とある城下町門前。
――そうだ、余には、帰るべき場所がある。余には、守らねばならぬものがある。
余は、戻らねばならぬ。
彼は、封印を施した転移魔方陣の前に立つと、呼吸を整えた。
虫たちが懸命に奏でる唄に、暫し彼は聞き惚れる。
――肉体に不慣れである以上、魔力量のそう多くないこの身体で、賢者相手にほぼ魔法攻撃のみで闘り合わねばならぬ。率直に、不利な戦いといえよう。
だが、負けられぬ。
彼は、ゆっくりと魔方陣の前に右手をかざした。
「いざ」
魔法陣の封印が解かれると同時に、彼は青白い柱となって宙に昇っていった。
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狂いの森に舞い降りると同時に、彼は光の剣を抜き放ち、臨戦態勢をとる。
――どこだ、どこにいる……?
ロロは、彼から二十歩ほど離れた場所に立っていた。
しかし、彼女は杖を構えるどころか、彼を見ることすらなく、佇んで空を眺めている。その姿は歴戦の大賢者ではなく、ただ一人の少女のように、彼の目には映った。
――なんだ……空?
彼は、横目でロロの見ている方角を見やった。
既に日も沈み、仄かに赤を残すばかりの空の下に浮かぶ魔王城の影。その正面に、逆十字の形を取った光が浮かび上がっていた。
「あれは、勇者の仕業か!?」
彼は体ごと魔王城に顔を向けていた。
「そう……そうなのね、ゼルス」
ロロの声に彼は我に返り、再び剣を構える。
「助かったわね、魔王。あなたにその気がないなら、私はあなたとは戦わないわ」
「何だと? どういうことだ」
ロロは物憂げに瞳を伏せながら、自分に向けられた光の剣を指さす。
「魔王城の外に浮かんでいる光は、剣の形。つまり、『光の剣』。ゼルスは、光の剣をとって戦うことを選んだのよ」
「……!」
「あなたも、ここに戻って来たからには、鏡を使って元に戻ろうとしているのでしょう?」
彼女は懐から入れ替わりの鏡を取り出す。
「結局、勇者は勇者、魔王は魔王ね」
寂し気な、それでいてどこか安心したようなロロの微笑みに、彼は不覚にも妻の姿を重ねた。
「一つ、聞かせよ」
「何?」
「余は、この魔方陣の先の街で、貴様らがどのような扱いを受けているかを知った。貴様らとて、実のところ人間たちからどう思われているのか知らぬではなかろう?」
「……ええ、それがどうかした?」
「何故、それでもなお余を討ち倒すことに拘泥する?」
ロロは小さくため息をつくと、右手の人差し指に嵌めた指輪を見つめた。
「それは、素早さを上げるという、流星の指輪か?」
「武闘家マオは、幼い頃からずっと一緒に育った、私の親友だったわ」
「勉学にうんざりして博打と酒に溺れた私を救ってくれたのが、マオだった」
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墓地のスコシチョローネを倒した夜の事。
「ギル、まだ傷は痛む?」
「へへっ、心配ねえよロロ。ただ――」
「――俺はもう、盾でみんなを守るくらいしかできなくなっちまったな」
ギルは無くした右腕を悲痛な面持ちで見やる。
「……そう、そうよ!」
「んあ?」
「ギル、魔法を覚えて、魔法戦士になりましょう!」
「まほーせんし?」
「ええ!」
私は魔導辞典を取り出し、ギルに手渡した。
「ここに種々の魔法が書いてあるわ。私も手伝うから、まずは簡単な火球魔法から――」
「あー、ロロ、気持ちはありがてえんだけどよ、俺ってば勉強しても勉強してもからっきし魔法がだめで、そいで戦士になったんだよ」
ギルは気恥ずかしそうに頬を掻く。
「……でも、ちょっと勉強し直してみるわ。このままじゃみんなのお荷物だもんな。これ、暫く借りとくぜ。ありがとな、ロロ」
いつものように歯を見せて笑うギルの笑顔はどこか悲痛で、何か、彼が取り返しのつかないほど遠くへ行ってしまったような、そんな気がした。
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「どうして、どうして戦士のギルが、自爆魔法なんて……っ!!」
四散した巨人の残骸の中、マオが地面を殴りつける。
その両手は既に血に塗れ、指元からは白骨がのぞいていた。
「……私の、せいよ」
蚊の鳴くような声で、私はマオに告げる。
「え……?」
「私が、ギルに、魔導辞典を渡したの。多分、その中から、自爆魔法だけ、ずっと勉強してたんだと、思う」
突如私の視界は回転し、肩から地面に叩きつけられると同時に、左頬に強烈な痛みを感じた。
「多分って、何よ!! 思うって、何よ……!! あんた、ギルにそれを渡しといて、何も見てなかったの!?」
「ごめんなさい……ごめん、なさい……」
「う、あああぁぁぁ……」
それ以来、私たち三人は、必要時以外には口を開かなくなった。
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「ふふっ、この灼熱のツルカンテ、ここまで愉しい戦いは久方ぶりだぞ!」
深紅の衣に身を包んだ悪魔は、不敵な笑みを浮かべる。
「はあ、はあ……」
私の魔力は、既に底をついていた。魔力の尽きた賢者など、戦闘では赤子に等しい。
「でも、敵も相当堪えているはず……!」
「ロロ!!」
ゼルスの声。
「しまっ――」
既に、眼前は巨大な火球に覆われていた。
「……」
「……?」
覆った目を開けると、そこには――
「マ……オ?」
――全身が赤黒く焼けただれたマオが、私に覆いかぶさるように仁王立ちになっていた。
「どうして……!! 魔力の、尽きた、私を……っ!」
「ギルも……言って……たでしょ、魔王を、倒すには……あんたが……必要……私、じゃなく……あんた……が」
「マオ!!」
マオは、ゆっくりと口元を緩め、指輪を嵌めた右手を私の左頬に差し出す。
「ごめん……ね、ロロ……あんたの……こと、ホントは…………て……」
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「ゼルスは、ほとんど刺し違えるようにしてツルカンテを倒したわ」
「……そうか」
魔王城の方へと向き直ったロロ。その銀の髪を、ぬるい瘴気の風が揺らす。
「なぜ、魔王を倒すか、一言でいうなら――」
「――私たちが勇者の刑に処せられているから、かしらね」
ロロは今にも折れてしまいそうなその指で、彼に鏡を手渡した。
「あなたも、きっとそうなんでしょうね」
「かも、しれぬな」
彼は、手に取った鏡の中に彼を見出した。
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