※この節より先には残酷な描写が含まれます。
「さあ、シェリーは何処!? さっさと教えないと、この街を飲み込むわよ!」
此処は、城下町から少し離れた場所“サファイアの湖”の上。フィオーレを中心にあらゆる水辺で、大渦に巻き込まれる事件が多発。純真な花の各隊員と分かれて調査を進めたところ、俺とアンナは災いの根源であろうルーシェと対峙する。彼女が放った蒼碧の大渦は根源を呼び寄せた巫女部隊のみならず、周辺を見張る騎士たちをも飲み込んだ。
天に届きそうな竜巻が生じたんだ。おそらく、別の方面を調査する隊員たちも目の当たりにした事だろう。彼女らが来るまでは、時間稼ぎに専念しよう。
長剣を構えた刹那、真っ先に突進したのは──
「それ以上やらせるかっ!! たぁぁぁあぁぁあああぁぁああ!!!!!!!」
義憤を覚えずにはいられない剣士だった。
しかし、ルーシェはアンナの剣撃を軽々と回避。大剣の刃は時に三叉槍の柄と衝突するも、亡霊の身に到達する事は決して無かった。それどころか、ルーシェはアンナを蔑むように鼻を鳴らす。
「これだから脳筋は……」
槍に清魔法のオーラが宿る。彼女は隙を見て、空中で波を放ってきた。
「っ!?」
波の前で硬直するアンナ。
その間、俺は彼女の前に立ち、剣身で守るように振りかざす! 波の衝撃は俺たちを少し後ろへずらすも、体勢が崩れるには至らなかった。
「いちいち小細工するより楽なんだよ」
「またあなたね。シェリーの居場所を吐き出さないと……こうよ!」
眼下に広がる青玉の湖は、再び飛沫を上げる。複数の触手に変化すると、俺の足下に迫ろうとしていた。
この剣で分断しようとした瞬間、巨大な矢が横切るのが見える。
矢に貫かれた触手は、ただの水に変化。噴水のように湖へ落ちていく中、俺は再びルーシェのいる上空に視線を戻した。
「わたくしのアレックス様に手出しはさせないのですっ!!」
ルーシェを囲むのは、エレを始めとした花姫たち。さすがのルーシェも、彼女らの剣幕には逆らえないようだ。狼狽している様子の彼女に対し、シェリーが強い言葉で制する。
「ルーシェ、もう街の人たちには手出ししないで!」
「……ただの庶民が偉そうにべらべらと! 私だって、本気を出せばあなた達なんか簡単に倒せるわよ!」
「でも軽率に動いたらどうなるか、あなたなら判るでしょ?」
マリアの杖には、既に樹魔法の粒子が宿っている。槍を強く握り締めていたルーシェだが、その握力が少し緩んだ気がした。
「ま、まあ。今日は気分が良いから、特別に引き下がってあげる。でもね、シェリー。彼らを返してほしいなら、メルキュール迷宮に来ること。もし仲間一人でも連れてきたら、全員あの世行きよ!」
彼女はその言葉を残して泡となる。だが、彼女が消えても人質が戻ってくる事は無い。
重い沈黙の中、シェリーは片手を胸に当てて俯く。
「また、人々を守れなかった……」
「お前のせいじゃねえよ」
彼女の華奢な肩に俺の手を添える。その下がった肩から弱気さが伝わってくるも、誰もが彼女を責める気配はない。それどころか、強い眼差しで首を縦に振るのみだ。
「一旦、城へ戻りましょ。会議室でもう一度軍議よ」
マリアは極めて冷静な声で俺たちに話す。湖の上を浮遊する俺たちは、指示通りそのまま城に向かって飛んだ。
太陽が僅か西に傾く頃。城内の会議室に着いた俺たちは長机で向き合うように座ると、正面奥のマリアとアイリーンを見つめる。午前に戦闘糧食を摂取したからか、胃袋は日が沈むまで保つだろう。
初めに静寂を破ったのは、無論マリアだ。彼女は、俺の右隣に座るシェリーに真摯な目線を向ける。
「本当に一人で行くつもりなの?」
「うん、明日の朝七時ごろに向かうよ。今回は人々の命が懸かっているし、私もあの子ときちんと話がしたいから」
「……お嬢様。恐れ入りますが、対話での和解はもう望めないでしょう。戦う覚悟は、できておりますか?」
レンズ越しでシェリーを見つめるアイリーン。それでもシェリーは、懸念の眼差しを振り切るように「はい」と頷いた。
「本当は戦いたくありませんが……止むを得ません。犠牲が私一人で済むのでしたら、どんな事も──」
「ダメだよっ!!」
向かいのアンナが遮るように叫び、勢いよく立ち上がる。浅緑色の瞳に宿すものは怒り──ではなく、友への煩慮のようだ。彼女は土色の眉を下げたまま、言葉を続ける。
「命を粗末にするなんて、ボクが許さないよ……。シェリー、お願いだから生きて帰ってきて! またキミと一緒に遊びたいし、手作りだって食べたい」
「…………わかった」
シェリーのやつ、やっぱりそんな事考えてたのか。後で俺からもきっちり言わねえと。
「……銀月軍団はルーシェだけじゃないわ。シェリーが迷宮に行く間、あなた達はいつでも他の連中を迎撃できるようにして。それから、アレックスには後ほど指示を出すわ」
「今じゃダメなのか」
