翌朝、俺達は高級客舎を後にし、焔の神殿へ足を運ぶ。行く途中にある市場では、青や黄色などのパラソルを目印にした露店が散見された。
焔の神殿は非常に暑い地である事から、まずは塩飴を買わねばならない。果物や野菜が所狭しと並ぶ店を横切り、目的の店へと歩を進めた。
白い簡易テントの下で佇む一人の壮年男性。彼こそが、飴屋の店主だ。カウンターには、色とりどりの紙に包まれたものや渦巻きのキャンディなどが陳列されている。
彼は俺達を見るや、屈託のない笑顔を見せて太い声を発した。
「へい、いらっしゃい! あんたらは確か、純真な花の連中だったよな?」
「ああ、これから神殿に行くところなんだ。塩飴を二十個頂く。釣りはいらない」
「まいど!」
俺は必要分とチップを込めて一枚の紙幣を手渡す。店主が大きな手でそれを受け取った時、マリアと目が合ったようだ。
「はっ! これは陛下ではありませんか!」
「えっと……気に、しなくて良いわ。そ、それより…………」
「良かった! 昨日まで呪術師が荒らしてたけど、こっちは無事なよう、だね!」
現時点でアンナの魂が宿るマリアは、言葉に詰まってしまったようだ。そこで、アンナ──マリアの依代──がフォローに入るのだが、彼女も彼女で標準的な言葉遣いに不慣れらしい。
それでも店主はマリアに対し深々と頭を下げ、状況について話してくれた。
「昨日にあなた方が退けて頂いたおかげで、被害は最小限に抑えられました。謝礼として、多めにつけさせて頂きますぞ!!」
「そんな!? でも、ありがとう……!」
「どうか遠慮せずに! それじゃ、またな!」
やや押し付け気味ではあるが、十個のおまけを貰ってしまった。無いよりはマシだし、ありがたく頂くとしよう。
俺達がその店を去ると、マリアは首を傾げながら呟く。
「うーん。此処の人たち、ボクたちが入れ替わった事に気付いてない……?」
「普通は気付かないわよ。それに、焔の都は陽気な人が多いからね。だからあたしも好きな街ではあるんだけど」
確かに、辺りを見渡せば誰もが声を張り上げている。きっと彼らも、内心はこの時世に嘆いているのだろう。だが、それを見せないようにしている以上、早く平和にしてやらないといけないな。
朗らかで芯の強い彼らを見ていくうちに、士気が上がっていく事を実感するのだった。
街を出た矢先、停留所には幌馬車が留まっていた。どうやら街の長が用意してくれたらしく、運良く客車に乗り込めた。道中で魔物が出なかったわけではないが、屈強な戦士が御者を兼任するおかげで戦わなくて済んだ。
俺達は御者に礼を述べて離脱した後、眼前に広がる神殿を見据える。
正面の階段を昇り切ると神殿が見えるのは同じだが、形状までは流石に違う。
それはてっぺんに掛けて斜めにせり上がる形で、壁の赤黒さが火山を彷彿させる。付近にそびえ立つ柱とは対照的に、粗削りな印象を受けた。
「それにしても熱気がすごいね……」
そう呟いたのは、俺の隣に立つマリアだ。彼女のこめかみは既に汗が伝うが、それは俺たちも同じ事。ただでさえ熱気が伝わると云うのに、もし中に入ればどうなるんだ?
シェリーとエレは、互いを見つめ合うように話す。アンナとアイリーンもまた、考え事がある様子だった。
「確かに塩飴は欠かせませんわね……」
「はい。アレックス様の情報に誤りは無かったのです」
「塩分補給については問題ないけど、水はどうすれば良いかしら」
「周辺に補給地点は見当たらない模様です。水筒はあまり大きくありませんから、節約が不可欠でしょう」
「じゃあ、アレックスの清魔法で氷を出してさ、それを溶かしちゃおうよ!」
「いや、それはどうなんだ……」
マリアが『良いこと思いついた!』と言わんばかりに手を叩くが、俺が出す氷(水)が飲めるかどうかは怪しい。それは最終手段として考えておこう。
とりあえず、二枚扉には例の如く焔の紋章が刻まれてある。炎の両脇に翼を象っており、翼は竜のそれをイメージしているのかもしれない。掌で温かい石の扉に触れたあと、力を込めて奥へ押しやった。
「うっ……」
むせかえる程の熱風が入り込む。内観は岩をレンガ状にしたような壁に囲われていて、両脇には燭台があった。月の神殿に行ったときはアンナの蛍灯のおかげで進めたが、今回はその必要は無さそう。
なお焔のエネルギーに敏感なエレは、唇が既に青ざめていた。
「あ、暑いのです……」
「エレさん、大丈夫ですか!?」
エレが倒れそうになるところを、シェリーが肩を貸す。確かこういうときは、耐性を高めてやった方が良いはずだ。
懐に手を入れ、一つの薬瓶を探し出す。細くて小さなフォルムに冷たい感触──その正体こそが、焔への耐性を高める薬だ。薬を差し出すと、彼女は両手でしかと受け取る。
「ほら」
「あっ! ありがとうなのです……!」
「確かあたしたちの分もあったわよね?」
「はい。皆もお飲みになって」
「ありがとう、アイリーンさん!」
「ありがとうございます!」
