【前回のあらすじ】
後悔と自責の念にさいなまれるヴェロニカは酒の力を借りてすべてを忘れようとしていた。だが胸中にあふれるのは、楽しかったここ数日の思い出だけだった。
レイノンはリビングに入った瞬間、その様子がここ数日とは変わっていることに気付いた。
室内では、いつものようにエイプリルが相変わらずの無表情で淡々と作業をこなしているのだが、外出前までは感じていた森の奥のような清々しさがどうにも足りない。
「アウラがいねーようだが?」
「分かりますか」
「アイツのおかげでここ最近は空気の鮮度が違うからな。さすがはって感じだが、それはそれで切ないぜ」
人型エアクリーナーとはあまりにも悲しい呼び名だが、ヘビースモーカーのレイノンとしては、実感としてアウラの「真の力」を享受している。
「そうか、いないか。アウラに土産があったんだがなー。しっかし母親ってのは、どうしてこう、手焼きのクッキーを土産に持たせたがるかね?」
そう苦笑しながらもレイノンは、手にした紙包みをエイプリルに渡した。
「お酒をお召し上がりですか?」
「おう。遺品返しに行った先で偶然、昔の同僚に会っちまってな! 部隊は違ったんだが、そいつの兄貴とは月面で一緒で。まあ、形見を酒の肴に旧交をな。そしたら、ついついこんな時間になっちまった」
ほんのり赤い顔をクシャクシャにしてレイノンが笑う。なにやら少し吹っ切れた感じだった。
「で、アウラとあのじゃじゃ馬は?」
「せ~んちょ~……」
「ぬわああああッ! お、お前いたのかッ。先に言えよ先に!」
レイノンが気付かなかったのも無理はない。
タクヤはソファーの片隅でずっと膝を抱えていたのだ。エイプリルの掃除の邪魔にならないように、それこそ全力で縮こまっている。
頬はストレスでこけ、目元は落ち込み。
額には暗い影を示す縦線まで入っていた。それを擬音で表現するとしたら間違いなく「どよーん」である。
「おいおい大丈夫か、お前? なんか死神が取り憑いてんぞ?」
「船長~! 僕~、僕ぅ~……」
レイノンを顔を見た瞬間。
いままで持ち堪えてきたなにかが一気に溢れ出した。堰を切ったように止め処なく流れる後悔の涙は、しかし自分の犯してしまった過ちの炎を消し去ることなどはなくて。
情けなく矮小なおのれを自覚するたびに、ただレイノンの逞しい腕に縋るより仕方がなくて。
「どうした? 一体なにがあった? 泣いてちゃ分からんだろう、おい、エイプリル?」
「およそ六時間前。ヴェロニカさまがアウラちゃんを連れてフール号を出ました。その後の行方は分かっておりません。ヴェロニカさまの携帯端末の反応をモニターするのを怠っておりました。これは私の重大なるミスです。申し訳ございません」
「なに? ヴェロニカが? あの馬鹿まさか、マジでアウラで『連合』と取り引きするつもりだったのか」
するとタクヤが涙声をしゃくりあげながら。
「ぼ、僕がいけなかったんだッ! あ、あの時止められたのにッ! まだ間に合ったのに! でも、このままフール号にいたらアウラちゃんが死んじゃうってヴェロニカさんが……。船長! 嘘でしょ? アウラちゃんがアンドロイドだなんて、なにかの間違いですよね? そうだと言ってください!」
「タクヤ……」
泣き崩れるタクヤにレイノンはかける言葉を失う。
一体誰が彼を責めることが出来たであろう。クローン体をベースとする有機アンドロイドが短命なのは事実である。
それは人型エアクリーナーとして生を受けたアウラとて同じこと。レイノンには分かりすぎるくらい分かっていた。またタクヤの行動がそのとき、彼に選択できる唯一の道であったことも。
苦しい決断だっただろう。それはアウラの命を救うことと同時に、その笑顔を永遠に失うことだからである。タクヤもまた戦っていた。
自分の我がままを貫き通すことの難しさと。
