい鉄錆びにも似た味が広がった。


「ご主人様。彼女にこれを」


 そう言ってエイプリルがレイノンに差し出した物は、ふんわりと柔軟材を利かした真っ白いバスタオルだった。先ほどから姿が見えなかったのは、これを取りに行ったためか。


「早くしないとタクヤさまが貧血で倒れておしまいになられますので」


「え……」


 エイプリルに言われて、そっと上唇をなぞる。

 指先には赤茶色の液体が付いてきた。すでにその時、タクヤの顔半分は、低重力下の表面張力によって広がった血液で染まっていたのだ。

 実際の出血量は大したことないが、見た目があまりにも残念過ぎた。


「なにアンタ。この子の裸見て興奮したわけ? キモチワルッ」


「ちょ、ちがッ!」


「アッハッハ。漫画みた~い」


 ヴェロニカの嘲笑がリビングを支配していた緊張感を解きほぐした。慌てて鼻を押さえるタクヤの動作が、またヴェロニカのツボに入ったらしい。

 ゲラゲラとソファーのうえを笑い転げるヴェロニカ。

 鼻血まみれになりながらも、タクヤは猛然と彼女に抗議している。


 そんな喧騒を背に受けて、レイノンはエイプリルから受け取ったタオルをアウラと名乗る少女の身体に巻いてやる。

 不意に触れた肩がピクンと震えた。


「恐いか?」


 レイノンが優しい口調でそうたずねる。

 アウラはフルフルと首を横に振った。


「あったかい」


「そっか」


 ニカッと笑うレイノン。ヤニで汚れた黄色い歯を見せる。

 アウラもまた微笑んだ。

 口の端が少し上がったかというほどの微妙な変化ではあったがレイノンには充分伝わった。


「おじさんは……?」


「レイノン。レイノン・ハーツ」


「……レイノン……?」


 レイノンは無言で首肯した。

 いつもはすれた三白眼も、いまは妙に優しげだ。


「あ、しゃべってる? ホラ、タッ君しゃべってるって! のんびりしてたら、彼女レイノンに取られちゃうよー。手ェ早そうだもんね、あの男」


「だからそんなんじゃないってば!」


 陽だまりのように暖かい部屋。

 テーブルの上には空になったトランクひとつ――。



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