宿は、一階に食堂が併設されており、人々が絶え間なく出入りをしていた。
受付にコーネット卿の名前を伝えると、部屋の鍵を渡される。番号を確認すると二階の一番奥の部屋のようだ。
部屋の前に着くと、クラルスは安全を確認するために先に入室をした。しばらくすると彼に呼ばれ、室内へ入る。
四台の清潔感のある寝台と、少し大きめの机に四つの椅子がある部屋だ。
リュエールさんは椅子に座り、僕は近くの寝台へ腰をおろした。
「明日もう一度コーネット卿のところへ行きましょうか」
「また行くのか? あのおっさん取り合う気はなさそうだぞ」
寝台に寝転んでいるスレウドさんは、あまり乗り気ではない。
「リアのことを本気で疑っているなら、門前払いされるか騎士を呼ばれていたわよ。コーネット卿も王都の状況に疑問をもっているかもしれないわ。少し粘ってみましょう」
「あの……リュエールさん。明日帰りませんか?」
「えっ。どうしたのリア?」
リュエールさんは怪訝な顔を僕に向ける。
確かにコーネット卿を味方にできれば星影団の戦力強化になる。しかし、ランシリカの人々を戦火に巻き込むことになってしまう。
ランシリカの人々の平和を奪ってしまうことに罪悪感が湧き上がっていた。
「ランシリカの人たちを戦いに巻き込みたくないです。何か他の方法を考えませんか?」
リュエールさんは厳しい表情になり、僕を見据える。
「ここで交渉が上手くいかなかった場合、コーネット卿と戦で対峙する可能性が高いわ。あなたはコーネット卿に剣を向けられる?」
「……それは」
リュエールさんへの返事に詰まってしまう。考えが甘いことはわかっていた。
僕たちがコーネット卿への交渉が失敗すれば、王都へ招集される。近いうちに星影団を掃討するために騎士を率いてくるだろう。
名将校であるコーネット卿の指揮と統制された騎士たちには、とうてい敵わない。
この交渉は星影団の命運がかかっていた。
何を選択すればいいのか、どの選択が正しいのかわからない。
母上、父上ならどのような決断をしたのだろうか。今まで女王陛下、騎士団長として人々の命がかかった選択は何度も突きつけられてきただろう。
今、その役目は生き残った王族として僕とセラが背負う。決断をしなければならない重圧に押しつぶされそうで胸が苦しい。
リュエールさんからそっと目をそむけた。しんと静まりかえり気まずくなる。
突然、彼女は立ち上がり、扉のほうへ視線を移した。どうしたのかと思っていると、リュエールさんは声を上げる。
「クラルス! 外に怪しい人はいない? 確認して!」
窓際にいたクラルスは、ひととおり外をながめると、リュエールさんへ向き直った。
「いえ、怪しい人はいません。どうかなさいました?」
「窓から逃げるわよ!」
「えっ!?」
リュエールさんの言葉に動揺する。彼女だけ何か感じ取っているのだろうか。
「いいから早く!」
クラルスが急いで窓を開けて、僕たちは外へと脱出する。
慌ててひと気のない路地へ身を隠した。僕たちがいた宿の部屋を見ていると、十名ほどの男たちがなだれ込んできた。
「リュエール。やっぱり捕まえに来たじゃねぇか」
「あの男たちミステイルの兵士でもランシリカの騎士でもないわ。……傭兵かしら」
男たちは、人がいないことを確認すると部屋から出ていった。誰かに頼まれて僕たちを捕まえに来たのだろうか。今度は街中を探すかもしれない。
早くなっている心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸をする。
「リュエールさん。よくわかりましたね。足音が聞こえるまで気がつきませんでしたよ」
リュエールさんに言われるまでは人の気配を感じ取れなかった。経験の差なのだろうか。
「ちょっとした罠を張っていたのよ」
彼女はシトリンの魔法で、部屋から宿の入り口まで床に雷の線を張っていたらしい。足音を関知してわかったそうだ。
魔法にもいろいろな使い方があるのだと感心する。
「さてと、宿は使えないから拠点に行くしかなさそうね」
スレウドさんだけ別行動で先に拠点まで行き、安全を確認するそうだ。
リュエールさんは指笛を吹くと、カルムが降りてくる。どうやら近くにいてくれたようだ。
「スレウド。拠点が安全だったらカルムを飛ばしてちょうだい」
「わかった。いくぞカルム」
カルムはスレウドさんの肩に移動する。彼は裏路地を辿り南のほうへ向かっていった。
僕たち三人は街を一周してから拠点に向かう。万が一あとをつけられるなら十中八九、僕たちのほうだ。
リュエールさんを先頭に路地を歩き始める。
街は夜の色が落ち始めていた。
しばらく歩いていると、後ろから行き交う人々とは別の気配がする。
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