『闇人妻の杜・外伝 実録! 伊集院アケミ』

―並行世界の相場師たち―
伊集院アケミ
伊集院アケミ

第二話「手塚を超えた瞬間」

公開日時: 2020年10月8日(木) 19:39
更新日時: 2022年6月21日(火) 16:35
文字数:3,418

 広尾の駅までトボトボと歩きながら、僕はこれからどうすべきかを考えていた。今回の分は、言われたとおりに書きなおすとして、これから先もこの調子だったら、僕のやりたい話にはいつまでたっても辿り着かない。


 ただでさえ僕は、僕の支援者たちにすら犯罪者扱いされている。相場の話を書けば、確かに客は増えるだろうが、そんな話をいくらしたところで堅気の人たちは引くだけだ。他人から金を奪うことにしか興味がなく、財布の紐は異常に厳しい株クラスタの人間にいくら持てはやされたところで、たいした意味はない。


『闇人妻の杜』は、戦後の政治経済史を真面目に描く話だ。政権を獲るには莫大な金が必要で、相場はその要素として重要な地位を占めるが、表のテーマにはなりえない。田中派の裏金の運用を請け負っていた師匠の話は、僕にしか書けない自信があるけれども、それを書くのがこの作品の目的ではないのだ。


 僕は早く、五十五年体制成立前後に繰り広げられた、骨肉の政治ドラマが書きたかった。アケミを主人公に据えてから、ただでさえ迷走気味なのに、僕はこれ以上、『闇人妻』の路線を変えたくはなかったのだ。「困ったなあ……」と独り言ちた瞬間、一筋の光明が目の前にさした。


 怒野いかりのジャス子――いつか使おうと思っていた、あのネタキャラの事を思い出したのだ。


 そうだ。こいつを使って、本編とは無関係の外伝をもう一つ書こう! それならきっとストレスなくやれる。前日譚として、アケミのキャラの掘り下げも出来るし、本伝のクオリティには全く影響を与えない。共通してるのは、登場するキャラの名前だけだ。


 いっそ思いっきりギャグ方面に振って、頭のおかしい連中の織り成す、スラップスティックラブコメディにしてしまうのはどうだろう? それなら、いくらエグいことを書いても、堅気から引かれなくて済む。株クラの連中を笑わせながら、本編にまともな人たちを引き込むことも出来るはずだ。


 そう思った瞬間、ウルル村田とか、CCCトリプルシー投資顧問とか、兜町のマ〇クで相場情報を交換する仕手筋の子女のネタなんかが、次から次へと湧いてきた。


「電車なんかに乗ってる場合じゃねえ!」


 僕はそう独り言ち、地下鉄の出入り口の直前で回れ右をして、近くの喫茶店に飛び込んだ。看板には『KaWA・KaWA』と書いてあった。なんだかよく分からないが、オシャレっぽい店だ。僕は勝手に席に着き、ウェイトレスにむかって、こう叫んだ。


「レイコーひとつ! 巻きで!」

「れっ、れいこー?」


「アイスコーヒーだよ! お冷とおしぼりも忘れずにな!!」


 冷ややかな周囲の視線を気にすることなく、僕はカバンからパソコンを取り出し、粗筋を書きはじめた。いま自分の頭の中にあるものを、一刻も早く吐き出したくて仕方なかったのだ。キーボードを打つ手に、次第に汗がにじんでいく。僕は、『最後の無頼派』と呼ばれた師匠の魂が乗り移ったかのように、猛スピードで最初の一話を書きあげた。


「できた……」


 僕は書きあがったばかりの第一話を黙読しながら思った。完璧だ。数分でこれを書きあげる僕は、マジで天才かもしれん。いや、どんなに内容が素晴らしかろうと、読みづらければただのゴミだ。試しに音読してみよう。


 僕は手元の水を一気に飲み干すと、仕上がったばかりの作品を声に出して読み始めた。まずは、粗筋からだ。


 私の名前は、怒野ジャス子。胸の大きさに悩む女子大生! 資産家のおじいちゃんが四千万程の遺産を残してくれたんだけど、『ここはやっぱり、堅実に資産運用だよね!』って思って、株式投資を始めたの! でも私には、投資の知識はまったくないから、お勧めアカウントで出てきた、ウルル村田っていう女性をフォローしてみたんだよね。


 フォロワーが十万人もいるし、つぶやいた銘柄はめちゃくちゃ上がるし『ホント凄い!』って思って、私、うるるさんが経営してるCCC投資顧問の無料セミナーに行ってみたの。そしたらセミナー後に、うるるさんから食事に誘われたんだ! そしたら、


「ジャス子さんには才能があります。会費百万円のVIP・AAAトリプルエー会員を今回に限り三万円にしてあげますから、私の元で本気で勉強してみませんか?」


 って、熱心に口説かれたのね。私、これは超お得だと思って速攻で入会したの!


