『闇人妻の杜・外伝 実録! 伊集院アケミ』

―並行世界の相場師たち―
伊集院アケミ
伊集院アケミ

第四話「巨乳への憎しみ」

公開日時: 2020年10月12日(月) 02:26
更新日時: 2023年1月16日(月) 20:57
文字数:3,365

「えつ子さん、何で今日は飲んでないんですか?」

「当たり前でしょ? 警察に身元引受に行くのに、酔っぱらって行くバカがどこに居るのよ?」

「そりゃ、そうか」

「貴方の周りに残ってる堅気は、もう私だけなんだから、ヤンチャもほどほどにしなさいよね」

「そうですね」


 えつ子さんは確かに堅気だ。だが、筋者は平気で殴る。赤瀬川さんの店では、いつでも客であるヤクザの方が、えつ子さんに向かって最敬礼をしているのである。相方であるDJ君は比較的マトモだが、男の娘にしか興奮しない謎の性癖の持ち主であり、おまけに親が何者かわからなかった。他にいるのは、今の相場について行けなくなった、元悪党ばかりだ。


 僕自身もまた、相場操縦の容疑で常にお上から付け狙われていた。色々面倒くさくなった当時の僕は、相場師を引退して、のんびりと小説を書いていたのである。僕は本来、裏方で策謀をめぐらす方が性に合っていて、DJ君とえつ子さんが傍にいてくれれば、それだけで十分幸せだったのだ。


 話は変わるが、このえつ子さんは全ての巨乳女子を憎んでいた。


「巨乳とは家庭的なるものの象徴であり、男を堕落させる悪魔のような物体である」


 それが、えつ子さんのポリシーだった。巨乳に対する彼女の憎しみには凄まじいものがあったのだが、僕はその言葉は、一種の自己欺瞞なんじゃないかなと思っている。何故なら、彼女は胸のサイズを聞かれるたびに「えっちゃんは、でーと自己申告していたからだ。その言葉は明らかに嘘な上に、その主義主張から言えば、自身のサイズを偽る理由がなかった。


 彼女の弾圧は二次元にまで及んだ。僕の持っていた巨乳物のエロ漫画は全て目の前で焚書され、パソコンの中のブックマークも、それ系のものはいつの間にか消えていた。貧乳物は全スルーなのが、逆に怖い。DJ君も同じなのかを聞いてみたら、


「僕は元々、巨乳には興味ないんで分かんないです。伊集院さんもそろそろ目を覚ました方が良いですよ」


 と真顔で言われた。そんな感じなので、二人は結構仲良しなのだ。それにしても、彼女はいつ、僕のパソコンからパスワードを抜いたんだろう?


 当時、半引退状態だった僕は、DJ垢のツイートを殆ど相方に任せていた。彼の方が文章は達者だし、えつ子さんも飲みだすと凄く良い文章を書くからだ。就業中の飲酒を黙認してたのは、僕自身がえつ子さんのツイートのファンだったからだ。

 

 僕から煽りの手法を学んだDJ君は、もはや株クラ界で最高の煽り屋といっても過言ではなかった。それでいてガチの非リアであり、繊細な精神も併せ持つ彼は、一部の女性からはとても好評で、彼のファンの中には心を病んだ『闇人妻』たちが沢山いた。


 何故、僕がそれを知っているのかといえば、DJ垢が三人体勢で運用されてる事を知らない闇人妻たちが、彼宛てに個人的なDMを沢山送って来たからである。その中には見目麗しい巨乳女子も数人いて、僕にはそれがちょっと……。いや、かなり羨ましかった。


『僕の大切な人たち』は、最近どうですか?」


 僕はえつ子さんに尋ねてみた。


「別に普通に相手してるよ。うちらに取っちゃ大切なお客様だしね」

「はあ……」

「それにDJ君は、アンタみたいによこしまな男じゃないしさ」


『僕の大切な人たち』とは、DJ君にコナをかけてくる闇人妻たちのリストであった。えつ子さんは、そのリストに闇人妻たちを放り込み、表面上は好意的なやり取りをしながら、要注意人物として常に監視していたのである。


 彼女たちから届くDMや写真を見るたびに、えつ子さんは巨乳女子への憎しみと偏見を募らせていた。DJ君は、「堅気に手を出しちゃダメですよー」とやんわりと注意しながらも、そんなえつ子さんの姿を好ましく見ているようだった。


