この物語を語る上で欠かせない男がいる。とは言っても、その子は別に主人公というわけではない。どちらかといえば脇役気質かも。けれど重要な人物だ。軽薄で浅薄で口先だけのこの男に重たい要という字を宛がうのも滑稽な話だけれど、それでもこの物語には必要だったのだ。そして、この物語はとある一室から始まる。
はい、これより本編が始まります。
氷上の楼閣編はプロローグを含めて32話の予定です。
全六部構成の最初の一幕となります。
それでは本日も、お勉強させていただきます。
男は目覚めた。
「あら、お目覚めかしら。こんにちは」
薄ぼんやりと開かれた彼の瞳には、やはり彼女の姿もぼんやりとしか映らなかった。
病床の男にのしかかるその少女はいたずらに顔を近づけると、自分が視認されていないことを知った。何かを思いついたように周囲を見渡すと、やはりそれはあった。
「あなた、目が悪かったのね」メガネを男の鼻にかけた。
徐々に目を覚ました男は、至近距離に広がっている景色に遅れて気づく。
「・・・・おや、なるほど。これが噂の天国っちゅうやつなんかい?なるほど、こりゃまた絶景。有り難いかぎりやでホンマ」
貼り付けたような似非関西弁で喋ったその男が、彼自身の視線の動きを恥じることは、なかった。しかしそれでも、男は無気力だった。首から下が思うように動かせなかったからである。
「セリフや視線は元気そうなのに、声音だけが情けないっていうのは、なんだか庇護欲がくすぐられるわね」
ロリータ系の、適度にフリルがあしらわれたワンピースを着ていた少女は、フリルのついた袖で口元を隠してクスクスと笑った。幼いながら、その所作にはかすかな気品があった。
「お、お嬢ちゃん。話がわかるやん」
唯一動かせる口だけで、力なく軽口を叩いた。
「えっと、ホンマに僕って、死んだんですかい」
状況を一寸たりとも理解していない男は、目の前にある唯一の手がかり、唯一の情報源を引き付けておくべく、オママゴトに付き合う事にした。このときはまだそのつもりであった。
「そうね、あなたは確かに死んだわ。そして、私が生き返したってわけよ」
ベットの傍にはたくさんの機械が並び、男の体へと管を伸ばしていた。
「そら困ったな。CBRのローンがまだ残ってんねん。いやぁ、困った困った」
少女には、CBRは分からなかった。当然である。世代というか、時代ではない。
キャッチボールに手応えのなさを感じた男は、いつものように話題を切り替えた。
「ところでお嬢さん。幾つ?お名前は?」
「山本浜栗」
食い気味に、人指し指で動けない男の鼻っ面を指しながら答えた。
「いやいや。そら、僕の名前ですやん」
男は自分の名前をフルネームで呼ばれたことに違和感を持つよりも先に、なぜ目の前の少女が自分の名前を知っているのか、不思議に思った。が、表情は崩さない。
「そうです、僕は山本。ほんで、お嬢さんのお名前はなんですか」
「私、こう見えても身持ちが固いほうなのよ。マセた浜栗君に教えるお名前なんて、持ち合わせがないわ」
少女はクスクスと笑った。
男も苦笑い。
(随分とませてる子やな。ただ、なんか演技臭い。僕も人のこと言えんけど、チラチラ見え隠れする本性みたいなんが鬱陶しい。つーか、ここどこやねん。)
「おや、なかなかに手強いなぁ。それじゃ僕はなんて呼んだらええですか」
男の笑顔の奥にある冷めた瞳に、女は気が付いた。先ほどのやり取りから、この女も底を測りかねていたのだ。この男にある異常性に、したたかな女は気が付いたのだった。記憶は完全に残っていないはずなのに、不安感も疑問も持たないようだ。目が覚めてから観察を続けているはずのこの男の所作や挙動は、今までのどの被検体よりも軽やかで流暢で、隙が無い。少女は小さくため息を漏らした。
「そうね―――なら、お嬢でいいわ」
「ほな、お嬢さん。僕を生き返らして、何を企んでおいでかな?」
静かな威圧感。男の細い目の奥には、孤独からくる焦燥があった。
