隠蔽工作に成功した僕は、伊藤 瑶夏なる人物と兜町某所にあるマ○ドナルドで会う約束をした。たかがマ○ドと侮るなかれ。この店は一見普通のマ○ドだが、ここで飲食する女子高生たちは皆、仕手筋の子女なのであった。これは兜町に住む人間にとっては常識である。
お上の検閲が厳しい昨今では、重要な仕手情報はすべて彼女たちを通してやり取りされている。中には、十代というには無理がある子もいるが、流石は大物仕手筋の娘や孫たちだけあって、中々見目麗しい子が揃っているのである。
電子メールは勿論の事、あらゆるチャットツールやSNSで交わされる情報は、全て金融庁に筒抜けだ。抜く抜かれるの技術合戦をした結果、結局はアナログな手段に落ち着く。他の世界でもよくあることだ。
更にこの店には、もう一つ秘密があった。特別会員だけが知る符丁だ。
「ここを過ぎて悲しみの市。友はみな、僕から離れ、悲しき眼もて僕を眺める」
この言葉を一番左端のレジにいる店員に伝えると、建物の裏手から地下へと続くVIPルームに通されるのである。
このVIPルームは、僕らの間では【死者の書のしもべ】と呼ばれていた。大小五つほどの部屋があり、利用料は月に三十万円である。受付には見目麗しい双子のコンシェルジュが二人居り、大抵の頼み事を聞いてくれるのだ。
この手の店は、仕手筋に金を回すヤクザや政治家の関連企業なら、大抵一つや二つ持っている。勿論、その目的はマネー・ロンダリングだ。相場より高めだがボッタくりというほどではなく、一応はサービスも提供し、きっちりと納税するのが、お上に摘発されない資金洗浄のコツなのである。
(ボンクラは、貴金属や美術品を使って一発で済ませようとするからすぐに足がつくが、本職はそんなヘマはやらない)
実際、このVIPルームを利用するのは、裏金を綺麗にしたくて仕方のない連中か、大口から金や情報を回してもらうために、お付き合いで入ってる連中ばかりであった。月三万円のペラペラの相場情報誌や、一回五万もとられる寿司、ウルルが看板になってるCCC投資顧問、VIPコース・年会費百万円なんかもその類だ。
僕はまず、店の前で伊藤さんと待ち合わせることにした。素人が符丁を告げてVIPルームに入るのは、敷居が高いだろうと思ったからだ。現れた伊藤さんはアイコン通りのメガネっ子で、貧乳派の僕でもクラっと来るような爆乳の持ち主だった。プロフに書いてあったことは、全然ウソじゃなかったのだ。
「こんにちは、DJ全力の中の人です。主に煽りを書いてるのが僕。後で証拠を見せますね」
「伊藤 瑶夏です。大丈夫です、疑ってません。でも、思ったより若いんですね。もっと、ヤクザみたいな人が来るんじゃないかって思ってました」
「よく言われるよ」
僕は乾いた笑いを浮かべた。それにしても、伊藤さんの爆乳は目のやり場に困る。通りすがりの人も彼女の事は気になるようで、「マジかよ?」って感じで何度も振り返っていた。この町で目立っていい事なんて何もない。早く店の中に入ってしまおう。
「中に入ろうか」
「はい。でも、このマ○ドナルドの奥にVIPルームがあるなんて、本当なんですか?」
「本当だよ。君の大好きなウルルもこの店の常連なんだ」
「そうなんですか!」
お互いがお互いのサービスを利用し、非合法な手段で得た裏金を綺麗な金に換える。金は行ってこいになるだけだから、利用料は高くても全く問題はない。ウルルも当然、この店の会員だった。
「このVIPルームは、符丁さえあってれば誰でも入れるけど、もし会員でないことがバレた場合、不正利用の罰金として二百万円を請求されるから気を付けてね」
「ほんとですか?」
「ああ……。支払えない場合は身分証を抑えられたうえ、法律ギリギリの高金利でローンを組まされるんだ。延滞したらすぐにヤクザが来る」
僕はあれから何度か彼女とやり取りをして、これまでの経緯を大体把握していた。祖父の遺産で入った四千万を原資に株を始めたこと、相場を始める前にCCCキャピタルの無料セミナーに行ったこと、ウルルに直接声を掛けられたことなんかだ。なんだかどこかで聞いたことがある話のような気もしたが、多分、別の世界線での僕の記憶なんだろう。