「ええ。こればかりはどうしても」
マリアがそう言うってことは、余程の事なのだろう。
それから花姫たちは細やかな指示を受けた後、会議室を後にする。残るはマリアと俺だけで、未だ重苦しい空気が流れていた。
「で、俺への指示ってなんだ?」
「流石に判ると思うけど、シェリーが身を投げ出さないよう見張ってちょうだい。ただし、人質がいる以上バレないようにね」
「悪いが、最後は約束できねえ。魔法はあの状態にならねえと使えないし、あいつ一人で突破できるとは思えん」
「なら銃を貸すわ。大剣をこちらに預けてもらえる?」
「おうよ」
俺はそのままマリアと共に宝物庫へ向かうと、二丁の銃器を受け取った。一つは、遠距離に長けたライフル。もう一つは近距離用のマグナムだ。なお、彼女が大剣を預かったのは『身軽でいてもらうため』らしい。帰還した後は、銃器と引き換えに返すとの事だ。
「ああそれと、この事は他言無用でね。もちろん本人にも」
「……なぜ俺に託した?」
「あなたなら彼女を守れるからよ。あの子の幸せはあたしの幸せ。それ以上の理由が要る?」
マリアは後ろで手を組み、上目遣いをしてくる。しかし、その仕草に『誘惑の意図は無い』とすぐに判った。
「頼むわよ」
「ああ。お前らも引き続き気をつけろ」
明日の準備に専念してから数時間後。辺りはすっかり暗くなり、そよ風がトマトの香りを運んでくる。リビングの窓を開け放ち、ソファーで一休みしていた俺は卓上の通信機を持ち上げた。
誰に掛けるかは──言わずもがな。液晶に映る『発信』ボタンを押すと、発信音がふた呼吸程続く。そして「もしもし」とややくぐもった女声が聞こえたとき、僅かな安堵が生まれた。
「アレックスだ。ちゃんと準備できてるか?」
「ええ。……もしかして、気に掛けてくださるのですか?」
「当たり前だよ。マリアちゃんや他の奴らも心配してんだ」
「どうして、私なんかを……」
「判ってる。でも、それが気に掛けない理由になると思うか? ルーシェにどんな要求をされようが、絶対に『死』だけは選ぶな。お前と捕虜が無事でいられるなら、飛び火は大歓迎だ」
「…………!!」
マイク越しで息を呑む音が聞こえる。彼女の事だ。今頃、膝を抱えながら端末を握っているかもしれない。
しばらくの沈黙が続いた後、シェリーがある事を尋ねる。声を震わせながらの言葉は、『俺を必要としている』という確信をもたらした。
「アレックスさん。もし私が戻ってきた時は、過去の話を聞いて頂けますか?」
「勿論だ。別にいま話してくれたって良いんだぜ?」
「……それだと、私がずっと気になってしまいますから」
「何のことで?」
「あなたにとって、耐え難い話をしてしまった、と……」
「俺にとって苦痛なのは、野郎に殴られる事ぐらいだよ。むしろ、そんな風に言われたらこっちが気になってしょうがねえ」
「……すみません。まさか電話が掛かってくるとは、思いもしなくて……」
どうしても後日、か。あんまり聞き出すのも野暮だし、これぐらいにしておこう。
「よし、じゃあお前が戻ってきたらまた二人で会おう。きっと周りの目が気になるだろうし、俺の家に来てくれても良い」
「わぁっ、はわわわわわわ!!! い、家……ですか!?」
「おいおい、今更焦ることねえだろ。俺が何度もお前の家に行ってるんだから。別に変なことはしねえよ」
「そ、そそそ、そうですよね!? あああっ、でも、それはやっぱり悪いですし……」
「でも、あんまり戸惑ってるとマジで襲うぞ」
「へっ!? ど、どうしてそうなるんですかーーー!」
うん、やっぱりこいつはこれぐらいが可愛いな。まあ、向こうがその気ならいくらでも襲うんだけど。
「今からそっちに行っても良いくらいだ」
「さっきから私をからかわないで下さいっ!! あなただって、本当は好きな人がいるはずでしょ!?」
「…………っ!」
……その質問は、流石に予想できなかった。こっちが主導権を握ってると思いきや、いきなり心臓を掴まされた気分だ。
で、言うべきか?
それとも──。
「ご……ごめんなさい。お気に、障りました……よね?」
「いや、怒ってはないが意外だった。お前がそんな質問をすることに」
「そうですか? でも、言いすぎてしまった事は謝りますね」
「気にすんなって。それより、お前はもう寝ろ。睡眠不足は戦いの敵だ」
「はい。では、おやすみなさいませ。アレックスさん」
「ああ、おやすみ」
通話は、俺から切った。俺は端末を再び卓上に置くと、もう一度夜空を眺める。その時に脳裏をよぎったのは、無論シェリーとの会話だ。
あいつ、無茶してるよな。仮にマリアが指示しなくても、追わねば何が起こるかわかったもんじゃない。
「……もっと素直に頼れよ」
せっかくの通話だというのに、焦れったさが残る一夜だった。
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