グリフォンから降りると、山吹色の屋根を持つ家や石造の建物が視界に飛び込む。此処が“ブリガ”という隣町で、俺たちはその中心部にいる。
しかし……肝心の景色も人も、何もかもが凍り付いていた。もうすぐエメラルドの月に差し掛かるというのに酷く寒い。俺や花姫たちの白い吐息がその証拠で、特にマリアはシェリーに抱き着くほど凍えている。足元の床にも霜があり、気を付けて歩かないと滑って怪我をするだろう。せっかく陽射しがあるのに、全くと言って良いほど溶けそうにない。
「うぅ~。アレックス様ぁ、温めてください~」
「えっ!?」
エレがマリアらを見て羨ましく思ったのか、俺に容赦なく抱き着いてくる。さっきの午餐の事もあるし、本気で勘違いされるぞ……。
「ねえ見て。あそこに女の子がいるよ」
アンナが指を差した先にいるのは、一人の細身な少女だ。アンナと同じくらいの小柄ぶりで、金の長髪を二つに分けて耳の上で纏め上げている。薄浅葱のドレスは令嬢を彷彿させる。だがスカートは見えそうな程に丈が短く、腿より下を白い靴下で覆うゆえ世俗に流されがちな印象を与えた。左手にあるのは、柄が錆びた三叉槍。彼女は俺たちに気づいたのか、海のように透き通った瞳でこちらを見つめる。
左目の下には泣きぼくろがある。もしかして彼女は――
「ルーシェ。こんなところにいたのね」
マリアが声を掛けた時、その少女は俯いて肩を震わせる。
「……何が『こんなところにいたのね』よ。あの女のせいで私は……私は……!」
「陛下、お嬢様! ここはお下がりください!」
「ルーシェ、お願いだから私の話を聞いて!」
「うるさいうるさいうるさい!!!」
シェリーが身を乗り出して向かおうとしたとき、マリアが真っ先に前に立つ。さらにその前にはアイリーンが立つことで緊迫感が増した。
ルドルフ皇配殿下に似た少女ルーシェは、自身の背丈よりも長い槍を両手で振り回す。それから三本の矛をマリア――いや、シェリーに向けて想像を絶する程の罵声を浴びせる。
「この性悪女ッ!!! 本当は私を生贄にする気満々だった癖に、まだ『自分は悪くない』と言い張るワケ!? 私、知ってるわ。今度は国王の後ろに隠れて、そいつらを下僕にするつもりだってことを。自分が良い思いをするためにマリアもお兄様も……いいえ、あなたに纏わりつく者全てを利用する気だものね! 子どもの頃からまああざといこと!」
「……っ!! そんなん、じゃ……」
「シェリーを悪く言うな!! キミはいったい誰なんだよ!」
「いいわアンナ、これはあたし達の問題だから」
シェリーが両手を胸に当てて悲し気な表情を見せる傍ら、アンナがルーシェを睨みつける。けれど、マリアは冷静さを欠かすことなくアンナを諭した。
一方ルーシェは槍を立てたあと、片手を腰に当てて「ふん」と鼻を鳴らす。背丈は俺より低い癖に、他人を見下すような眼差しを送ってきた。
「この私を知らない愚民がまだいるのね。私こそがルーシェよ。代々伝わるアングレス家の娘にして、敬愛なるルドルフ兄様の妹! その腐った脳みそにきちんと叩き込んでおきなさい!」
「ルーシェ様、ですか。とてもはらた……いえ、可愛らしい子なのにどうしてこんな……」
エレが何か言いたそうだったが、それは気に留めるべきでは無いのかもしれない。
「シェリー、これはもう話し合いどころじゃないわ」
「そんな! いくら何でも、ルーシェを傷つけるなんて……」
「例え彼の妹と云えど、相手がその気ならやむを得ません。それに、殿下は彼女のことが見えていないはずですから」
「身内なのに姿が見えないって、気の毒だな」
『ルーシェ、今もそこから見守ってくれているのかい?』
俺が殿下にロケットペンダントをお渡ししたとき、ただ空を眺めてるだけだったよな。そのメッセージは果たして彼女の耳に届いていたのだろうか。
そんなことはさておき、マリアとアイリーンは既に戦闘態勢だ。恐る恐るだが、シェリーも銃を構えてルーシェを囲う。流石にまずいと思ったのか、ルーシェは歯軋りしたあと片手を掲げて叫ぶ。
「出てきなさい、アイヴィ! あの三人を氷漬けにしてやれば良いわ!」
上空から現れたのは、清の邪神の名を持つ紺藤色の巨竜だ。その竜は咆哮を上げたあと、俺たちに向かって白い炎を放射する!
