桑名蛤の過去編でございます。
え、いきなり過去編かよ!
ごもっともでございますが、彼が戦場に立つまでのコンテクストはなるだけ早く出したかったのでございます。
なのでここではあえて、今までのがプロローグであった、ということにしようかと思います。
巷では、前書きは言い訳を綴るところではない、といった旨のお話があったりしますがコレは異なります。
ハードルの調整、なんでございます。あ、これも巷で聞きますね。
ご意見ご指導ご鞭撻、それに合わせてご愛読いただければこれ以上のことはございませんが、
まずはご教授から賜れれば、なんて虫の良いことを考える今日この頃でございます。
では、本日もお勉強させていただこうかと思います。
目が覚めたときには、一人だった。
52年と2か月。あの事故が時間を奪った。ベッドを囲むように設置されている物々しいが、それでいて清潔感のあるこれらの機材たち。これが俺を目覚めさせた、らしい。
そう、これは覚醒というよりも転生のほうがしっくりくる規模の覚醒だ。
所謂、コールドスリープというやつのようだ。看護婦のお姉さんが懇切丁寧に教えてくれた。しかし、それでも。どんなに親切に接してくれたとしても、数字は残酷なままだった。しわがれた自分の両手首からは、よくわからない管が何本か生えている。薄い黄色や透明の液体を、いそいそと送り続けていたらしい。22歳だった肉体とは思えないほどに痩せこけた両手を見ると、とても鏡は見られなかった。解凍されたのは三か月前だという。それから目覚めるまでに時間がかかりすぎたらしい。珍しいケースなんだそうだ。簡単なリハビリから始めようという話も、頭には入ってこない。何人かの顔が頭をよぎる。一生懸命に何か話してくれているお医者様のお話も聞こえなくなってきて、気づくともう一度眠りについていた。
幼い時から俺はよくものを無くした。勉強は嫌いだったが、運動はそこそこできたほうだったし、性格に関してもこれといった欠点はなかった、はずだ。けれど、とにかく私生活がだらしなかった。今までいろいろな物といろいろな人からの信頼を、だらしなさゆえに台無しにしてきた俺だ。それでも、生きていた時代を丸ごとどこかへ失くしてしまったというのは、初めての経験だった。俺の痩せた手に残ったのは、何もない。
飴を一粒渡された。
「元気出してください」ミルクキャンディという彼女のチョイスは、俺の心を少しだけ温める。
翌日、私物を受け取った。
なんだか出所みたいだな、とかそんなことを考えながら受け取ると、一つの腕時計が目についた。カシオのGショックシリーズ。少し目立つ赤色の腕時計はホコリっぽく汚れていたが、それでも見慣れた色に変わりはなかった。
長年使いこんだものだ。高校生の時にバイト代を貯めて買ったもので、成人してからも、派手で子供っぽいといわれようが決して外さなかった。
失くさなかったのはこれくらいか。それでも、もう既に電池はない。
つくづく。いろいろなものを裏切り、いろんなものを失ってきた人生だった。
「おじいさん、大丈夫?」若い女の声が聞こえた。
成人して2年目の俺である。22歳だ。おじいさんと言われても、それが自分に向けられたものだとは、すぐには気付けなかった。
ちょっとからかってやろうという気になった。無論、八つ当たりである。
「大丈夫、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、お嬢さん。ほれ、飴でも食べるかね」
「え、いいの!どうもありがとう。おじいさん」
よく見ると、右手と左足はギプス。松葉杖。
そこそこ重症患者のようだった。
「いいよ、いいよ」
キャッキャと子供らしくはしゃぐ女の子は、一瞬で表情筋の力を抜いた。
「――――で、私が始めておいて何だけどさ。桑名蛤くん。いつまで続けようか、この茶番」
この女、なんで俺の本名を。
・・・・・・。
からかっていたのは俺じゃなかったのか―――。
男は悶絶した。
「ハマグリ。蛤くんって、ちょっと変わった名前よね。あ、大昔に流行ったっていうきらりんネームってやつかしら!?」
「何だその可愛らしいネーミングは。ラジオ番組のリスナーネームじゃあるまいし」
キラキラネームのことを言いたいのだろうが。
「えー、知らないの? つまんないな。でもいたんでしょ、そういう変な名前をつける毒親」