目と目が合うと、少女に逃げ場はなかった。ベットに上半身だけを軽く持ち上げられた男。男によって微笑みながら問いかけられたその質問から逃れることは、できそうになかった。
「そ、そうね。世界の一つでも救ってもらおうかしら」
「世界かぁ、そら大変そうやな。それじゃ女神様が降りてきて、ごっつい武器を恵んでくれるっちゅうテンプレ展開とか、期待してもええですか」
ようやく動かせるようになった右手で、眼鏡を持ち上げた。
男の運動能力の回復を確認すると、ひらりと躱すして思わせぶった。
「んー。それは受け取る勇者様の見方次第ってところかしらね」
つまらない答えだった。
「ほんで、具体的に。僕は何をしましょうか」
―――人を、三人ほど。殺めてほしいのよ。
内容とは裏腹に、存外さらりと述べられた。
目の前の少女の異常性を、このとき男は知った。少なくとも男のかすれた記憶のにいる少女たちでさえ、ヒトの生死を平然と語る娘はいなかった。
「いやー、物騒な話になってきたな。堪忍してや、一体どんな運動神経を僕に期待してはるんです?自分。」
少女は弱点を見つけたとばかりに、
「え、何よ。あなた運動音痴なの?」
男をからかい始めた。目覚めたばかりの人間と話すときは先だってイニシアチブを獲得してから話を進めてきた少女にとって、主導権がやっと握れそうな話題が目の前に突如として転がってきたのである。少女は少女らしく、短慮にも食いついた。
「ほらぁ、話してみなさいよ。運動神経悪かった自慢。1つや2つじゃないんじゃないの?運動会の情けないエピソードとかさ。私、聞きたい!」
「ややや、やめなさい。年長者をからかったらアカン」
不自然でありながら期待通りの好感触。疑うことのない少女は、更に迫った。
「何よ、減るものじゃないでしょ?いいじゃない」
ベッドに乗っていた少女の膝は、さらに男のほうへ迫る。少女の手は男の胸元を這い、もう一方の手は男の頬を撫でた。吐息に曇る眼鏡。
「せ、セクハラはぁぁぁあああああ」
男らしからぬ情けない嬌声。
しかし、往診に来た看護婦の咳払いによって状況は固まる。
システムベッドによって斜めに持ち上げられる男に、のしかかりながら発言を迫る少女。その二人の顔と顔は、くっつかない寸でのところで固まっていたのだ。やっと勝ち目の有りそうな、もとい、ようやく見つけた弱点を利用し優位に立とうとする少女は、このとき思えば、その行動に客観性を欠いていた。必死になっていたのである、夢中になっていたとも言えるだろうか。
コンテクストも知らずにこの場面と出会った看護婦による咳払いで、少女は我に返り―――————以下略。
「とにかく、あなたにもできる簡単な仕事だし大丈夫よ。運動神経に関しても特に問題ないわ、それは既に解決したもの。」
過去形だった。
男が羞恥と引き換えに出した、少女に諦めさせるための問題点は。しかし男の知らないところで既に解決していたのだった。
「え、僕の体に。いったい、何してくれはったんですか?」
少女は別途に腰掛けると、腕を組んで考えた。
―――――。
「まぁ、そんなことはどうでもいいのよ。あなたが知ってる世界と違って今は―――—そう、ちょっとファンタジーなのよ。そう、ちょっとだけね」
ぎこちない少女の女優っぷりは、男をより一層不安にさせた。
「お嬢、ホンマに。僕の体に何してんねん。この変態!スケベ!エッチ!」
男は一息つくと冷静になり、身体を省みた。チューブの生えた自身の両手がまるで自分のものではないようなもののように、男の目には映ったのだった。彼には最初からとある不安が付きまとっていた。自分を自分たらしめる最重要なパーツ。それは、これまでこの男が歩んできたであろう人生。すなわち、記憶である。
不安感は、目の前の少女が話した突拍子もない言を、思考の対象に据えさせた。
「そうね、たしかに今は私のほうがよく知ってるかもね。あなたの体のこと。」
少女が何か勝ち誇ったように男の顔を覗き込むと、男は今度こそ絶望したような顔をしていた。勿論これも半分は演技であったが、彼女の目にはそうとは映らなかったらしい。
