城での晩餐を終えて廊下に出ると、途端に解散する雰囲気に一変。せっかくシェリーと一緒にいるんだし、今日こそ彼女と話せないものか。エレはアイリーンと共に帰るようで、俺が気に掛ける必要はないだろう。
そう思った矢先、マリアは背後からシェリーを抱き締めていた。色白の手を想い人の腰に回し、余った手で少し豊かな胸に触れる。誰もが行き来する廊下、しかも格子窓がある棟でそんなことをしているんだ。それでも彼女らは自分たちの世界に夢中のようで、シェリーも腰を動かしながら甘い吐息を漏らす。
「もう、マリアったら……! どうし、たの?」
「よかったら泊まってきなさいよ」
「……ごめん、今日はそのまま……っ、帰るつもりなの」
「あら、残念ね……」
マリアの手が離れる。余韻を残すように、ゆっくりと。シェリーは片手でスカートの裾を握り締め膝を重ねながらも、悪戯好きな女王に身体を向けていた。
「寂しい時はいつでも頼りなさいよ」
「……うん……」
残念そうな表情を見せる幼馴染に対し、シェリーは真紅の唇に軽い口づけをした。それからお互いが離れると、マリアは俺たちと反対方向へ歩き去る。
その時、シェリーは視線に気づいたのか俺の方を振り向いた。目を合わせた直後ハッとしたように声を上げ、慄くように半歩下がる。
「わー! アレックスさん!? まさか、さっきのを……」
「あっ、そういうつもりじゃ」
「もうっ、そんなに見ないでください!!」
「すまん……!」
あまりに綺麗な絵面だったから、つい……。眉間に少しシワが寄るという反応は、俺にとって胸の痛むものだった。勿論自分が悪いからこそ尚更居た堪れない。
シェリーは冷たげな声音で尋ねる。
「それで、私に何か御用ですか?」
「あの、よかったら一緒に帰らないか? 途中……いや、お前が安心できるところまで」
「えぇ!? この状況で言いますか普通!!」
「そう、だよな……」
いきなり言われたらそりゃ驚くだろうけど、緊張が増す一方だぜ……。彼女は咳払いで一応の冷静を取り戻しつつ、次のように答える。例えどんな理由だろうと、この機を逃したら一生話せないかもしれん。
「お気持ちは嬉しいのですが、此方のお手伝いさんといつも一緒に帰ってまして」
「だが、魔物がうろついてる今だと女性二人は危険だ」
「では、エレさんとアイリーンさんはどうなるんです?」
「えっと、その……」
しっかりしろ俺。女性を誘うなんて一度や二度じゃねえはずだ。
シェリーは片手を胸に当てたまま目を逸らす。その仕草が色気を助長させていることに気づかないようだ。
「変なことをするつもりなら、よしてください。先ほど赤ワインを飲んでいましたよね?」
「何世紀も酒を飲んでるんだ、バカみたいに酔う俺じゃない。それに、俺はシェリーちゃんと話がしたいんだ」
「……話?」
「ああ、お前に何もしない。それだけは約束する」
俺に目線を戻すシェリーは、ためらうようにしばらく黙り込む。
しかし、彼女は黙ったつもりで、実際は独り言が断片的に聞こえてきた。
「こんなことで……――――――る――には……だって私には、―――が……。だから、絶対に……」
それは、信念と欲望の間で彷徨うような独り言だった。漏れてる以上は色々突っ込みたいところはあるが、とりあえず聞こえないフリをしておこう。
彼女は結論を出したように顔を上げ、少し柔らかい口調で答えを出してきた。
「せっかくですから、お言葉に甘えますわ。私なら……大丈夫」
『私なら大丈夫』
その言葉は俺に向けたものではなく、自分に向けたものだと悟った。ついさっきまで取り乱していたというのに、今は女神の如く優しい笑みを浮かべている。
……ん? 女神? いや、気のせいだろう。
俺は「ありがとう」と言ったあと、彼女に歩調を合わせることにした。
ちょっと強引だけど念願の二人きりだ。決して彼女の家に上がるわけではないが、それでも十分に嬉しかった。
時計台を見れば、短針は八の字を指している。魔物を恐れているのか、城下町にしては人気が少ない方だ。静かに流れる空気と仄かに光る街灯は、まるで俺たちをもてなすように見えた。そんななか左隣を歩くシェリーは、木や石・鉄で造られた建物の壁沿いを悠々と歩く。
「休みの日はいつも何してるんだ?」
「そうですね……ピアノとか読書、かな。あとはマリアの城へ遊びに行ったりとか」
「ピアノかぁ。良かったらそのうち聴かせてくれよ」
「マリアの誕生会で毎年演奏していますが、必要であればランヘルでもできますよ」
言われてみれば、グランドピアノが確かにあったな。俺が祖国を離れる前は無かったはずだし、それがもしシェリーのためだとしたら、マスターも粋なことをしてくれるぜ。王室の誕生会で披露する程すげぇんだろうなぁ。
あと、どんな格好で演奏するんだろう。制服? それとも……ドレス? もし後者ならセクシーな方がなお嬉しいが。
「……何か変なこと考えていませんか?」
「んなわけねえって!」
ダメだダメだ、顔に出したら絶対引かれるってのに!!
