封印装置のある部屋を後にした俺とジェイミーは、回廊にあったダクトへ飛行。元々彼は此処から侵入したらしく、あの焔の神殿と繋がっていると云う。
焔の神殿と云えば、ロジャーと戦った場所だ。しかし純真な花によって奪還した今では、野生の魔物が生活しているだけだ。それも俺達からすれば無害なので、戦闘を回避して頂上へと昇り詰める。
向かうは焔の都の教会だ。そこに在る魔法陣でティトルーズ城へ転移し、花姫たちと合流しよう。皆がきっと俺たちを心配しているに違いない。
「まさかあの神殿と渓谷が繋がってるなんてな」
「あんなクソ暑いとこ誰も行かないよねー。だからジャックはそこを占拠したんじゃないの」
「前々から何処で兵器造ってたのか疑問だったし、ちょうど良かったぜ。潰すには至らなかったがな」
「いくら俺様とあんたでも、大勢の魔物を倒すのは無理があるからね。しゃーなし」
そんな会話をしながら、都の上空を飛び交う俺達。程なくして教会が見えると、そこへ降りてすぐさま魔法陣に乗った。
──ティトルーズ城、屋上。
転移装置の上に降り立つも、周囲を行き来するのは衛兵たちだけだ。そのうちの一人が俺らの存在に気づいてくれたため、マリアら花姫を此処へ召集させる。すると彼女らが一斉に駆けつけ、不安げな目線を投げ掛けてきた。
「──!!」
俺と目を合わせ、息を呑む蒼髪の少女。……彼女と共にしたのは、清の神殿以来だろう。日はそこまで経っていないというのに、何だか数か月ぶりに出会ったような感覚だ。
「アレックスさん……!」
「……心配かけて、ごめんな」
「本当よ……こっちはこっちで大変だったんだから」
「何があった?」
口を尖らせるマリアだが、その実は俺らを気に掛けているようだ。俺が彼女に問うと、エレとアイリーンがこう答える。
「魔物は変わらずこの国を狙うのです。アンナ様とわたくしは騎士団と協力して魔物を討伐したのですが、開花できないせいで……」
「この世界で魔法を使えるのは、魔術を会得した者のみ。飛行も儘ならなかったため、力を取り戻すまでは(花姫たちを)城に匿わせました」
「ですが……あなた達とお会いする直前、大切なモノを取り戻した気がしますの。『もしや』と思い通信機を確認したら、霊石が元に戻っていましたわ」
「それはあたし達も同じ状況だったわ。あれはいったい何だったのかしら……」
「こいつが封印装置を壊した。……ついでに、奴らの工場も見つかったよ」
「こ、工場?!」
ジェイミーが親指で俺を指す傍ら、アンナが目を見開かせる。それは彼女のみならず、他の花姫も同様のリアクションだ。ジェイミーは表情一つ変えぬまま「うん」と頷き、言葉を続ける。
「これまであんたらが倒した兵器は、ぜんぶ灼熱の渓谷で造られてたってワケさ。それにジャックは……いや、あいつらは他に何か仕込んでる。ミュールの聖女さんだって、もう魔族になっちまったさ」
「アマンダもベレさんと同じように……? それは誠ですの!?」
「本当だ。俺はそこの牢獄に閉じ込められ、ジャックとアマンダにいたぶられたからな」
「なんて酷い事を……! アマンダ様も救わなくては!」
「そいつは無理な話だよ」
出入口から張りのある女声がした。一斉に声がした方を向けば、黒髪を揺らめかす和装のエルフが現れた。
彼女の名はベレ。──いや、今は“ヒイラギ”と呼んだ方が良いだろう。エレの妹である彼女もまた、ジャックによってダークエルフへと転身させられた。自分自身が改心に成功した一方、何故『無理』と答えるか。そこには、俺も納得する理由が在った。
「ヴァンツォも知っての通り、あいつの全てはジャックに奪われた。もうあいつを迎えてくれるヤツも、右目も無いってのに、どう生きるってんだい?」
「でも、アマンダ様はシェリー様のご親族よ! 手に掛けては、シェリー様が……!」
「相手が誰であれ、アレックスさんを傷つける者には容赦しませんわ」
「……へえ、あんたもそう思うもんなんだね」
シェリーは胸元で拳を作り、真っ直ぐな瞳で此方を見つめる。相変わらず彼女をからかうヒイラギだが、金色の釣り目には同情を込めている気がした。
その同情は、きっと本人に届いている事だろう。シェリーは毅然とした態度で、自身に起きた事を話す。
