人の心は弱いと聞きます。
言われてみれば心当たる節の1つや2つ、思い浮かびます。
まぁそれくらいが健全なのかなと思う今日このごろ。
変に平気そうな人ほど何かを胸のうちに溜め込んでいるというものです。
さて、皆さんはいかがでしょうか。
では本日も、お勉強させていただきます。
よろしくおねがいします。
シスター・アリスよ。あなたには極東の軍事国家が前線を維持せんと配置した拠点に住まう者らを、過ちからすくい上げることができれば、それはどんなに素晴らしいことでしょう。彼らは咎人ではありますが哀れにも、無自覚なのです。そんな彼らを救うことができれば、この世は幾許かの平穏を取り戻すことでしょう。
聖堂は、ステンドグラスによって歪められた優しい光で満たされていた。司教の声は無駄に木霊し、都合よく指す後光がないはずの威厳さえ演出している。BGMとしてオルガンの音声を流しながらの説教は、うんざりするほどに作り込まれた計算の産物であったが、跪く者らは至って敬虔だった。
太った司教は下卑た笑みを隠しながら、若い修道女に命令を下す。これは神の名を添えたアドバイスである。傍から見ればそれはただの助言に聞こえる状況だが、後ろ盾に由来する正当性と根拠のない親切心が強制力を強めていただけの、ただの命令であった。
あの拠点の一部が綻べば、勝機を作り出すことができるに違いないのだ。某国は、あの拠点を吹き飛ばす気なのだろうが、そうはさせんぞ。核は一つでも多いに越したことはない。モスクワ条約には背かぬ範囲での戦力増強は願ってもない話だ。彼らの持つ人体強化技術も金になるだろう。何より、メンタルから崩せるのであればその費用対効果は、かなり美味しいものになるだろう。私の計画は、我ながら恐ろしいほどに周到だ。そもそも、奴らの日常を思えばずっと前から付け入る隙きはあったのだ。
「承りました。では、装備のレベルは如何程にいたしましょうか」
武力を前提に話すものではありませんよ、あくまでもこれは救済なのです。宣教活動を試みた上で言語活動がままならない場合に限り、B3相当の装備の行使を許可します。そうですね、丁度いい。ペテロの葬列を持ってゆきなさい。メンテナンスなら済んでるはずです。
「わかりました。では、導いてまいります」
修道女は恍惚とした表情を浮かべると、それを隠すように聖堂を立ち去った。大理石の床をコツコツと鳴らしながら歩くアリスは、心做しか高揚していた。
女が立去るのを見届けると、山本は音源の再生を止めた。
「むっちゃ些末な演出しとるな。よぉ、まぁこないなもんで騙せるもんや。いや、ホンマにこれで騙せてるんかいな」
「ヤマモトか。別に問題などなにもないさ。アリスも薄々は感づいてるはずだ、奴はそこまでヤワじゃない。ところで貴様は何をしに来た。報酬に関しては既に支払ったはずだが?」
「いやいや、堪忍したって。僕が一番欲しかったものがまだなんですけど?」
「その分も上乗せた額を支払わせたはずだが」
「どっちかって言うとそっちがメインなんやけど。どないするん? 僕が女神からの遣いだっちゅうことは、もう掴んどるんやろ?」
司教は、女神というワードには強く出れなかった。
「貴様の所属先も調べがついている。このままだと、この情報は196に流れるのだろう? もしそうなれば私の身が危なくなる。今後、このような取引ができなくなるぞ。くれぐれも扱いには気をつけるのだぞ」
脅すように、そしてす縋るように吐き捨てた司教は、紙媒体が入ったアタッシュケースを指さした。
「なーんだ、ちゃんと準備してるんやないかい。最初から出せっちゅうに」
山本がケースを開くと、中には数枚の紙と非常時に作動する焼却装置が丁寧に収められてあった。そのまま紙だけを無造作に取り出して二度ほど雑に折りたたんでポケットに突っ込んだ。
「最後に、女神からの伝言や。後任が見つかったからジブンはいらへん、今までどうも、おつかれさん。だってよ。おっさんもついてへんかったな」
「き、貴様!!」
司教は衣装の隙間に忍ばせていた拳銃を発砲したが、山本は既に逃げおおせていた。
「さ、さがせ。侵入者だ」
無線機に向かって声を荒らげた。
ユーラシア連合のなかでも独立した動きを見せる自称宣教集団、SNT。しかしその実、彼らはかなりの勢力を誇る戦闘集団という側面も併せて持っていたため、連合にしても腫物のように扱わざるを得ない集団だった。しかし、誰もが少なからず不安を持っているこの時代において、全世界の不安を一手に引き受けようとしていた彼らに戦力が集中していくのは、自明の理であった。
