魔王城。
「――では、その鏡が寝室に置かれているというのだな?」
「はい」
――竜巻のペロペロシアを倒した際に手に入れた鏡、あれの片割れか。
彼は、城内の魔物に精神だけが他者に乗り移る可能性を聞いて回り、ついに入れ替わりの鏡を突き止めた。
――ならば、もう、迷うことはない。俺の身体に憑依した魔王は、身体ごとロロが始末してくれるはずだ。
「……うぅっ」
突然、彼と話していた魔物が目元を抑えだした。
「どうした?」
「いえ、あの入れ替わりの鏡だけは、せめて両陛下のお手元に永遠に残ることを願うばかりです」
「入れ替わりの鏡だけは……? 何のことだ?」
魔物が目元から手をのけると、そこから大粒の涙が零れ落ちた。
「もはや城内の者は皆、存じております! 両陛下が財物を食料に変えて領民に分け与え、士気を保とうと奔走なさっていることに!」
「……」
「ペロペロシア様亡きあと、王妃陛下が甚く大切になさっていた入れ替わりの鏡だけは、せめて……」
「分かった、もうよい」
「必ず、必ずや勇者めらを討ち倒し、再び我ら魔族の栄光を取り戻しましょう!」
その言葉に何も応えることなく、彼はその場を去った。
彼は寝室に戻り、壁にかけてあった大鎌を手に取る。
鎌の刃を自らの首にあてがうと、浮かんできたのは仲間たちの笑顔であった。
――ようやく……ようやく、俺は終われるんだな。
ギル、マオ、今から俺も行く。ロロ、済まない、先に行く。……どうせお前も程なく来るんだろう。
彼の口から笑みが零れる。
――さらば。
鎌を持った右手が勢いをつけて引かれる。
しかし、大鎌が彼の喉笛を掻き切ることはなく、暗黒の膜のようなものに弾かれた。
――っ! これは、黒の衣か……!!
くそっ、意に反して勝手に発動するとは!
壁に大鎌を投げつけ、黒の衣を剥がす方法を調べに行くべく、彼は部屋を出た。
「あなた! ほとんど眠っていらっしゃらないでしょう、暫く横になっておられた方が……」
部屋を出てすぐの所で、彼は呼び止められた。
漆黒の髪から生えた二本の角と、青い肌以外、全くもって人間と変わらない妖艶な美女であった。両手には大量の羊皮紙の束を抱えている。
――まさか、魔王妃セリシアか!
「……? あなた、何かこう、雰囲気が変わられました?」
セリシアは不思議そうな顔で彼を覗き込んだ。
次第に、その瞳に疑念の色が濃くなる。
「――はっ! 恐れ多くも、ただいま陛下と入れ替わっております!」
「え……?」
「つい先日、行方知れずになっていた入れ替わりの鏡の片割れを、狂いの森にて発見いたしました。ただいま、森の視察のため、陛下と身体を入れ替わらせて頂いております!」
「……」
セリシアは、目を細めて彼を見つめる。
――ごまかしきれないか……?
彼の背筋に冷たいものが伝わり、胸の奥が脈打つのを感じる。それは、人間の身体で感じていたものと、何ら変わりない感覚であった。
しかし、セシリアはにっこりと笑った。
「貴方、将来大物になるわよ」
「は……?」
「雰囲気は違うけれど、貴方――」
「――魔王と同じ瞳をしているんですもの」
「では、お勤め頑張って頂戴」
セリシアは、足早に廊下を歩いていった。
彼は、暫く呆然と立ち尽くしていた。
「ふっ……ふふふ」
どこからか、笑いが込み上げてくる。
――この俺が、勇者ゼルスが、魔王と同じ瞳をしている、か。
……いや、当然のことかもしれないな。俺はもうとっくに――
彼は、部屋の中に足を踏み入れ、鏡に映った顔を眺める。
――俺が鏡を見て悍ましいと思ったのは、青い肌でも、黒い爪でも、二本の角でもなかったんだ。
そうか、魔王は、こんな顔をしているのか。
彼は暫く廊下を歩き、ロロがいる場所から見えるであろう窓の前で足を止める。そこで作業をしていた二体の悪魔卿の内の一体に、彼は声をかけた。
「お前、空は飛べるな?」
「は、はい!」
魔物は、驚きと戸惑いを露わに答えた。
「窓から外に出て、これを、あそこの屋根に置いてこい。鏡面をこちらに向けてな」
彼は、遠くに見える城下町の屋根を指さしながら、入れ替わりの鏡を魔物に差し出す。
「か……かしこまりました!」
魔王の命令に逆らえるはずもなく、釈然としないまま、魔物は空へと飛び立った。
――ロロが魔王を仕留めていたとしたら、この魔王城に見えるように、何か分かりやすい合図を送ってくるはず。それがないということは、仕留めそこなったのだろう。
――そして、俺の身体になった魔王に、行き場はない。奴は、必ず戻って来る。
「鏡を置いてまいりました!」
「ご苦労、もう一仕事だ」
「は……?」
「おい、お前」
彼は、傍らにいたもう一体に声をかける。
「空中のそこと……そう、そこに留まって、合図で上と横に、同時に閃光魔法を放て。横に撃つお前は弱く、上に撃つお前は強く」
――ロロ、頼んだぞ。これが、俺の答えだ。
彼の合図と同時に、宵闇の空に閃光魔法が放たれた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!