「アレックスさんと私はミュール島で引き離され、ジャックの人形として永遠に生きる宿命を背負わされました。ですが、あの二人がアレックスさんを苦しめた事はそれ以上に赦せませんの。もしアマンダを倒すなら、私も協力しますわ」
「ボクも手伝うよ。ねえマリアさん、アレックスもいる事だし軍議を開くんでしょ?」
「ええ、そのつもりよ。ジェイミー、あなたも参加してくれるかしら?」
「あー、わりぃ。俺様はちと用事があってね」
「また何か策でも?」アイリーンが尋ねる。
「んと……そういう、ワケじゃ……」
「すまん、ジェイミーは色々あって今は一人になりたいそうだ」
「それって、ボクにも話せない事……?」
「…………」
俯き、口を結ぶジェイミー。事情が事情だからこそ、アンナには余計話せないだろう。
ここはひとまず、俺から「行って来いよ」と促してみる。彼は俺に礼を告げた後、一言謝って城を飛び去った。
「ごめんよ」
「えっ、何処に行くの?! ジェイミー!!」
「彼がダメって言うなら、仕方ないわね。頼りにしていたんだけど……」
マリアが残念そうに溜息をつく。その一方で、アンナは唖然とした様子で佇むのみだ。
「アンナちゃんは此処に残ってくれ。皆は先に会議室へ」
「承知しましたわ」
「う、えっと……」
「行くわよ、エレ。隊長たちは後から来るはずだから」
こうして花姫やヒイラギが屋上から去ると、俺とアンナの二人きりになる。彼女らが次々と扉の向こうへ消えると、アンナは眉を下げたまま尋ねてきた。
「ねえ、いったい何があったの?」
「……これを持ってろ」
俺が差し出したのは、先程ジェイミーから受け取った蘇生剤。アンナは恐る恐る受け取ると、注射器と俺を交互に見つめた。彼女の口から疑問が漏れる前に、俺から先に告げておく。
「いつかお前の手であいつを止める時がやってくる。腕が吹き飛んだら、それで治してやれ」
「ど、どういう事……?」
「そのままだ。気になるなら、電話でもしたら良い」
これ以上話せば、友との約束を破る事になろう。その言葉を最後に出入り口へ向かうと、背後から小さな駆け足の音が聞こえてきた。
俺とアンナが軍議室へ入ると、花姫たちは先んじて椅子に腰掛けていた。そこにヒイラギや他の仲間たちの姿は無い。純真な花の皆だけで集まったのも、何だか久しぶりだ。
だが今は感傷に浸る余裕など無い。俺たちは各々の空席に座ると、アイリーンが「では、始めましょう」と合図をした。
「行くんでしょ? 天界に」
「ああ。ルーシェを人間界へ引きずり戻す」
「えっ、そんな事できるのです?」
「戻して……どうするつもりなの?」
エレとアンナが目を丸くすると、シェリーが代弁するかのように返答する。
「アルディさんの元へ住まわせるつもりですわ。『単身で生きるには限界だ』と仰っていましたし、ルーシェの事も知っているようですから」
「話が早くて助かる。もしそうじゃなけりゃ、余所へ飛ばそうと思ったからな」
俺がいない間、きっとデルフィーヌの店へ行ってきてくれたのだろう。それに、ルーシェを知る者の傍なら彼女も安心して過ごせるに違いない。……ムカつく女だったが、また暴れるよりはマシだ。
俺たちの間で僅かな沈黙が流れると、マリアが話を切り出す。
「もうあたし達が何を言っても止めないだろうから、敢えて話しておくわよ。早速だけど、明日に天界へ向かうわ。あたしにシェリー、あなたの三人でね」
「心映しのレンズは、既にマリアに渡してありますわ。日頃から誠実に生きるアレックスさんでしたら、問題なく向かえるとは思いますが……」
「来訪者の人格を判断するのはあくまで守護者でございます。隊長、言い残す事は?」
「おいおい、俺が死ぬ前提で話を進めないでくれ。何があろうと死なねえよ」
ったく、メガネを掛けたアイリーンは何故こうも皮肉めいた事を言うんだか。ジャックによる調教を味わった以上、怖いものは無いってのに。
先程まで物憂げな表情を見せていたアンナだが、俺たちを眺め静かに微笑む。まるで、俺の事を見抜いているかのようだ。
「大丈夫、ボクたちも心配してない。そうだよね、エレ?」
「は、はい! アレックス様は無敵、ですもの……そうで、あってほしいのです」
「必ず戻ってくるさ。でもせっかく皆で集まったんだ。飯食うなり何なりしたいぜ」
「まさに“最後の晩餐”ってヤツね」
その慣用句とは裏腹に、アイリーンなりに気に掛けてくれているのだろう。まあ、美人に心配されるだけ良いか。
