過去編の続きでございます。
毎度、次回予告なんてものをあとがきの欄に綴ってみているのですが、いかがでしょうか。
コメントいただけると嬉しいです。
これも毎度の文句ではございますが、
ご意見ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いします。
時々、前書きの口調が変わるときがあるのですが、気分でございます。
そちらも、ご意見あれば戴きたいです。
では、本日も。
お勉強させていただきます。
借りていた月八万円の賃貸もとっくになくなり、遠い親戚の配慮でレンタルコンテナに俺の私物が収められていることを知った。渡された三か月分の領収書にも合点がいく。まずはそこを目指そう、すべてはそれからだ。
「気になっていたが、お前は誰だ。何者だ」
「だから女子大生だよ。―――敬語は、もういいや」
「そんなことじゃない。なぜ俺の名前を知っている」
「そんなこと?パパがこの病院の院長先生やってるのよ。すると私も個人情報がわかっちゃう、ってわけ」
「職権乱用だ」
この場合、職権乱用しているのはこいつの父親だ。
「で、送ったデータは見てくれたのかしら」
あんな量の資料を、一晩で読み切れるか。といいたいところだったが、なんせ暇だった。
「他にやることがなかったから、一応は」
「そう、ならわかると思うけれど。今の日本はあなたから見てどうかしら」
確かに、新聞の記事は最近になればなるほど、資本主義国家に近づいている印象があった。延命治療の開発は滞り、認知症患者への風当たりがきつくなっている。対して少子化は食いとめられていて、それは結構な話だし、出産に対する国からの援助は俺が生きていた頃とは段違いに手厚い。ただ健康寿命が延びている一方で、平均寿命は六十歳前後と低迷していた。まるで日本ではないようなニュースが多かった。それが浮き彫りになった事件としては、老人ホームを襲撃して死傷者をだした若者が無期懲役を免れたというニュースがそれにあたる。単純に恐ろしいと思った。
「そうだな、すごく合理的になっている。無慈悲で、冷酷というか」
「そう。あなたにはそう見えているのね」
大戦がここまで国民性を変えてしまったというのか。
「私は、前の時代から来た人じゃないからこれが普通だと思っているわ。ところで蛤、哲学に関心はあるのかしら」
「いや、そういった抽象的な読み物は介さないが。その話が、今の件と関係あるのか」
「構造主義っていう廃れていた学派閥があるの。最近はこれね」
「構造、というと社会構造のことか」
「まぁそんな感じ。その時代の常識に縛られて、私たち人間は人格形成をしてるってお話よ」
何とも虚しいような、さみしいような理屈である。誰だそんなことを言い始めたのは。
「つまりは、そういったことって歴史の観測者が自身の尺度で判断しなきゃ発見されない状態の存在を示唆してるってわけ」
「・・・」院生ということはこいつも学者の端くれということだろうか。素人にやさしくないこの感じが、一昔前のヲタクが形成する知識量の壁と通ずるものが、あるように思った。
「難しい言葉で独走しているところ申し訳ないが、分かりやすく要約してくれ。170字以内で」
「手塚治虫先生の『ブッダ』って読んだことあるかしら」
「そりゃまぁ、一度くらいは」
「名作よね。で、あの世界観に登場する女性ってほとんどが上裸だったでしょう。あれって今を生きる私たちからしたら、相当ドン引きな絵図よね。でも当時の女の子たちがそんなことを考えることがあると思う?」
「常識を疑うことはできない、という話だな。しかし、今の俺たちの常識が後から浮上してきたものだってだけだろう」
「そう、その通り。常識に意味なんてないのよ。たとえそれが、人類にとって有害なものだとしてもね」
きちんと170字以内である。
女の言いたいことが、分かってきた。
だから、大量の新聞記事をタイムトラベラーであるところの俺に読むように促したのだ。さっきの突飛な質問にも合点がいった。
「俺にどうかしろって言いたいのか?」
「いいえ、卒論にする研究に付き合ってほしいだけよ。ちょうどいい人材がそこで寝てたものだから」
「じゃあ、いい加減。君の名前を聞かせてもらおうか」
「ここじゃ、あなたみたいなタイムトラベラーは漂流者とか遺物(異物)って呼ばれてるんだけど、それに対して私みたいな過去を掘り返そうとする人のことは懐古主義者って呼ばれるかな。」
「名前を聞かせろよ」
くるりと翻って、したり顔。