とりあえず良からぬ考えを引っこませると、今度はシェリーから話題を振ってくれた。
「ちなみに、アレックスさんはどう過ごされていますか?」
「以前は剣の手入れとか鍛錬ばっかだが、ここに来てからは散歩が多いかな。景色がだいぶ変わったことだし」
「だいぶ?」
「そっか、お前が生まれたときにはもう蒸気が動いてるんだっけ」
「ええ」
「昔の電車とか機械は、誰かの魔力で動かしてたんだ。だから、電気が止まるなんてしょっちゅうだったよ」
「まあ……」
「不便と思ったことはあったけど、その頃も俺は好きだったさ。好きな店があったし」
シェリーが頷いてくれてるし、掴みはなかなか良い方だろう。まあ昔話はこれくらいにして、本題に移ろう。
「せっかくだからさ。次の休みの日、よかったら今の街を案内してくれないか? 美味い店とか、面白い処とか何でもいい」
「私なんかで良いんですか?」
「おうよ。お前と一緒にいると落ち着くし……何となく、懐かしい気分になる」
うまく言えないが、初めて会ったときから彼女には何かがあるような気がしてならない。デュラハン戦の合間に見つめ合った瞬間は、決して偶然ではないとさえ思えてくるのだ。
それとシェリーの肩が少し跳ねた気がするのは、俺の思い込みだろうか。お誘いはイヤってほど受けているはずなのに、まるで滅多にない機会のように見えた。吃音気味ではあるものの、表情からは否定が感じられない。それどころか、何か問題を抱えているはずなのにちょっと幸せそうに見つめるのだ。
「私で良ければ、構いませんわ」
決まりだ。今はジャックに対する想いがあっても、一歩近づけるからこれで良い。
だがシェリーは立ち止まり、帰る方角を指した。
「では、アレックスさん。私はこちらですので……」
「近いのか?」
「いいえ。ですが、これ以上あなたに頼るのは……」
なんだよ、そういう理由か。俺に気遣う必要なんてないのに。
「お前が俺を怖がるなら止めはしない。でも、『遠慮してる』ってなら俺はついて行く」
「どうしてそこまで?」
「大事な仲間一人守れねえ奴が、隊長を名乗る資格なんざねえよ。だから家まで送ろう」
これに限っては他の花姫にも同じことをするが、彼女に関しては俺個人のしたい事でもある。それに……さっきリッチを締めたときなんか、俺はただ見てるだけだった。隊長である以上これぐらいはしないと気が済まない。
「……ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えますね」
「いいって。こんなの朝飯前だし」
心なしか灯りも弱いし、どのみち一緒に帰るべきだろう。改めて歩きながら話すことに。
「ちょっと怪しいところはありますが、とてもお優しいんですね」
「『怪しい』は余計だ」
「少しだけ思い出してしまいましたわ」
「何を?」
「いえ、こちらの話です」
「……ほっとく奴がいるとは思えないがな」
「私が不甲斐ないのがいけなかったんです」
「そうか? あんまり自分を責めすぎるなよ。キレイな顔が台無しになる」
「なっ! 綺麗だなんて、からかうのもよしてください!」
建前に聞こえるか。
どうせこの周辺は人通りが少ないんだ。ならば――。
「マジだ」
思い切って彼女を壁へ追い込み、右手で逃げ場を阻んだ。
シェリーは目の前で息を呑み、顔を紅潮させていた。星を散りばめたような美しい瞳と微かに乱れる呼吸が、俺を無意識に誘惑する。体内に残る僅かなアルコールに身を任せて、彼女の小さな耳元でこう囁いた。
「お世辞だと思うなら、ここで証明しても良い」
