騎士系悪魔と銀月軍団《ナイトデビルとシルバームーン》

花に寄り添う悪魔騎士、邪を滅ぼし燐光と共に
つきかげ御影
つきかげ御影

第六節 縮まる距離《下》

公開日時: 2021年6月5日(土) 12:00
更新日時: 2022年1月8日(土) 10:49
文字数:4,371

 ──ティトルーズ暦二十六年、二十のサファイア。


 城下町フィオーレでマントに身を包むアリスと出会った俺は、彼女と共に電車で隣町のブリガへ向かう。その町で行きつけの食事処に着くと、俺と彼女は各々で食べ物を頼んだ。


「お待たせしましたー! さあ召し上がれ!」


 しばらくするとドワーフの女店主は元気よく現れ、大きなトレイに載せた食べ物を木造の食卓に並べる。俺の前に置いたのは、トマトスープで浸された浅型のボウルと丸いパンだ。アリスの前にあるのは深型のボウルで、鶏肉とケールの山の上に卵の黄身が載っている。


 俺たちは食材への敬意を告げた後、目の前の食べ物に手を伸ばす。俺はスプーンを珊瑚色の液体の中に入れると、豆の雑踏を一気に掬い上げた。それらを口の中へ運んだ時、酸味ともっちりした食感で腹が満たされていく。

 スプーンをボウルへ置き去ると、次は隣の皿に載るパンに目を向けた。狐色に焼かれたそれを持ち上げ、両手で引き千切る。するとパリッと音を立て、多少の歪みを見せた。そして酸っぱさを中和するように、甘い味わいが広がっていく。


 これこそが豆のスープとパンの組み合わせだ。初めて足を運んだ時から変わらない味。今更『美味しい』なんて言うことはないが、止まらぬ手先が何よりも証拠だ。


「お、美味しい……!!」


 同じく舌が唸ったのは、向かいに座るアリス。亜麻色の透き通るソースと黄色の粘液が混ざり合い、窪みから五穀米が垣間見える。


 気がつけばアリスはフードを外してしまったが、誰も気に留めていないようだ。それにしても、目を輝かせながら食す彼女もまた魅力的だと感じ──って、何考えてるんだ俺は……。

 そんなアリスは目をぱちくりさせながら、俺に他愛ない話題を吹っ掛けてきた。


「先程私達が乗った物が『電車』ですの?」

「そうだよ。あれを魔力で動かすんだが、たまに枯渇して停まるんだよ。今日みたいな日が貴重だ」

「まあ!」


「最初は遅れるたびにウンザリしてたが、今はもう慣れたよ」

「羨ましいなぁ……。私のところなんて、月末に一度は儀式を行わねばなりませんし」


「儀式?」

「はい。ミュール島の住民たちが礼拝所に集い、私に祈りを捧げるのです。この間はさかずきに入れた聖水をちょっとこぼしてしまいまして、教皇さまに怒られましたの……」

「ま、そんな事もあるよな」


 いくら神族と云っても、外面そとづらは人間である。初めて会ったときは面倒くさそうな印象を受けたが、こうして見ると親近感を覚えるものだ。気分が更に乗った俺は、彼女にこんな話題を振ってみる。