「私、知らないおじさんに個人情報をタダであげるつもりはないのよね。そこまで尻軽じゃないの」
デコピンしてやった。俺に悪気はなかった。
結局、女が名乗ることは終ぞなかった。大した貞操観念である。
病院を出た。常識を得た俺は、街を歩く。景色は随分と変わってしまったらしい。
何よりもう昼だというのに、ずっと夜だし、寒い。トレンチコートを手配してくれていた例の遠い親戚には頭が上がらない。
AM10:50
こんな時間なのに外が暗いところを見ると、どうやらプランは米国のものが採用されたようだった。大戦は起こり、終結したらしい。
ところで、ここはどこだろうか。
スマホはオンラインにならず、GPSは起動しなかった。
とりあえず、道沿いに歩いていくことにする。
交差点を右に曲がり、大通りに沿って歩く。
電柱を見ると、和光市 広沢とあった。ここは埼玉県らしい。
何故か海があるが、これはきっと何かしらがこの場で起きたのだろう。70年も経つと地図まで変わるのか。海なし県を卒業できてよかったな、埼玉県。遠くの水面にはいくつかのビルが、頭だけをのぞかせていた。あの方角は、新宿だろうか。
財布に残っていた二千円。コンビニで地図とサインペンを買った。
会計の時、自分の恰好に違和感を覚えるのではないかと案じたが、それは杞憂だったようだ。
病院の一室を拠点として始まった異世界漂流生活の初期装備としては、なんだか頼りない。それでもロビンソンよりは、雨風がしのげる拠点と味気ないマズ飯三食が確約されているだけ、十分に恵まれているといえる。
最も、帰れる見込みがないという点は大きな差異だが、しかしまぁ。そこに関しては既に解決済みだった。
どこもかしこも、ナイターをやっているゲレンデのように照らされていて、夜道を歩いているという感覚はなくなっていた。どちらかといえば、常にショッピングモールの中にいるような、そんな眩しさがあった。ここらは農場らしく、暖色に調節されるように赤やら緑やらの大きなLEDに照らされた植物が小綺麗に整列している。息がつまるほど無機質だ。こんな空間がどこまでも続いているようだったが、背の高いビルが多くて一望千里とはいかない。
不思議と人は少なくなかった。
皆、働いているのだ。
当たり前といえば当たり前である。今は正午、お昼時には少し早いし、平日だ。
待ちゆくファッションは一周回って目新しいものはない。
お年寄りは随分と減ったように見えた。もっとも活動的でないだけ、なのかもしれないが。その総数は俺のいたころと比べれば随分と少なくなっていたはずだ。
信号待ち。
見慣れた二色を見ると、そこまで大きな変化はなかったように思えるので不思議だ。
こんな未来でもシルクハットの御仁は健在だった。
なんだか学生時代の、遅刻を確信したうえで、諦めてのんびり歩いている通学路ような。その時の情景と重なった。寝坊した俺は、とっくに手遅れなのを分かっていたが、それでも、通学路における未知との遭遇を楽しんでいる節があった。
不思議なことに焦りはない。地図帳を開くと、緑色の面積は水色の面積に侵食されていた。海面上昇の影響だろう。見慣れたはずの日本のシルエットはスリムかつ歪になっていた。かつて海だった場所にはその上に平気で建物が建てられている。
領収書の住所を探しながら街を行くと、その住所よりも先に200m先に警察署があるという旨の道路標識が目に入りそちらへと歩を変えた。今から思えば、その地点からだとレンタルコンテナのほうが近かったのだが。焦りはなくても不安はあったのかもしれない。
職員のお姉さんを捕まえて事情を話そうと思ったが、それはなんだか気が咎めた。もともと女性と接するのが得意というわけではなかったのだ。それが寝起きということもあってより一層、臆病になっていた。その隣にいた男性職員に話しかけた。
署長に通されて奥の一室に通された。
「始めまして、私はここの所長をしとります、長谷川です」
「ご丁寧にありがとうございます」
「ええ、どうぞお掛けください」
黒くテカったソファに遠慮なく腰掛ける。
二人の胸中は複雑であった。桑名蛤の年齢を74歳と考えれば年功序列も意識するだろうが実際には若造である。階級にしても機動隊員の新入りだ。長谷川のほうが圧倒的に高い地位にいるはずなのだが、見た目はどう見ても60近い老人である。
どうも接すればよいのかわからなくなった二人は、マックス敬語を貫くことに落ち着いた。
こんな見た目でさえなければ。寝坊のツケは思ったよりも高くついた。
「電子端末はお持ちですか」
