「出所祝いだ、飲め」
「出所って……。たかだか四十八時間ですよ、姉さん」
いつもの店で僕らは飲み始めた。お日様がまだ上ってる時間だが、えつ子さんには関係がない。彼女の辞書に『勤労』という文字はなく、むしろ少しお酒が入った方がツイッターで面白いことを書いてくれるから、僕は事務所内での飲酒を黙認していた。あと、こうして外で飲むときは、彼女が旦那の家族カードで決済するから、全部タダだし。
「アケミ君ー、そんなに豚箱慣れしちゃダメだよ。普通の人は、任意同行求められただけでもドン引きだよ? 逮捕なんかされちゃったら、もうその時点で犯罪者だよ、犯罪者」
「推定無罪が原則のはずなんですがね……」
黙秘してれば、稲見先生が出してくれるから、今の僕は逮捕ぐらいじゃビビりはしないのである。
「とはいえ、流石の僕も、相場がらみのネタ以外で捕まるのは久しぶりだったから、ちょっと焦りました。もう少しで、前科者になるとこだったすわ」
「久しぶりって、前に何やったん?」
「拾ったチャリンコに乗ってたら、運悪く捕まりましてね。始末書提出で事なきを得ましたが。あの頃は、弁護士とのコネもなかったし、ヤバかったです」
「かっこわる……」
みたいな会話をしながら僕らは居酒屋で鯨飲し、僕はえつ子さんをタクシーに放り込んで、兜町の自宅に戻った。冷蔵庫を開けると、相方であるDJ君が寝床から起きてくる。彼には横浜にちゃんと家があるのだが、そこは殆どグッズ置き場で、大体、僕の自宅で寝泊まりをしているのだ。
「あっ、お勤めご苦労様です。伊集院さん」
「勤めてねーって! ちょっと、留置所で二晩ばかりお世話になっただけだって!」
DJ君は自分の席に着き、キーボードで何かカタカタやりながら、僕にこう尋ねた。
「ところで、今回は一体何をやったんです。稲見先生もちょっと焦ってましたよ。なんでも、喫茶店のウェイトレスさんが、トラウマレベルの恐怖を味わったって……」
「別に何もやってないよ。ちょっと一瞬、手〇を超えただけさ。あの世から水木も手招きしてたよ」
「手〇越えですかー。流石は、伊集院さんですねー」
ここに来た当時は彼もウブだったのだが、この頃は、弁護士や金融庁からの電話ぐらいじゃまったく動じなくなっていた。まあ、僕の周りの人は大体そんな感じである。
「ところで、伊集院さん。ちょっと変なDMが来てるんですが、僕じゃ対応できないんで、チェックしてもらえませんか?」
「変なDM?」
「フォロワーからの相談事です。無視でもいいと思うんですけど、もしかしたら、伊集院さんのリアル知人かも知れないと思って」
「わかった」
僕は自分のパソコンから、DJ全力のアカウントにログインした。別に大したことじゃなかった。伊藤 瑶夏なる人物から、『株で大損して困っています。相談に乗ってもらえませんか?』というDMが一通入ってただけだ。
「こんなの無視でいいだろ? 俺たちの銘柄で嵌めた訳じゃないんだし。第一、俺らは投資顧問じゃないんだ。こんな微罪で別件逮捕されたらたまらんよ」
「僕もそう思うんですがね……」
DJ君は、そういって言葉を濁した。どうにも彼らしくない。
「なんだよ、えらく勿体ぶるなぁ……。早く言えよ」
「Gだそうです」
「何が?」
「胸が」
「胸?」
「はい、こちらを見て下さい」
そういって、彼は伊藤なる女性のブログを自分のモニターに表示した。プロフには、【胸の大きさに悩む女子大生】と書いてあり、記事の中には胸のサイズの事も述べられている。本人である証拠はどこにもないが、アップされている写真を見る限り確かに巨乳のメガネっ娘で、結構……いや、かなり可愛かった。
「ちょっとコレ、反則スレスレですよね。二次元派の僕でも、少しはクラっときますよ」
「スレスレじゃなくて、反則そのものだろ! こんなの釣りに決まってる!」
データが全部飛んでしまったので確かなことは言えないのだが、何だか自分が書いていたあの小説に、設定が少し似てる気がした。
