伊口千晶 ~2~
二〇〇五年六月一八日 土曜日 七本槍市 伊口家
鬱陶しい梅雨の最中、土曜日だというのにバンド練習もなく、千晶は部屋に籠って教科書を開いていた。
何も好き好んで休みの日に勉強などしている訳ではない。週明けから学期末テストが始まる。成績は悪い方ではないが、テスト前はやはり憂鬱になるものだ。小学生の頃から使っている学習机に向かって、千晶はシャープペンシルをくるくると回していた。あまりテスト勉強をする気にはなれない。シズの曲につけるベースラインが気になって勉強に意識が向かない。
ぼんやりとベースラインを考えているとメールの着信音が聞こえてきた。莉徒からだった。
『今電話してもいい?』
それだけの内容。千晶は『いいよ』と三文字打って返信した。
程なくして『-P.S.Y-』の楽曲、『BLUE BLUES』の着信メロディが鳴った。
『はぁい、千晶ちゃん』
間髪入れずとはこのことだろう。すぐさまの莉徒からの電話だった。正直あまり良い予感はしない。
「ちゃんは余計だ」
即答する。ちゃんをつけないように、とあれほど言ってきたのに、莉徒だけは頑なにそれを聞き入れようとはしない。一応ツッコミだけは毎回しているが、莉徒の性格からしてきっと是正は無理だろう。
『いいじゃないよぉ。時にさ、千晶ちゃんて世界史得意?』
「得意じゃないけど、苦手で苦手で仕方がない訳じゃあない」
良くない予感は的中するものだ。いや、勉強に集中できなくなっていたところだ。気分転換と考えれば良くない、という訳でもないだろう。
「うっそ、じゃあちょっと教えてよ」
「まぁいいけど」
あんまり勉強してなさそうだもんな、と危うく出かかった言葉を飲み込んで短く答える。
「んじゃ今から行くね」
「は?」
突拍子もないことを言い出す莉徒に、千晶はそれだけを返す。ンジャイマカライクネ?一瞬日本語かどうかも判別できなかった。
「電話口だけじゃわっかんないでしょうよ、世界史なんか」
「だから俺んちくんの?」
「じゃあどっかで待ち合わせでもいいわよ」
莉徒の言葉を聞いてすぐに南商店街外れの喫茶店を思い浮かべる。確か『vulture』という名の店だ。コーヒーは巧いし、軽食も旨かった。店の雰囲気も千晶好みだったし、勉強をするなら集中もできそうだ。
「じゃ件の喫茶店で」
「クダンとかゆーな」
「じゃあいつもの喫茶店で」
「了ぉ解」
(まったく……)
シズといい、莉徒といい、このバンドのフロントは突拍子もない人間しかいない。そもそもフロントマンをやりたがるような人間は変わり者ばかりだというのは千晶の持論ではあるのだが、シズや莉徒を基準にしてしまっては世のフロントマンが気を悪くするだろうと思うほどにシズも莉徒も特異だった。
正直拓だけが心のよりどころだ。
拓が加入してくれなければとっくに脱退していたかもしれない。などと考えながらも、千晶は外出の準備を始めた。
「でさ、何でギター持って来てんの?」
莉徒は喫茶店の四人掛けのテーブル席に先に陣取っていたようだった。だが問題なのは莉徒の隣、窓際の席の椅子の上に鎮座ましますテレキャスター。しかも抜き身である。流石に千晶の目も丸くなる。
「シズの曲のリフさ、バッキングのストローク、絞れなくて」
当たり前のように莉徒が言う。確かにこの間のスタジオでそれは課題になっていたし、千晶のベースラインも絞り切れてはいない。
だが、しかし、だ。
「世界史じゃなかったっけ?」
「それもやるわよ」
語尾にうるさいわねぇ、とでも付けだげな表情で莉徒は眉間に皺を寄せる。
「……」
何というガラの悪い表情だろうか。莉徒がヤンキーだという噂があるのは最近知ったが、それも頷けるというものだ。そんな表情をふっと和らげて、店主の女性にちょっと弾くね、と断って、莉徒はギターを弾き始めた。アンプラグドでは少し判り難い。
「それさ、クリアじゃないでしょ?」
あのシズが創ったリフレクションにクリアトーン、つまり、エフェクトを一切かけない純粋な歴ギターの音では似合わないし、今莉徒が弾いたストロークパターンではミュートが多すぎるように聞こえる。歪み系のエフェクターをかけてアンプを通した音を想像すれば、それなりの音に聞こえそうな気はする。