そういわれてスマホを差し出したが、やはりこれではなかったようだ。
次の世代の何やらよくわからないウェアラブル端末が主流になっているらしい。黒い鉄板なんて言うのは既に廃れて久しいのだという。随分と珍しがられた。
その電子端末とかいうのは持ってはいないので紙媒体で出力してもらう運びとなった。特練員をしていた俺にピッタリな仕事があるらしい。思いのほか時間がかかるらしく、ロビーのソファでテレビモニターを眺めながら待つことにした。
禿げかけたエラそうなおじさんと、ほくろの目立つ禿げていないおじさんの討論番組が放映されていた。
「若者の投票率が下がってきたのは、勿論よくないことですよ。それでもこれは私、徐々に平和になりつつあるってことなんじゃないかって思うわけなんですけれど、」
割って入るようにほくろが話し始めた。
「とはいえ、有権者の割合を見ると高齢者の方が圧倒的に多いわけですからね。そりゃ政策だって若者の興味を引くようなことはやりづらくなるわけですよ。」
「とはいってもね、今の国民バランスを築き上げてきたのだってその前の時代の高齢者たちなわけですから。どんどんそうやって各時代の高齢者が若者の発言権を狭めてきている訳なんですよ」
「それを言ったって仕方ないでしょう。結局、多くの民意を拾い集めなくちゃいけないですからマイノリティへの傾聴はどうしたってプライオリティ低くなってくるでしょう。」
いつの時代も、若者の政治離れというのは深刻なものなのか。
すっかり俺は、タイムトラベラーだった。
ただ、大昔の若者として言わせてもらえれば、政治はつまらん。
だって美少女とか出てこないし、圧政に立ち向かうという構図でもないし、何よりドラマがない。
よく聞いていればおじさんとおばさんがちょっかい出しているだけのように見えるし、肝心な采配はいつだって煮えきらない。なかなか更新されないのも、つまらないポイントと言えるのではないだろうか。
特に必要に迫られていない、というのは政治家の皆さんの工夫の表れともすることができるかもしれないが、なんというか。
タイムトラベラーな俺が過去を持ち出すのは、なんだかおじいちゃんの説教を彷彿とさせるものがあってシュールな限りだが、一昔前の政治というのは面白かった、らしい。いくつもの有力候補が一つの党の中でもひしめき合っていて、いわば戦国時代のような、スポーツでも見ているような、そんな刺激があったのだ。
くだらないところで乳繰り合っているご年配の皆様をテレビ越しに眺めていると、てっきり平和だと勘違いしてしまうから不思議なのだ。世界が平和だったことなんて一度もないのに。
居眠りしている議員さんなんて見ると、なるほど平和が無料で享受できるような、いい意味でつまらない国に思えてならない。
しかして若者というのは、特に関与も干渉も、どころか関心もないくせに、思い通りにならないと直接的な手段に出るのだから我儘この上ない。
けれどその根本的な理由を考えてみれば、誰を責めてもお門違い。
八方塞がりである。
まぁ、テレビという媒体自体が高齢者向けのものだから。あてになど、ならないのだが。
職員から資料をもらった。資料三枚にどれだけ待たせるのだろうかとも思ったが、どうやら現代とは、そういう時代らしい。
病室に戻ることにした。
桑 名:今日は、なんだか申し訳ございませんでしたね、急に訪ねてしまって。
長谷川:いえいえ、お気になさらず。にしても、ここ。私も呼ばれるんですね。
桑 名:ええ、そうみたいですね。
長谷川:おじさん二人で。場というか絵というか、持つんでしょうか。
桑 名:大丈夫ですって、ご心配なさらず。僕、中身は若いので。
長谷川:いやでも、今までは女の子とかがやってたコーナーじゃないですか。
桑 名:始まったばかりですから、それこそ今のうちにこういう回を挟んでおかないと。
長谷川:そういうもんですかね。
桑 名:いやホントに心配なんてないですって。どうせこのコーナーなんて読んでる人いませんて。
長谷川:いや、それじゃあ少し卑屈すぎますよ。
桑 名:でもそうでしょう。本編だってまだまだ投稿され始めたばかりですし。
長谷川:では、これからの活躍次第で盛り上げてゆければいいんですね。
桑 名:ええ、頑張りましょう。
次回、「駱駝は再び産まれ、立ち上がる」
長谷川:私も頑張りますよ!!
桑 名:まぁ、長谷川さんの出番は―――どうでしょう。
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