目を覚ますと暗くなっており、窓から月明かりが差し込んでいた。酒場からの声は聞こえず、すでに閉店したあとのようだ。
寝起きで頭が呆けているなか寝返りをうつ。隣の寝台にいるクラルスと目が合った。彼は上体を起こして、小さな灯りを頼りに本を読んでいる。
ルフトさんはすでに寝ているのか、クラルスは声をひそめて話した。
「リア様。お目覚めになられました?」
「うん。いつのまにか寝ていたよ」
「最近、遠征することが多いのでお疲れでしたね。酒場に夕食の作り置きがしてあります。召し上がりますか?」
夕食を食べ損ねてしまった僕のために、ベルナさんが用意してくれたそうだ。頷くとクラルスに案内され酒場へ向かう。
室内は月明かりだけが照らしており、まだお酒の残り香が居座っていた。
彼は灯りを一ヶ所だけ点けて僕は近くの席へ座る。ベルナさんが作ってくれた魚と野菜の煮込みをいただく。魚の旨味と野菜の甘みが口の中に広がり、冷めていたがおいしかった。
盗人であるシンと会えたが、左手の違和感の原因はわからなかった。彼はまた明日も食べ物を求めて盗みをしてしまうのだろう。
それに彼がルナーエ国にいる事情は何なのか気になっていた。
夕食も済ませて部屋へ戻ろうとしたとき、外から酒場の壁に何かがぶつかる音がした。
それと同時に左手に違和感を覚える。僕とクラルスは顔を見合わせた。
「まさか……」
酒場の入り口を開けてあたりを見回す。建物の陰から人の手が見えた。
駆け寄ると外套をかぶった人が倒れている。布からのぞく藍から浅葱色の色彩に染まった髪に見覚えがあった。
「し……シン! どうしたの!?」
彼は苦しそうにうめき声を上げている。声をかけてゆすってみたが反応がない。外傷はないので何者かに襲われたわけではなさそうだ。
「クラルス! 部屋に運んであげよう」
「か……かしこまりました!」
僕たちが寝ている部屋まで連れていくと、騒がしさにルフトさんは目覚めた。上体を起こし、気怠そうにしている。
「……何だ騒がしいな」
「ルフトさんすみません。外で人が倒れていまして……」
「はあ? 俺らは医者じゃない」
「苦しんでいる人を見捨てられません」
ルフトさんはあくびをして、寝癖のついた髪をかく。彼を起こしてしまって申しわけなく思う。
しかし、こんなに苦しんでいるシンを放っておくことはできなかった。
部屋の灯りを点けて空いている寝台へシンを寝かせる。クラルスが彼の外套を脱がすと、僕たちは言葉を失った。
シンの左手が紫色の結晶でおおわれており、肩まで結晶化している。ルフトさんもシンのそばに寄って腕を見ると目を見張った。
「これは……侵食症か」
「侵食症……ですか?」
侵食症とは宿主と宝石の相性が合わないときに発症するらしい。長期間合わない宝石を宿した状態が続くと、左手から宝石に身体が侵食され死に至るそうだ。
宝石の合う合わないは宝石を宿さないと、わからないらしい。合わない宝石は宿すときに痛みや不快感が伴う。すぐに外せば症状がでることはないそうだ。そのため侵食症になることは稀らしい。
左手の違和感や胸騒ぎは、侵食症という宝石の異常を察知していたのかもしれない。
ルフトさんはシンを見て険しい顔をする。
「……何か治す方法はないのですか?」
「侵食症は一種の呪いみたいなものだ。医者や治癒魔法で治せるものじゃない。結晶化前ならどうにかなったが、これは侵食症の五段階目に近い状態だ」
そのとき、シンの瞼がゆっくりと上がり、琥珀色の瞳と目が合う。今は痛みが引いたのか苦悶の表情はしていない。
彼の前髪は汗で張りついており、浅い呼吸を繰り返している。
「……ここは」
シンは上体を起こそうとしたので背中を支えた。
彼が動くたびに侵食されている左手から結晶の破片がぱらぱらと床に落ちる。僕が先日拾った破片は、侵食症に侵されているシンの腕から落ちたものだった。
「シン……大丈夫? まだ起きないほうが……」
「俺に触るな」
シンはにらみつけて弱々しく僕の手を押し退けた。動くと痛みが走るのか、左腕を押さえている。
どうして彼はこんな状態になるまで、合わない宝石を宿していたのだろうか。