「歪みは少しかける予定。オークションでブルースドライバー落札したのよ」
「それコンパクトだっけ?歪み?」
「そ。かなりクランチだけど。多分シングルのテレキャスとの相性はいいと思うのよね」
莉徒の持つFender社の代名詞ともいえるテレキャスターというギターはシングルコイルピックアップという拾音器を搭載しているギターで、シズが使っているGibson社のSGやレスポールなどに搭載されているハムバッキングピックアップと比べると、クリーンでドライな音が出るギターだ。歪みを上手に創るギタリストであれば本当に良い音が鳴る。千晶自身もシングルコイルピックアップを搭載しているストラトキャスターを持っている。
「あれって軽いの?オーバードライブ系?」
「そ、オーバードライブ。ま、何事も加減だけどさ、あれかなり強めにかけてもブースター程度にしか使えないくらいゲインは弱めなのよ。前に夕香さんとこで試弾きしたことあるんだ」
「ほぉ」
エフェクターを選ぶのに試弾きは欠かせない。一口に歪み、と言っても、何が鳴っているか判らないような強烈な歪みがあれば、莉徒が購入した軽い歪みのものもある。大本、根本的な構造はどれも同じだが、大別してもオーバードライブ、ディストーション、チューブスクリーマー、ファズ等、有名なものだけを挙げてもこれだけの違いがある。実際に弾いてみて、必要な音だと自分で納得できればエフェクターは買いだ。ベーシストである上に、基本的には一切のエフェクトを弾かない、いわゆる生音派の千晶にはほとんど縁の無い話だが。
「明日の練習に持ってく」
くぃ、とサムズアップをして莉徒はテレキャスターを隣の席に置き直した。明日でも良かったのではないかと千晶は思ったが、音楽の話をしているのは千晶も好きだ。それに藪をつついて蛇を出すのは千晶も望むところではない。莉徒やシズの場合、ただの草むらだと思っていたところも藪だったりする可能性は高い。
「ん。楽しみにしとくよ」
見た目は中学生でも通りそうな容姿だというのに、莉徒のバイタリティーには驚かされる。一体この小さな身体のどこにそんなパワーが詰まっているのか、と思うと不思議だ。
「中々いいバッキングだったわね」
アイスコーヒーを二つ(勿論莉徒のおごりで)持ってきた店主の女性が莉徒に言う。
「でしょー。夏休みにライブやるから涼子さんも遊びにきてよ」
「そうねー、じゃあ日取り決まったら教えて。空けとくから」
「やりー!」
いつの間に店主の女性と仲良くなったのか、莉徒は子供のようにはしゃいだ。
(本質は邪気、かもだけどな……)
心の中でだけで呟いて、千晶はアイスコーヒーのグラスにストローをさした。
二〇〇五年六月一九日 金曜日
「ちわー」
「おはようございますー」
EDITIONの地下、練習スタジオの受付に立っているスタッフに挨拶をしてから、時間表を見る。
拓が長いことEDITIONのスタジオの会員だったおかげで、ここのスタジオは比較的安く使える。元々この街にはリハーサルスタジオは三軒あるが、EDITIONは設備が良いだけに最初は割高の料金だ。しかしただ高いだけではなく、使用頻度や年数によって金額が変動するシステムなのだ。拓はEDITIONを使い始めてから既に四年が過ぎ、使用頻度もそこそこ高いおかげでかなり安く利用できる。
「ざっす」
もう一度挨拶を返して時計を見る。
(まだ時間早いな……)
少し楽器でも見よう、と階段を上がったところで、見たくもない顔を見てしまった。
「あれ、千晶じゃん」
(ちっ……)
前のバンド『Beat Release』のメンバーで、ギタリストだった坂本だった。できることなら二度と顔は見たくないと思っていた男だ。
「ども」
短く、これ以上は取り合わない、という態度で千晶は一応挨拶を返す。
「何アンタベースとか持ってんの?」
わざと、皮肉たっぷりに坂本は言ってくる。それが千晶には判る。
「……」
「またバンドとかやってんだ」
ふーん、と嘲笑する。
