【前章のあらすじ】
月・焔の神殿で各エレメントのオーブを手に入れた純真な花。焔のオーブを守っていた魔術剣士ロジャーは、敗北後は銀月軍団を離れ自由気ままに過ごす。焔の都で呪術師に魂を入れ替えられたアンナとマリアは、焔神フラカーニャによって無事元に戻る。
だが全てが順調に進む水面下、シェリーは紋章を刻まれた左腕に違和感を覚える。果たしてアレックスは、シェリーの苦しみを取り除けるか。
刃は俺の左胸を貫いた。痛みはない。
むしろ、“解放感”という単語が浮かび上がった。
ようやく戻ってきた。
例えこの身体を蝕まれようと、血に染まった手で彼女を抱き締めたかった。
けれど……この喜びもいずれは消える。
この刹那の中で、彼女に何を伝えれば良いんだ?
「……いや……こんなの、嫌ですわ……」
項まで伸びた白銀の髪に、頬から唇付近までの横髪。青空のように輝く瞳からは、大きな粒が零れだす。最初はその釣りあがった目が嫌いだったのに、気付けば愛おしく感じるのだ。
彼女が手にするのは金色の柄。その鍔から伸びるのは細い刃だ。
切先は俺の心臓に留まり、急速に意識を奪っていく。
だから俺は──
「……─リ、─……─…………」
声を振り絞り彼女を呼んでみるのだけど、自分でも何て発しているのかわからない。
眼前の女が、俺に向かって何かを叫んでいる。
名前だろうか。
せめてその澄んだ声を聞きたかったのに、
聴力も、視力も奪われ──。
夢はそこで途切れた。
瞼が勝手に開き、自然と胸に手を当てる自分がいる。掌に生温い感触など無ければ、赤くドロッとしたものも存在しなかった。勿論痛みだって無い。
ただ、胸に穴が開いたような感覚だけはあった。まるで大切な人を失ったような感覚でもある。
何度か恋人を家に連れ込んだせいで、少し広く感じるシングルベッド。俺はそいつの温もりを必死に思い出すべく、再び目を瞑って意識を集中させた。
『ねえ、近いうちに合鍵を作りましょうよ。そうすれば何時でもご飯を作れますわ』
『おっ、いいね』
『アレックスさんったら、いつも皆さんをまとめてくれるでしょ。だから、できる限りあなたを癒やしたいんです』
『あれは隊長として当然のことだ。嬉しいが、無理はするなよ』
真っ先に思い出したのは、初めて家に入れたときの出来事。あの時は、ジェイミーに撮ってもらった写真を見られて焦ってたよな……。
でも、それも今となれば笑い話だ。今日は会う約束をしてないが、せめて挨拶だけは交わしたくて通信機を開く。彼女もちょうど使っていたのか、俺が『おはよう』と送るとすぐに返信が届いた。
〈おはようごさいます、ご主人様。なんて言ってみましたが、如何でしょう?〉
その愛らしい文面は、喪失感を一気に掻き消した。
──トパーズの下旬、午後三時頃。
部屋の掃除や鍛練などで時間を潰したあと、マリアと一緒に城の書庫へ向かった。窓に目を向ければ、空は灰色の雲に覆われている。空の報せによれば雨は降らないらしいが、北風の唸り声が不安を煽るばかりだ。まるで、不運な出来事を予兆するかのように。
マリアは、「確か此処だったわね」と最奥にある本棚の前に立ち止まる。
直後、右側にある深緑色の本を取り出し、表紙を俺に見せてきた。それは、ティトルーズ暦344年──当時は三代目国王様が御即位されていた──の歴史を綴った本のようだ。少女の小さな両手には収まり切らない程の厚さで、今にも足元に落としてしまいそうである。
「俺が持つよ」
「ありがとう。それでも端折っている方なの」
「マジかよ……」
彼女からその分厚い本を受け取るが、男の俺でも少し重いと感じる程だ。テーブル席に向かう中、マリアと言葉を交わす。
「俺も当時からいたけど、逐一憶えてるわけじゃないからなぁ」
「そりゃあ何世紀も生きてたら、細かいことは忘れるわよね」
「ああ。で、そこに“ブレンダ”のことが書いてあるわけだな?」
「そうね。……彼女の最期もきちんと書かれてあるわ」
俺が席に着く傍ら、彼女の表情に翳りが見える。俺たちは『見やすいように』と隣り合って腰を下ろすわけだが──。
「失礼いたします。御主人様の生体を確認」
抑揚のない少女の声が俺の真横から聞こえてくる。振り向けば、ヴァルカはいつの間にか俺の脇に立っていた。
「どうした? 今日は学習の日じゃなかったよな?」
膨らんだ袖とひざ丈のスカートが特徴のワンピースは、青い絵の具を全体にぶちまけたような柄だ。それは一見、浅紫の美しい衣を台無しにしているが、なぜか『相性が良い』とも思える。
彼女は無言になったかと思えば、突如俺の腕を強引に引っ張ってきた。
「パフェを食べましょう」
「えっ!?」
少女とは思えぬ腕力で立たされるも、彼女は意に介さない様子だ。どうすれば良いか判らずマリアに目線を送るが──。
「行っといで」
「おい、お前まで……!」
「大丈夫、あの子もわかってるはずだから」
まさか、不運な出来事ってこれを指すのだろうか……。
