『闇人妻の杜・外伝 実録! 伊集院アケミ』

―並行世界の相場師たち―
伊集院アケミ
伊集院アケミ

第一章「嵌められた金を取り返せ!」編

第一話「放送作家の建田さん」

公開日時: 2020年10月7日(水) 21:36
更新日時: 2024年2月14日(水) 19:53
文字数:3,445

「まあ、面白いは面白いんだがね……」


 建田たけださんは僕に言い、吸っていた煙草を灰皿に押し付けながら、こう続けた。


「仮名でも良いから、登場人物に名前と設定が付く方が感情移入しやすいと思う。例えば、君が実際に口座を貸していたこの男を……」

「えっ! コイツ、今回限りの捨てキャラですけど、わざわざ名前をつけるんですか?」

「モチーフになった人物がいるんだろう? このキャラを、この先のストーリーに絡めない手はないよ」

「はぁ……」

「試しに、僕が手を入れてみよう。何でもいいから、君の方で名前を決めてくれないか?」

「じゃあ、土佐波とさなみにします」


 土佐波というのは、僕が主催している相場部屋マスドンメンバーの一人だ。コロナ騒動で、他県ナンバーの車が自粛警察に襲われた話を聞くと、「オレも焼き討ちされたい!」とか言って、わざわざ現地に出かけていくような男である。堅気は堅気だが、頭のネジの外れっぷりがモデルにした人物にちょっと似ていた。


「土佐波ね……」と彼は言うと、机上に置いていた洋モクのアルミ缶から一本取り出して口に咥え、手慣れた手つきでタバコに火をつけた。そして、二十秒ほど煙をくゆらせ、虚ろな表情のまま灰皿に灰を落とすと、こんな風に僕に切り出した。


 その男の名前は今はまだ書けないが、仮に土佐波としておこう。土佐波は、僕の師匠にあたる相場師の元で、共に修行をしていた男だ。全盛期には十億円以上の資金を運用していたが、自ら仕掛けた相場で大失敗し、この頃は完全に行き詰まっていた。それで、昔の仲間である僕の元に金を無心に来たのである。


「……と、こんな感じでどうだい?」


「どうだい?」と言われても返事に困った。元々が、この場限りの捨てキャラである。そもそも、僕に散々迷惑をかけたアイツの事なんか、今さら思い出したくもなかった。


「いや、僕の師匠である剣乃けんのさんは猜疑心さいぎしんの塊みたいな人で、僕以外には誰も信用しませんでした。そんなキャラを出したって、全然イメージがわきませんよ」

「そんなのは僕の知った事じゃないよ。こうした方が面白くなる。そういう話を僕はしているんだ」

「はぁ……」

「ライバルを出すのはエンタメの基本でしょう? 読み手は楽しみたくて来てるんだから、君の一人語りを聞いてたってしょうがない。このエピソードはそこそこ面白いけれど、素材をそのまま出してくる奴は作家とは言えないよ。ただの痛い奴だ」


 それは全くその通りだし、アケミの過去を膨らませれば、結構面白い話になる気もする。だけど、僕がこの作品でやりたいのは、戦後政治史を軸に据えたタイムリープ物だった。


 まだ政党助成金が存在しなかったあの時代、仕手に金を回すのは、政治家かヤクザだと相場は決まっていた。あの時代の空気を描きながら、エンタメとしての戦後政治史を描きたい。それはきっと、僕にしか書けない小説のはずだ。しかし、そんな僕の気持ちを話したところで彼は理解しようとはしないだろう。


「どこか他に直すべきところはありますか?」

「土佐波の見た目を、少しで良いから描写するといい。この金融庁の取調べ官もそうだ。具体的な描写を入れるだけで、このシーンの緊張感はグッと増すだろう」

「やってみます」


 あの取調官の事はもっと思い出したくないなあと思いながら、僕はそう答えた。あいつは、ラスプーチンにとてもよく似た、滅茶苦茶しつこい男だった。


「君が憂鬱になる気持ちもわかるよ。情景描写は基本的につまらない作業だからね。だが君の頭の中では、いま描いているシーンがしっかりとイメージされているはずだ。それを文章で丹念に書き表わす。それが、『書く』って事なんだよ」

「そういうものですかね……」

「そういうものさ。今の読者は想像力が低下してるから、いちいち丁寧に説明してやらないと、頭の中に映像が浮かばない。ストーリーだって、一晩寝てしまえば、前回の事すらまともに覚えちゃいないんだ」


