──数日後。
「何度言えば判るのですか?」
城門をくぐると、クロエの苛立つような声が耳に届く。声の方を向けば、彼女とロジャーが何やら揉めているようだ。
……と思ったが、近づいてみれば割とそうでもないらしい。
「別に団長さんを殺すわけじゃねぇんだ。ちったあ会わせてくれよ」
「困りましたね……陛下もマスターも不在ですし」
「どうした?」
「ああ、隊長。実は大きな害虫がどうしても騎士団長様に用がある、と」
「害虫か──悪くねえ響きだ」
「いや、褒め言葉じゃねえから」
銀月軍団を抜けてどうしたかと思えば、今度は城に突撃ってか。俺はさておき、初対面の副メイド長は確かに困るだろう。
だが、ロジャーの目に悪意が無いのは事実だ。焔の神殿できっちり勝敗は下したし、俺が判断しても良いかもしれない。
「なんでルナちゃんに用が?」
「何やら、『騎士団長さんの剣捌きがすっげえ』って噂でな」
「やめとけ、マジで死ぬぞ」
「おっ、そりゃあますます退けねえなぁ!」
騎士団長ルナと言えば、城下町動乱事件での暴走が真っ先に思い浮かぶ。あれはやりすぎだが、かといって理性が備わればなおヤバいんだよな……。俺ですらあの暴走を止めるのが精いっぱいだったし、再戦したいとは思わない。
でもロジャーはルナにとって丁度良い相手かもしれない。曲刀に直剣という異種武器同士の戦いは見応えがあるからな。
相手が強敵と有名だからか、彼の笑顔が無駄に輝いている。俺は困惑気味なクロエに目を向け、代わって交渉する事にした。
「こいつは見た目こそ荒くれだが、心から銀月軍団に尽くしてたってワケじゃねえんだ。俺が見張るから、今回だけ入れてやってくんねえか?」
「はあ……これだから野蛮な男は」
「はっはっはー! 『野蛮』たぁ嬉しい事言ってくれるねぇ」
「だから褒めてねえって。とりあえず、クロエちゃんはヴァルカちゃんに『急用があって遅れる』と伝えてくれ。ファッション誌の手配も頼む」
「承知いたしました」
クロエは渋々とした様子で背を向け、先にエントランスへ入る。この荘厳な中庭で男と二人きりになると、俺も噴水の脇を通る事にした。
「訓練場に連れてく。彼女が来るまで素振りでもしててくれ」
「おうよぉ!」
城から少し離れた場所に、騎士団の寮が併設されている。ちょうどルナは自室にいたため、彼女もロジャーの元へ連れ出す事に成功した。
──訓練場。
壁掛けの蝋燭は、中心に立つ一人の大男を堂々と照らす。その雄々しい掛け声は、半円状の高い天井へと響き渡った。
時に軽やかに、時に堂々と。ロジャーの剣舞を目の当たりにしたルナは、強敵に燃えるかの如く口角を上げた。
「連れてきたぞ」
「おう! あんたがそうか!」
ロジャーは素振りを止め、俺たちの方を向く。ルナは彼と目が合うや、片膝をついて深く頭を下げた。
「遅れてすまない、私こそティトルーズ騎士団長のルナだ。貴方の話はヴァンツォや陛下からお伺いしている」
「オレは焔のロジャー。此処で会ったのも何かの縁だ。てめぇの強さ、この目に焼き付けたくてね」
「こいつには手加減不要だ。俺が審判を務める」
「かたじけない。では……道具や魔法の使用は無し。膝をつかせるか、剣を弾き飛ばした者が勝ちで良いな?」