「わかりました。じゃあ、このDMは削除しときます。僕、えつ子さんに沈められたくないんで」
「ああ、DJ君! ちょっと待って!」
確かにこんなDMを放置してたら、僕らはえつ子さんからクンロク入れられたうえ、海に沈むだろう。悩むと書いてあるだけだから、「小さくしたい」と考えてる可能性だってあり得る訳だが、えつ子さんは絶対にそうは解釈しない。
胸の悩みを公言する女子はすべからく巨乳であり、その手の発言は悩み相談に見せかけた、貧乳女子に対する煽りである。
えつ子さんは端からそう決めつけているのだ。彼女は堅気に対して物理攻撃はしないが、僕らみたいな半グレには容赦ないし、呪術や精神攻撃まで封じられている訳ではないので、そういう意味でも安心はできない。
一番の問題は、この伊藤 瑶夏なる人物が本当に女性であるかという事だった。僕が思うに、この設定はネカマが演じるにはあざとすぎる。本人の写真はともかくとして、送り主が女性であることは間違いない。僕の直感がそう叫んでいた。
この子はきっと真剣に悩んでいるに違いない。それに答えるのは、二十年間この世界で食わせてもらってきた、相場師としての俺の責務だ!
僕はそのDMを僕の個人アカウントに転送し、着信を確認すると、元のDM欄から削除した。勿論、シラフの時なら、そんな危険極まりないことはしない。多分、ちょっと飲み過ぎたのだ。
「通知も消しときますね」
「ああ、頼む。俺はちょっと疲れたから寝るわ」
「わかりました」
「DJ君。えっちゃんには、この件は絶対に内緒だぞ」
「心得てますよ」
僕は自分の寝室に入った。夜は大体、DJ君の受け持ちの時間だ。あのメガネ相場が終わってからというもの、僕は殆ど全ての判断を彼に任せていた。もう一人で大抵の事はやれるし、客あしらいも彼の方が上手だからだ。別にそれで嫉妬の気持ちも起こらない。怖いのは、いつか彼が独り立ちして、僕の元から消えさってしまう事だけだった。
寝る前に僕は、PCから自分の個人アカウントにログインし、パスワードを二十桁で自動作成した不規則なものに変更した。そして、転送したDMにこんな感じの返信をかけた。
「こんにちは。DM拝見いたしました。自分で良ければ、お力になりたいと思います。DJ垢は複数人で管理しておりますので、今後はこちらのアカウントの方にご連絡ください。よろしくお願いします」
翌日、重役出勤で午後から出社してきたえつ子さんは、僕らの隠ぺい工作にはまったく気づかなかった。ファースト・ミッションは大成功だ。
誤解を招かぬように念のため書くのだが、これは外部の人間との不要なトラブルを避けるための処置であって、決して下心があった訳ではない。DJ全力は、【非リアでちょっとポエマーな元仕手筋(猫)】というキャラで売っているのだから。
ましてや相手は、巨乳メガネっ娘女子大生である。もしえつ子さんにこのことがバレたら、僕は生きながらにして海に沈められてしまうか、山に埋められてノコギリ引きの刑だろう。
今にして思えば、この小さな裏切りが、全ての悲劇の始まりだったような気がする。ここから三年の時が経ち、僕は大切なDJ君を失い、えつ子さんとも別れることになった。この時の僕には、後に我が身に降りかかる悲劇を予想する事すら出来なかったのだ。
全ては、偉大なる貧乳教を裏切った罰だ。今の僕は改心し、再び貧乳教徒へと改宗した。そして出来心を起こした自分の愚かさを悔いながら、毎日祝詞を唱えて生きている。そう、えつ子さんが僕に教えてくれたあの祝詞だ。
「巨乳は罪だ! 貧乳こそ、ステータスだ! あんな脂肪の塊に惑わされる奴なんか、男としてどうかしてる! スポブラ最高!!」
僕はえつ子さんの自宅のある吉祥寺に向かって一日五回礼拝し、コロナ自粛とは無関係に、もう一年以上も自宅謹慎の日々を送っているのである。
ホント、ホントだってばえつ子さん! お願いだから、僕のDMに返信してください!
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