次の日の早朝、自室を出ると丁度ルシオラも対面の部屋から出てきた。お互いまだ成人ではないため星永騎士の外衣が大きく感じる。
「おはようございます。ルシオラさん」
「おはようクラルス。同職だろう、敬称はいい」
年上であるため敬称をつけたが、彼女は年下の私を対等として扱ってくれているのだろう。肩につかないくらいの薔薇色の髪を揺らし、先に歩き出したのでその後をついていく。
特に雑談をすることもなく無言のまま集合場所で待っていると、女王陛下と騎士団長様が現れる。私たちは頭を下げ、あいさつをした。女王陛下にはめったにお目にかかれない。綺麗な銀の長髪と美しい顔立ちがとても印象的だった。
私は騎士団長様と王子殿下の自室へ、ルシオラは女王陛下と王女殿下の自室へとそれぞれ向かった。王子殿下を拝見することは初めてだ。どういう方なのだろうか。
「リア。入るぞ」
騎士団長様が扉を叩き、少し間を置いてから開く。窓際に侍女と一緒にひとりの少年がたたずんでいた。
ひとつに結われた長い白銀色の髪、綺麗な大きい翠緑の瞳。まるで少女のような可憐な姿に思わず息をのんだ。
女王陛下の血を色濃く引いているようだ。侍女は私たちの前に王子殿下を連れてくると一礼をして部屋を後にした。
「リア。先日話していた専属護衛のクラルスだ」
騎士団長様から紹介され、私は王子殿下に目線を合わせるようにひざまづいた。
「今日から護衛に就きますクラルスと申します。王子殿下よろしくお願いいたします」
私のあいさつを聞くと柔らかくほほ笑み、王子殿下は右手を胸に当てた。
「初めまして、ウィンクリアと申します。今日からよろしくお願いします。クラルス……さん」
子どもらしからぬあいさつに目を見張ってしまった。年相応からかけ離れている。これが王族というものなのだろうか。
「おまえたち堅苦しいな。リアはクラルスを兄のように慕ってもいいんだぞ。クラルスも弟だと思い接してやってくれ」
「そ……そんなめっそうもございません」
騎士団長様は豪快に笑っている。いくら何でも王子殿下を弟のように扱うことはできない。
「真面目だな。ではあとは任せたぞクラルス」
「かしこまりました」
立ち上がり一礼をすると騎士団長様は部屋をあとにし、私と王子殿下だけになった。何を話せばいいのだろうか。戸惑っていると王子殿下から話しかけてくれた。
「クラルスさんは、お城に来るのは初めてですか?」
「えぇ。そうですね」
「では、お城を案内しますね」
自分より上の地位で幼い王子殿下に、敬語を使われるのは違和感がある。
「王子殿下。私に敬語や敬称は不要です。クラルスとお呼びください」
「……じゃあそうするね。行こうクラルス」
王子殿下は自ら扉を開けて、私を城内の施設を案内するため歩き出した。一階にある評議会室、女王陛下の書斎、食堂や二階の謁見室、軍議室、資料室などその他にもたくさんの部屋があり、想像以上に城内は広かった。
ひととおり案内され王子殿下の自室へ戻る途中、これから評議会が始まるのか評議会室の前に貴族が集まっていた。
王子殿下を目にしたふたりの貴族が話しかけてくる。
「王子殿下おはようございます。今日も陛下ゆずりの銀髪がお美しいですね」
「おはようございます。お褒めいただきありがとうございます」
「殿下そちらの方は?」
貴族に話題を振られ心臓が跳ねた。急に話しかけられたので言葉に詰まってしまう。
「今日から僕の護衛に就いたクラルスです。以後お見知りおきください」
自分から名乗る前に王子殿下が貴族へと紹介をしてくれた。「よろしくお願いします」と頭を下げることしかできなかった自分が恥ずかしく思う。
貴族のふたりは若い星永騎士と言い怪訝な表情で私を見ていた。元来、星永騎士の地位に就けるのは一番早くて十八歳からだ。まだ私は十五歳で、異例の昇格なので貴族が不思議に思っている。
「王子殿下も護衛をつけてもらえて、よかったですねぇ」
「……はい。母上と父上には感謝しています」
含み笑いをする貴族に違和感を覚えた。貴族の言葉は嫌みのようにも聞こえる。私の勘違いであってほしい。
私たちは一礼をして立ち去ろうと歩み出す。
「子どもらしくなく、可愛げがありませんな」
