太陽の光で目を覚ますと、「おはようございます」とクラルスの声が落ちてきた。
シンはどうしたのだろうか。彼が寝ている寝台を見ると、そこにシンの姿はなかった。
「おはようクラルス。……シンはどうしたの?」
「明け方、物音に気がついて追ったのですが彼は姿をくらましてしまいました」
「シン……大丈夫かな」
昨日の彼の様子を見ていたので、心配だった。ルフトさんは先に酒場へ行き、朝食を食べているそうだ。
僕も身支度を整えてクラルスとともに酒場へ向かった。
酒場では、すでにベルナさんは営業へ向けて酒瓶棚の整理をしている。僕に気がつくと彼女はほほ笑んだ。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「はい。おかげさまで。夕食の作り置きありがとうございました。おいしかったです」
ベルナさんに昨晩のことは何も問われなかった。彼女は少し離れた部屋にいたのだが気がつかなかったようだ。
ルフトさんの向かいの席へ座る。ベルナさんは僕が先日買った林檎で紅茶を淹れてくれた。
硝子の容器の中に薄い輪切りの林檎が浮いており、甘い香りがする。
僕が夜中に起こしてしまったため、ルフトさんは紅茶をすすりながら気怠そうにしている。ベルナさんは僕へ朝食を出すと、酒瓶棚の整理を再開した。
「ルフトさん。……今日は帰ります……よね」
「本当は昨日、帰るつもりだったからな。まだ何かあるのか?」
「あの……シンが心配で……」
シンの名前を聞くとルフトさんは持っていた硝子の容器を乱暴に置いた。
眉をつり上げた彼ににらみつけられる。
「おまえ、お人好しも大概にしろ。昨日も言ったが、おまえがどうこうできる問題じゃない。それにあいつは助からない」
「そんな……。まだ何かあるかもしれません」
「あいつと同じ奴が一〇〇人いたら、おまえは全員に同じ情けをかけるのか? できないだろう。おまえが星影団に身を寄せていることを忘れるな。俺の指示に従え」
ルフトさんから言われたことに言葉を詰まらせてしまう。僕のわがままなこととはわかっている。しかしシンが苦しんでいる姿を見てしまったので放っておくことはできない。
「ルフトさん何もそんな言いかたはないでしょう」
「護衛も王子に甘いんだよ。ここは、おまえたちのいた王都じゃない。何でもわがままが通ると思うな」
俯いていると、ベルナさんが大きめの手持ち篭を机の上へ置いた。
「まったく何朝からカリカリしているんだいルフト。気分転換に森にある果実を採ってきてくれ」
「はあ? 何で俺が……」
「最近、魔獣は減ったとはいえ森には出るのさ。女ひとりで行かせるつもりかい?」
どうやらルフトさんに拒否権はないようだ。
ベルナさんは僕と目を合わせるとほほ笑んだ。彼女のおかげで張りつめていた空気が和らぐ。
ベルナさんが採ってきてほしい果実は果実酒用らしく、露店市場ではあまり出回らないらしい。
「わかったよ。王子と護衛は大人しく待ってろ」
「僕も行きます! ベルナさんにはお世話になりましたし……」
どこかでシンに会えるかもしれないと淡い期待をしていた。三人で果実を採りにいくため準備を始める。
プレーズの街に隣接している森へ足を踏み入れた。目的の果実はだいぶ奥にあるそうだ。
見本としてもらった果実は紫色の楕円の形をしており、甘酸っぱい匂いがする。
林道が森の奥までのびており、道に沿って進んでいく。昼間だが、森の木々であたりは薄暗く、湿った空気が漂っていた。
「だいぶ森の奥まできましたね」
「もう少しのはずだ……。まったくベルナのおかげで出発が遅れた」
ルフトさんは愚痴をこぼしながら歩みを進めている。
魔獣が出るといわれていたので警戒をしていた。しかし、道中は野獣にも魔獣にも出会うことはなく順調に歩んでいく。
しばらく歩くと林道の先に少し拓けた場所が目の前に広がった。薄暗い森の中にそこだけ太陽の光が降り注いでいる幻想的な光景。
中央には陽の光を浴びている果実の木が見えた。
「あっ……。ベルナさんから頼まれた果実と同じですね」
「さっさと採って帰るか」
木へ近づこうとしたとき、突風が吹き荒れて木々が騒ぎ出す。クラルスは何か感じ取ったのか僕を制止した。
「リア様。お待ちください。何か気配を感じます……」
後ろを振り返ると、森の茂みから狼型の野獣が一匹飛び出す。
僕たちが剣を構えようとしたとき、木の上から外套を被った人が降りてきた。
野獣に剣を突き立てると、短い断末魔を上げて絶命する。
唖然としていると、その人は頭に被っていた外套を外した。藍から浅葱の色彩に染まった髪の少年。
「……何だ。おまえらか」
「シン! 身体は大丈夫なの? 心配したよ」
シンは野獣に突き立てた剣を乱暴に抜くと舌打ちをした。
「おまえに心配される筋合いはない」
彼は相変わらずの態度だ。シンはため息をついて、髪を乱暴にかいている。
地面に伏している野獣に視線を移す。僕の見知ってる野獣とは異なっていた。
黒い毛並みをしており、体内から熱源のようなものを感じる。実際暖かいわけではないが、不思議な感覚。これが魔力なのだろうか。
「……こいつは魔獣か」
ルフトさんは息絶えている野獣を見て怪訝な顔をしている。
「そうだ。このあたりは、やたら多い。魔獣が住処にしている」
「ずいぶんと、このあたりに詳しいのですね」
クラルスの言葉を聞いてシンの顔が歪む。
なぜシンはこんな森の奥にいるのだろうか。魔獣がいるとわかっているなら、森には近づかないはずだ。
「助けてくれてありがとう。何でシンはこんなことろに?」
「それは……」
彼に問うと押し黙る。何か言えないような理由なのだろうか。首を傾げてシンを見つめる。
クラルスは合点がいったような顔をして言葉を紡いだ。
「もしかして……。最近、魔獣が減っているというのは、あなたが狩っていたのですか?」
「なるほどな。食べ物を盗んでいる罪滅ぼしってところか」
クラルスとルフトさんの言葉にシンは口をつぐみ顔をそらした。
シンはプレーズの街の人が魔獣に困っていることを知っていたのだろう。お金を払えない代わりに魔獣を狩っていた。
そうでなければシンは侵食症に侵された身体でこんな危険なことはしない。
彼は根が優しい人なのだろう。
「……俺だって好きで盗みをやっているわけじゃない。良心の呵責もある。金で払えないなら、こういうことをするしかないからな」
シンは気持ちを吐露しながら剣を収めた。彼が動くたびに紫色の破片が腕から落ちている。
「おまえらに、盗みをしなければ生きられない状況と、じわじわ迫ってくる死の恐怖がわかるかよ」
「……シン」
不意に気配を感じ、僕たちはいっせいに同じ方向を向く。
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