「旦那とはどんな話をするんだ?」

「うーん……天気の話とか、後は……」

「後は?」

「………………」


 黙り込むと云う事は、あまり深い話をしないんだな。アリスは沈黙を隠すように目を泳がすので、話題を変えて俺の話をする事にした。


「俺の親父は悪魔で、おふくろは夢魔。俺と兄貴は親父の血を色濃く継いでるわけだが、兄貴が魔界から消えちまったんだよ」


「……やはり、あの人の弟さんでしたのね」

「前に言ってた『あの人』か?」

「ええ。どうも似ていると思ったら」


 脳裏をよぎるのは、二ヶ月前の事だ。俺とアリスは戦いを繰り広げた末、俺が彼女を破る。その時、彼女は俺にこう吐き捨てたのだ。


『どうせあなた、私を玩具にする気でしょ!? でしたら、此処で殺しなさいっ!』


 いったい彼女と兄貴に何があったと云うのか? つか、彼はいま人間界にいるのか? あらゆる疑問が脳内を駆け巡るせいで爆発しそうになる……。

 そんな中で質問を投げたなんて、我ながら頑張ったとは思う。けれど、返ってくる答えは決して俺の望むものでは無かった。


「そろそろ教えてくれても良いんじゃねえか?」

「……すみません。十年経った今も、あの事を思い出すと身体を悪くしてしまいますの」


 アリスが俯き、とうとうスプーンから手を離してしまう。柄にもなく罪悪感が芽生えた俺は、『もうこの話はやめよう』と胸に誓ったのである。


「……悪いな、それなら無理に話さなくて良い。俺もあいつに嫌な目遭わされたし」

「アレックスさん……」

「良いさ。別に友達になるのに、過去を無理に知る必要なんて無いだろ?」


 両手を胸に当て、ハッとしたように俺を見つめるアリス。彼女は口を開き、ある単語を復唱した。


「友達……」

「ああ。種族が違うからってダメな事はねえさ」

「…………はい!」


 アリスの口角が緩やかに上がり、嬉しそうに頷く。きっと彼女も友達がいなかったのだろう。……いや、正確に言えばのかもしれない。なんせ、先月に『今は私しかいない』とも言ってたし。


 それから俺たちは色んな話をしてみるのだが、彼女の反応がいちいち可愛すぎて困ったものだ。なんせ逐一頷き、尋ねてくるんだからな。きっと俺も顔が綻んでいたに違いない。


 食事を終えた後、周囲の客は掃けて疎らとなる。そこへちょうど店主が現れ、取っ手の無いティーカップを持ってきてくれたのだ。ダージリンの香りがムードを高め、友達と恋人の境目を曖昧にしていく。

 アリスも空気を悟ったのか、いつもの癖をしたまま俺に上目遣いをしてきた。


「……ねえ、アレックスさん」

「ん?」

「手の大きさ、比べてみませんか?」


 甘い声と共に差し出される右手。既に緊張が解れていた俺は、何の躊躇いも無く左手を重ねた。


「っ!」

 その刹那に、俺は思わず息を呑んでしまう。


 シルクのような触感──それは全ての神経に行き渡り、たちまち心臓を駆け巡る。

 精巧な人形にも似た顔立ちは、見つめるだけで胸がはち切れそうだ。


「男の人って、やはり大きいですわね」

「あ……ああ」


 今の俺は、変な声が出ていないだろうか? そもそも俺と一緒にいる事自体、彼女にとって迷惑じゃないよな?

 不安と期待が入り混じって、吐き気すら覚える。……今までにこんな感情があっただろうか。当時の俺は『女に絶対跪かない』と決めてたのに、どんどん壊れていく気がするのだ。


 とうとう俺は、彼女に向かってとんでもない事を口走ってしまう──。


「なあ、次はいつ会える?」

「えぇっ!?」


 驚く余り、右手を離してしまうアリス。彼女の頬に赤みがさしているのは紅茶のせいか、俺と一緒にいるからか──もはやそれすら判らない。

 しかし彼女は悲しそうな表情を浮かべ、目を逸らしながら答えた。


「それは…………」


 その先が、あるように見えない。もし文通でも出来れば良いのだが、そんな事をすれば教皇や旦那にバレてしまうだろう。

 だから彼女は、ついに口を結んだ。扉や窓の隙間から入り込む冷風は湯気を奪い、空気を一気に凍らせていく。食器を洗う音も客の話し声も静寂に飲まれ、再び俺らの間で重い沈黙が流れた。