最後にマリアが要点をまとめると、俺たちは解散して各々の部屋へ。俺も若い執事に部屋──動乱期に匿ってもらった時と同じ所──を通された後、バスルームを借りて寛ぐ事にした。
汗を洗い流し、バスローブに身を包む夜。
ソファーで横になっていると、誰かが部屋のドアをノックしてきた。俺は温まった身体を起こし、ゆっくりとドアを開けてみる。すると、先程案内してくれた執事が深々と頭を下げてきた。
「お休みのところ失礼いたします。大広間で花姫様たちが待っておりますので、此方を着用して頂けますか?」
ふと視線を移せば、彼の横には荷台に積まれた縦長のトランクが在った。黒壇の直方体は、鎧の支給を思い出させる。しかしトランクが開かれた時、俺にとって不慣れな服装が姿を見せた。
収められていたのは、男性用の礼装──いわゆるタキシードが目に留まると、一気に気恥ずかしさが込み上がってくる。確かに俺が『飯食うなり何なり』と言ったのは事実だが、こういうカチッとした衣装に対し些か苦手意識が拭えない。無論それは着ない理由にはならないので、急遽袖を通す事にした。
「変なとこは無いか?」
「お似合いですよ、隊長様。きっとお嬢様も喜ばれる事でしょうね」
やっぱり恥ずかしいぜ。……でも、シェリーらもドレスで向かうならしゃあねえか。それに、華やかな彼女らを見れるのはご褒美でもある。
そう考えるうちに期待が羞恥を上回り、身も心も引き締まる。今一度髪を整えると、執事と共に大広間へと足を運んだ。
大広間へ辿り着くと、華美な衣装に身を包む花姫たちが既に談笑していた。彼女らだけではない。クロエら使用人は勿論、ヒイラギやルナもドレスに身を包んでいる。──ヒイラギに関しては、相変わらず執事たちに囲まれている(囲わせている)様子だが。
最初に俺の存在に気づいてくれたのはエレだ。深碧色のドレスは華奢な身体にフィットし、前進するたびスカートが揺らめく。色白な肌との美しいコントラストが、唾を呑み込ませた。
「もう、アレックス様ったらジロジロ見ないでくださいっ。……そんなんだから、忘れられないのに」
「ごめん、お前を困らせるつもりは無かったんだ。ところでシェリーはどこだ?」
「シェリー様……ですか。でしたらあちらに」
彼女は表情に翳りを残しつつ、シェリーがいる方を指す。その表情から複雑な心境が見え隠れするも、俺がそこに触れるのはタブーだ。
敢えて平静を装い、「サンキュ」とエレを横切る。その時、アンナが粋なタイミングでエレに声を掛けたのが見えた。きっと彼女なりに気遣っているのだろう。
俺はマリアとアイリーンにも軽く挨拶をした後、奥に佇むシェリーへと近づく。彼女はモミの木を見つめるのに夢中で、無防備な背中を俺に晒す事に気付かないようだ。
「シェリー」
「はっ!?」
纏め上げた蒼髪を揺らし、真っ赤なリップで俺を釘付けにさせる。……それだけではない。交差した布地で胸元を覆い、露わにしたヘソは更に興奮へと至らしめた。
確信犯なのか、それとも天然か。頭を冷やすべく、俺もモミの木を眺める事に。一本のツリーは緑に覆われ、蒼いオーナメントでアクセントを利かせる。仄かに蜜の香りがすると思えば、複数の幻想蛍が疎らに張り付いていた。
幻想蛍は普通の蛍と違い、桃色や青──とあらゆる色の光をもたらす虫だ。蜜を好むが、蜂のような凶暴さは一切持ち合わせていない。人間たちはこれを利用して、催事の際は様々な場所に蜜を塗るようだ。
その美しい輝きから『絶滅した妖精の生まれ変わり』と示唆される事もあるが、定かではない。
此処にいる幻想蛍も例外ではなく、色とりどりの光でこの場のムードを高めてくれた。俺とシェリーが暫くツリーを見つめた後、彼女から声を掛けられる。
「あの……私と、踊ってくれませんか?」
「勿論だ」
手を繋ぐタイミングが重なり、シェリーの腰に腕を回す。滑らかな肌に触れると、彼女が声を漏らした気がした。
周囲は俺らに気づいたのだろう。それまでの賑やかさは一瞬にして失われ、神妙な空気に包まれる。ヴァイオリンを手にするマリアと偶然目が合うと、彼女は指揮者に合図を下したようだ。
やがて美しい音色が俺たちを突き動かし、思うがままに舞う。一同の視線が此方に集中した時、花姫たちを振った事が脳裏を過ぎった。