とはいえ完全に後手に回ってしまった彼らには、もはや手の打ちようがない。ただやみくもにときが過ぎるのを待つしかなかった。
レイノンはソファーへと身を投げ出して物思いにふける。
見る見るうちに灰皿にはタバコの吸殻が溜まってゆき、いままた根元まで吸った一本をくすぶり始めた灰皿へと突き立てた。
それから最後の一本を口に咥えて、空になったソフトパックをクシャと握り締める。
そんなとき――。
「外部からの通信です。繋ぎますか?」
エイプリルが物静かな表情でそう言った。コール音もなしに知らされたソレはあまりにも唐突で、タクヤには一瞬何事か理解不能であった。
レイノンはわずかに首肯。特にうろたえた様子もない。もしかするとこうなることを予見していたのではないかと思うくらいの冷静さである。
しばらくしてリビング内のスピーカーから、不貞腐れた声が聞こえた。
『あーもしもし。アタシだけど』
「ヴェロニカさん! アンタいまどこにッ!」
叫ぶタクヤ。
だが、それをレイノンが手で制して。
『一回しか言わないからね。……大使館よ』
それだけ言って通話は途絶えた。
あとにはツーという残響音がフール号のリビングに鳴り響くだけ。
「エイプリル?」
レイノンが相棒のツンデレアンドロイドに視線を投げる。
すると即座に、彼の欲しい回答が返ってきた。
「歓楽街の有料通信機からです。場所は特定できましたが追いますか?」
「……いや。止めておこう。いまはこの情報だけで充分だ。地図を出せ。その大使館ってのはどこにある?」
テーブルの真上、およそ一メートル宙空に大型モニターサイズのホログラム・ディスプレイが出現する。
そこに表示されているのはβ4内の詳細な地図である。
真ん中に描画された建造物には、すぐさま赤いマーキングが施された。
「こちらです。β4のほぼ中央。周囲にはそれほど高い建物もなく、民家もまばらです。警官隊の詰め所もありますが、敷地内は治外法権ですから。もしなにかあったとしても情報伝達に致命的なタイムロスが生じることは免れないでしょう」
「つまり、つけ入る隙はあると?」
「その通りです。本船が現在停泊中のこの場所から大使館までの距離がおよそ五十キロ。その間に警官隊の目を誤魔化すことができれば、アウラちゃん奪還時に多少暴れても袋叩きになることはないと思われます」
冷静過ぎるエイプリルの発言に、タクヤは背筋が凍りつくような思いをした。誘拐犯から救出されて以来の恐怖が、彼のなかで頭をもたげる。
「で、でもその後はどうするんですかッ。β4にいる限りは逃げても意味ありませんよ? それにβ4から脱出するにしたって必ずエアロックで止められる。これじゃあ袋のネズミじゃないですかッ」
「ちゅーちゅー」
「ふざけないでください、エイプリルさん!」
エイプリルがホログラムで顔に付け耳とヒゲを作る。一方のタクヤは、とても冗談に付き合っていられる心理状態ではなかった。
「ま、それに関しちゃ俺に考えがあるから心配するな。よし、とりあえずの方向性は決まったな。エイプリル、すぐに出発するぞ。フール号発進準備」
「ちょ、待ってくださいよ船長! 船出すって一体どこにッ?」
うろたえるタクヤを他所に、レイノンは拳銃の残弾を確認し始める。
エイプリルの姿もすでにリビングにはなく、状況に置いてきぼりにされたタクヤひとりが浮いた状態になってしまった。
「決まってるじゃねえか……」
レイノンはいつもの三白眼で言う。
「アウラを迎えにだよ」
拳銃に弾倉を装填し直して不敵な笑みを浮かべる。
かくしてレイノンたちのアウラ奪還作戦は開始された。そしてその夜、停泊所からは一隻の宇宙船が忽然と消える。だがそれに気付いた者は誰ひとりとしていなかった。
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