魔術と蒸気の国は、王の理念に基づき今日も人族と魔族が共生する。
しかし──意のままに生き、人族を貶める魔族が存在するのも事実だ。その歴史は時に他者の愛を阻み、心に大きな影を落とす。故に自身の生れに悩む魔族は、近しい者と痛みを分かち合うのだ。
これは、平穏を愛する悪魔と吸血鬼の他愛ない会話である。
「は? サキュバスに襲われた?」
此処は、以前俺とシェリー・アンナとジェイミーの四人で立ち寄った喫茶店だ。ある日、俺はジェイミーから『相談に乗ってほしい』と頼まれ今に至るが、内容が内容で呆れちまったよ。
近くに座る客たちが一斉にこちらを向くと、ジェイミーは慌てた様子で付け加える。
「『襲われた』じゃなくて未遂だから」
「どのみち、お前も『相談』という名のモテ自慢をするタイプの輩か」
「いや、十分モテてるだろ!!? 毎日女の子に囲まれてさ!!」
「あれは仕事だよ。つか、そのまま身を委ねれば良いんじゃね?」
「それは……ほら、俺様にはあいつがいるし……」
あんま細かい事は説明できないが、サキュバスはこちらにとって都合の良い特質だからな。誘いをわざわざ断るオスはごく少数だ。ったく、こいつはどこまで純粋なんだよ。こっちは何十年も来てねえんだぞ。
「お前だってハメを外したいときはあるだろ」
「あんたと一緒にしないでくれ。仮にそんな事して、罪悪感湧かないの?」
「夢魔だって満たせればそれで良いんだよ。これ程互いにとって有利な事は無いさ」
「あのなぁ……」
「良いか、あの種族はそう簡単に来るものじゃない。どんなに見た目が良くて力があっても、結局は向こう次第だ。俺がヘプケンに居た頃、それを望んで鍛えたヤツは山程見たけど、誰もその夢を叶えられなかった。それだけ貴重な機会を逃すお前は純粋通り越してただのバカだ」
「なんでそんなに言われなきゃいけないんだよ! ただでさえあのサキュバスに『ザコ』とか『坊っちゃん』って散々言われたのに……俺様が、何かしたってのかよ……」
野郎のお前がうるうるさせても胸キュンもクソも無いんだけどなぁ。つか、結構ナイーブなのが意外だよ。
「とりあえず、何があったか説明してくれよ」
俺がそう吹っ掛けると、ジェイミーは次のように打ち明けてくれた。
俺様が寝ようと瞼を閉じたとき、なんか圧し掛かってたんだよ。目を開けてみればさ、やたら布の面積が薄い夢魔が乗っかってたわけ。見た目は……そうだね、紫色の長い髪にサイドツインテールだし、明らかにツリ目系の童顔だった。でも体型が大人って感じで、ちょっと不思議だと思ったんだよね。
それで俺様のことをじーっと見ながら、唇を舐め回してたんだよ。しかも、無駄に甘ったるい声で罵倒しやがってさ……。
『余にはわかるぞ〜? そんなチャラい見た目しておいて、実はただの坊っちゃん♡ 長年生きてるくせに経験が無いなんて、気の毒なヤツよのぉ〜』
『あ、あんた誰だよ! いきなり家に上がって、俺様に何する気だ!?』
『お〜お〜、“俺様”とか随分とイキりおるな? そんな生意気な吸血鬼にはぁ……お仕置きなのだ!』
そいつは雷の魔法で身体を硬直させたんだ。仰向けになってる俺様は痺れて何にもできないし、魔法を使う余裕だって無かった。おまけに彼女の幻聴まで聞こえてさ、あたかもそういう事してるような気分だったよ。
無論、それだけじゃない。ピンポイントにくすぐられて結構キてたってのに、とどめを刺すように囁いてきたんだ。
『ざ〜こざ〜こ♡ 結局うぬも変態の端くれなのだ。“一冊も持たぬ”なんぞ只の虚勢よ。さあ、今すぐ余に乞え。“麗しきリリト様、可哀想な僕ちゃんをお慰め下さい”とな』
『ほざけ、この女──』
『ほ〜? 余に逆らうとな?』
『うがぁぁあ……っ!!』
『愛い鳴き声ぞ。うふふ、もっと聞かせよ』
『や、やめろ……! それマジで痛いから!!』
『そうかそうか。もっといじめてほしい、と……素直にそう言えば良かろう?』
『ぐあぁぁああ!!!』
……あれはあまりに痛すぎて、細かいことは思い出したくない。でも、俺様は一応上級魔術師だ。樹魔法で全部打ち消したら酷く驚いててさ。相当見くびってたんだろうね。
