【前回のあらすじ】
ヴェステル迷宮で待ち受けていたのは、銀月軍団の一人であるヴィンセントだった。アレックス率いる純真な花は、ヴィンセントが召喚した幻影を次々と撃破。アレックスが本来の力を覚醒させる一方、ヴィンセントは今にも焔の上位魔法を放とうとしていた。
「やり直せば良いのです……この国も、彼女との愛も!!」
焦がれるような熱気。
文化への憎悪。
そして──過去への執着。
魔術師が宿す怒りの炎と、悪魔が突き出す爪。
二つの要素は、奇しくも瞬間が重なった。
「インフェルノ──」
間に合う。
「フィアンマ!!」
間に合う!
水晶を包む炎が爆発する今。
俺が──
止めてみせる!!
「ぐはぁ!!」
爪がヴィンセントの脇腹を抉り、鮮血を噴出させる。
呼吸が魔力に換わる直前、魔法は不発に終わった。爪を一気に引き抜くと、彼はそのまま片膝をつき腹部を手で押さえる。
「止められて……しまいましたか」
「選べ。とっとと降るか、そのまま死ぬか」
「……くくくく」
「何がおかしい」
「私が……貴方の言葉に、従うとお思いですか?」
「は……?」
なんだこいつ、急に嗤いやがって──
「うあっ!?」
光の爆発がヴィンセントを包み、俺の身体を遠くへ吹き飛ばす。宙に投げられた俺は一回転して受け身を取ったあと、彼に起こっている状況を見遣った。
まただ。また……顔の一部が浅緋色に光ってやがる。これは彼が本気を出し始める前触れだ。いくら力を解き放った俺でも、用心せねばまた痛い目に遭うやもしれん。
あの時──ヴィンセントとジェシーがアイリーンを誘拐したときの出来事──同じ場にいたマリアも察したようで、花姫たちを守るように防御壁を展開した。
「そう身を守ったって、無駄ですよ」
彼の声音は至って冷静だが、政治への憤りを孕んでいる。
ヴィンセントは杖を触媒として、小さな精霊たちを召喚。彼らは使役者の前で浮遊を始めると、炎を以って無数の放物線を描き始めた。
それらは結界への集中攻撃を行い、緩やかに焦がしていく。結界の中にいる彼女らは、きっと僅かな熱気を感じているはずだ。
無論、炎の放物線を狙うのは彼女らだけではない。俺自身に飛び交うそれを何度も躱すが、掠っただけで火傷を負いそうな熱さだった。
それでも俺は火の包囲網へ潜り込み、ヴィンセントの懐に迫る。
ただならぬ熱気の中で狙いを定め──
爪に黒のエネルギーを込める!
「はっ!」
くそ、当たる寸前で焔撃を放ちやがった! 俺は反射的に顔の前で腕を交差させ、簡易的な結界を張ることで焼かれずに済んだ。
「それでどうにかなるとでも?」
「いちいちうるせえ野郎だな」
「その減らず口を叩けるのも、今のうちですよ。さあ、苦しみなさい」
なんだ、この氣は!?
ヴィンセントが片手を広げてきたとき、脳内に異物が入り込むような不快感を覚える。
孤独。殺意。嫉妬。
あらゆる負の概念が渦巻き、ある記憶が心を蝕んでいく──。
『弟の癖に、何故そんなにも出来損ないなのだ?』
今でも憶えている。人間界に降り立つ何世紀も前、魔界であいつと殺り合ったことを。踵で踏み躙ってきたことを。
『本気を出してそれとは、ヴァンツォ家の恥であろう?』
『が……うぁ!』
あいつは、俺の身体を何度も何度もいたぶった。翼や脚を槍で抉られ、四肢を何度も焼かれた。鼻は既に折れていて、言葉にならぬ痛みが俺を支配する。黒雲に覆われた空の下で、仰向けになるほかなかったのだ。
泣けば殴られ、抗えば蹴られる。急所も蹴られ続けた結果、俺は砂詰めの革袋同然の扱いと化した。
当然、彼は俺が逃げることを赦さない。
『立て』
焔魔法で岩肌を焦がし、俺の背を焼く。そうして俺を起き上がらせたクソ野郎の見た目を、忘れるわけがない。
呂色の長い髪に、羊みたいな白い角。兄貴の名はヘンリー。全力を以ってしても、一度も勝てなかった相手だ。
本当は兄と殺り合うなんて趣味じゃねえ。でも、俺がそう言ったところであいつは話を聞かないんだ。一に実力、二に権力──とにかく力にこだわる男だったよ。
『兄貴……もう、こんな事は……』
『ふっ、まるで人間のような物言いだな。私と争うのが嫌なら、さっさと奴隷になれば良いだろう』
『ぜってえに、従わねえ……!』
地面に付けていた片膝を上げ、背筋を伸ばしていく。全身に回る痛みを堪え、悠々と佇む兄貴を睨みつけた。
『もう良いだろ……お前は十分に強い。それで、良いじゃねえか』
『汝と決着を付けねば、真の勝者にはなれぬ。さあ来い、弟よ』
手の甲を上げ、複数本の指の関節を動かす兄貴。不敵に微笑む彼の表情は、俺に止めどなく殺意をもたらす。
『今日こそは……潰してやる』
俺は──
最後の力を振り絞り、兄貴へ突進。
そして。
漆黒と真紅のオーラを放つ長剣──ヴァンツォ家で代々伝わる神器──を両手で握りしめ、
『うぉぉぉおおおぉぉぉおおおおぉぉ!!!!!!!!!!!』
兄貴に向かって振り上げた。
その戦いも、結局勝てずじまいだった。兄とはそれきりで、今は何処にいるのかわからない。魔界を探し回っても、手掛かりすら見当たらなかったのだ。
……もしかしてあいつ、人間界で──。
「危ない!!」
シェリーの、声?