「シン。どうして侵食症に?」
「おまえに教える必要はないだろう」
シンはなかなか事情を話してくれない。不意にルフトさんがシンの左腕を乱暴に掴んだ。結晶の破片がぱらぱらと音を立てて落ちる。
「おまえ、露店市場で盗人をしていた奴か」
「……そうだ。牢屋にでもぶちこむか?」
「やめてください!」
無理やりルフトさんの手をシンから引き剥がした。
シンがプレーズの露店市場でした行為は許されるものではない。それでも僕は今苦しんでいるシンを捕まえることはしたくない。
「シンにはきっと理由があるんです!」
「おまえ……何で」
シンを庇うように二人の間に割って入った。ルフトさんが苛ついている雰囲気が伝わってくる。
クラルスはため息をついてシンに言葉を投げかけた。
「……これも何かの縁です。少しくらい事情を話してもいいのではないですか?」
彼の言葉にシンは少しの沈黙のあと、ようやく重い口を開いた。
「……俺はミステイル王国の元少年兵だ」
「”元”? 今は違うの?」
「俺はアメジスト侵食者の被検体にされていた。無理やり宝石を宿されて研究所に監禁されていたんだ。数ヶ月前に脱牢してこの国へ亡命してきた」
何人かの少年兵も被検体にされていたそうだ。実験中に半数は死亡し、残りの少年兵は脱走中に捕まったらしい。
「亡命して食いものを買う金さえなくて、プレーズの街で盗人をしていたわけか」
「こんな腕の状態じゃあ気味悪がって雇ってくれなかったしな……」
シンは初めから盗みをしようという気はなく、異国の地で生きようとしていた。
「激痛と息苦しさに耐え続けるくらいなら、死んで楽になりたいって何度も思った。でも……侵食症を治せる方法があるならと街を転々としていた。まだ諦めたくなくて今も盗みまでして生きている」
シンの事情を知って胸が苦しくなる。彼に何かしてあげられないだろうか。ルフトさんが侵食症は呪いといっていた。解く方法があるかもしれない。
シンは寝台から立ち上がり、ふらついた足取りで扉のほうへ歩いて行く。
「シン……?」
「面倒かけたな。もういちど言うが、もう俺にかかわるな」
シンを呼び止めようとしたとき、彼は扉の前で激しく咳き込んだ。シンは胸を押さえその場に座り込む。
急いで彼のもとへ駆け寄り、背中をさすった。
シンの咳はいっこうに止まず、咳と荒い呼吸を繰り返している。
「シン。今日はここで休んだほうがいいよ」
無視しているのか聞こえていないのか、彼は返事をしなかった。咳が止んだと同時にシンの身体が傾き、その場に倒れる。彼を抱き起こすが、意識を失っていた。
クラルスはシンを抱きかかえて寝台へ寝かせる。彼は苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。
ルフトさんとクラルスはシンの様子を見て眉をひそめている。
「ミステイル王国の宝石研究機関か。アメジストの魔法は、肉体や精神に干渉するものだったな」
「アメジストの適合者を探して、魔法で兵士たちを操ろうとしていたかもしれません。痛覚や恐怖心を取り除いて、指示通りに動く傀儡の兵士を作りたかったのでしょう」
「ダイヤモンドと同じく、アメジストは適合者は少ないからな。すぐ宝石を外して解放してやらないのもミステイルはえげつないな」
宝石を研究している国は北の大国であるフィンエンド国が先進している。
研究成果を各国へ発表していた。ミステイル王国も独自に研究機関を設けて宝石の研究をしていたようだ。
シンの話を聞くかぎり非人道的な行為がおこなわれているのは明らかだ。フィンエンド国も裏ではそういうことをしているという噂がある。
世界の発展に宝石の研究は必要なことだが、人の命を犠牲にするのは許せない。
僕たちは話し合って明日、宝石師にシンを見てもらうことになった。ルフトさんは無駄だといっていたが、宝石を外せる可能性があるなら外してあげたい。
すでに真夜中をすぎている。僕たちは身体を休めるために眠りについた。
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