少女は言葉を選ばなかった。
「蛤というのは貝塚から歴史を運び、春の季語にもなる二枚貝だ。鬼よけに食べられたりもする。立派な名前だ」
「あれ、息子がグレる―の“グレル”の語源じゃなかったっけ? グリハマからグレハマ。まぁ、そんな貝はもう絶滅しちゃったけど」
絶滅したのか、蛤。
「まるで蜃気楼の如く、ね」したり顔。
「君は博識なんだな、随分と詳しいようだけど」
女は少し考える、ようなフリをした。
「やっぱり嫌。タメ口禁止。一応私、あなたより年上だし。私、花の大学院生。24だよ?」
「それを言ったら、俺の実年齢は74だ」
「そう。随分と元気なおじいちゃんだこと」
元気? 俺が、か。そうか、こいつと話していた俺は随分とはしゃいでいたらしい。思えば女性と喋るのは久しぶりなきがする。
―――看護婦さん。
いや、久しぶりということはない。優しくしてくれた彼女のことを、忘れてはいけない。
なんだか本調子が出ないが、それでも記憶は徐々に戻ってきている。
なんだか急に、笑えてくる。
生きている時代をどこかへ失くしてしまった俺ではあるが、
別に、大したものなんて最初から持っていなかったじゃないか。
何もなかったように歓談を楽しめているのが何よりの証拠だった。
感傷に浸っていたが、そもそも嘆くようなことなど、最初からなかったのだ。
なんとなくその場の雰囲気にのまれてしまっていたことが、ひどく恥ずかしく思われた。
そしてこの喪失感に慣れてしまっている自分が、ただ虚しくもあった。
男は力なく、笑った。
「急に笑いだして、あんた気持ち悪いわよ。どうしたのよ」
「年寄りの思い話に付き合え。」
G−SHOCKに格納されていた記憶をフラッシュバックさせると、そのファイルをゆっくりと紐解く。
「あいつだろ、コネでここに来たの。親戚に所長様がいらっしゃるんだとか。いいよなぁ、剣道ができるってだけでコネさえあれば警察官になれちまうんだから」
聞こえるように言っているに違いない。
肩身が狭かった。
サラリーマンのように検挙数で比較される毎日。犯罪者が少ないなら、健康なことじゃないか。結構なことだ。
しかし俺の知らない俺は、気を回して肩身の狭い思いをしていた。
数字を気にしないことはできない。何故なら、期待が重くのしかかっていたからだ。
冷たい同僚も、親切な局長も、すべてが重たかった。
他でもない自分が首を絞めていたことに気づけないまま、月日は流れ職場も移った。
今から思えばこれもまた滑稽に思えるのが不思議なのだが、当時はそんなこと思いもしなかった。よくある話といえばそうだ。差別されているつもりがいつの間にか自分自身が己を見下している。一番自分を見くびっているのは、自分自身だった。
これぞまさに、岡目八目というやつだ。
70年経ってようやく気づけるなんて。時間とは、何でも解決してくれるらしい。昔の自分自身を赤の他人にしてくれる。
バカは、一度死んで治ったようだった。
「なんだか、年の割に苦労してたみたいね。」
「学がなかったからな」
色々と思い出してきて、警察署を訪ねてみよう思った。一応、仕事中の事故でこうなったわけだし、これで労災が降りなきゃそんな制度はないのも同然だ。あまり大きくない希望だが、原隊復帰できるかもしれない。
「正直、それはどうかしらね」
「それはどういうことだ」
「いや、あなたみたいな常識足らずを誰が雇うか、という話よ」
「な、学がないからってそこまで馬鹿にするな。これでも一応は元警察官だぞ」
「じゃぁ、今のアメリカ大統領は?」
「・・・」確かに常識足らずかもしれなかった。
「そりゃそうよ、だって五二年間も寝ていたんだもの。そりゃ世間知らずにもなるわって話よ。」
若い女は、左手のウェアラブル端末から病室のモニターにファイルを転送した。ハイテクである。
「これは、あなたがぶっ倒れる少し前から今日までの新聞記事。次に私が来るまでに目を通しておくこと」
なんて莫大なデータだろうか。何テラ分ものメモリが必要になりそうなものだが、それを一瞬で。
「それじゃ、私はもう行くから」
女は病室を去った。
いや、自然に話しかけてきたし。思い返せば、今のは誰だったのだろうか。少なくとも五二年前といえば彼女は生まれていない、どころか彼女の両親でさえ生まれていないかもしれない。女子大生だったか。あの怪我は交通事故にでもあったのだろうか。
