ミッドナイト・フール

宇宙をまたにかけたドタバタ劇
真野てん
真野てん

第25話 レイノンのため

公開日時: 2020年11月22日(日) 00:05
文字数:3,188

【前回のあらすじ】

 ヴェロニカはアウラを連れて『連合』へと走るつもりだった。それをタクヤに咎めらたが、彼もまたアウラの正体を知り激しく動揺するのだった。



 火星が持つふたつの衛星が内のひとつ――フォボス。そのラグランジュポイントに建造されたスタジアム型スペースコロニーβ4は、人口二千万人の暮らす宇宙のゆりかごである。


 そのうちの九割はアジア諸国からの移民であり、戦後、財を失い落ち延びた中流家庭の受け皿でもあった。


 残りの一割は途上国から労働力として連れてこられた者や、『連合』側の駐留員などで構成されている。


 アジア連邦所属のスペースコロニーには必ずひとつは『連合』側の大使館があり、外交の窓口となっていた。


 地球~火星間の平均距離およそ七千八百万キロ。それは民族の共存を隔てる壁の厚みなのか。


 β4の高い天井に夜が忍び寄る。

 偏光シャッターを下ろされた超硬度クリスタルの空には星は瞬かない。

 なぜなら実際には太陽をその身に受け続けているからだ。陽が昇っている限り、他の星はただ息を潜めるだけ。それは地上と同じ摂理である。


 夜陰に紛れて愚か者たちが踊りだす。


 ディスポの指定した場所にその建造物はあった。かつてのゴシック調を思わせる直線的で、優美な彫刻が施された外観は見る者を圧倒する。

 左右対称にデザインされたイングリッシュガーデンが建物をより引き立てている。品種改良により一年中咲き乱れる赤いバラが、来訪者を気品あふれる香りで包んだ。


 ヴェロニカはその門前にいた。

 そこから一歩足を踏み入れればもう、β4の法律では裁けない治外法権である。高い外壁に囲われた門内からは、強い光が差し込みヴェロニカの網膜を焼いた。すがめた視界には、ぼんやりとした人影が浮かぶ。


「お待ちしておりました、ヴェロニカさん。ようこそ女王陛下の庭へ」


 装甲車のヘッドライトを背にしたディスポが大仰に頭を垂れる。まるで舞台役者のカーテンコールか夜会の紳士だ。


 逆光に包まれてその表情は、うかがい知れない。

 だがきっとまた、あのいやらしい蛇のような笑みを浮かべているのだろうとヴェロニカは感じた。


 ふと肩から羽織った毛皮のコートが引っ張られる。

 わずかに首をひねり振り向くと、そこには毛足の長いコートの背に顔を埋め全身を震わせるアウラがいた。


 自分をトランクに詰め込み、星屑の海に捨てようとした男を前にして恐怖しているのだ。身体の硬直が密着している部分から伝わってくる。しっかと握られた小さな拳には、地球儀のペンもあった。


「さあ、こちらへ来なさい。お前は元々こちらに来るはずだったのですよ。いま立っているその場所こそがお前には不釣合いだ。さあ、身の程をわきまえなさい」


 ディスポが革靴を鳴らし、ふたりとの距離を縮める。両手を広げ辛らつな言葉を口にして。


 門を越えたディスポの顔が街路灯に照らされはっきりと浮かび上がる。

 やはりあの口の端をグニャリと歪めた蛇蝎の表情だった。野ネズミを丸飲みせんとするあの狡猾な笑み。


「待って」


 ヴェロニカは強い口調でそう言った。


「少しこの子と話をさせて」


 碧眼が蛇蝎をにらむ。ディスポは肩をすくめて「いいでしょう」と口にした。そして時計を眺め、


「三分です」


 と冷たく言い放った。

 ヴェロニカはアウラの前にしゃがみ込み、少し見上げるような視線で彼女を見た。その顔は相変わらずの無表情。しかし全身を恐怖に引きつらせ唇も真っ青だ。頬に刻まれた数字の『7』が街路灯に反射してキラキラ光る。


「アウラよく訊きなさい。アンタ、レイノンのこと好きよね?」


 アウラは無言で首肯する。

 動いたか動かないかという小さな挙動だ。


「だったらアンタは『連合』に行くの。それがレイノンのためになるの」


「レイノンの?」


「そうよ。レイノンはね、アンタと一緒にいると無理をするわ。それこそ国家権力に喧嘩を売るような馬鹿な真似をね。アンタがもしレイノンのこと好きなら、そんなことさせちゃいけない。迷惑を掛けちゃいけないわ」


