魔王城。
「――っ!! 余の、身体……」
ゾディオは、己の両手を閉じたり開いたりしながら眺める。
「!! 鏡は……」
彼は部屋の中を見渡すが、特に鏡は見当たらない。
――余は、先ほどまで、窓の外を眺めていた。と、すると……
ゾディオは身を乗り出して窓の外を見渡す。
しかし、暗闇をも見通す魔王の眼をもってしても、鏡らしきものは見つけられなかった。
「勇者め、城下町のどこかに鏡を隠したか……」
彼は苦々しく舌打ちをすると、身を翻し、歩き出した。
――鏡は後で探せばよい。それより、まずは城内に異常がないかを調べるのが先決だ。
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「――では、こちらも特に異常はないな」
「はい」
ゾディオが城内を調べて回った限り、特に異常は見られなかった。
――間抜けなことにも余が暫しの間、勇者と入れ替わっていたなどと言えば、城内に混乱を招くだけだ。これ以上の詮索は無意味。
……最後の仕上げだな。
自室に戻ったゾディオは、妻・セリシアと息子・オーセッドを呼び寄せた。
「お呼びですか、あなた」
「うむ」
幼い手を母に引かれ、オーセッドは父の顔をじっと見つめる。
「……ああ、戻られたのですね」
「何?」
「あなた、配下と入れ替わってらっしゃったのでしょう?」
「……そうだな」
――なるほど、勇者はそのようにして取り繕ったのか。
「セリシア」
ゾディオは、妻に耳打ちをする。
「――本気、なのですね」
「ああ」
セリシアは、一度瞼を閉じるとゆっくりと目を開け、その燃えるような赤い瞳で真っ直ぐにゾディオを見据えた。
「承知いたしました」
ゾディオは、唐突に妻と息子を両腕に抱きしめた。
「あ、あなた?」
「ちちうえー?」
「……不憫な思いをさせて済まぬ。不甲斐なき王を、どうか許してくれ」
「……はい。私は、いつまでもあなた様のお傍におりますよ」
セリシアは、魔王の震える肩を、そっと抱きしめた。
「オーセッド」
「?」
「今から、お前に大事なことを話す。よく、聞いておけ」
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狂いの森。
「……ロロ」
辺りを見渡したゼルスは、そこに彼女の姿を認めた。
「還って、来たのね」
彼女の眼は、ゼルスの顔を映した途端に、何かの糸が切れたかのように緩んだ。しかし、落ち窪んだ眼窩のせいだろうか、その金色の瞳には一抹の翳りがあった。
「ロロ、今更、申し開きをするつもりはない」
ゼルスは、俯きながら鏡を手に取った。
「え?」
「この鏡、竜巻のペロペロシアを倒したときに手に入れたことを、ずっと、お前とマオに言っていなかった」
「ゼルス……」
ゼルスは鏡面を伏せ、自分の顔が映らないようにしながら、鏡をロロに見せる。
「あの時、俺は、ギルのことでお前とマオとが口もきけない関係になったことを、知っていながら……知っていながら、それでも目を逸らした」
「うん」
「鏡を手に入れたときも、余計な諍いを起こすのが嫌で、それで、黙っていたんだ」
「うん」
「俺は、疲れていた」
「……うん」
ゼルスはロロの瞳を見つめ、うすら笑いを浮かべる。
「入れ替わっている間に、魔王妃に見つかってな。危うく入れ替わってることを見破られそうになった。でも、俺は魔王配下の魔物だとごまかしたら、魔王妃は、あっさりとそれを信じたんだ」
「……」
「俺、魔王と同じ瞳をしてるってさ」
ロロは背後の魔王城を見るともなく眺め、おもむろに口を開いた。
「私も、魔王と話した」
彼女は、ゼルスの方へと向き直る。
「ギルとマオがどんな最期を遂げたか、四天王とどんな戦いをしたのか、話したら、ただ黙って聞いてた」
「確かに、同じ瞳をしてた」
「……そうか」
――ロロの言いたいことは分かる。きっと、魔王も……
だが、その先は言ってはいけない。ロロも、それを分かっているから、言わない。
「ゼルス」
「何だ?」
少し躊躇って、眉を顰めるロロのその顔は、賢者の顔ではなかった。
それは、既にゼルスの記憶の片隅に追いやられていた、少女の顔であった。
「もし……もし、ゼルスが勇者じゃなくて、私が賢者じゃなかったら――」
潤み、黄玉のような輝きを湛えたその瞳に見つめられたゼルスの網膜には、想像したこともなかった――いや、想像しようとするたびに振り切ってきた、勇者として以外の自分の生が映った。
――俺が、もし、勇者じゃなかったら……そうだな、鍛冶屋にでもなって、毎日汗だくで剣を打って、顔中すすまみれになって、たまの楽しみに酒でもひっかけて……
ロロはきっと、大きな図書館で司書でもやってて、俺にとっては高嶺の花で、でも、きっと何かのきっかけで出会って、そして――
ゼルスは、目の前の少女を見つめた。
――可憐な一輪の花の背には、ひたすらに夜が続いていた。
勇者は、少女の双肩にそっと手をかけた。
「ゼルス……?」
「――でも、それでも……俺は勇者で、お前は賢者なんだ」
ロロは我に返ったように目を見開き、すぐに閉じた。
「そうよね、ごめんなさい、さっきのは忘れて頂戴」
再び目を見開いた彼女は、まぎれもなく賢者ロロであった。
「ロロ」
「なにかしら」
「両手を出してくれ」
「手?」
ロロは不思議そうに首を傾げると、言われたとおりに両手を差し出した。
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