【前章のあらすじ】
アレックスとシェリーがメルキュール迷宮でルーシェを倒した一方、エレの妹ヒイラギがペルラ村を襲撃。程無くしてエレたちの故郷リヴィへ向かった純真な花は、ガルティエの遺跡でヒイラギと対峙する。ヒイラギは花姫との戦いを機に改心するが、突如乱入したジャックによってエレが誘拐された。アレックスとヒイラギは倉庫で彼女を救出するも、アレックスはジャックの攻撃を受けて気絶してしまう。
謎の空間で目覚めたアレックスは、かつて撃破した吸血獅子と戦うこととなる。果たしてその空間とは一体? 彼は脱出できるのだろうか?
※この章には過激な描写が多く含まれます。
さっきまでリヴィに居たはずが、いつの間にか青紫に輝く空間に飛ばされてしまったらしい。等間隔に設置された直方体の柱は時に幾何学模様に灯るも、それが何の意味を為すのかさっぱりである。もはや此処が人間界に存在する場所かどうかも怪しいところだ。
俺は今、この広く果てしない通路の中で吸血獅子と対峙している。隊長になったばかりの頃は花姫たちと一緒だったが、今回は一人だ。油断すればこいつの餌食になるかもしれない。
鼠色の毛に覆われた胴体は、おおよそ四メートルはあるだろう。薄汚れた白い鬣と尖った耳が威厳を表しているようだ。
よくわからない場所に飛ばされたとはいえ、武器や魔法は変わらず使えるっぽい。
だから俺は鞘から長剣を取り出し、切先をヤツに向けて宣戦布告を行う。
「またお前と戦う事になるとはな」
獅子が雷を轟かすような呻きを上げる。まさに身体から小さな稲妻を放つ彼は、今にも俺を食い殺しそうな勢いだ。
そしてヤツは鋭い牙を見せ、耳を塞ぎたくなる程の咆哮で空間を震わす!
──オオォォォオオオオォォ!!!!!
身体から放つ稲妻は瞬く間に衝撃波を形成。
衝撃波が急速にこちらへ迫る瞬間。
俺は前方に大きく跳躍し、身体を丸めて攻撃を回避した。
あれは、以前アイリーンがマリアを庇う時に受けた魔法だ。もしまともに受ければ、身体が麻痺してそのまま殺られてしまう。
空中で転回する刹那、右手を獅子の背に向け魔力を注ぎ込んだ。
「はっ!」
冷気が手を包み込んだ矢先、ダガーに似た氷柱が掌から数本射出される。それらは背をなぞるように一列となって放たれるが、俺の反撃は一歩遅かったようだ。
獅子が再び吠えると、身体中を光らせて床に電流を流す。
それはほんの一瞬で、幸い自身の両足を着地させる頃には効果が消えていた。だが、俺がさっき放った氷撃は先程のスパークで砕けたらしい。それどころか──。
「なんだ、あれ……!?」
片足を軸にしてヤツに身体を向けたとき、彼を包み込む稲妻はさらに広がりを見せていた。それはもはや彼のオーラと云っても過言では無く、一歩近づくだけでも感電しそうだ。
しかし、それがまだ序の口である事は、振り下ろされた爪が物語る。
空を切り裂くような音。
幸い俺は後ろに跳ぶことで事無きを得たが、その音を聞いた頃には俺の右手前に来ていたのだ。
ヤツが飛び掛かって来るのと同時に、潜り込むように前転。位置が入れ替わってもなお、まばたきも許されないような速さで俺に襲い掛かってきた。
こいつ、こんなに速かったか!? 確かにあの時はアイリーンらのおかげで大事に至らずに済んだが、今ほど高い魔力を有していなかったはずだ。
本体を肉眼で捉え、攻撃を躱すのに精一杯だ。それに、本体と残像が重なるせいで錯覚を起こしそうになる。
何してるんだ俺! お前は一人じゃこんな魔物一体も倒せねえのか!?