そしてシスター・アリスは、数人の部下とともに武器庫を訪れた。明らかに聖堂よりも大きな規模な倉庫には大きな吹き抜けがあり、清潔だが薄暗かった。エレベーターで3階に上がると、倉庫の一室の錠を外し中に入る。
並んだパッケージの中から、一つを選んで開封する。
「これが、ペテロの葬列ですか」
恍惚とした表情で武器を撫でると、溢れかけた唾液を啜って飲み込んだ。
「では皆さん、出発しましょう。鉄馬の世話は済んでいますか」
部下の一人が完了を知らせると、倉庫の前には首のない鉄の馬が並んで座り込んでいた。
メッキで加工された曲線的なフレームは、生物の筋肉を模して配置され、本来ならば臓物が収まっているはずの場所にはエンジンが格納されていた。全体的に剛性と軽量さを両立するべく肉抜きされている鋼の塊。電子装備は一切ない、純粋な構造物である。鞍はなく、代わりに本来ならば首の付け根があったところに座席らしいものがあった。
多脚戦闘軽車両。
SNTの代名詞とも呼ばれる機動力の要であった。オートバイの要領でエンジンの動力をチェーンの回転へと一度変換し、今度はそれを馬の足の回転へと更に変換する。
そこに電子的な補助は一切なく、複雑な絡繰のみで自立してバランスを取る機動兵器である。
アリスは修道服をたくし上げると、大きくまたがった。周りに目がないためか、大胆に乗り込んだ。
キックスタートでエンジンを始動させると鼓動を始め、右足の操作で煽るとその鼓動を大きく安定した。
腰元を留め具が覆い、姿勢を安定させた。
さながら本物の馬のようにエンジンを唸らせると、部下を含めて15名の修道女が移動を開始した。上半身を大きく使って弾みをつけると、体重移動でしなやかに右折していった。
「今回の敵は、一個小隊でやってくることになっているんだけど、ご丁寧にも事前文書が届いてる。石上からの報告によれば、あと三時間でくらいで接敵する流れになるんだが。まぁとりあえず、お手紙を今から読み上げるよ」
艦内にある集会所に集められた隊員の前で、オイノは陽気に語って聞かせた。
「修羅の世にさまよえる皆さまへ、今こそ罪を受け入れ未来へ歩き出すときです。主は嘆いておられます。皆さまの日々の努力が、多くの隣人を害しているからです。今からでも遅くはありません、私達の声に耳を貸してはいただけませんでしょうか。皆さまに置かれましては誰よりも救いを欲していることと思います。皆さんの罪は、信仰とそれに基づく行動できっと許され、解放されるのです。ということらしい。どうやら連中は、僕らを救ってくれるみたいだ」
それまでの清聴が一変、割れんばかりの爆笑が巻き起こった。
あははは、ははははは。
アハハハ。
良いセンスしてるぜ、どこのコメディアンだよ。
山田君、座布団一つ!!
そりゃいい、お前とか救ってもらえよ!
冗談よせよ、それならドラッグのほうがずっと手軽に救ってくれらぁ。
大爆笑をなだめるように、オイノは続けた。
「ああ、全くもってそのとおりだ。僕たちはきっと完全に手遅れだろう。僕なんか仏教だしね、そういうのはもう間に合ってるよ。ってなわけで今回の宗教勧誘もいつもの通り、やんわり断ってお引取り願おうと思うんだけど、こんな厄介で熱心なキリスト教徒の相手をしてくれる親切な奴はいるかな?」
我こそはと殺到した。こんなに手ごろで簡単な仕事はないからだ。
ここの拠点には所属しているだけで基本給が出るのだが、それとは別に成功手当として撃退数に応じた成功報酬手当が出ることになっていて、半分は歩合制のような形になっている。撃退数のランキングに応じた昇給制もあり、あくまでもホワイトな仕組みになっていた。
進んで志願した班はいくつもあったが、じゃんけん大会の末、5班と10班が向かうことになった。
斡旋された任務は平等に振る舞われることになっているのだが、その平等は老野の気分次第で形を変えた。大食い競争のときもあれば、早押しクイズだったりもする。前回は甲板で行われた徒競走だった。
会議終了、解散。
「君が、5班のルーキー君だね」
立派に福與かな、恰幅の良い中年紳士が話しかけてきた。
筋肉質な隊員が多いためか、品のある男の存在に違和感を覚えた桑名ではあったが、その優しそうな表情から警戒心を解いた。
「失礼ですが、あなたは?」
「僕かい? 僕は秋山、10班の剣士さ。よろしくね」
「剣士、というと専用刀ですか」
「そうさぁ。君のところにも一人いたでしょう、なんていったかな」
「私になにか?」
「いや、なんでもないよ。今日はよろしくね」