 湧き上がるを拳の中に押し込め、この冷えた空気を思い切り吸う。



「不気味なことを言って、すまなかった。今のは忘れてくれ」



 詫びるなんて俺らしくない。でも、そうしないと一生気まずいままだと思ったんだ。

 アリスは顔を上げ、またもや「すみません」と口にする。せっかくの二人きりだと云うのに、『飯を奢る』だけでは何の慰めにもならない気がしてきた。


「アレックスさんは優しいんですね」

「なんでそうなる」


 やめてくれ。まるで今生の別れみたいな笑みを浮かべられると、胸が痛むだろ……。俺にそんな事を言ったって、ロクでもない答えしか返ってこないの判るだろ……。


「……また会えると信じていますわ」

「よせって。『二度と会えない』みたいな言い方は……」


「いえ、本当に信じているんです。そう遠くないうちに、ね」


 アリスの紡いだ言葉は不思議なもので、本当に実現しそうな気がしてくる。暗闇の中に一筋の光が射し込むように。

 お互いティーカップを空にしたので、「そろそろ出るか」と俺から立ち上がる。それからアリスの分も纏めて払うと、彼女と一緒に店を離れた。




「今日もありがとう。ごちそうさまでした」

「いいって」


 秋が近くなり、日の入りが早くなった。

 フィオーレに戻った俺たちは、再びフードを被ったアリスと共に人気ひとけの少ない遊歩道で立ち尽くす。並木は緑と黄金のグラデーションを見せ、足元には二つの影が伸びていた。


 思わず溢れたに対し、アリスが振り向く。


「帰したくない」

「え?」


 もしこのまま遠くへ逃げれば、お前をずっと眺めていられるのに。きめ細かい肌や優しい声だって、ずっと感じられるだろう。嗚呼、種族だとか風習だとか……何もかもを棄てて愛し合えたら良いのに。

 結局今日も素直になれない俺は、こう言うしかなかった。


「なんでもねえよ。さっさと帰れ」

「……まだそんな口の利き方をするんですね」


 アリスが頬を膨らますのも無理もない。もう初めて会った頃と違って、こっちは言い返す気にもなれなかった。

 然しながら、さりげなく手を握ってくる辺り俺と同類かもしれない。物憂げな表情かおをされたら、余計切なくなるってのに。


 俺は今、どんな表情をしているのだろう。

 そんな事を考えるうちに、彼女の手が離れていく。


 そしてアリスは唇を薄く開き──「さようなら」と言った。


 振り向きざまに手を振るが、俺は返せなかった。

『引き止めたい』という衝動をポケットに収めていたから。


 彼女の姿が小さくなった後、ようやく足が動く。来た道を戻り、何の変哲もないアパルトマンへ向かう事にしたのだ。


 ただ、これだけは言わせてくれ。



「お前の気持ち……そろそろ教えてくれよ」



 この言葉は、星を照らす茜の空に虚しく呑まれていった──。








『友達』とはよく言ったもので、彼女と一つになるのも時間の問題だった。例えあっちに相手がいようと関係無い。芽生えゆく劣情は、『奪えば全て上手くいく』なんて根拠の無い自信をも生み出すのだ。

 次に綴られたものは、俺への好意が確信に変わった事を指す。俺と食事した翌日の出来事だ。


21st.Zaf, A.T.26


 ラウクさん、ごめんなさい。

 あなたという人がいながら、とうとう違う人妄想してしまいました。


 ましてや、魔族との恋なんて許されないはずなのに。

 あの人に『愛されたい』と想ってしまった私はバカだ。最低だわ。


 これが恋っていうのかしら。

 あれほど教皇さまがたから『関わるな』と教わってきたのに……みんなに知られたらどうしよう。


 もうあの時に描いた絵じゃ足りない。きちんと顔を見て、声を聞きたい。

 お願い、アレックスさん。こんな愚かな私に早く気づいて。


 ……彼女は、どんな風に妄想したのだろう。スカートから白い脚を覗かせ、慰める様子が目に浮かぶ。どんなに声を押し殺しても、溢れる想いまでは隠せないだろう。頭の中の悪魔に身を委ねる余り、瞳に涙を浮かべていたに違いない。

 もう昔の女だと云うのに、なぜ身体の奥が熱くなるのだろう。俺にはシェリーがいるじゃねえか。


 けれど──もう手遅れなんだ。



「シェリー……すまん」



 一時いっときの平穏が流れる夜更け。

 開かれたページを見つめ、この昂りに手を掛けてしまったのである。




(第七節へ)






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