「構わん! さあ、どっからでも掛かってきなァ!!」
ロジャーが揚々と曲刀を構えるのに対し、ルナは精悍な佇まいで鞘に手を添える。
俺が両者の間に立つと、朗らかな空気は瞬く間に一変した。
「始め」
両者の跳躍が、奇しくも重なる。
彼らは天井近くまで跳び上がり、己の剣で幾度も打ち合う。飛空魔法を持たぬ二人はすぐに着地するが、鍔迫り合いの激しさは増す一方だった。
「考えてる事がオレと一緒たぁ奇遇だねぇ」
「しかし、それはどうか?」
まだ始まったばかりだと云うのに、息が詰まりそうになる。間合いを取るタイミングだってほぼ同じだ。
互いを見据える刹那、緊迫した空気が流れる。真っ先に動いたのは──。
「おお?」
騎士は瞬間移動の如く、右・左と撹乱させる。移動が素早い故、俺も彼女を見失ったようだ。
否、彼女は魔術剣士の背後に立っている。そのまま突きの姿勢を取るが、ロジャーはすぐに気配を察知した。
彼は「おっと!」と声を漏らして後方へジャンプ。そして朗らかに口笛を吹き、ルナの剣戟を讃えるのだった。
「素早いねぇ、団長さん! オレも負けてらんねぇよ!」
この陽気な魔術剣士、堅実な騎士の目にどう映るか。
考える間も無く、戦いは続く。今度はロジャーが攻勢に転じ、勢いよく曲刀を振り上げた!
「おらよっ!」
「──!?」
甲高い金属音が響き、ルナの剣が弾き飛ばされ──る事はない。
義手で長剣を固く握るルナは、苦渋の表情を浮かべる。反動で片膝がつきそうになるが、地を踏みしめる事で留まったようだ。
ロジャーは曲刀を彼女から離したと思いきや、刀を高く掲げると共に反対側の片足を上げる。異国で体得したであろう姿勢は、ルナに揺さぶりを掛けるのだった。
そして──。
「さあ! もっと踊ろうじゃねえかァ!!」
荒々しく張り上げ、舞うように曲刀を振り回す。ルナは一瞬だけ戸惑う様子を見せたが、身体は軽快に躱してみせた。
空を切る音は伴奏に変わり、栗色の髪が優雅に靡く。
例えるなら、ワルツを踊る男女──だろうか。互いが礼装を身に纏えば、演芸として持て囃されるに違いない。
「そこだっ!」
ルナは空を蹴るように跳び上がり、横軸に一回転。
ロジャーは必然的に半歩下がる事となり、お得意の曲刀で身を守らねばならなかった。
その時。鉄の衝突音が響き、銀の光が反射する。
思わず目を瞑ってしまったが、瞼を開けた先には意外な事が起こっていた。
「ひゅー! こういうのを待ってたんだよ!」
曲刀に走る大きな傷。それは俺ですら刻めなかったもので、ルナが剣の達人である事を再認識する瞬間でもあった。
だが、ブラウンの瞳に秘めるものは慢心ではない。それどころか、魔と対峙するかの如く険しい表情を露わにするのだ。
そんな騎士を前に、ロジャーは何を思うか。
答えは──ただ一つだ。
「うぉぉぉおおぉおお!!! 盛り上がってきたぜェ!!!!」
あいつらしいっちゃあいつらしいが……どこまで戦闘狂なんだ。まあ、そこが良いとこでもあるがな。
ただでさえ熱い漢が更に燃えれば、誰も手を付けられまい。彼の次の行動は、俺たちの想像を遥かに超えていく──!
「「なっ!?」」
ロジャーが三人に分身!? ……いや、あれは全部残像だ。それも、先ほどルナが見せた瞬間移動より素早い!