「そうだけど……。別にあんたらには迷惑かけてないじゃん」
相手にしなければ良かったのだが、千晶はつい口答えをするように言ってしまった。
「あぁ、そうね。じゃあ今度対バンでもする?」
ニヤニヤ、と坂本は言う。相変わらず嫌な奴だ。
「やめとくよ。かないっこない」
(元々やってる音楽だって別物なの察しろよ)
何故千晶を抜いたのか。何故千晶が抜けたのか。少し考えれば判りそうなものだ。誰が誰に文句を言っていたのか、つい数週間前のことですら思い出せないのか。
「まぁ練習だけで満足できる人達もいるみたいだしね」
「えー!何ナニ?対バン?やろーぜ!」
(ヤッカイな……)
背後からから、よりにもよってシズが割り込んできた。何故、拓ではなくシズだった、と見たことも聞いたこともない音楽の神様に恨み言を心の中で呟く。寄りにも寄ってシズが絡んだとあってはすんなりと話が終わる訳がない。
(い、いや……)
しかしこれは坂本など無視をしてさっさと離れなかった千晶自身の責任だと即座に気付いてしまった。
「何?千晶の知り合い?」
「うん、まぁ」
シズの言葉に歯切れ悪く千晶は答えた。一刻も早くこの場から立ち去りたい。良く考える。どうすれば一番の近道か。どうすれば一番手っ取り早くこの場を去ることができるか。
それはシズを納得させること。坂本のことなどどうだって良い。シズが坂本に興味を失うことが一番だ。
「前に組んでたんだよ。彼はギターなんだけど」
「おぉー、オレもギターだぜ!対バンしよう!」
駄目か、逆に興味を持ちそうだ。もはや坂本もシズも千晶の理解を超えた存在だ。いや、理解もしたくない存在だ。そいつらが寄りにも寄って対バンか。全くジャンルが違うバンドと対バンなどして何になる。例えば観に来てくれた人がいたとしたら混乱するばかりだ。
「だってさ、千晶」
あまりにも頭の悪そうなシズを苦笑するように言って、坂本は千晶の肩を叩いた。
(まったく……)
「まだ組んで間もないんだ。まぁ、そのうち」
じゃ、と言って千晶はシズの襟首を引っ掴んで、地下へと戻る。
「お、おいおい、まだ時間前だぞ」
「いーから!」
自分達がこの後使う予定のCスタジオの防音扉から中を覗くと、誰もいなかったようなので中に入りドアを閉める。
「あのな、対バンなんかしないって!」
ひっ掴んだ襟首を放し、千晶は声を高くした。
「なんでだよ!」
「上手いんだよ、あいつらは!それにやってる音楽だって全然違うし!」
今後はシズの両肩をがっつりと掴んでがっくんがっくん前後に揺らす。
「あ、おま、ちょ、やめ、ま」
激しく揺られながらもシズは何とか声を出す。
「そぉねぇ。確かに比べるのもおかしいと思うわよ」
「わぁ!」
突然背後からかかった声に驚いて、千晶とシズは同時に悲鳴を上げた。
「ゆ、夕香さん……」
ドラムセットの足元を整理していたのであろうEDITIONの主、谷崎夕香がひょこ、っと顔を出した。確か谷崎夕香とはここEDITIONの総支配人であり、社長であり、何だか良くは判らないが一番偉い人のはずだ。その一番偉い人が何故スタジオの整備などをしているのか。
「まだ片付けてるのに……。しょうがないわねぇ」
クスクスと笑って夕香は言う。こんな時に思うことではないにも拘らず、美人だと思わずにいられないのが流石の谷崎夕香だと思わずにいられないのだ。
「何、いぐっちゃんって坂本達と組んでたんだってね」
「え、えぇ、まぁ……」
何故夕香がそんなことまで知っているのか。
「こないだ関口君が来てね、いぐっちゃんが他の子と新しいバンド始めたんだよーとか話してたのよね。対バンって、Beat Releaseとやるって話でしょ?確かに連中の音といぐっちゃん達の音は違うわよね。ていうか、いぐっちゃんがBeat Releaseでベースってのがもう意外なんだけど」
(なるほど)
元々の原因は夕香だったということか。関口というのは千晶が元いたバンドBeat Releaseのボーカルだ。関口は違うバンドでギターも弾いていたので、そのバンドではここ、EDITIONを利用していたのだろう。ここ最近でEDITIONを使い始めた千晶と関口が同じバンドにいたという話が何かのタイミングで夕香に伝わり、夕香から関口に話が伝わって……。
