*この作品は健全なフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません
僕らはひーちゃんに先導され、マ○クの裏口に通された。緩やかな傾斜で地下へと続く長い廊下を歩きながら、一言二言、伊藤さんと会話を交わす。
「こういう世界って、本当にあるんですねえ……。漫画の中の話だと思ってました」
「そりゃあるさ。この世で一番怖いのは、相場を本職にしてる人間だよ」
「何故ですか?」
「人の命なんて何とも思わないし、巻き上げる金額だってケタ違いだからね」
「君もその被害者の一人だよ」とまでは言わなかった。僕もこれまで、何人もの人たちを地獄の底に叩き落としてきた側の人間だからだ。
彼女は大金を失ったが、まだ借金を抱えるところまではいってない。どうせ戻ってこない金なら、気持ちよく堅気の世界に送り返してあげた方が良いだろう。たまに相談に来るこういう子たちに、「悪いこと言わないから、相場なんかやめときなさい」と言ってあげるのが、僕のせめてもの贖罪だった。
「お部屋はこちらになります」
「ああ、ありがとう」
ひーちゃんは、僕らに一番いい部屋を用意してくれていた。
「飲み物は何がいい? 大抵のものはそろってるよ。なければ、コンシェルジュさんが買いに行ってくれる」
薄暗いVIPルームの中の心地よいソファに腰をかけながら、僕は伊藤さんにそう尋ねた。彼女はこういう場所には不慣れなのか、辺りをきょろきょろと見まわしている。
「僕は少し飲むよ。君も少し付き合わないか?」
「いや、今日は止めておきます」
「何故?」
「私、飲むとご機嫌になって、直ぐに脱いじゃうらしいんです」
「そうなんだ。そりゃあ、凶器を晒しだすようなもんだね」
「凶器?」
「いや、何でもない……」
そういえば、ウルルもこの業界にデビューした当初は巨乳キャラが売りで、名前も『村田ふみえ』だった。巨乳アイドルが大人気だった時代で、先代のCCC投資顧問の社長が、細川ふみえにちなんで付けたのである。9.11以前から相場を張る人間だけが知る、ウルルの闇歴史だ。
彼女は昔から、素人だけじゃなく金主も良く嵌めた。勿論、ウルルが本尊だったわけじゃなくて、彼女を広告塔として使ってた奴らが勝手に売り抜けただけだ。だけど世間はウルル銘柄だと思ってるから、クレームは全部彼女の所に集まる。その中には当然、怖い筋の人たちもいた。
そんな時のウルルの得意技が、全身まっぱだかになった上での泣き落としだった。昔の彼女は結構可愛かったし、マジ泣きで、「必ず、救済銘柄出しますから!」って必死に懇願されると、大抵の奴は、「まあ、今回は仕方ないか……」って感じになってしまうのだ。
(かくいう僕も、駆け出しの時に三百万行かれた。当時の僕には、結構つらい金額だった。何度もこの泣き落としを繰り返すうちに、誰が言うともなく付いたアダ名が『ウルル村田』なのである)
彼女はリーマンショックの後、長い事この世界から消えていたのだが、数年前に突然兜町に舞い戻り、開き直ってこの名前で再デビューしたのだった。とはいえ、今じゃ泣き落としは通じないし、酒の席で脱ぎもしない。しかし、武勇伝としては生き残っていた。
「若い頃は、この手で軽く三億は踏み倒しましたわー!」
というのが、今のウルルの鉄板の持ちネタである。無数の素人を死地に追い込んできたにもかかわらず今だに現役で、叩きに屈することもなく、あれだけのフォロワーの相手をしているのだから、ある種のカリスマには違いない。
「僕とウルルは、昔からの腐れ縁でね。奴の銘柄に提灯を付けることはないけど、長生きしてほしいとは思ってるよ」
「そうなんですね」
「ああ、やつが居なくなったら、僕は少し寂しい」
その言葉は嘘じゃなかった。僕は昔から、この手の人間が大好きだったのだ。この世界で生きていると、相場師たちは皆、人間ではない何者かになってしまう。戦争が起ころうと、疫病で人が何人死のうと、「相場にはどういう影響があるか?」という事しか考えられなくなるのだ。