ヒルマか、小さかったお嬢が大きくなったものだ。この分だと跡取りにはなれたのかな。先生に似て、相変わらずの無愛想だったが、これは仕事が楽しみだな。
「マイさん、メイさん。集合は二時間後だから、遅刻しないようにね」
「いや、おっさんでしょ。いつも遅刻するのは」
「そうだったかな」
「班長、ほら早く準備してくださいよ。じゃないと遅刻しちゃいますよ」
鳥居前を2台のバギーが飛び出す。
いやぁぁあああぁあああ。
ヒルマの悲鳴だけが白い大地に響いた。
「もう二度と乗らない。乗るものか」
「いや、帰りもあるだろ」
「班長、どうにかならないのか。乗り心地が一向に改善されないんだが」
ヒルマはいつもの通りの腱膜でまくし立てた。
おろろろろ。
正直見てはいられなかった。
「おや、皆さん。おそろいですね。私はお手紙を出させていただきました、シスターアリスと申します。SNTより派遣されてまいりました、宣教師です。はい、宗教の勧誘に参りました」
裾を軽く持ち上げて、礼をした。
目の前に現れたのは、修道女の格好をしたケンタウロスの集団だった。
「馬だ、ケンタウロスだぞ。ハマグリ」
「ああ、すごいな。あれスカートの中とかどうなってるんだろうな」
「バカグリ。相手はシスターだぞ。おまえがたのんだってみせてくれるもんか。班長、私ちょっといってきていいですか!」
駄目に決まってんでしょうが。
盛り上がっていたバカ二人は、まともな班長に諌められた。今回の仕事は殺し合いではないため、文字通りのお出かけ気分だった。
秋山が口火を切る。
「あのね、君たちは布教活動に来たみたいだけども、日を改めるか場所を改める、はたまた人を選ぶかしてほしいんだよね。申し訳ないが、ここは危険な場所だ。君たちみたいな平和の国の住人が来ていい場所じゃないんだ。いいね、悪いことは言わない」
お言葉ですが、ミスター。この世界に平和な世界などありますでしょうか。
「うーん。あんまり広義の意味で捉えてほしくないんだけど、少なくとも血は流れないだろう? そうでなきゃ、そういう余裕のある思考にはならないはずなんだ。君たちの言う御題目は、僕らの生活とはどうもそりが合わないんだよ」
そういうあなた方にこそ、主の教えが必要なはずです。主は嘆いておられます。
タカギの姉が口を挟んだ。
「そちらの神様ですか? こんな世の中をほったらかして、ろくに助けてもくれないっていう役立たずは。そんなものよりも、この刀のほうがまだ私を救ってくれています。ほら、間に合ってるでしょう?」
いいえ、全くもって愚かです。信心の足りないあなた方がいるから、平穏は訪れないのです。信じさえすれば救われるというのに、その努力もせずに不幸せを呪っていたのでは、いけません。全てはそう、あなた方次第なのです。
「ちょっと、シスターさん? それはちょっとあんまりなんじゃないの? 今はお宅の勢力とも敵対関係なわけで、僕らにとっては十分不幸の片鱗だ。君等がいなくなってくれたら、ちょっとは幸福になれるかもしれない。ほら僕達を見てごらん。女子供まで男どもと一緒に剣を振るっているんだ。本来だったら、部活に恋に忙しいお年頃だっていうのに。これも一部は君らのせいなわけだ」
ええ、信仰心さえあればきっとその様になっていたでしょう。誠に残念に思います。どうでしょうか、今からでも遅くはありません。私達とともに来てくださるのであれば、信仰と引き換えに平穏な生活と幸福な日常があなた方の過去を癒すでしょう。主は寛大です。今までの罪もいつしかきっと、許されるときが訪れるでしょう。
「班長。い、一考の価値があるんじゃ、」
桑名は深く考え込んでいた。皆が受け入れて、誰かが管理してくれれば、世界は平和になるんじゃないかと。真剣に考えていた。
「この、バカハマグリ!!」
後頭部に一撃が決まる。
「班長大変だ。ハマグリが壊れた」
桑名は考えるのをやめなかった。
イマノヨはまさに戦乱だ。限られた光資源を巡った地球規模の椅子取りゲーム。これの最適解は、みんなで日向側に住むことに違いない。できないことはないはずだ。なんせここは近未来なんだろう? 光の分配なんて簡単なことなんじゃないのか。その旗印としては十二分じゃないのか。現在の先進国で一番信仰されている宗教。これ以上に適任はいないんじゃないのか。愚かな人類をまとめられるのは、最早架空の存在しか残されていないんじゃないのだろうか。そして、今この機を逃せば、俺たちが救われることなんてもう二度と―――。
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