「避けろ!」
俺が声を上げると、アンナとエレも一斉に炎を躱……したはずが、エレは少し遅れてしまったようだ。それが災いとなり、彼女の左脚に炎が絡みつく。
エレが感じるのは熱気ではなく、冷気だろう。炎はすぐさま氷と化し、彼女の脚を容赦なく凍らせた。
「ああぁぁあぁぁあああ!!!!!」
「エレ!!」
彼女は床の上で倒れ、仰向けの状態で甲高い苦鳴を上げる。俺は真っ先に駆けつけ彼女の前で大剣を構えると、アイヴィはさらに放射を始めた。
白い炎はこの剣身に呑まれたものの、凍えるような寒さだけは伝わってくる。俺ですらこれなのだから、エレはもっと苦しい思いをしていることだろう。けれど、この氷を溶かしてくれるヤツはいま別の敵と戦っている。早いうちに蹴りをつけて、彼女らの援護に向かおう。
アイヴィが再び咆哮を上げると翼が光り、白い大粒が射出される。その大粒の正体は氷であり、雹のように容赦なく降ってきたのだ。
氷の雨を迎撃するように再び剣を構えていると、エレが突如「アレックス様……」と俺の名を呼ぶ。
「ここは、わたくしにお任せを……!」
力を振り絞るように言葉を発するエレ。彼女が右手を突き出すと、樹のエネルギーが水のように絡みついた。
「風の……炸裂!!」
エネルギーは一つの大きな球体に変化。直ちに爆破することで、氷の粒を水へと変えた。雨のように降り注ぐ水は、この地の氷を強く叩く。エレの左脚に纏わりつく氷も例に漏れず、徐々にだが確実に溶かしていった。
ただ氷を水に変えただけでなく、アイヴィにも苦痛をもたらしたようだ。空中で呻き声を上げる中、アンナは呪文を詠唱する。
「雷撃!!」
大剣に宿る稲妻。彼女はその剣を握りしめたまま走り、翼を活かして飛躍!
そして今、清竜の腹部を切り刻む!
「たぁぁぁああ!!!」
アイヴィは腹に大きな傷を刻まれ、身体を仰け反る。ルーシェと戦う花姫たちは勿論、使役する本人も竜の方を向いた。
「そんな……アイヴィ!?」
巨大な清竜は霧と化し、街中に残る亡霊を残したまま去った。
「……いいえ、彼はまだ生きてる。ここは私が何とかしなきゃ……」
ルーシェは自身の胸を片手で押さえ、約束を誓うように呟く。一方でマリアらは息を切らすが、中でもシェリーは全身を濡らして身体を震わせていた。
俺は、片膝をついて苦しそうにするシェリーの元へ向かう。
だが――。
――ガッ!
俺の行く手を阻んだのは、柄が錆びた三叉槍。眼前で凶器が降ったせいかシェリーも目を見開き、息を呑んでいた。
「私はお兄様と会えないというのに、シェリーはいつもいつも良い思いをしてばかり! 今度こそそうはさせないんだから!」
なるほど。あいつは、『シェリーが自分を殺した』という主張を一切曲げないんだな。
……ならば!
「く……っ!」
「アレックスさん!?」
床に刺さった槍を右手で引き抜く。手先が急速に冷えて凍傷を起こしていたが、構わず力を極限まで振り絞った。
「お前は、エレの処置を……!」
「……わかりましたわ」
シェリーが立ち上がり、ようやくエレの方に向かってくれた。
ちょうど槍を引き抜いた頃には冷気が右肩をも支配していた。それでも俺は、ただ槍をルーシェに投げ返すまで!!
「おらあぁぁ!!」
槍が空を切り、ルーシェの顔に迫る。
しかし、彼女は華麗に避け、柄をしかと掴み取った。
「うっ!」
力が抜け、今度は俺がよろける。その時、何となく右腕に誰かの温もりがある気がした。
「治癒!」
マリアが治癒を……? 少し驚いたが、彼女のおかげで一気に感覚が戻ってきた。だから俺は女王に「ありがとう」と言うのだが、ルーシェはどうやら気に入らないらしい。
「ヴァンツォ……! なぜ、なぜあなたが!!」
俺の親父が有名だからか、流石の彼女もご存知のようだ。
再び軽やかになった身体を活かし、亡霊の元へ駆ける!!