今の状況を確認する前に、蒼髪を揺らす少女が既に立ちはだかっていた。それも、俺に背を向けた状態で。
──グワァン。
黒の閃光と白光の壁が衝突を起こす。ヴィンセントが放った魔法を、シェリーが何らかの力で飲み込んだらしい。
これもまた、魔術とは違う力か?
そろそろ教えてくれよ。お前はいったい、何者なんだ?
「どいつもこいつも、その悪魔を大事にするのですね。所詮、魔族は己の手で花を散らす下衆な存在……貴方もそう思いませんか?」
「違う!!」
力強く否定するシェリー。彼女が次に放つ言葉からは、揺るぎない信念が伝わってきた。
「アレックスさんは、どんな魔族よりも信頼できる存在ですわ!! それ以上手を下すなら、私が許さない!!」
「……これだから神族は厄介なんですよ」
『神族』……? 女神アリス・ミュールの一族とか、あの辺りの……ってことか?
いや、今はどうでもいい話だ。此処は俺が戦わねば男が廃る。その意を示すべく「シェリー」と声を掛け、彼女の横に立った。
兄貴が力を己のために使うなら、俺は──。
「あとは任せろ」
「でも……!」
「構うな。俺は──この国と、お前らを守るためにこの力を使う」
誰かに使命を託され、何かを守る。それは隣国にいた頃とは似て非なるものだ。
俺の故郷でもあるティトルーズ王国と、国のため凛々しく生きる純真な花。
その二つの存在は、これまで以上に希望をもたらしてくれるのだ。
「守りたいものを抱える魔族、ですか。いい加減私欲に忠実でいるべきでは?」
ヴィンセントは水晶に光を収束させ、杖を此方に突き出す。
先端から放たれたのは、陽の光球だ。
直径一メートルの球が近づく最中。
右手に魔力を込め、下から上へと切り裂いた。
縦に伸びた直線上の軌道は、光球を真っ二つに分断。
これを見たヴィンセントは杖の先を床に打ち付け、光の波を起こす。これも陽魔法だ。魔族が弱いとされるそのエレメントで、余程俺を倒したいのだろう。
けど、それも無駄だ。
今度は翼に身を任せ、波の中を突っ切る。この瞬間、虚空から神器を召喚させた。
兄貴との決闘でも使った、大悪魔の剣。
人間相手に使えばどうなるか、今こそ見せる時だ。
魔術師に迫る刹那。
片足を地面に付け、全身を捻らす。
一回転する合間に剣を振り上げ──
斜めに斬る!
「ぐあぁぁああ!!!」
肩から下半身に掛けて走る大きな傷。
そこから舞い上がる深紅の花弁は、見せ場を彩る最高の演出だ。
「俺が飽きるまで、斃れるなよ」
大魔術師の身体を、剣舞で紅く染め上げる。
断末魔を上げ続ける彼は、もはや人間としての体を為していなかった。
「ううっ!」
刃に重力を込め、格子窓と同じ高さまで打ち上げる。
こいつへのとどめは、ある者に託すことにした。
「アイリーン」
「任せて!」
アイリーンが大きく跳躍しつつ、左手で拳を作る。
その手で月の波動を生み出し、目にも留まらぬ速さでヴィンセントの身体に迫った。
「これで、終わりよ!!」
正拳が、宙に浮かぶ魔術師の身体を直撃。
紫紺の波動は彼を遠方へ吹き飛ばし、ついに窓ガラスをぶち破る。
男の体躯は破片と共に外へ放られ、真下へと落ちていく。
俺とアイリーン、そして花姫たちは後を追うように羽ばたいた。
レンガ造りの壁沿いを次々と降下。
新緑の地が視界に広がる中、ついに彼は頭を打ち付け──
血溜まりを波紋のように広げていった。
俺たちは着地直前で止まり、ヴィンセントの呼吸を確認。
彼は唇を薄ら開け、最期の言葉を発する。
「私もようやく……イリーナの、元へ……」
届かぬ者への想いを紡ぎ、手を伸ばすヴィンセント。
黒の露と化す直前まで、彼の目線はアイリーンの方を向いていた──。
(第十一節へ)
◆ヴィンセント(Vincent)
・外見
髪:アンバー(茶色)/アップバング
瞳:ライトブルー
体格:身長190センチ
備考:メガネ(スクエア)/ 本領発揮時は顔の一部に火傷のような痕が現れる
・種族・年齢:人間/35歳
・職業:上級魔術師
・属性:すべて
・攻撃手段:魔法(媒体は杖)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!