 アウラはなにも言わない。ヴェロニカの言葉をどの程度理解しているのかも定かではない。

 しかしヴェロニカの両手が抱く、小さな肩の震えは次第に小さくなる。やがて瞳には確固たる意志の炎が宿り始めたかに思えた。

 アウラは歩きだす。その頼りなげな背中をヴェロニカに向けて。

 ディスポが待つ、逆光に包まれた門の前へと。


「さすがは女同士、話が早い。それとも我々が少々無粋すぎましたかな? いやはや何から何までお手数をお掛けました。それではこれを……」


 ディスポが取り出したのは一枚のカード。透明な樹脂で出来ており内部が透けて見える。その中身は紙のように薄く作られた電子部品で輝いていた。


「今回の報酬です。この場で確認していただいても構いませんよ」


 ディスポからカードを受け取ったヴェロニカは、それをコートの内ポケットから取り出した携帯端末のカードリーダーへと通す。するとディスプレイには驚愕の数字が並んだ。


 その金額はβ4の高級住宅街に庭付きの一軒家を買えるくらいのものだった。庶民が一生働いても手にすることのない金額である。


「これでビジネスは終了です。確かに受領いたしましたよ」


 ディスポは踵を返すと、アウラの背に手を添えた。

 次第に遠ざかる彼女の後ろ姿は、まるでこれから死刑台に上がる罪人のようだった。


「ねえ……」


 ヴェロニカはたまらず彼らを呼び止める。

 胸の奥に引っ掛かった、最後の後悔に背を押させるように。


「はい?」


「その子……これからどうなるの……」


 ディスポはその問いに対し律儀に立ち止まり顔を向ける。だが、その表情はやはり逆光に包まれて定かではない。ヴェロニカの胸中に言いようのない不安が駆け巡った。


「本来であれば本国へ持ち帰ってからの解剖、その他実験に入るのですが、今回はそれを待ちきれないという学者先生たちが同行していましてね」


 ディスポはクククク……といやらしい声で笑う。


「今日これからにでも、こちらの施設でやれることはやってしまおうという話ですよ? いやはや、お気の早いことだ」


「ちょ、ちょっと冗談でしょ? こんな病院でも研究所でもない場所でだなんて! 少しはその子のこと考えて――」


「おやおや~。あなたの口からそんな言葉は聞きたくなかったですなぁ。所詮あなたにとってもこの娘は、ただの金ヅルでしかなかったはずだ」


「そ、それはッ」


「それにねぇヴェロニカさん……明日の一億を救うためなら、今日のひとりを切り刻むくらい、なんてことないじゃないですか? 安っぽいヒューマニズムに引きずられて大局を見誤るなんてのは愚かさの極みです。あ。でも私は人間じゃありませんけど? ンーフーフーフーフーッ!」


 ディスポがそう語ったのは、はからずもレイノンがタクヤに諭した言葉とは真逆の理念だった。


 小事を捨て大儀を為すのか。それとも目の前の迷える子羊を見捨てるべきではないのか。いまのヴェロニカにはどちらが本当に正しいことなのか見えなくなっていた。

 全てはあの男と出会ってから。

 下品で大柄で尊大で、でかい図体して情けないあの――。


「それではご機嫌よう」


 ディスポはアウラの背を押して門の中へと消えてゆく。β4の中にあって何人も干渉できない異界へと。


 両開きの門が閉められる。内側から門外を照らしていた装甲車のヘッドライトが徐々に絞られていった。


「ま、待って――」


 ヴェロニカは必死に手を伸ばしたが、すでに遅かった。

 目の前を照らしていた逆光は完全に消え、異国の庭へと繋がっていた門は閉じられた。

 静けさを取り戻した門前を照らすのは、わずかな光量の門灯だけ。


 消えかかる光差す庭のなかで、ヴェロニカはアウラがディスポと言い争う声を聞いた。一瞬のことでよくは分からなかったが「なにを持っている」だとか「捨てろ」とかだったように思う。


 アウラは必死に抵抗していた。

 いつになく「イヤ!」と激しく主張して。


 ひとり門外に残されたヴェロニカは、両手に残るアウラの温もりに思いをはせていた。

 ジッと見つめた、おのが手の平。

 絶望と後悔に狭まったヴェロニカの視界に、青い地球が通り過ぎた。



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