エレが薬を飲む中、アイリーンも花姫たちに瓶を手渡す。俺は清というエレメントのおかげか、今は飲む必要は無いだろう。
あれほど顔色の悪いエレも、薬が効いて調子が上がったように見える。よし、今度こそ探索開始だ。
「隊長、気をつけて。此処も魔物が多く出るはずよ」
「そうだな。皆、用心していくぞ」
「承知しましたわ。とりあえず、道なりに進んでみましょうか」
「なんか、先程から音が聞こえてくるのです」
シェリーの言う通り、真っ直ぐに続く道を歩いてみよう。終始鳴り響く轟音にエレは疑問を抱くが、今のところその音源が何処にあるか判らない。
しばらく歩くと、右手に鉄の扉があった。入ろうか躊躇していると、マリアが俺に声を掛ける。
「せっかくドアがあるなら、入ってみよっか」
「……って、全く開かねえな」
ドアノブは回せるが、どんなに扉を引いても開く気配が全く無い。おそらく此処から先は鍵が必要なのだろう。そういうわけで、この扉は後回しだ。
少し歩けば、やや開けた場所に辿り着く。辺りを見回しても何も無いが、魔物の気配を確実に感知できた。
そして天井を見上げたとき、エレが小さな悲鳴を上げる。
「ひえっ!!」
俺達が見上げた先──天井には、スライム状の魔物が張り付いていた。身体は燃えるように赤く、ただならぬ熱気を放つ。一見ヴェステル迷宮にいた不気味なスライムを想起するが、全くの別物だと思いたい。
スライムは彼女の声に反応したのか、べたりと床に落ちてこちらに近づく。その大きさは、人間の頭を呑み込めそうな程。ゆっくりと進む様は、かえって恐怖すら覚える。
「お前らは下がれ! アイリーン、俺が合図を出すまで近づくな!」
「わかったわ!」
肉弾戦を得意とするアイリーンに指示を出したあと、シェリーが前に出て銃を構える。
「ここは私が!」
銃声を二度響かせると、光弾は半透明な身体に風穴を開けた。大きな穴が二箇所開いた異形は、しばらく身体を硬直させる。
「行きますっ!」
後方からエレの掛け声が聞こえると、数本の矢が俺とシェリーの頭を跨ぐ。
矢は小気味良い音を立ててスライムに突き刺さる。しかし食い込んだ矢じりは体液に溶かされ、矢が無に帰した。
「と、溶けるのですか!?」
「これじゃあ迂闊に剣を振れねえな……」
エレと俺が驚きの声を上げるなか、スライムが次の体勢に入った。
宙に舞う身体は、赤く光る液体をまき散らす。そこでアイリーンは両手を前に突き出し、月魔法を展開させた。
「鏡像!」
俺達の前に展開される一枚の盾。液体はその盾に着弾した後、すぐさまスライムの方にはね返る。人間の肉を焦がすような悪臭が立ち込めるも、ヤツが怯む様子は無かった。
「こ、これマグマだよ! 一歩遅れてたらボクたち溶けてたかも……」
「それは間違いないわ。シェリー、防御壁の展開を頼める?」
「うん!」
こうしている間も、マグマを撒き散らすスライム。広範囲にまき散らした時、シェリーは防御魔法を解き放った。
「防御壁!!」
魔力を結界に注ぐおかげか、マグマが弾かれている。次は俺が仕掛けよう。マリア程の魔力を持ち合わせちゃいねえが、回復剤はあるんだ。今は上位魔法で凌げばいい。
意識を集中させた時、右手に強い冷気が宿る。甲に刻まれた清の紋章は、これまでに無い程の輝きを見せた。
魔力の貯留が臨界点に達した刹那、この拳を振り上げる!
「氷撃!」
宙に放たれた、巨大な氷の球。高速でスライムに迫り、熱気に満ちた肉体に着弾する!
スライムが凍りついた矢先、氷の花が軋むような音を立てて咲き誇る。こいつへのトドメは、ある花姫に託す事にした。
「マリア!」
「あっ……はい!」
「こいつに雷撃を喰らわせてやれ。手加減は不要だ」
「わかった! 雷撃!」
マリアが片手を掲げると、スライムの頭上から雷が落ちる。稲妻が大きな氷塊を分断した事で、スライムはようやく消し飛んでくれた。
「は、初めてこの身体で……」
「判ったでしょ、あたしの肉体にはたくさんの魔力が宿ってるの。スライム相手なら、もう少し魔力を節約できたかもね。アレックスもそうよ」
俺が「わかった」と頷く傍ら、マリアがへたれ込む。そこでアンナはマリアの肩に手を添え、言葉を続けた。
「あたしも陽魔法は使えるけど、いざという時は素手で戦うわ。あなたは後方から戦ってちょうだい」
「うう、なんだかボクじゃない気分だよ……」
「こればかりはしゃあねえさ。入れ替わってから間もねえし、早いとこ憩いの場を見つけよう」
「そうですわね」
俺は今のうちに魔力回復剤を取り出し、予め飲み干しておく。力の漲りを感じ取ると、探索を再開した。
それにしても、この轟音はいったい何だろうか。機械? それとも魔物か?
いずれにせよ、俺達はその正体と相見えるのだろう。正体と向き合わずして、平穏は訪れないのだから。
(第五節へ)
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