恐らくそれを知った坂本はわざと様子を見にきたのだろう。
(ますます嫌な奴だ)
それよりも、千晶自身のベースが何故Beat Releaseとは合わないと夕香が知っているのかが不思議でならない。シズと二人でここに来て、メンバー探しについて夕香にアドバイスをもらったのは確かだし、それももう一か月以上も前の話だ。その間に拓もメンバーになってくれて、夕香が自分たちのことを覚えてくれていたににしても、何とはなしに不自然さを感じてしまうのだ。
(ゆ、夕香さんって何者なんだ……)
「夕香さん、違うって何がっすか?」
「あの子らはドポップだからね。シズんとこみたいにロックじゃないのよ。ポップロックじゃなくてホントにポップなのよ」
スタジオの外からでも音は聞こえるが、千晶たちが練習に入った時にそういったものを聞いていたのだろうか。商売柄、というのはあるのかもしれないが、それでも数多く存在する特に抜きん出たものもないバンドの傾向まで把握している夕香の洞察力は瞠目に値する。
「ですよね!だからシズ、別に対バンなんかしたって意味ないよ。勝ち負けなんかも関係ないから」
同じジャンルで集客数や盛り上がり方での勝敗はもしかしたらつくかもしれない。だけれど、勝敗などバンドには関係のないものだ。
「……何をバカな」
「……」
どうせろくでもないことを言い出すに決まっている。
「背を向けることは死よりクツジョクだ」
予想通り、腕を組んでシズは偉そうに言い放つ。
(バカはオマエだ)
「……バカにしてるな?」
「してない」
相変わらず勘だけは良い。
「あのな、聞けよ千晶。そういう奴らには知らしめてやんなきゃなんねーだろーがよ」
「……何を」
半ば相手にするのも疲れて千晶は問う。
「ロックの偉大さだ」
「……何をバカな」
口答えをしてしまった。
「バカはオマエだ」
「……」
もはや問答は無駄と千晶は沈黙を保つ。
「いいか千晶、ロックってのはな、幾千、幾万人もの自殺志願者を更生してきた、超!偉大な音楽なんだぞ」
(そのロックで自殺したカート・コバーンはどう説明してくれんだよ……)
「そんな超偉大な音楽が、ポップごときに背を向けたとあっちゃーお前、ロックの神様に申し開きが立たねーだろうが!」
(……なんだかなぁ)
千晶は特撮ヒーロー番組で失敗するたびに『今度こそは奴らを地獄へ叩き落して見せましょう』と言い続けている悪の組織の幹部を思い起こした。
「いいか千晶、これはロック対ポップの聖戦だ」
留まることを知らないシズに、今度は口に出して言う。
「やっぱり、バカはオマエだ」
ずびし、とシズの額を突付いて千晶は言い放った。
「中々いいコンビじゃないの」
整理を終えたのであろう夕香が笑って防音扉を開けた。
「おぉー、すっげーいい感じじゃん、そのヒズミ!」
莉徒が持ってきたブルースドライバーを見てシズが言う。
「でっしょー。ハムとシングルって相性結構いいから、軽い歪み選んだんだけどさ、シズがマーシャルで歪ませるなら私はクランチにカッティングがいいでしょ!」
満面の笑顔で莉徒は言う。昨日見せてもらったブルースドライバーは莉徒本人だけでなく、シズも気に入ったようだった。ベースにもギター同様エフェクターは存在するが、千晶はベースエフェクターは使わない。以前エンハンサー、リミッター、イコライザーの三つのコンパクトエフェクターを使っていたが、どういじっても千晶の思う通りの音にならず、ベースは生音が一番だ、という結論にあまりにも簡単すぎるほどに辿り着いた。色々と理由はあるが、平たく言ってしまえばそれが一番無難なのだ。
「私どっちかってーとエフェクターで音創る方が好きだからさ。個人的にはマーシャルはテレキャスとは相性あんまり良くないかなーって思うし。こないだメサ使ったけど、やっぱり気に入らなくて」
MarshallやMesa Boogieのアンプはアンプだけでもかなり強烈に歪ませることができるが、どちらも癖の強い歪みだ。莉徒はクリアトーンも使うので、クリアトーンが綺麗に出るRoland社のアンプ、Jazz Chorusを使うことにしたようだ。