『な、何故余に逆らう!!』
『逆らうも何も、俺様はあんたに従った憶えはない。リリト……と云ったか? これ以上手を下すものなら、俺様も黙っちゃいられないよ』
『くっ……! 憶えておれ!! 近いうちに跪かせてやる〜〜〜〜!!』
俺様が起き上がると、あいつは蝙蝠になって消え去った。随分人騒がせな女だと思ったよ。
「どうせあんたの事だから『羨ましい』とか思ってるんだろうけど、実際は超厄介だよ。聞いててわかったでしょ?」
「……もうちょっと歳行ってたらアリかもな」
「そういう問題!? やっぱあんたってMだったの!?」
「逆だよ逆。本当はそいつがマゾなんだよ」
ジェイミーは『よくわかんねー』と言いたげな表情でアイスコーヒーを飲んでいる。俺もあんま他人のこと言えないが、『こいつは一生女心を理解できない』と思った。
「確かあんたの母親がサキュバスなんだろ? 何か対策を教えてくれよ」
「素直に従えば、向こうが満足していなくなるよ。どうしても無理ってなら、仕込んでおけ」
「何を!?」
「言わせるな。飯の場だぞ」
はーあ、ジェイミーがダメなら俺のとこに来てくれねえかなぁ。まあ、どんなにイイ女でもシェリーには敵わんけど。
……ん? ちょっと待て。シェリーにそういう格好を頼めば良いんだよな。何だかんだで乗ってくれたりして? すっげえエロい格好でさ、悪魔っぽい角と翼を生やしてんだよ。片手で上手いこと隠しつつ、脚をこう──
「随分と楽しそうだね。時々あんたが羨ましいよ」
「お前がもっと素直になれば良いだけだ。変にカッコつけてねえで、堂々と『えっちな事は大好きだ!』って振る舞ってりゃ良いんだよ。だいたい、今の今までどうやって乗り越えたんだ?」
「うーん。元々そこまで興味無かったっつーか……」
「でもお前だって血を吸う相手は選ぶだろ。顔が良いんだから、気に入った相手をそのまま口説けば大体は上手くいくよ」
「そんなことして何になるって言うの。確かに可愛い子は好きだけど、向こうが困る事はしたくない」
「……もしかしてお前、血を吸う時いちいち許可取ってるの?」
「そりゃそうだよ。だから動物の血を吸うほうが楽なの」
きっとこいつ、女の家に入り込んでおいて『いきなり入ってごめんね。あんたの血を吸って良い?』って確認してるんだろうな……。もっと積極的に攻める方がカッコいいはずなんだが。
ジェイミーは窓に映る青空を見上げ、溜息をつく。その眼差しはどこか寂しげで、突如胸が締め付けられた。
「だからさ、俺様は時々思うんだよ。『人間が羨ましい』って。あんたもそう思ったこと無い?」
「……そうだな。この国は魔族も受け入れてくれるとはいえ、好きな女が俺みたいなヤツと付き合ってくれるとは限らない」
「そうだね。……少なくとも、アンナを怖がらせたくないよ」
「ま、彼女も色々あっただろうし、今のままでも良いんじゃねえか」
「いきなり生き方を変えるってのは、難しいもんだよね。やっぱ、『誰でも良い』ってのは俺様には無理だよ。あんたと違って」
「最後は余計だ」
つい話がそれてしまったな。男二人でしんみりは性に合わないし、話を戻すとしよう。
「で、仕込むのか?」
「うーん、もうちょっと楽な方法は無いかなって」
「代替品なら市場にある。せっかくだから付き添おう。ちょうど本屋に寄りたいと思ったとこだし」
「何(の本)買うの?」
「そりゃあ決まってるだろ。伝説の書物だ」
「……相変わらずだね。相談に乗ってもらったお礼として、俺様もついて行くよ」
ジェイミーと一緒に喫茶店を後にすると、俺たちは市場で瓶詰めの飲み物を買った。何の変哲もないごく普通の飲み物だが、敢えて明文化は避けよう。
それから書店に立ち寄り、俺は例の書物が並ぶ箇所で漁る。一糸纏わぬ美女のポスターを見た吸血鬼が、慌てて店を抜け出したのは言うまでもない。
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