だが、次の瞬間に雑念は一気に消え去る。シェリーの煌めく瞳で見つめられ、思わずキスをしてしまいそうに。……忘れてはいけない。戦禍が終わるまでは唇を重ねてはならない、と。
アイリーン曰く、あと一週間すればラピスの中旬だ。そんな中で、俺たちは精霊祭に出かける約束をしている。……こんな波乱の日々が続く以上、彼女の誕生日を祝えるかも怪しいところだ。ましてや、大事な日に彼女を永遠に置き去るなんて事は避けねばならない。もしそんな事があれば、地獄で悔やんでも悔やみきれないからな。
「アレックスさん、どうしましたか?」
「いや、何も」
どうやら呆然とシェリーを見つめていたようだ。久々に会えた事だし、こいつにまた愛を誓おう。
「お前は何も言わなくて良い。……愛してる、シェリー」
「……!」
小さな耳元で囁くと、彼女の身体が震え出す。音楽に合わせ大きく円を描いた刹那、彼女の瞳からは光の粒が溢れ出した。
舞踏会が終わり、シェリーに部屋へと導かれた。青白い縞模様の壁紙は彼女らしさを表しており、棚にはマリアを模した人形が飾られている。装飾が他の部屋よりも華やかで、マリアの厚意によって特別仕様にした事が窺える。
言うなれば、此処はシェリーのもう一つの家だ。セレスティーン大聖堂で彼女を救出した後、マリアらはこのベッドで眠らせた。あの頃は部屋を眺める余裕は無かったが、こうして見ると普段の家と違う趣がある。あっちが庶民としての家なら、こっちは……“お嬢様”としての家だ。
俺がベッドに腰掛けると、シェリーは蚊帳で外界との隔てを作る。それから髪飾りを外すと、髪が波打つように下ろされ──
「なっ……!」
「……がっつく女性は嫌い、ですか?」
一瞬、何が起きたのか判らなかった。彼女に押し倒され、とろけた眼差しで俺を見つめてくる。しかも自身の胸には、ちょうど柔らかいモノが圧し掛かっているのだ。こんな事されて戸惑わない男が何処にいよう?
「何言ってんだよ。お前なら大歓迎だ」
「良かった……私、もう我慢できなくて」
もしかして酔ってるとか? いや、こう見えてこいつは酒に強いし、口から葡萄の香りがしない。だとすれば、なおさら問題ない。
「ほら、来いよ」
「はい……!」
指先が柔らかな感触を捉え、本能の赴くままに愛を育む。それは、もう一つの円舞曲の始まりでもあった。
俺は必要とされている。お前の艶めかしい声が、そう言っているようだ。
当然こっちも同じだ。伝えるなら、めいっぱい触れてやれば良い。
俺らの関係は、危うくあの蛇野郎に壊されるところだった。が、もう同じような事は起こさせまい。どんな災いが起ころうと、彼女となら乗り越えられる──この艶事は、それを確かめるためのものだ。
だから敢えて誓おう。
俺は、蛇野郎の犬でも他の女のモノでもない。
シェリーの専属騎士だ──と。
「あら、ベレ。こんなとこにいたのね」
「……誰かと思えばアイリーンか。洒落た場所で吸う煙管は美味くてさ」
「陛下が見たら怒るでしょうけど……特別に許してあげる」
「おお? あんたにしちゃ珍しいじゃないか」
「貴女といれば、忘れられそうだからね」
「案外繊細なんだな」
「そういえば、貴女もあの男に惚れてたそうね」
「どうだかな。カノジョがその辺のブスなら、とっくに奪ってただけさ」
「悔しいの?」
「いや? 世の中あいつだけじゃないし」
「……その根性が時々羨ましくなるわ」
「ロリータと仲良しなクセに何を。紙、吸うか?」
「水以外は遠慮してるの」
「はっ、つまんねえ」
「で、明日はどうするの?」
「『どうする』って、そりゃあ見守るさ。レンズかざして逝くかもしんないし」
「それもそうね……。でも、あの人たちならきっと戻れるわよね」
「顔が良いからな。相手が悪魔つっても、あっちの天使も甘くしてくれるだろうよ」
「そう信じたいわね」
「ふう……うちはそろそろ寝るぞ」
「もう戻るの?」
「ずっと此処にいたんだよ。これ以上居れば風邪をひく」
「なら同行するわ。財産を奪われないようにね」
「喧嘩売ってるのか?」
「いいえ。ほら、戻るんでしょ?」
「気が変わった。もう少し吸ってる」
「面倒な女ね。じゃ、おやすみなさい」
「ああ」
「……お嬢様たちの為にも、この戦いを早く終わらせなきゃ……」
(第二十一章へ)
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