俺とルナは驚愕の声を漏らすと共に、彼の存在を見失ってしまう。あれだけ機敏に動くルナだったが、こればかりは何もできぬようだ。
「まさか、魔法を!?」
「違うさ」
漢の静かな声は、騎士の背後に在った。
振り向いた頃には既に遅し。
剣士が薙ぎ払う刹那、
騎士は──ついに態勢を崩してしまうのだった。
「そこまで」
審判という立場上、俺は努めて平静を装う。しかし手中は既に汗ばんでおり、秋とは思えぬ程の熱気に包まれていた。
ロジャーは「ふう」と息を漏らすと、尻餅をついたルナに手を差し伸べる。彼女はその分厚い手を取るが、どこか浮かない様子なのは気のせいだろうか。
「良い戦いだったぜ。ありがとな、ルナ」
「こちらこそ感謝する、ロジャー殿」
互いに握手する中、笑顔を作るルナ。
その時、俺の隣に立つ気配を察した。
「お見事でございます、騎士団長様」
現れたのは、給仕服に身を包むアイリーンだった。赤い縁のメガネで目上を見つめ、カーテシーで敬意を示す。ロジャーも彼女に視線を移すと、やや低めのトーンでメイド長に話し掛けた。
「おう、あんたか。こないだはすまんかったよ」
「それはお互い様よ。あの頃はお互い敵同士だったのだから」
焔の神殿でロジャーとマリアが戦う最中、アイリーンは陛下を庇った。だがそれはロジャーにとって“乱入”以外の何ものでもなく、不快感を示していたのは記憶に新しい。彼が謝っているのは、きっとその事だろう。
しかしロジャーが次に放った言葉は、アイリーンを困惑させるものだ。
「ルナの剣捌きとアイリーンの鉄拳、どっちが勝つか見物だな」
「もう結構よ……」
彼女もまた、ルナの暴走を思い出したに違いない。あのころ主に動いたのは彼女であり、ルナの握力によって骨折するハメになった。骨折については高度治癒薬で治せたものの、流石のアイリーンもトラウマがある事は窺える。あれは悲しい記憶だからか、ルナもまた乗り気ではないらしい。
ロジャーは自身の発言を忘れたかのように大きく笑うと、曲刀を鞘に納めて出入り口へと足を向ける。
「また会おうな、騎士団長さん。今度は言葉で語らおうぜ」
「こちらこそ、良い刺激となった。再会を楽しみにしているぞ」
今度こそロジャーが訓練場から去り、熱気が徐々に冷めていく。再び静寂が訪れた途端、ルナから笑顔が消えた。
「相変わらず、嵐のような漢ね……って、団長様?」
表情を曇らせ、鋼鉄の手で鞘に触れるルナ。そこで留まる様子は、吹雪の中でひとり取り残されているかのようだ。
本当は、ロジャーによって矜持を折られたのかもしれない。生真面目な彼女だからこそ、俺は励ます必要があると思った。
「あいつが強すぎたんだ。あまり気を落とさないでくれ」
「……すまない、ヴァンツォ。しばらく一人にしてくれないか?」
静かに紡がれた言葉が、俺の胸を抉る。冷ややかな声音がこの足を止める一方、アイリーンが肩に手を添えてきた。
「団長様の仰る通りよ。ほら、行きましょ」
「……ああ」
今の自身が何もできない事に歯痒さを覚える。去り際に何度かルナの方を向くが、彼女は依然として顔を上げそうになかった。
それから俺たちは行き慣れた廊下を歩き、エントランスへと向かう。
少し重苦しい沈黙を破ったのは、隣に立つメイド長だった。
「気付かないなんて珍しいじゃない」
「“気づかない”?」
俺が思わず立ち止まると、アイリーンは「ふふっ」と鼻を鳴らす。それからピオニーの香りが近づくと、艶やかな声で囁いてきた。
「あの子、恋に目覚めたのよ」
「……へ?」
は? 恋? 傍から見りゃ明らかに落ち込んでると思うが……。
そう言おうにも、アイリーンの誇らしげな笑みを見ると逆らえなくなる。
「ヴァルカの所へ向かうわよ」
「お、おう……」
彼女は凛と背筋を伸ばし、俺の先を歩く。
女心ってのは、今も判らぬものだ──そう思いながら、足は自然とヴァルカのいる部屋へ向かう。
「この私が負けたというのに……何故、胸が高鳴るのだ?」
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