彼女はウルル銘柄で大損したにもかかわらず、いまだにウルルの事を信奉していた。そして自分が、法律スレスレのやり方で金を巻き上げられたことにまるで気づいてない。やっぱり少し頭の弱い子なんだろう。
相場とは、倫理性の欠片もない最高に頭のいい連中が、持てる能力の全てをかけて金を奪い合うゲームである。裏切りや嵌め込みは日常茶飯事であり、僕自身なんとも思わない。でもそれは、相手が同じ悪党だからこそ出来ることだ。いくら原資が遺産とはいえ、こういう子から一方的に金を巻き上げる行為は、決して許されるものではない。
僕は彼女を伴い、一番左端のレジの列に並んだ。
「いらっしゃいませー。本日は何になさいますか?」
「VIPセットで」
レジ打ちの子の目の色が少し変わる。彼女は小声で僕に耳打ちした。
「申し訳ありませんが、符牒はご存じですよね?」
「勿論」
「教えていただけますか?」
「ここを過ぎて悲しみの市。友はみな、僕から離れ、悲しき眼もて僕を眺める」
「申し訳ありません、お客様。そのコースはもう終了してしまったんですよー。またのお越しをお待ちしております。お次のお客様、どうぞー」
僕らは列から外された。伊藤さんは不安げな眼差しで僕を見ている。
「全力さん、終わっちゃったって言ってますけど、これって大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。一旦、店の外に出よう」
僕は彼女の手を引いて、そのまま通りの向かい側のカフェに向かった。そこには、例のVIPルームのコンシェルジュが、文庫本を読みながら待っている。その眼鏡と細やかな動き、そして黒のベルベットのジャケットを着ている様子が、まるで文学者か何かであるように、彼女を知的に見せていた。
「洋子さんだ。例のVIPルームのコンシェルジュだよ」
彼女は、双子のコンシェルジュの妹の方である。比較的仲が良い僕は、普段はいつも『ひーちゃん』と呼んでいた。
「わあ、綺麗な人!」
「ありがとうございます。お客様も大変お綺麗ですよ」
「えー!」
伊藤さんは無邪気にはしゃいだ。
「この子は僕の友人で、伊藤 瑶夏さんと言います。間違いのない人ですから、一緒に案内をお願いします」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
「ありがとう、ひーちゃん」
僕は軽く会釈を返す。「伊集院?」と、伊藤さんが尋ねた。
「ああ、相場師としての僕の名前だよ。勿論、本名じゃないけどね。DJ全力は、僕だけの名前じゃないんだ」
「前にも、そんなことをおっしゃってましたね」
「この街の人間は、相場師としての僕の方をよく知ってる。伊集院銘柄といえば、昔は結構派手な動きをしたもんなんだぜ」
「そうなんですか! 全力さんも、昔はウルルさんみたいな凄い人だったんですね!」
「ま、まあ、そうだね……」
苦笑する他なかった。ウルルは確かに、ディープな相場話の出来る数少ない僕の友人の一人だ。だが、相場の張り方はまるで違う。そもそもウルルは仕手筋の広告塔をやってるだけで、自分で相場を作ってる訳じゃない。同格にされたくはなかった。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもないよ」
勿論、彼女は良かれと思ってそう言ってくれているに違いない。ここで抗弁してみたって仕方ないなと思った僕は、その言葉を聞き流して、彼女と共にVIPルームへ向かった。
*闇人妻の杜は健全なフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係がありません。
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