「品行方正のほうが、外の国へ出すときに役に立つだろう」
「そうですな。容姿は陛下譲りの一級品ですからね。有力国の姫君もほしがるでしょう」
「フィンエンド国の目に止まれば、ルナーエ国の利益になりますな」
信じられない貴族たちの言葉に思わず歩みを止めた。明らかに王子殿下に対しての侮辱だ。聞こえるように堂々と話しているので王子殿下のお耳にも入っているだろう。
十歳にも満たない少年になんという非情な言葉をはくのか。怒りがこみ上げてきた。
糾弾をするため振り返ろうとしたとき、不意に王子殿下が私の手を握った。
「……お部屋に戻ろう。たくさん歩いてクラルス疲れたよね」
「……かしこまりました」
無理に作っている王子殿下の笑顔に胸が締めつけられる。手を引かれて王子殿下の自室に戻ってきた。
「ごめんねクラルス、嫌な思いをさせて。僕のために怒ろうとしてくれて、ありがとう」
言葉が出てこなかった。王子殿下には王位継承権はない、だからといって軽んじることはないだろう。
無垢な少年があの貴族たちに何をしたというのか。
貴族の煌びやかな地位とは正反対のどろどろとした汚い人間性を見て吐き気がする。
「僕だけ特別に言われているわけじゃないんだ。歴代の王子もみんなそうなんだよ。これは仕方のないこと……」
王子殿下は諦めたような顔をして私にほほ笑む。仕方がないであのような貴族の無礼を許していいのだろうか。
多分、女王陛下と騎士団長様もわかってはいるだろう。この国特有の嫌な部分が見えてしまう。
「……貴族の人たちは僕をモノとしか見ていないからね。多分名前すら覚えていないと思うよ」
「なっ……!」
「クラルス……。君は買ってきた”万年筆”の銘柄を覚えている? ……つまりそういうことだよ。あの人たちからすれば、僕は”王子”というモノでしかないんだ」
愕然とした。そこまで王子という立場を軽んじるのかと。自分には理解し難かった。
王子殿下は貴族を糾弾することもなく、自分より私の心配をしてくれている。そして、すべてを諦観している瞳。どうしてこのような仕打ちをされなければいけないのか。
困った顔をして王子殿下は背伸びをし、私の頬をなでた。
「そんな顔しないでクラルス。君は優しいね……」
「……私には……あの者たちの言動が理解できません」
「気にしないで。僕が我慢すればいいことだから」
いつから貴族たちは王子殿下に言葉の刃を向けていたのだろうか。話を聞く限りここ最近のことではなさそうだ。幼いから何を言ってもわからないと思っているのだろうか。
王子殿下は幼いながら考え、ずっと悩み耐え続けている。
騎士団長様が話していた”支えて欲しい”とはこのことだったのだろうか。
「こういうの日常的だから、辛かったら任を解くように僕から父上に言うか……」
これ以上辛い言葉を紡がせないよう無意識に王子殿下を抱きしめた。
「……クラルス?」
「私はあなたの護衛です。あなたの全てをお守りします……リア様……」
思わず騎士団長様が愛称として呼んでいた”リア”という名前を口にしてしまった。
彼の肩が震えていることが伝わってくる。抱きしめた腕を解くとぽろぽろと大粒の涙を流していた。
私が何かしてしまったのだろうか。
「……も……申しわけありません。あの……泣かせるつもりでは……」
「ううん。うれしくて……ありがとうクラルス。家族以外に名前を呼ばれたの初めてで……うれしい……」
涙も拭かずに私に満面の笑みを向けてくれた。こんな笑顔もできるのかと安堵する。まだ目尻に溜まっている涙を人差し指ですくう。
彼は王子殿下という政の道具ではない。ウィンクリアというひとりの少年であり、私の大切な主君。
普通の子どもなら、とうに心が壊れてしまっているだろう。きっとこういう笑顔を見せられるのも、女王陛下と騎士団長様が愛情を注いでくれており、リア様自身の心の強さもあるだろう。
「……クラルス。もう一度、名前を呼んで?」
「はい。リア様」
これから何百回もお呼びするだろう。それが私だけではなく皆が当たり前になるように。この笑顔が失われないように。これからリア様を守り抜くことを誓った。
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