同時刻。魔王城、王の寝室。
「……?」
彼の眼前にある鏡に、銀色のひげを整えた、青肌の悪魔が現れた。
「――っ! 敵か!!」
飛びずさり、腰の聖剣を抜き放とうとするが、彼の右手はただ空を掴んだ。
「な……!? 光の剣がない!?」
辺りを見回すと、彼は見覚えのない景色に包まれていた。濃紫や深紅を基調とした調度の数々、銀色の燭台に揺らめく青白い灯り。それらは妖しく不気味ながらも、各々が調和し、ある種の気品を湛えていた。
――何だ、この部屋は? 俺は確か、リザードマンを仕留めて、それから、荷物を整理して……
冷静さを取り戻した彼は、眼前の鏡に映っているのは自分の姿であることに気が付いた。
――俺が、悪魔の姿に……? くそっ! 魔物の幻術にでもかけられたか!
辺りを見回すが、魔物の姿はない。
「ロロ! ロロ! 無事か! 聞こえていたら返事をくれ!!」
呼びかけた声だけが、虚しく反響する。
「ロロ――」
「陛下、如何なされましたか!?」
床下の隠し扉を開けて、二体の魔物が入って来た。
「……!!」
彼は咄嗟に右手を構え、雷撃魔法を放とうとする。
「イリテーション!!」
しかし、何も起こらなかった。
――魔法が使えない!?
焦燥に駆られる彼を前に、魔物たちは顔を見合わせた。
「陛下、どこかお体の具合でも……?」
――「陛下」だと? 俺が魔族の王だとでもいうのか?
「……いや、何でもない。下がれ」
彼は魔物たちに敵意がないと判断した。
魔物たちは、一礼をすると、床下へ再び消えていった。
――襲われるでもない、身体に苦痛を感じるわけでもない。加えて、やたらと感覚がはっきりとしている。幻術にしては、あまりに意味不明だ。
強制的に転移させられたと考えるのが自然か? ……いやしかし、だとすれば俺のこの姿はどう説明する?
彼は頭を抱え、再び鏡を見つめた。かつて仲間を喪った際に感じた、脳漿をかき回すような自責の念と共に、未だかつて感じたことのない、胸の奥の収斂が彼を苛む。
――どうか、どうか頼む、ロロ、無事でいてくれ……!
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大廊下ですれ違う魔物達は、ことごとく姿勢を正して頭を下げる。
――これが幻術や夢でないというなら、とにかく現状を把握しなくては。
彼は寝室を出て、城内を散策していた。窓からは、城下町の外に一面に広がる漆黒の森が見て取れる。
――あの禍々しい木々。あれは、狂いの森に違いない。 やはり、ここは魔王城で、俺は魔王なのか……
しかし、だとすれば、「魔王」はどうなった? 俺が、この身体を操っている間、「魔王」はどこにいる?
――もしも、この身体がなくなれば、「魔王」はどうなる?
彼の脳裏に、戦友の記憶が蘇った。
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「へっ! 魔王四天王とやらも大したことねぇな! 最強戦士ギル様にかかりゃ、楽勝だぜ!」
ギルは、地面に這いつくばる巨体にとどめの一撃を加えるべく、剣を振りかぶった。
「何言ってんの、あんたもボロボロじゃないのよ」
ふらつきながら、マオが笑う。
「待ってて、二人とも。今、回復魔法を――」
「ギル!! 後ろだ!!」
ゼルスが叫ぶと同時に、ギルは真横に跳んだ。
「ぐふふふ……この、墓地のスコシチョローネ、ただでは死なぬ……とっておきを、くれてやったわ……ははは……は……」
地面を突き破って伸びた鋭い触手が萎びると同時に、巨体は倒れ伏し、完全に沈黙した。
「ぐあぁ……」
ギルは、右手から剣を手放し、その場にうずくまる。攻撃によって肘にほんの小さな切り傷を負った彼の右腕は、傷口からどす黒く変色していく。
「ギル!」
ロロが駆け寄り、解毒魔法をかけた。しかし――
「だめ、壊死してる、これじゃ、治せない……!!」
――ギルの右腕は既に腕の付け根近くまで変色していた。
「ゼルス! 俺の右腕を切り落とせ!!」
「な……!」
「頼むっ!!」
「……くっ!!」
ゼルスは剣を抜き放ち、ギルの右腕を切断した。
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「くくく、次こそは貴様らまとめて水底に沈めてくれる! 光栄に思うがいい、この荒波のコニャニャッツァが二度もこの技を使うのは貴様らが初めてだ!!」
濃紺の鱗を身にまとった巨人が、その周りに大渦を作り出す。
「私の魔法じゃ、二度目は防ぎきれない!」
千切れかけた胴体から腸の飛び出したゼルスに治療を施しながら、ロロが苦々しく仲間に告げる。
「剣も、魔法も、拳も、あの鱗に防がれるわ……どうしたら……!」
マオの声色は、普段の豪放で快活な彼女からは考えられないほど、か細く悲痛だった。
「……ロロ」
低く、落ち着いた声色でギルが呼びかける。
「これからの旅にその判断力、知識、魔法、どれも不可欠だ。ゼルスを助けてやってくれ」
「ギル……? なんで今、そんなこと――」
「ゼルス。おめえとは何かと喧嘩ばかりしてたが、別に、嫌いなわけじゃねえ。おめえなら、必ず魔王を倒せる。俺が、保証してやる」
「ギ……ル……?」
朦朧とする意識の中、ゼルスはギルが遠のいていくような感覚に襲われた。
ギルは左手に持った盾を正面に構える。
彼は振り向くと、歯を見せて笑った。
「マオ、いい男見つけろよ。……ま、も少しおしとやかになるこったな」
「え……?」
ギルは、巨人めがけて一直線に突進した。
「血迷ったか! 片腕の戦士が、盾だけ持って何をできる!!」
「できるさ!」
ギルの身体から虹色の光が溢れだし、球体となって彼を包み込む。
「――っ!!」
ロロは、ギルの意図を察してしまった。
「ま、まさか、それは……馬鹿な、何故、戦士の貴様が……っ!!」
巨人は渦を水の刃に変え、ギルに向けて放つ。
「つっ……!」
盾で防ぎきれない刃がギルの肩の、腰の、脚の肉を切り裂く。
「嫌ぁっ!! 放して! ギル! ギルッ!!」
錯乱するマオを、ロロは呪縛魔法で抑え込んだ。
「ぐっ! しぶとい……これでどうだ!!」
放たれた巨大な水の刃が、ギルの左脚を切り落とした。
左脚は宙を舞い、マオの傍らに落ちた。
「へっ、へへ……もうちょい」
血の轍を残しながら、ギルは盾を構えて這いずる。
「ひっ!! く、来るな、来るなぁっ!!!」
「つ、かまえ、た……」
虹色の光が、三人を包む。
少し遅れて、大地を揺らす爆発。
巨人の残骸が辺りに飛び散った。
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――ギル、俺は、今こそお前に倣うべきなのだろう。
青肌に黒い爪の生えた手を見つめながら、彼は意を決した。
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