シェリーの身体がピクリと動くのと同時に、スカートから覗く細い太ももを重ねようとする。それらの行動は、内に秘める衝動を抑えているように見えた。
このままこいつに手を伸ばして、それから――。
『お前に何もしない。それだけは約束する』
先程俺が放った言葉は、ふしだらに伸ばす左手を引き留めた。自身の欲と一緒にその手をズボンのポケットにしまったは良いが、罪悪感まではしまえない。
「何やってんだ俺は……」
俺のバカ野郎、約束が違うじゃねえか! これじゃあ信頼もクソもねえ。
「……悪い。信じてほしかったとはいえ、怖がらせちまった」
そんな言い訳を並べても無駄なのはわかってる。
それでも――壁に張りつけた右手をそっと剥がし、先に歩くことにしたのだ。
「いえ……」
彼女の弱々しい返事が、さらなる罪悪感を与える。
「今のは忘れてくれ。くれぐれもマリアちゃんには話すなよ」
「……はい」
それから俺たちの間で沈黙が流れるも、ようやくシェリーの家らしき場所にたどり着く。パステル調の一軒家が愛らしさを象徴しているようで、それもまた彼女の個性とも思える。シンプルにして可憐なドアが主を待ち構えた。
シェリーは恥ずかしそうに目線を逸らしつつ、身体を俺の方に向ける。
「では、今度こそここで。改めまして、今日はありがとうございました」
「ああ。……さっきの約束だが、お前が怖いと感じたなら反故にしてくれていい。じゃあな」
こんな俺に、彼女の顔を見る資格など無い。さっさと帰ろう。
そう思っていたときだった。
「あの!!」
背後で、シェリーの透き通った声が大きく響く。
それに彼女が駆けつけてくるなんて、一体何があったというんだ?
「よかったら、私の家でお茶しませんか?」
「………え?」
お茶?? 同性相手ならまだしも、俺みたいな男に言うことがどういう意味かわかってるのか?
ここは、断るべきだろうか。それとも……。
「いや、気持ちだけ受け取るよ。次会う時にでもしよう」
「……わかりました。では、その時にまた……!」
せっかくのお誘いだが、いま動いても彼女を余計苦しめるだけだ。お茶は昼にでもすればいい。
いずれにせよ、彼女は怒っていないようで一安心した。それどころか……ほんの少しだけ、近づけたような気がする。
無事帰宅できた俺は、ジェイミーから貰った写真をじっくり眺めていた。
愛しき彼女の私生活が写し出された五枚。
『可愛い』? 違う。
『美しい』? そうともいえる。だがこれは……。
『尊い』。
すべての写真に当てはまる言葉がこれだ。
彼女が俺に本当の笑顔を見せるのは、まだまだ先だろう。樹の前で佇むお前は、どうしてそんな悲しい顔をしているんだ? お前の言葉で、俺にすべてを明かしてほしい。
そう願うだけで、胸が締め付けられる……。
『イメージしやすいから』と頼んだはずが、かえって苦しくなるだなんて。
この感情はいつぶりだろうか。
それと。
こいつは、誰かに似ている気がしてならない。
ただ、その誰かのことを思い出してはいけない気がした。余計辛くなるから。
ああ。
あの長い髪に触れたい。
もう一度、お前の手を握りたい。
そして何よりも、お前の顔をずっと見ていたい。
また遊歩道に行けば、あの花畑に行けば、お前に会えるのか?
いや……。仮に会えたとしても、まだ怖がらせるだけだろう。
とりあえずランヘルで会えばいい。
長年愛してきた酒場だが、今はもっともっと好きになれそうだ。
(第二章へ)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!