 ようやく同意できる言葉が彼から出た気がした。


「今この一瞬、楽しい気分になれればそれでいいんだ。だから皆、今どき小説なんて書きたがらないんだよ」


 建田さんは吐き捨てるようにそう言った。今の彼は、TVドラマや映画の脚本で引く手あまたの売れっ子だが、元々は純文学で身を立てることを志す文学少年だった。彼には、純文の才能もちゃんとあって、誰もが知ってるあの文学賞にも二度もノミネートされていた。


 だが両方とも次点だった。作品は出版されたが、受賞とノミネートじゃ刷られる数が二ケタ違う。食うためにやっていた放送作家の仕事が局の上の人間の目に止まって、今じゃそっちの方が建田さんの本業になった。限られた時間内で、大して頭も使わない人たちを楽しませる。そういう仕事だ。金には困らなくなったが、純文はもう二十年も書いてない。そんな自分の現状に、内心忸怩じくじたるものがあるのだろう。


「小説っていうのは、手間ばかりかかるうえに大した金にならない。元々、割に合わないものなんだ。それでも目指す奴が、本物の作家だと思うがね? 僕も君も、所詮は偽物まがいものだよ」


 彼と僕とは、元々何の接点もなかった。ツイッター上で書いていた師匠の昔話を、彼が偶然見つけてたのが付き合いの始まりだ。あり得ない話過ぎて、僕は最初は騙りだと思った。けれども少しやり取りを続けてみて、どうして彼がそんなことをしたのか合点がいった


 僕らは似たような師匠を持ち、師と同じ道を行こうとしたが果たせず、若くしてその師に旅立たれた。そして結局、本来の道ではない世界で成功した。そういう苦い過去だけが、僕たちをつないでいる。


「君の文章で一番面白いのは、書き手である君自身のキャラクターが反映されている部分だ。無理して、政治ものなんかやらない方が良い。第一そんなモノ、僕は全く読みたくない」

「はぁ……」

「どうせ書くなら、師匠や昔の仲間の事をもっと押し出して書けよ。それは君にしか書けない、君だけのオリジナルなんだから。だったら僕も、もっと有効なアドバイスが出来る」


 彼はきっと、僕を自分のような人間にしたくなくて、何の実績もない僕の作品をわざわざ添削してくれているのだろう。だが正直、憂鬱な気持ちだった。


 僕の中には物書きとしての僕と、プロデューサーとしての僕がいて、後者の僕は「彼の言ってることはもっともだ」と叫んでいる。だけど、物書きとしての僕は、つまり師匠に先立たれ二十五歳で一度筆を折った僕は、「これ以上、余計な事を書いてどうするんだよ?」と抵抗しているのだ。

 

 筆を折った後、僕はずっとプロデューサーとして生きてきた。そして、その分野ではそこそこ成功した。物書きとしての僕はそのプロデューサーの指示に従い、『煽り』を書くだけの存在に過ぎない。だが書き手としての僕が、煽り屋に身をやつしてからも、ずっと守ってきた教えが一つある。


 なくても済むものは徹底的に省け。

 付け足しなんて、愚か者のやることだ。


 それこそが、師匠が僕に教えてくれた、数少ないまともな教えだった。


 大事なのは面白いか面白くないかだ。面白けりゃ、読み手は勝手に補完してくれる。だが面白くなければ、どんなに丁寧に説明しようとも、読み手は作品を理解しようとはしない。


 そういうカッコいいことを言いながら、僕の目の前で愛人の股間をまさぐり、借金を踏み倒し、家族に散々迷惑をかけてくたばったのが僕の師匠だった。そして今も、夭折ようせつした天才作家として語り継がれている。建田さんの師匠も、きっと似たようなものだろう。


「今日のアドバイスを元に書きなおしてきます。なるべく早めに再提出しますので……」

「期待してるよ」


 大して期待もしてなさそうな顔で彼はいい、僕は後ろで待つ業界人らしき人間と席を変わった。広尾の某所にあるこの店は、政治家や外交官といった上流階級の人間だけが使える会員制のクラブで、本来なら僕みたいな人間が足を踏み入れることなど、決して許されない場所なのだ。


 マスコミの上層部に顔の利く彼ですら、入会が認められたのはつい最近だと聞いた。おそらくは彼の才能が、一般大衆を扇動するのに役だつと判断されたのだろう。人を笑わせることの出来る人間は、相手を恐怖に慄かせることも、絶望の淵に追い込むことも簡単に出来る。


 表向きには民主主義国家だが、この国の未来は、決して国民が決めているのではない。ごく少数の限られた人間の意思によって、昔から密室で決められているのだ。まずその事実を受け入れないと、戦後日本の政治史と、この国の相場の歴史を理解する事は、決してできないだろう。


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