「だ、大丈夫よ。ただちょっと筋組織とか交感神経とかを強化しただけで、別に即死するような、時限爆弾を仕込んだりなんて、してないんだからね。まったく、心配性もほどほどにしなさいよ」
少女は意図せず、ツンデレのテンプレートをなぞっていた。これ以上ないタイミングである。
ジェネレーションギャップに思い至らないこの男は、いよいよわからなくなった。勿論わからなくなったのは、目の前にいる少女がただの愚か者なのか、それとも、そう見せかけている策士なのかという二択である。そして、男は自分の行く末に関してもまた同様に、わからなくなっていた。
「で、どうやって殺せばええ」
「あら、意外と飲み込みが早いのね。まぁ方法に関しても、タイミングや場所に関しても。須らくお任せするわ」
この場合の「須らく」の用法に眉をひそめつつ男は問うが、勿論その気などない。
「ある程度の舞台くらいは整えて貰わんと。僕だって街行く知らへん人を、一人ならまだしも三人だなんて無理やん?一人目をやった時点で捕まってまう。どこの誰さんがターゲットなのかは知らへんけど、そもそもいきなりナイフとかで、てや!!ってやるのって難しいと思うねんなぁ。僕素人ですよ?」
男は、これが見た目以上に幼かった少女の戯れだとすれば、ここらあたりで底が見えると考えていた。山本浜栗には、目覚める前の一般常識はあっても、具体的な記憶が残されていない。それでもその一般常識に照らせば、危険思想みたいなことをつぶやきたがるお年頃の子供には、その思想が持つ現実的な残虐性がいい薬になるはずだった。
「あぁ、そんな不安は無用よ。これからあなたは、とある組織に所属することになっているの。組織といっても、できてからまだ日が浅い民間組織みたいなものだから心配ないわ。要はそこの上役の首を、三つほど撥ねてほしいのよ」
それは少女がしていい表情ではなかった。これまでに男が迷っていた二択は、そのどちらもが間違いだったようだ。うそぶきたいお年頃でもなければ、社会に仇名す危険因子でもない。もっと壮大な、大勢の人々を手の平でもてあそぶ、退屈そうな女神であった。
少女は病室の壁に触れると、三枚の画像データを宙空に投影した。駱駝、獅子、赤ん坊のステンシルである。色はそれぞれ単色の黒で、シンプルなデザインだった。
「これらのステンシルの持ち主が対象だから、よろしくさん」
いよいよ具体性を帯びてきた。
「同じ組織にいるんやろ。ストックホルム症候群やないけど、そいつらと仲良くなって殺せんくなったらどないする?」
「まぁもちろん、こんなことをさせるのに強制とか難しいのね。だから念のため、あなたにしたのと同じお願いをした別のひとを3人、もう送ってあるから問題ないの。別にあなたが本命というわけじゃないのよ、ごめんなさいね」
「そら残念やな、とんだ義理チョコですやん。僕はサブで四人目ですかい?どんなバレンタインデーやねん」
「そうとも限らないわよ。たとえそれが誰であっても、うまく仕事をしてくれた子が唯一のメインになるの」
「なんや、都合の良い話やな。とんだ姫プですやん」
「それはそうよ。だって私が蘇らせたんですもの」
「え、その話ホンマなんかい」
「どうでしょうね。もしかしたらこれだけは、嘘かもしれない」
なんやねんこの女。
腹がたった男は、目の前の憎たらしくも、柔らかそうな頬を摘んだ。
管の生えた手でも構うことなく、その両の手でむんずと掴む。
ムニュっと言う効果音が聞こえてきそうな触り心地は、山本のボキャブラリーに照らせば、まさに苺大福であった。
「なにふるのよ」訳:何するのよ
嫌そうな顔をする少女には構わずに、ムニュムニュといじり続けた。
男の指先に、ファンデーションの粉がつく。
「いやね、ちょっといじったろーくらいのつもりだったんよ。ただ、実際に触ってみるやん?すると、やわっこくてびっくりするやん?そんで、手が離せなくなるってわけよ」
少女の頬のファンデーションがかすみ、一箇所から模様の断片が浮き出ていた。
黒い模様で、至ってシンプルなものだった。
「ちょっと。いい加減、離しなさいよ」