ルーシェは俺の剣戟一つ一つを槍で受け止める。簡単に折れるかと思いきや、案外丈夫なのな。
だが、表情はどうだろうか。憎悪を前面に出す余り、冷静さが欠けているように思える。
「あの女に媚びを売るなんて、お気の毒ね。人殺しに何の価値があると言うの?」
「あの殿下のご令妹なんだろ? 『話を聞く』という考えが脳にねえのか?」
「どうして私がそんなことを!?」
怒号と共に蹴りを入れるルーシェ。あいにく体術には疎いようで、俺にあっさりと躱されてしまった。
「愛しきルドルフ兄様に何の間違いは無い。それなら私だって正しいに決まってるわ!」
「いくら殿下でも、そんなお前を見たら呆れるんじゃねえの?」
「何ですって!?」
案外挑発に乗りやすいようだ。彼女は俺の胸元に向けて突こうとするが、俺は剣で弾き返した。
ルーシェがよろける間に身体を掴み――投げる!!
「きゃあああ!!」
宙へ放り投げられた華奢な身体。冷えた地面に打ち付けられたせいで、仰向けの彼女はすぐに起き上がれないらしい。
俺は今度こそ彼女に近づき、目の前で切先を向けた。
「なんでよ……この私が……!」
「これ以上暴れたら、顔に傷をつけるぞ」
「…………バカね……」
「あ?」
「どうせ今回も同じ結末を迎えるわ。あなたが悪魔である限り、運命は変えられないのよ。ずっと……ずっとね!」
「っ!!」
その言葉は俺の脳髄に突き刺さり、ある映像が映し出される――。
『いやぁぁぁああぁぁぁぁぁああ!!!!!!』
鼓膜が破れそうな程の悲鳴。その声の主は銀髪の女性だが、視界が霞むせいで髪の長さや顔立ちまではわからない。
温もりだけは判るのだ。俺を抱く彼女の手は、温かくも悲しい。彼女と会ったことが無いのに、まるで知っている人のように感じられる。
彼女は、誰なんだ――?
だが、俺の疑問は彼方へと消え去り、次の映像に切り替わる。
『手の大きさ、比べてみませんか?』
向かいに座る女性はティーカップをテーブルに置いたあと、右手を差し出してきた。彼女もまた銀髪だが、髪型はシェリーのように長い。唇の端から頬までの横髪もそっくりだ。
俺の身体は勝手に動き、自身の左手を彼女と重ね合わせる。
その時、シルクのようなきめ細かい触感が全神経に行きわたり――――。
――バキィィイイ!!!
鉄製の何かが破裂する音が聞こえてきた。目の前にいるのは――
「はあ!? なぜあなたが此処に!?」
「私の仲間を傷つけるなら容赦しない!」
空色の髪を靡かせる銃士シェリーだ。銃器を構える彼女の後ろ姿は、心臓を揺さぶられる程に凛々しい。……それと同時に、『この女に惚れて良かった』とも思えるのだ。
けれど、彼女に任せっきりというわけにもいかない。いつの間にか滑り落ちた剣を拾い上げ、ルーシェと対峙しようとした時だった。
「今日はこれくらいにしてあげる。次会ったときには、その身体を……」
亡霊の言葉は途中で遮られ、泡となって消え去る。魔物の気配が消えたことが判ると、シェリーは俯いて胸を片手で押さえた。
「……本当に、ごめんね。ルーシェ……」
彼女が発するのは、例の花弁たち。舞い上がった花の群れは次々と氷や霜を溶かしていくのだが、シェリーの心までは溶かせなかったようだ。
「シェリー……」
マリアが背後から抱き締める。温もりに気づいた銃士は身体を幼馴染の方に向け、同様に抱き返した。
「私はただ、謝りたいだけなのに……」
「あなたは優しすぎよ。でも、そんなあなたの想いを受け取らないあの子が憎いわ」
このバカ女。ルーシェがあれだけお前を傷つけたってのに、何で振り切れねえんだよ……。
決してマリアが役に立たないわけではない。でも、この手で抱き締められない自分が何よりも腹立たしかった。
◆ルーシェ・アングレス(Luche=ANGLES)
・外見
髪:ブロンド/ロング/ツインテール(ラビットスタイル)
瞳:ターコイズ
体格:身長159センチ/B76
備考:左目の下に泣きぼくろ
・種族・年齢:亡霊/享年7歳/没後11年
・職業:貴族
・属性:清
・武器:三叉槍
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