「うが……っ!!」
白銀の軌道が眼前で降りたとき、胸部から腹部に掛けて激痛が走る。鋼鉄の鎧は絹のように容易く裂かれ、体内からは温かくもドロドロしたものが滴り落ちた。
内蔵を抉られたような痛みに逆らえず、俺はとうとう後ろへ倒れてしまう。獅子はその瞬間を窺っていたかのようにジャンプし、馬乗りで此方の動きを封じてきた。
愚かな事に、俺はこの時ある事を忘れていたのだ。獅子が今、稲妻のオーラを身に纏っている事に。
それを思い出させるかのように、俺の全身に電流がとめどなく迸る──!
「うあぁぁああ!!!」
電流は鞭打たれるような痛みを注ぎ、皮膚感覚を一気に奪い取る。もはや眼球を動かす事しか出来ない俺は、自身の真上に立つ獣をただ見つめるほか無かった。
ついに獅子は血色に塗れた舌を覗かせ、管のように長いそれを撓らせる。
先端に空洞が生じた舌は、傷口へと到達し──
否。
けたたましい銃声が最悪な結末を破った。
幸いにも麻痺が解けた俺は、舌先が降りる直前に身体を僅か左へずらす。舌が硬い地面に叩きつけられるのと同時に、その大きな口腔から血が溢れ出たのだ。
血飛沫が肩や顔半分に掛かるものの、血を吸われるのと比べればさして問題ではない。可能な限り上体を起こして後ずさりする中、ヴァンレオーネは苦痛に悶えるように前屈する。
その後ろで、蒼い髪を揺らす少女が立っていたのだ。
細長いフォルムの銃器を両手で構え、獲物を仕留める眼差しで俺らを見つめる彼女は──シェリーだ。
助けに来てくれたのか? でも、こんな場所にどうやって?
俺の心に希望の光が宿ったのと同時に、『何者かが仕掛けた幻影』という邪推も脳裏によぎる。
しかし、この謎を知るにはもう少し時間を要するだろう。何故ならば、吸血獅子が起き上がり身体を彼女の方に向けたからである。
それでもシェリーは銃を下ろす事無く、力強くこう叫ぶのだ。
「しっかりしてアレックスさん! 私を置いて死ぬなんて、絶対に許しませんわよ!!」
……こいつ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。
そうだよな。こんな場所で死ねば、もう誰にも会えなくなるんだ。何よりもシェリーに触れられなくなるのだけは御免だし、彼女を泣かせたら地獄でずっと後悔しちまう。
痛みが全身を支配し、意識が朦朧とし始める。
それでも俺は立ち上がり、彼女を支えてやらねばいけない。
しかし。
懐に手を忍ばせたとき、俺の頭の中が真っ白になった。
高度治癒薬が無い。
それどころか普通の薬とか探索用の道具だって無い。
いったいどうなってるんだよ……!!
このままじゃ、魔物が倒された頃にはマジで死ぬんじゃねえか?
視界がぼやけ出した時、薄水色の鎧が眼前に迫り胸部に手を当てられる。傷口に温かい氣が注ぎ込まれ、徐々に塞がっていくのが判った。
靄が掛かるように曖昧だった意識は次第に晴れ、視界はたちまち輪郭を鮮明にしていく。目の前には、眉根を寄せて瞼を閉じるシェリーが屈んでいたのだ。
いつの間に俺の方へ……? 獅子はどうなったんだ?
ふと見上げたとき、俺たちを囲むドーム状の結界が答えを示した。獅子が何度結界を引っ掻いても傷一つ付く様子が無い。油断できない状況なのに、防御壁に守られているという事実だけで安堵感が込み上がった。
その中でもう一度シェリーに視線を戻すと、偶然にも目が合ってしまう。だから俺は礼を言おうと口を開けるが、シェリーはすぐさま立ち上がって背を向けた。
それから彼女が右手を掲げると、魔力を注ぎ込まれたのか結界が煌めきを見せる。獣が一瞬の眩い光に弾き飛ばされると、俺らとヤツの間に一頭分の距離が生じた。
「やってみるしかありませんわね……」
決死の覚悟を固めるように、片足を半歩後ろへ置くシェリー。
彼女が息を大きく吸う頃、獅子もまた威嚇の姿勢を見せ始めた。
鬣を逆立て、耳をさらに釣り上がる獣。
俺らをしばらく睨みつけたあと、天に向かって雷鳴の如く吠え出す!