自分で相場を作ってる奴は、もっとひどい。効率よく人を嵌め込むことだけを考える機械のような人間になっていく。そしてそいつも、いつか別の誰かに嵌められて消えてゆく。僕はそういう人間を沢山見てきた。
「どんなに苦しい状況でも、笑える人間は立ち直れるし、他人に対して希望を与えられる。だから僕は、どんな時でも平気な顔して、ニコニコと笑っているのさ。ウルルだってそうだろう?」
勿論、僕やウルルだって人を騙して生きているクズには違いない。だけど、なんというか、【生き物としての情熱】みたいなものまで失っちゃダメだと心の中で思ってる。「だから、余計に始末が悪いのだ」と言われれば、素直に肯定するけれど、この世界に飛び込んだことだけは、絶対に後悔したくないのだ。
「確実に言えることはね、嵌め屋だろうが、相場師だろうが、ずっとこの世界で生きている人間は、もはや人間とは言えないってことさ」
「??」
「君の大好きなウルルなんて、もはや物の怪に近い。見た目がヒトの形をしてるだけさ」
僕らは色んな意味でタガが外れてて、もはや修復不可能な状態だ。直す気もない。そういう魑魅魍魎たちが、この界隈には沢山いる。堅気が関わらずに済むなら、関わらないに越したことはないのだ。
「伊集院さん。一つ、質問いいですか?」
「なんだい」
呼び方が変わった。僕も最近では、その方がしっくり来ていた。
「この世で一番怖いのは、相場を本職にしてる人間って言ってましたけど、具体的にはどういう意味ですか?」
「ヤクザや政治家の方が、まだ扱いやすいってことさ。興味があるのは金だけだからね」
「相場師は違うんですか?」
「ああ、相場師が奪い合ってるのは金じゃない。プライドなんだ」
そう僕は答えた。少なくとも、僕が駆け出しの頃にいた相場師たちは皆そうだった。
「彼らは板やチャートを通して、お互いのプライドを削りあってる。それが崩壊した時は自殺するか、自暴自棄になって、周りを巻き込もうとするかのどちらかだ。後ろのタイプが一番恐い」
「そういうものなんですね……」
なんだかピンと来てないみたいだから、僕はもう少し話を進めてみようと思った。
「ねえ、伊藤さん。君は、この国で一年間にどれくらい人が消えるか知ってるかい?」
「うーん……。一万人くらいかな?」
「最新の統計で八万七千人だ。しかもそれは、届け出があった数だから、実数は三倍以上だと言われている。つまり、毎年二十万人近い人間が、この世から消えてるんだ」
「そうなんですね」
「にもかかわらず、警察署は千二百ケ所しかない。そして、警察官の仕事は人探しだけじゃないのはわかるよね」
「はい」
「犯罪絡みで消えた人間が、そのうちの五%だとしても、約一万人が何らかの事件に巻き込まれてる。これが一体、どういうことか分かるかい?」
「全然わかりません」
やっぱアホだなと僕は思った。もしこれが男なら、とっくに席を立ってるだろう。だが不思議なことに、彼女とは話してて不快感がなかった。どうやら胸だけでなく、人としての器も大きいらしい。
「失踪する人数に対して、探す人が足りてない。それは分かるね?」
「分かります」
「一言で言えばね、この国では、いくら人が消えようと、誰も気にしないんだ。たとえ、それが犯罪絡みであろうとね」
「そんなー」
「ホントだよ。訴え出る人間が居なければ、警察は絶対に調査なんかしない。訴えた所で、ロクに相手をしてもらえない事だって普通にある」
固定給で働いている彼らは、余計なことに関わって、自分の仕事を増やしたくはないのだ。勿論、全員とは言わないけれど。
「嘘だと思うなら、警察署に行ってみればいい。巨乳のメガネっ子女子大生でもない限り、まともに相手もされないはずだ」
僕はそう言おうと思ったが、伊藤さんはマンガみたいな巨乳メガネっ子女子大生なので、とりあえず黙っていた。
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