 それから約三か月。最初は凄く儲かったんだけど、ウルルさんが


「鉄板です! 女房・子供を質に入れても買い!」


 って勧める【ある株】を全力で買ったら、四千万円が三十八万円になっちゃった! まあ、ウルルさんは本当に親切にしてくれたし、株は自己責任だからそれはいいんだけど、やっぱり少しは取り戻したい。


 そうだ! 株クラスタで、『男性には塩対応だけど、女性には超優しい』って有名なDJ全力さんに相談してみーようっと! ウルルさんも、あの人はフォロー必須だって言ってたし!


 周囲の人たちの奇異の視線を受けながら、僕は久しぶりに涙が出るほど笑った。いける! これなら絶対にいけるよ!!


「あのー、誠に申し訳ありませんが、周囲のお客様のご迷惑になりますので、少し声を落としていただけますでしょうか……」


 アイスコーヒーを持ってきたウエイトレスが、かなり引き気味の顔で僕に注意してきた。だが今の僕は、そんな事じゃ止まらない。


「そいつは大変失礼しました。今ここに居るお客様全員に、僕のおごりでワンオーダー振舞ってってください。せめてものお詫びです」

「へっ?」


 こんな察しの悪い女とはもう付き合っていられない。僕は席から立ち上がり、周囲の人たちに向かってこう叫んだ。 


「大変お騒がせして申し訳ありません。せめてものお詫びに一品おごらせていただきます。僕は新進気鋭のWeb作家で、今まさに傑作をものにしようとしているんだ! この歴史的瞬間を、皆も一緒に祝ってくれ!」

 

プロージットProsit!!」


 僕は、ウェイトレスさんが持ってきたアイスコーヒーにガムシロを全てぶち込み、そのまま一気に飲み干した。そして、空になったグラスを床に叩きつけ、粉々に粉砕する。


「こいつはマジでヤバい奴だ」という感じで、数組の客がそそくさと席を立ちはじめたが、そんな事くらいで今の僕の勢いは止められない。僕の灰色の脳細胞は、新たな傑作をこの世に生みだすために、ものすごい勢いで糖分を欲しているのだ!


 ドン引きするウェイトレスさんに向かって、僕は大声で追加オーダーを頼んだ。


「アイスミルクとレイコーと、バスク風チーズケーキを二つ! 巻きで頼む!!」


 僕は再び自分の席に着き、猛烈な勢いでキーボードを叩き続けた。第二話のテキストを息を吐くように書き進めながら、同時に先の展開も考えてゆく。


 そうだ! どうせなら、ラブコメ要素も入れちゃおう! 巨乳でパッパラパーなジャス子に対して、事務員のえっちゃんは、巨乳に憎悪を燃やす貧乳のメンヘラだ。ウルルから金を取り返してあげることで、ジャス子はアケミを好きになる。アケミも悪からず思うんだけど、いつも良い所でえっちゃんの邪魔が入って、半殺しにされる。これだ!


 いや、待てよ? 巨乳を憎むだけじゃ、アケミを半殺しにする要素としてはちょっと弱いな。そうだ、えっちゃんが今は亡き師匠の娘という設定を活かして、土佐波と僕で許嫁いいなづけの座を奪い合った過去があった事にしよう。勝負は僕が勝つが、「師匠を超える相場師になるまでは……」という事で、彼女には指一本触れてない。それなら彼女が怒ることに、多少の必然性が出てくる。


 えっちゃんは、師匠が神楽坂の芸者に産ませた娘で、師匠の死後は義兄弟だった赤瀬川さんの養女になっているという設定だ。本物のえっちゃんは既に結婚してるが、取り合った部分以外はマジだから、ある意味リアリティありまくりだ。


 ここで創作の神が、僕に対して第2の天啓を遣わせた。この時の僕は、マジで手〇とか言う雑魚ザコを超えていたと思う。


 そうだ! 昔のえっちゃんは今とは違い、清楚な美少女だったことにしよう! 彼女は父親の死をきっかけにおかしくなった。売り方の仕手筋が放ったヒットマンが、父親を殺害する現場を目の前で見てしまったのが原因だ。仕手戦にタマの取り合いは付き物だから、これで必然性もOKだ!


「ピュアな恋愛ものにすれば、そっち方面の客もまとめてゲットだぜ!」


 執筆に集中する僕の目の前に、いつの間にかアイスミルクとレイコーと、バスク風チーズケーキが二つ置かれていた。気づけば周囲に誰も客はいない。店員すら一人もいなかった。なんと、不真面目で不用心な店なのだろう?



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