「人間には?」ベレニケが一番に質問した。
「はい」ノノパンが答えた。
「えっと、よく分からないのですが」ベレニケは少女のように両手を胸に当てて言った。「人間以外のモノが‥‥」
「‥‥分かっているのは人間の、我々のモノでは不可能だという事です」ノノパンは喘ぐように言った。
「我々の‥‥」ベレニケは思わず口にしてしまっていた。そして自分の目線がノノパンの股間へとひとりでにいくのを止められなかった。
同じように、こういう事には耳ざとい年頃のヒメネスも、メイドの体に抱きつきながらもノノパンの一言をしっかりとらえていた。それでも殿方の股間を見るという興味よりは恥じらいの方が勝っていた。しかし次に同じ女のベレニケが同じ言葉を繰り返したのを耳にした瞬間に、何やら妙な対抗心みたいなものが起きて羞恥心を打ち消した。しかして十六の好奇心は成人男性の股間に吸い寄せられていた。
「あぁー?そんなの最初から分かってた事だろ」フアレスがソファの背に両手を掛けながら言った。そして「興味あるんだ」と少し離れてしまったヒメネスに言った。
「!」ヒメネスは慌ててメイドの体に顔を埋めた。
「ちっ」
「サラマンカさん、最初から分かっていたっていうのは‥‥」ミミ・プニプルスキが丸い体を丸めておずおず聞いた。
「‥‥まさかの私が犯人だとかいう訳?」
「ま、まさか」プニプルスキがフアレスやフアレスの答えにギョッとなった一同に向かって二の腕の肉をぷるぷるさせながら両手を振った。「ただ単にどうして分かるんだろうなって思って‥‥」最後にまだ横に立ったままでいたレイン・ガリレオクに「ほんと違うから」と言った。
「うん」
「ほっ。良かった」ミミ・プニプルスキは胸に両手を当てて丸い背中を丸めた。丸い頭を兄が撫でていた。
(何が〝ほっ、良かった〟だよ)フアレスはミミ・プニプルスキを横目で睨みながら思った。(白々しい女。サラマンカの名をさらっと口に出来てた奴が)
「でも、なんで分かったのか‥‥」
「まだ言うかよー」フアレスはミミ・プニプルスキの方へ足を広げて体を向けて、その足の上に肘を乗せて体を倒して彼女を下から睨め付けた。「アンタも兄いさんとやらとヤッてんだろー?じゃ分かるだろ?」
「やってません」
「‥‥‥へぇー」フアレスは後ろにいるネッキイの体が強張ったのを感じた。
「まー、その話は後にして 」ノノパンが言った。
「あぁん?」フアレスは体の向きを戻して足を組んでノノパンに手のひらを向けて言った。「あー、アンタらのを見せてやれば良いんじゃね?実物見せれば仕組みも分かるってもんだろ」
「な、何を言ってるんだ君は?」
「はは。まーアンタはまともそうだからこんな状況じゃ無理だよね」
「当然です」
「そっちのおぢさんは準備オーケーだったりして」くくく、とフアレスは笑った。
「この‥‥‥」ガシマルの全身が細かく震えていた。
「ごめん。アンタのじゃ参考にならないか」フアレスは顔を傾げ、指を上にして手を振った。
「異常者が 」食いしばった歯の隙間から息を漏らすようにしてガシマルは言った。
「あんたにだけは言われたくはない」フアレスがやおら立ち上がりガシマルを睨んだ。「あんたにだけは」
ノノパンは今ではもう全く情況を把握出来なくなっていた。十代の少女が皇室警備士長を完全に威圧していた。
(サラマンカ一族とはそれほどの者なのであろうか)
一人の少女と立場のある壮年男性の間に緊迫した空気が漂っていた。しかしそれは対等な者同士のものではなく、喰うものと喰われる者の間にあるものに似ていた。実際見るからにフアレスには余裕が感じられ、ガシマルは何やら追い詰められていた。それは年頃の少女の扱いに手こずっているという風とはもちろん全く違っていた。確かな根拠に基づいた、怯えのようなものがガシマルにはあった。
(どうする。まさかガシマル殿がこんな事になるとは。いったい何が起きているんだ?いや事はもう起きているのだ。男系とは言え、皇族の一人が、皇女が殺されたのだ!たかだか娘一人にかまってなどいられないはずだろ!しっかりしろ!)ノノパンが口を開こうとした瞬間、ぶつけた脛に激痛が振り帰ってきた。
「ぐぁっ」
ストレスに晒された肉体は弱っている所に負荷が集中してしまうものであった。白蟻に喰われた柱が軋むように。
「ん?」
しかし、ノノパンの不発に終わった行動は、フアレスの気を逸らすのには充分だった。
「男生器は勃起すると曲げたり出来ないと言う事ですね」と唐突にレイン・ガリレオクが言った。