「えつ子さんは知らないかもしれませんが、DJ君はとんでもなくヤバい奴ですよ。欲望が三次元に向かってないだけです」

「犯罪じゃなきゃ、別にいいよ。性癖は人それぞれだし」


 彼の持ってるエロ同人や、単行本未収録マンガは、単純保持だけでもお縄になっちゃうレベルのシロモノばかりなのだが、その事は黙っていようと思った。


「それよりアンタ、また変なのに引っかかってないでしょうね?」

「ないです。ないです」


 当時の僕は結構暇だったので、DJ君のふりをして、闇人妻たちと時々会いに行ったりもしていたのだ。でももし、それがえつ子さんにバレたなら、「何てめえ、巨乳女子にコナかけてんだよ?」とクンロクを入れられたうえ、コンクリを抱かされて東京湾に沈められていただろう。


 恐るべきことに、彼女は一体どこで学んだのか謎の呪術もマスターしていて、巨乳好きが近くによると悪寒と吐き気に襲われ、三日は寿命が縮むと評判だった。巨乳どころか、三次元に全く関心のないDJ君なら何も問題はないだろうが、僕はそうではない。おまけに、彼女とは、もう十五年以上の付き合いなのだ。


(実際、当時の僕は、いつ寿命が尽きてもいいように常に遺言状を持ち歩いていた)


 巨乳女子を見るたびに、「ふざけんな、死ねよ」と真顔で言う女性を、僕は彼女以外に知らない。まあ僕も、大してイケメンでもない男が美女を連れて歩いてるのをみると、「死ねばいいのに……」ってつぶやくからお互い様なんだけど、お互いにマトモでないことだけは確かだ。


「何故えつ子さんは、あそこまで巨乳が嫌いなんかね?」


 僕は相方にそう尋ねてみたことがある。


「男を堕落させる一番の理由だからじゃないですかね? 僕は全く興味がないので、よくわかりませんが……」

「君が貧乳好きなのも、やっぱその辺に対するアンチテーゼとか、そういうのがあるの?」

「いや、僕は単にツルペタが好きなだけです。『余計なものは落とせ』って、伊集院さんも、いつも僕に言ってるじゃないですか?」


「メガネ以外な」


「ええ、ツルペタにメガネさえついてれば、男の娘で十分です。むしろ、おちんちんが付いてる分お得ですよね」


 僕の相方は、男のマンガを心から愛する変態紳士だった。とくに、かまぼこREDという作家が大好きだったのだ。


「かまぼこ先生をメジャーにするために、ある新興ゲーム会社ED社を相場にしたい」


 と相談された時には、僕が育てた男ながら、「オイオイ、どうかしちまってるぜ」と思った位だ。ちなみにED社は実際に二人で株集めをして、カチ上げには無事成功したものの、突然業績の下方修正が出て、フォロワーの約半数を退場へと追い込んだ。その後も下方修正を繰り返し、上場後は一回も黒字を計上してない悪魔のような会社である。


(つい先日も、ED社は『鬼滅の刃』関連株として一瞬盛り上がったが、沢山の新参トレーダーを地獄に突き落として終わっていた。思えば、この会社に絡んでから、僕の衰運は始まったような気がしてならない)


 何はともあれ、『DJ全力』という相場師の正体は、十代の頃から仕手師匠の片棒を担ぎ、常にお上に付け狙われていた伊集院アケミと、たぐい稀なる文才を持ちながら、男の娘にしか興味のないDJ君と、師匠の娘であり、謎の呪術を操るえつ子さんによる三人のチームだったのだ。


「僕が巨乳派になったのは、本当はえつ子さんのせいなんだけどな……」


 これまでの記憶を思い返すうちに、心の声が思わず口に出てしまった。


「ああ? なんだって?」


 えつ子さんが僕の事を睨みつける。タクシーの中だから何とか抑えているが、今にも殴りかからんばかりの勢いだった。僕はいつも祝詞のように唱えさせられる言葉を、慌てて口にした。


「いや、何でもないです。巨乳は罪だ! 貧乳こそ、ステータスだ! あんな脂肪の塊に惑わされる奴なんか、男としてどうかしてる! スポブラ最高!!」


 えつ子さんは、「わかってるなら、それでいい」と言う感じで軽くうなずいた。


「ねえ運転手さん、チップをはずむからもっと飛ばしてよ。私、早く酒が飲みたいんだ」

「わかりました」


 運転手がスピードを上げる。えつ子さんが結婚してからというもの、僕らはずっとこんな感じだった。えつ子さんが、どこか普通の田舎の娘で、僕がまだ、相場なんか知らない時代に出会えていたらどれだけ良かっただろうと、僕は今でも時々思う。


 師匠の娘で、元・筋者の赤瀬川さんの養女だなんて、デーモンコア並みの危険物質だ。もし彼女が人妻でなかったとしても、手なんか出せるはずがない。


この物語はフィクションですが、フィクションでない所も結構あります(しろめ)

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