「確かに莉徒の弾きだとJCだよねぇ。コーラスとかも使うんでしょ?」
「うん。もちろん曲に依ってはだけどさ、空間系、コーラスとディレイかピッチシフター使おうと思ってる」
ぐ、ぐ、と伸びをしながら言う拓に莉徒は答える。そういった話を聞いていると千晶もエフェクターを使ってみたくなるが、ベースは音色より地力だ、と自分に言い聞かせる。買ったところで満足な音など出ないのは今までの経験で散々判っているのだ。残るはプリアンプだが、高校生の千晶では中々お求め安いお値段のものは手に入りにくい。
「シズが歪みっぱなしだし、俺も莉徒は色々音作ったらいいと思う」
「うん。そんじゃ始めよっか」
「ちょっと待った!」
シズが莉徒を止める。
(嫌な予感しかしない)
「何よ」
「対バン、する」
「しない!」
シズの戯言を千晶は直ぐ様却下する。
「え、何!どことやんの?」
きらり、と莉徒の目が輝いたように見えた。
(だめかもしれん)
「千晶が元いたバンド。ま、千晶をクビにしたポップだかコーンだかのバンドに一泡吹かせてやろう、と。まぁそういう訳だ!」
「ほぉ、それは面白そうじゃん」
「こんないいベーシストを振るバンドなんているのねー」
嘘だ。そんなこと思ったこともないくせに、と千晶はかぶりを振る。
(……)
ただ、嘘でもちょっと嬉しい。
「そこで莉徒」
「何よ」
「奴らに対抗するためのドポップなのを一曲創ってくれ」
「いいわよ、シズが歌うんなら」
とことん勝負する気だ。音楽での勝ち負けなど意味がない。世の中には醤油が好きな人がいればケチャップが好きな人もいるのだ。ケチャップで刺身を食う人間もいれば、醤油でフライドポテトを食う人間もいる。いや、醤油はことのほか万能なので、醤油に圧倒的有利な展開が予想されるが、そもそも味の勝負など決着がつく訳がないのだ。そして味と音楽はそう言った意味では良く似ている。いや同じだと断言しても良い。
一番、なんて物は個人の中でしか存在しないのだ。
「何!」
「私はドポップなら興味ないからね。シズが歌うんなら創るよ」
「えー……」
「それにあんたね、ポップなんて可愛い感じで作って、私が歌ったらフツーすぎちゃうでしょうが」
「まぁ、そうだけどよー……」
それは暗に自身が可愛いと理解しているということでよろしいのか。口には到底出せない疑問が千晶の脳裏をかすめる。だがしかし、そんな呑気なことを考えている場合ではない。
「だからやんなくていいって。大体何で音楽で勝負とかするんだよ」
対バンする、ということは他のメンバーとも顔を合わせなくてはいけない。それが嫌で仕方がない。辞め方が辞め方だ。円満脱退だったのならば仲良くやることも可能だったかもしれないが、時既に遅し。そうは絶対にならない。それに今日会ってみて再確認したがやっぱり坂本は嫌いだ。
「何?逃げる気?」
「そういう問題でもない。そもそも逃げでも何でもない。それに俺はマクフライ家の人間じゃないんでね」
じろり、と柄の悪い表情で睨む莉徒の目を真正面から見返して千晶は言う。ライブをやることに文句などあるはずもないが、Beat Releaseとの対バンだけはやる気にならない。それに逃げる、なんていう言葉に過敏に反応する男は漫画やアニメに登場する頭の悪いキャラクターだけだ。あとシズだけだ。千晶にとっては挑発になどなりもしない。
「……何をバカな」
シズとまったく同じことを莉徒は言う。腕を組んで、偉そうなポーズまで同じだ。
「男のやるポップに負けるくらいなら死んだ方がマシだわ……!」
(クソッ、これだからフロントの人間は!)
自己主張が強くて好き勝手な人間ばかりだ。結局どんなバンドを組んでも、どんなフロントマンと組んでもそれは変わらない。
「ま、腹括った方がいいね、千晶」
頼みの綱までもがそう言って笑った。
(なんてこった……)
Pop or Corn END
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