強引に振りほどいた少女はにわかに赤くなった頬を優しくさすりながら、男を睨んだ。
「私、女子なんですけど」
「おー怖。悪い悪い。おーきに」
「ねぇ、最初っから気になってたんだけどさ。あなたの関西弁て、かなり適当よね。」
「やかましい。ネイティブなんてもうおらへんやろ」
「それもそうね」
男はまたしても食い違う。ネイティブの方は今でも結構いるはずだと思った男は、ある考えに至り、息をのんだ。
嘘やろ、さっきから何かおかしいなとは思っとったけれど。
「―――ところでお嬢さんさ、今は何年?」
少女は安堵の表情を見せた。
「そう、それよ。目を覚ましたら普通はそっちを聞くはずなのよ。なかなか聞いてこないから、調子狂ってたじゃない。今は、2087年。やっと気づいたかしら?」
「タイムスリップ・・・なんか?」
「コールドスリープよ!!―――そう、その顔よ。うんうん。本来はこうあるべきなのよ」
「嘘やろ!?」
「随分と元気が出てきたようじゃない。それじゃそろそろ退院のお時間ね」
少女は男の布団の中をまさぐると、ボタンを連打した。
カチカチカチカチカチカチカチカチ
「ちょ、なにナースコールしてんねん」
「ははは。ここは別に、病院じゃないわよ?」
「は?」
ノックもなく部屋のスライドドアが開けられる。
ガラガラガラ
「彼が、例の子かな。」
入ってきたスーツの男は、部屋の椅子に腰掛けると、スラッとした美脚を惜しげもなく見せつけるように足を組んだ。
と、このように妬んだ見方をしたのは、成長期を気にしている少女だけだったが。
少女は舌打ちをした。
男はウェイブのかかった前髪を掻き上げると、話を切り出した。
「君の上司になる、桑名碧だ。私の作ろうと思う集団は、1ユニットが一つの班の戦闘継続能力を飛躍させることができる、そんな支援集団なんだがね。君のような経歴の人間を、僕らは欲していたのだよ」
「あー。そうなんか。いや申し訳ないんやけど、僕。記憶がないなってしもうてるんよ。いやホンマにおーきに」
「いや、そのことに関しては問題ない」
「なんや、また僕の知らないところで解決してるっちゅうオチかいな」
疑り深くなっている山本は、周囲の二人を見た。信頼できる人物は一人もいない。
「いや、君がなくしているのはエピソード記憶のみ―――だったよねお嬢?」
「ええ、手続き記憶さえ無事なら使えるはずよ」
「そういうことだから、じゃぁ着替えてもらおうか」
拒否権どころか会話への参加権すら、男にはなかった。
作業着である革ツナギに袖を通す際、気を使った少女が部屋を出ると、桑名は山本の耳元に口を近づけた。
息がかかりそうなほど近距離で、
「お嬢の頬のアレ、見た?」
小声で囁かれたその声音には、その口調とは裏腹に黒いモノが込められていた。
「あぁ、あれな。プニくて柔っこかったです。桑名さんも今度触ってみるとええですよ。最高に幸せでしたわ」
―――山本青年は、免れた。
オジョウ:ねぇ、あんたが着替えてる間、二人で何してたの?
ヤマモト:そら、着替えてたに決まってるやん。
オジョウ:いや、なんか男同士でコソコソやってたじゃない。
ヤマモト:なに、お宅。ジェラシー、してはるんどすか?
オジョウ:そんなわけないじゃない!!!!
オジョウ:っていうか、なんで京都弁なのよ!!
オジョウ:そんな演技とかして、かっこいいとかって思ってるんでしょ!
ヤマモト:この反応、図星っぽいな。話題転換は見事だったけども。
オジョウ:図星じゃない! ・・・その、二人って――デキてるわけ?
ヤマモト:(ブハッ)
ヤマモト:BL展開なんてあらへんわ! あるわけないやろ!!!
次回、「世界は歪み、視界は回る」
ヤマモト:――で、それはそうとお嬢。いつから覗いてたん?
オジョウ:///////////
宜しくお願いします。
ご意見!!ご指導!!!ご鞭撻!!!!
頂戴できると幸いです。
あ、勿論誤字報告や感想なども戴けると励みになります。
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