モニターを見るとリモコンはなく操作しようがなかった。
おいおい、まさかとは思うが。
指が触れると、水面が揺れるようなエフェクトと一緒に画面が少し動いた。
画面、というか壁がタッチパネルだった。嫌になるほどハイテクだ。
入院生活の経験がある方はよく分かると思うが、死ぬほど暇だ。他にやることもないし、三日三晩、過去の新聞を読み漁った。プランを廻る対戦はなぜか核が終止符になっていた。意味がわからない。途中から読み始めるものではなかった。アメリカ側が、隕石の情報が仕組まれたフェイクだったということを隠蔽してモスクワを消した。核の登場には世界中が驚いていたようだった。それはそうだ。隕石の情報がフェイクだと知らなければ、核の行使は核戦争の火種となり、取りも直さずそれは二重の意味での世界の破滅を意味するのだから。米国がそんな愚行に及ぶだなんて、誰が想像できるだろうか。しかしそれでも、プラン02を推さんとする豪中露の三国同盟は反撃をしなかった。彼らは彼らなりの調査で、隕石が本当に月面を穿つことを知っていたからだ。
一人の男の、世界を対戦に誘うはずだった嘘から真が出たわけである。笑えないジョークだ。
プラン〇二がいくつかの変更点を加えられ、なし崩し的に採用された。米国政府の信用は地の果てまで落ちていたからだ。無理もない。
そしてなぜか、世界には37の核兵器が残された。これに関してはいよいよ、意味が分からない。プラン〇二で使用される核爆弾の総数は当時世界に存在した総量の一二二%。足りなくなることはあれど、余ることなんてあるはずがなかった。
日向側であれば水を作るために、日陰側であれば、防寒やインフラのために一つでも多くの発電所が必要になる。どちらにせよ、兵器としての核を製造する余裕はどの国にもない。そこで注目されるのが37の核資源ということだった。入手ができれば発電所に焚べるもよし、兵器として温存するでもよしと、活用法は多岐にわたる。そして新たに核兵器の開発を始めることを許さないモスクワ条約が、各国間の緊張の糸を緩めさせない。
72年間の要約 終わり。
そこそこ激動の時代だったようだ。
「桑田さん、入りますよ」ドアの向こうから声が聞こえた。
入ってきたのは看護婦の斎藤さんである。親切な女性だ。
「彼女の面倒を見てくださっているようで、ありがとうございます」
何の話だろうか。あ、あの若い女のことか。にしても面倒って。彼女ももういい年だろうに。
「あの娘ね、精神的なダメージを負っているのよ。それが怪我につながってしまって今は入院しているの。怪我が完治しないうちは病院内で過ごしてもらえるから、安心なんだけど。退院した後のほうが心配なのよね」
精神的なダメージに塞ぎ込んでいるようには見えなかったが、あれでおかしくなっていたりするのだろうか。
「少しでもああやって話し相手になってくれる患者さんがいるのは、実は救いだったりするのよ。まあぁ無理にとは言いません、お話し相手になっていただけると、助かります」
プライバシーポリシーに差しさわりのない程度に話してくれたが、その内容は俺の思うあの女とは一致しずらいものだった。
―――自殺未遂か———。
転生した後に相まみえた女神は、松葉杖をつく眼帯の女学生だった。
お嬢:ねぇ、ハマグリに私のことしゃべったでしょ。
斎藤:いえいえ、患者様の個人情報は守りますよ。
お嬢:私、患者じゃないんだけど?
斎藤:あら、そうだったかしら。
お嬢:わざとらしいわね。ムカつく。今後私が舐められたらどうしてくれるのよ。
斎藤:お友達ができてよかったじゃないですか。
お嬢:業務に差し支えるのよ、業務に!!
斎藤:そんなことおっしゃっても、既に打ち解けてきてたじゃないですか。
お嬢:そ、そんなことないわよ。ってか、仮にそうでも嬉しくないわよ!!!
斎藤:おじさんおばさんばっかだったものね。同年代のお友達はいたほうがいいわ。
お嬢:私には―――あなたがいるじゃない。
斎藤:あら、嬉しい。
次回、「女神は知恵をつけ、水面下で画策する」
斎藤:結構イケメンだったわよね。桑名君
お嬢:何よあんた、狙ってるの?w
斎藤:あなたのタイプは、山本君とかよね?
お嬢:ち、ちがうわよ!!!
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