「なんだかその手の授業を受けてるみたいだね」ふふと笑ってフアレスがソファに座った。「そのストレートな言い方とか」ヒメネスとベレニケが「ぼぼぼぼぼぼ」とか言っていたが無視しておいた。
「合ってたんでしょうか?」レインが言った。
「あ?ああ、まーそういうことだよね」フアレスは指先を丸めた両手を体の前に出した。そしてそれを上下に動かした。まるで杭のような棒をそっと掴んでいるみたいに。「こーんなカッチカチになっちゃったらさ、もう曲げたりなんて出来ないんだよ」そう言ったのとは反対に、フアレスは指を少し閉じると手首を返した。まるで何かが折れる〝ポキッ〟という音が聞こえてくるようだった。実際、男たちは顔を顰めていた。ベレニケとヒメネスはもちろんガン見していた。
「そうなんですね」ノノパン達の表情を見たレインは理解した。
「レイン・ガリレオク。顔が赤いよ」フアレスは可笑しそうに言った。
「こんな話はあまりする機会が無かったもので‥‥」
「まー普通だよ」
フアレスは今は別の事が気になっていた。レインの反応はまさに普通のものなのだ。あっちの二人も見なくても分かる。しかし、ミミ・プニプルスキの表情は真逆だった。本人は隠しているつもりだろうが、常に現場のサラマンカの者から見ればバレバレだった。瞳孔が開き、呼吸が暴れないように不自然に止めている。動揺が表に出ないように。
(こんな話題のどこにそんな衝撃を受けたんだ。お前が自分から振っておいて)
隣の部屋で事件を調べている者たちの音が聞こえる。
「あの、フアレス‥さん」
「ん?」予期してなかった声にフアレスはほんのわずか驚き、地が出た。「あ、なに?ヒメネス」
(‥‥さん、か)
ヒメネスはメイドから離れてきちんと座り直していた。
「フアレス‥さんは、その、経験とかはもう‥してたりとか‥その‥‥」最後はごにょごにょとなってしまった。
「あー、うん」あらためて言うと照れるなとフアレスは思った。久しぶりな感情だった。
「へ、へー。そうなんだ‥‥」
「最初は」こんな事まで言う必要も無いだろという思いとは反対にフアレスは止まらなくなっていた。
「うん」ヒメネスが食い気味に言う。
「十二歳の時でさ」
「え?」
「もちろん同意なんて無かったよ。だって十二だよ。何されてるのか分かんないうちに、みたいなさ。もー最悪、みたいな?」
一同が絶句する。性の興味どころでは無くなる。後ろにぴったりいるメイドもうなだれていた。
「フアレスさん、それは本当なのですか?」ノノパンは驚きを隠せずにいた。
「んー、まーね」
「そんな」ヒメネスが手で頬を覆っていた。
「まーこんなのどうでも良いから、さっさと聞き取り始めなよ」
「いや、しかし」
「ノノパン、その通りだぞ。エラグラス様の事件のために我々は来ているのだ」ガシマルが息を吹き返したように言った。
「はい 」
「だいたい今の話が、どこまでほんとか分かったもんじゃ無い」
「なん 」
「なんてこと言うのよっ!!」ヒメネスが立ち上がっていた。「どうしてあれが嘘だと思えるの!そんなんでよく事件を調べるとか言ったものよ!」
「何をッ!!」
「いけません、ガシマル殿!」一歩二歩と踏み出したガシマルをノノパンが止めに入る。
「だいたいおじさん!貴方さっきからフアレスの足ばっかり見て 」
すぅっとガシマルが息を呑んだ。
「良いんだヒメネス。もう良いんだよ」フアレスが立ち上がりヒメネスの肩に両手を添えた。「私は大丈夫だよ。サラマンカの者は強いんだ」
「フアレス‥‥」
「私のために名前を呼んでくれて。それだけで十分だよ。ありがとうヒメネス」フアレスはヒメネスを抱きしめた。
「うん‥‥」
「それよりも、 」
「え?」
フアレスに説得されてヒメネスは座った。二人一緒に。
「捜査を始めなくてはいけません。犯人の逃亡を助ける事になります」やはり唐突にレイン・ガリレオクが言った。妙に仕切る事を許される感じがした。
「その通りだ」軽く咳払いしてガシマルが言った。「小娘どもの色ぼけ話に付き合っとる暇は無いのだ」
立ち上がろうとしたヒメネスを、フアレスは彼女の太ももに手を添えて押さえた。
「そうですね」立つのを諦めたノノパンが眼鏡の位置を直しながら言った。「その前に第八皇女様の話を簡単にしておきましょう」
ちょうどエラグラスの遺体が別の部屋へと移されようとしていた。
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