獅子の身体を駆け巡る無数の稲妻は、結界に向かって高速に突き進む。
それらが結界を囲むと、鼓膜が張り裂けそうな音を立てて(結界全体に)振動を引き起こした。
「くっ!」
「シェリー!!」
「来ないで!」
俺が立ち上がり、シェリーに近づこうとした矢先。
両手を広げる彼女の髪が、強風に煽られるように大きく揺れていた。その気迫は強大な力を打ち出す前兆のようで、俺ですら近づく事が許されない。
稲妻と結界が干渉を繰り返した末、ついに結界に亀裂が走る。
亀裂はやがて複雑な模様を描き、今にも破裂しそうな刹那──
「この世界を……必ず抜けて見せますわ!!」
シェリーの誓いに応えるかの如く、結界がついに爆発を起こす。
空中に飛び交うのは破片──では無く、瑠璃色の花弁だ。それらが前方へ飛び散ると、雷を放つ獣に着弾。花弁は獣に硬直をもたらし、一時の空白を生み出した。
「アレックスさん!」
シェリーが振り向きざまに名を呼ぶ。彼女の手中にはレールガンが収まっており、俺が何をすべきか言う前に察せた。
「お前は魔力の充填に集中しろ。俺が惹きつける」
「はい!」
俺は翼を広げ、敵に気づかれぬ速さで獅子の手前に着地。
硬直が消えたのか、獅子は獰猛な目で俺を捉えた。直後、開かれた口から雷球を射出。人間一人を飲み込めそうな大きさだが、俺が恐れるまでもない。
雷球を縦に分断すると、火花が飛び散り相殺が起きる。
懲りずに数発放つも、全てが無に帰る事となった。
──グルルルゥ……。
獅子がバランスを崩し、よろめき出す。シェリーの攻撃が効いたのか、全身に帯びる電流もかなり弱まっている様子だ。
一方で、シェリーも充填が終わったらしい。
俺が彼女のいる位置へ戻ると、銃口に青白い光が収束する!
「《当たれ!!》」
彼女の叫び声と共に閃光が迸り、うずくまる獅子を貫く。
その時、俺は違和感を覚えた。
光の刃が突き刺さると、獅子の肉体が割れた風船のように肉片を撒き散らす。普段なら黒い花弁となって消えるはずなのに、これまで俺が魔物を殺した時と変わらないのだ。
それに、よく見れば銀の心臓も無い……? じゃあ、いま倒した吸血獅子は野生だって事か?
だが、残骸はすぐに砂塵のように消え去る。静寂が再び宿る中、実体とも幻影とも言い難い存在は俺に疑問を残した。
その答えについてシェリーに尋ねようと思った矢先、彼女は突如手を絡ませてくる。俺の目下に立つ彼女は、霊力を膨大に消費したのか疲弊しているように見えた。
彼女が俺に触れるのは、ただ霊力を回復させるためだけに違いない。
そうと判っていても、俺の左手が勝手に彼女の頭を撫でてしまう。直後、彼女の頬がほんのりと色づいたのは気のせいだろうか。
「……ありがとな、俺を助けてくれて」
「いいえ、これも花姫としての大切な役割ですから」
ついさっきまでの強さから考えられない程、静かな声音だ。本当はあのような怪物を前にして、きっと恐れていたかもしれない。俺はそんな彼女に何ができるのだろうか。
霊力が回復したのか、シェリーの手がゆっくりと離れる。それからいつものように胸に当てるのだが、どうも指先が泳いでいるような……。
いや。今はそんな事どうでも、いい。
今度こそ、この状況について尋ねてみよう。
「教えてくれ、シェリー。ジャックにやられてからの俺はどうなってるんだ? さっきの魔物は銀の心臓が無いっぽいし、俺たちは幻影と戦ってきたのか?」
ああ、今の俺はまくし立ててないだろうか。普段は気にならねえのに、なんでこんな時に限って……。
けれど──彼女の口から出た言葉は、心臓が飛び出るような真実だった。そう、こんな下らない不安を掻き消す程の。
「アレックスさんの肉体は今、城内の医務室で横たわっていますわ」
(第二節へ)
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