そう思いながらも、俺は機械人形に何処かへ連行されるのだった──。
「で、どこでパフェを食うんだ?」
「あちらです」
ヴァルカが西の方を指す。このままシェリーと鉢合わせしないか不安だが、だからといって逃げればヴァルカが武力行使をしてくるかもしれない。もはや祈るしかあるまいな……。
しばらく西の通りを歩くと、右側に萌葱色のオーニングテントが目立つ店が在った。テントの陰からは蔦が垂れ下がり、屋外には白いテーブルが二台置かれている。ガラス窓の向こうは、仄かに明るいランプで照らされていた。玄関の前にあるメニューボードは、今日のオススメを示す。
「梨のパフェ、栗のパフェ」
ヴァルカが淡々とメニューを読み上げる。旬の果物の名を聞けば、食欲がそそられるものだ。あれだけ祈り続けた俺だが、甘味一つで折れるなど俺もまだまだである。
俺は堅実な心を投げ棄て、この可憐な扉を開けてみせる。入って左側の螺旋階段を昇り、窓際の椅子に腰掛けた。そこでウェイターにパフェを頼んだ後、二人で曇った景色を眺める。
その時、窓ガラスに一組のカップルが映り込む。彼らは一つの大きなパフェを共有し、仲睦まじく頬張っていた。それはごく普通の光景であり、普段は全く気にならない。しかし、次の会話は今の心に影を宿した。
『えへへ、だーい好き♡』
『僕も大好きだよ』
これは恋人同士なら当たり前の事だ。俺にはシェリーがいるはずだし、何を今更──。
……そうか、今の俺たちは想いを伝え合えないんだ。唇を重ねる事も赦されない。でもそれは俺たちの事情であり、彼らには全く関係の無い事。ああ、いつの間にか器量が狭くなったようで悲しいな……。
ヴァルカだって、オートマタという点を除けば好奇心旺盛の少女だ。彼女は隣のカップルをまじまじと見つめた末、俺に心苦しい疑問を投げ掛ける。
「マエストロ、人間が“好き”と発言する理由を求む」
それは拷問に等しい問いだ。具体的な説明に悩むのは勿論、口にすればもっと苦しくなるだろう。
とりあえず口を開けてみたものの、言葉が思い浮かばない。そして声を懸命に振り絞ろうとした時、ウェイターが二つのパフェグラスを運んだまま「失礼いたします」と呼び掛けてきた。
俺の手前に置かれたのは梨のパフェ、ヴァルカは栗の方だ。どちらもクリームで高く盛られていて、崩すのが勿体ないとさえ思う。三日月形に切られた白身の梨はグラスの中にぎっしり詰まってあるし、クリームで盛られたてっぺんには一粒の苺が載っていた。
「よし、いただこうか」
「承知。いただきます」
まずは小さなフォークで赤い果実を刺したあと、白くふわふわな土台と絡める。紅白のコントラストが引き立つそれを口に入れたとき、今までに感じたことのない味覚が俺を襲った。
冷えすぎず温すぎないクリームが、苺の酸味と共に甘い旋律を奏でる。臭みのないクリームは、梨と絡めても見事調和を成すのだ。シャキシャキと聞こえる程の歯応えと共に、果汁がじんわりと広がっていく。
ヤバい、美味すぎる。もしシェリーなら、間違いなくこの禁断のドルチェに惚れていたことだろう。今度連れて行かなきゃな。
グラスの上で少し崩れた山を見つめていると、フォークに刺さった黄色い小粒が鼻先に迫る。
「それ、誰にやる事か判ってるか?」
「これもコイビトができた時の訓練です。ではマエストロ、あーん」
「いや、『あーん』じゃなくてさ……」
そんな無表情で奉仕されても……だからって、此処で断るのも気が引ける。
本当に、シェリーがいないのが幸いだ。勇気を出して口を開けると、黄色い実が中に入ってくる。歯でフォークから抜き取ったあと、ホクホクの食感が支配し始めた。微かに付着したクリームによって仄かな甘さも伝わってくる。罪悪感が無いと云えば嘘になるが、これはこれで美味いな。
「マエストロの体温が上昇。理由を求む」
「あのなぁ……」
俺とシェリーの関係もパフェのように甘ければ、どんなに幸せな事か。
複雑な気持ちを胸に、俺は目の前のスイーツを平らげる。これ以上長居すればヴァルカの行動がエスカレートしそうなので、先んじて彼女の分も支払う事にした。
陽が沈むころ、俺たちはフィオーレの噴水広場で解散した。一応俺はお目付け役なのでヴァルカを城まで送ろうとしたが、どうやら『城までの経路を記憶に留めている』との事だ。帰りの途中も手繋ぎをせがまれたが、『手を汚しちゃったから』と誤魔化すことで免れた……と思う。
「では、またお会いしましょう」
「おうよ。美味いとこ連れてってくれてありがとな」
彼女は俺に背を向け、てくてくと歩き出す。さて、俺も夕食の買い出しに行くとし──
「……ん?」
懐に収めた通信機が振動する。俺はジャケットの内ポケットに手を伸ばし、発信信号をキャッチしてみた。
だが──発信者がスピーカー越しで伝える内容は、俺の肝を冷やした。
(第二節へ)
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