魔王、勇者になる。

~相棒は銀髪金眼の美少女賢者でした~
白居 漣河
白居 漣河

第一話 汝の名は。

公開日時: 2020年12月29日(火) 10:05
文字数:2,099

「――!!」

 彼の目の前には手鏡。その鏡には、精悍せいかんな顔立ちに青い瞳、黒髪の青年の姿が映っていた。


――何だ……ニンゲンの姿? 何が起きた? は一体、どうしたというのだ……?


 指先の破れた手袋、ぼろきれのように成り果てた服、さらに彼の身体は鉛のごとく重たかった。

 続いて彼は、辺りを見渡す。

 見渡す限りに瘴気しょうきはらんだ魔樹の密林。正面の木々の切れ間からは、そびえ立つ禍々しい漆黒の城。


――あの城は、見紛みまごうことなく、わが居城・魔王城。とすれば、この森は狂いの森か?


 不意に、彼の後ろから声がする。

「ねぇー! お夕飯の準備、ゼルスも手伝ってよ!」

 彼が声に振り向くと、遠くに法衣ローブまとった銀髪の少女の姿が見受けられた。


――普通のニンゲンなど、この森に入ることさえできるはずがない。

 この身体、あの女子おなご、そしてゼルスという名。まさか……



 が、勇者の身体に入ったとでもいうのか?



「ねぇ! ゼルスってば!!」

 夢かうつつかも分からぬまま、彼は手鏡を置き、怒声に近い声で呼びかける少女の元へと渋々向かった。


「ウロコ、切るの手伝って」


――ウロコ?


 魚かなにかかと思い、彼が覗き込んでみると――

「……!!」

――それは、切り落とされた上級蜥蜴人アークリザードマン太腿ふとももであった。


「ウロコが硬くて、私の力じゃ辛いのよ」

 少女は文句を垂れながら、彼に小刀と太腿ふとももを渡す。


――此奴こやつ、正気か!? 魔族われらでさえ、殺した後に人間を喰らう者などごく下級の種族にしかおらん!

 ニンゲンが魔族われらを、それも、上級蜥蜴人アークリザードマンのような高等な種族を喰らうなど…… 


 高等な魔族ほど、人間と姿は似ている。上級蜥蜴人アークリザードマンともなれば、尻尾と頭蓋骨を除いて骨格はほとんど人間と同様である。

 しかし、血のしたた太腿ふとももを受け取ると、その匂いは彼の鼻腔びくうを鋭敏に刺激し、彼は唐突に耐え難い空腹に襲われた。


「もう、三日も飲まず食わずで戦っているもの……食べましょう」

「……」

 彼は、小刀をウロコに突き立てながら、少女を横目に見やる。

 遠目には美しかった銀の髪は毛羽けばだち、土気色つちけいろの頬の肉はけおちている。薄汚れた法衣ローブは所々破れ、衣の下から覗く手足は、骸骨のそれかと見紛みまごうほどであった。


――賢者ロロ。

 水晶玉を通して、幾度もその戦いを目にした。勇者、戦士、武闘家と前衛しかいない一行の中で、魔法による攻撃・回復・強化を一手に担う攻守のかなめ

 此奴こやつさえいなければ、の軍勢がこれほど苦戦することもなかっただろう。


「必ず、生き延びて、魔王を倒す。ギルと、マオのためにも……」

 ロロは、膝を抱えてうずくまり、衣の裾を固く握りしめた。

 迫る夕闇が、その決意を緋色に照らし出す。


――戦士ギルと、武闘家マオか。

 戦士はの四天王、荒波のコニャニャッツァと相打ちに。そしてつい先日、武闘家は灼熱のツルカンテと相打ちになった。

 ……勇者一行の半数を討つために、は四天王全てを失った。


「魔王城は、もう目の前。あと一息、頑張りましょう」

 ロロは笑顔を作ってみせる。

「あ、もうウロコとれたの? さっすが!」


 彼が切り分けた肉を掴み取ると、ロロはそれをそのまま口に放り込んだ。

「……!! 火は……?」

 上級蜥蜴人アークリザードマンの生肉を咀嚼そしゃくするロロへのあまりの衝撃に、彼は思わず尋ねてしまった。


「火なんて、使えるわけないでしょ。煙が上がったら魔物に居場所がばれちゃうもの。……昔、貴方が教えてくれたことよ?」

 語気を強く言い放つと、ロロは怪訝けげんな顔で彼を眺める。

「あ、いや……」

 金色こんじきの瞳に見つめられた彼は、迂闊うかつな発言をどう訂正すべきか、咄嗟とっさに思いつかなかった。


 戸惑う彼を暫し眺めた後、ロロは、唐突に我に返ったように目を見開き、俯いて目を伏せた。

「そうよね、ゼルスも疲れたわよね。ごめんなさい、きつく当たってしまって」

 彼女は俯いたまま額を手で押さえ、目をつむる。

 

「それ、食べたら、ゼルスは暫く眠るといいわ。昨日、ずっと見張りしていてくれたものね」

 ロロはゆっくりと目を開け、笑顔を作った。


――果たして、この身体での魔法が使えるのか。

 武器で不意打ちをするにしても、不慣れなこの身体では攻撃をかわされるやもしれぬ。もし魔法が使えなかったとすれば、此奴こやつを相手取るのは余りに無謀。


 彼は、ひとまずは様子を見ることに決め、生肉を見つめた。

 引き締まり、白みがかったその肉質は、鳥類のそれを彷彿ほうふつとさせる。ひとたび皮をいで骨から外せば、それはもはや「肉」でしかなかった。


 彼は恐る恐る肉を口に運ぶ。

 淡泊かつ歯ごたえのあるその食感は、外見に違わず、まさに鳥の肉を口にしているかの如きものであった。血の味も、空腹の前には程よい塩気としか感じられない。思わず、彼は二切れ目に手を伸ばした。


――そもそも、なぜは勇者の身体に入った?

 ロロの仕業……にしては、あまりに何も動きがなさすぎる。未だ油断はできないが、可能性は薄いだろう。 

 では、に恨みを持つ配下の何者かの仕業か? だとすれば、心当たりが多すぎて、到底特定には至らんな。


 同胞の肉を喰らいながら、彼は元の身体に戻る方法を探る。


――しかし、が勇者の身体に入ったのだとすれば、「勇者」はどうなっている?

 もし、もしも「勇者」がの肉体を乗っ取っているのだとすれば……


 彼は、噛みしめた肉から血の味を感じた。

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